
ゴキブリ団子と口裂け女。母を待つお盆が、ただ切なくて
「娘が帰ってきたわ、ちょっと待ってね。」
受話器を持ったまま、大声で私に叫ぶ母。
「その団子、ゴキブリ団子だから食べちゃだめよ」
ゴキブリ団子。見たらわかる。
食べるわけないでしょ。
私、花も恥じらう中学生。
電話の相手はだあれ?
恥ずかしい。
思ったことを周りを気にせず言ってしまう母と
恥ずかしがり屋で内弁慶な私。
もめないわけがない。
そんな母と毎日のように口げんかをしていたころ
塾近くの踏切に田舎バージョンのマスクなしの「口裂け女」
が現れると噂が広まった。
深夜営業の店がなくマスクが買えなくて、苛立っているらしい。
苛立ったまま、いきなり口裂けを見せるってか?
怖すぎる。
今となっては笑い話だが中学生の私は、信じた。
夜道一人でその踏切を渡るのが怖くて、
母に、これからは、塾の帰りは車で迎えにきてほしいと懇願した。
母は、車の運転なんてできない。
母は、視力が悪く、日中でさえ街ですれ違う知り合いに、
挨拶ができないからと、
気づかないふりをするため下を向いて歩いていたほどだった。
家では、強気の母が、外では気弱そうに下を向いて歩く姿が嫌いだった。
恥ずかしかった。
友達のお母さんは運転できるのに。
父こそが私を助けてくれる人だと言わんばかりに、母に
「絶対、お父さんに言っておいてよ、
口裂け女がいるんだから」と口調強く言った。
その前日、受験勉強で深夜まで勉強している私に
「早く寝なさい。こっちまで眠れないわ。
あ~もう、電気代がもったいないわ」
と母に叱られたことがどうしても許せなかった。
親友に話すと驚いて、
「うちならココアとか部屋に持ってきてくれるよ」
と聞いて泣きそうになった。
電気代?私の受験より、電気代?
絶対に迎えに来てもらう。来てもらいたい。
その日の塾の授業。
先生の声は聞こえない。
なぜ、私は勉強をするのだろうか。
自分に問いかけていた。
塾の授業が終わり外に出る。
やはり、父の車はなかった。
女の子で迎えがないのは私だけ。
友達が、いつものように車の中から手を振る姿を、
気づかないふりをするため下を向いて歩いた。
自分の歩く姿が母と一緒で、母を憎みさえした。
父の仕事が終わるはずもない時間だと、
私は、知っていた。
お母さんが「言うのを忘れていた」
とか言ったらもう怒鳴ってやる。
「もう、勉強なんてしない」
って言ってやる。教科書だって破る。
でも、お母さんは動じないだろうな。
「じゃあ、勝手にしたら。中学校を卒業したら就職したらいいでしょ」
ぐらい平気で言うんだ。
お母さんは、そんな人だ。
怒りでいっぱいになって、
早歩きで家路に向かう。
あの踏切に立つと、噂は本当だった。
踏切の先の暗闇で、
ぼんやりと立つ女性らしい人影が見えた。
口裂け女だ。
目を背け、走って逃げるしかない。
口裂け女の横を通り過ぎたとき、
ちらっと女をみる。
口はさけていないようだ。
いや、ちがう。
いつもの野暮ったい服を着た母だった。
夜道では下を向いているはずの母が、
まっすぐ前を向いて立っている。
じっと動かず立っている。
母の視力は特に暗闇で見えにくいらしい。
街灯もない田舎の暗い夜道では、やっと人影がわかるくらい。
誰が来るか見えないから、顔を上げて待つしかないのだ。
私が気づくまで、ただ、じっと。
母に駆け寄り、話しかけた。
「お母さんが迎えに来たの?」
私の声でやっと母は、ほっとした表情をした。
「お父さんがどうしても行けないって言うから」
「こんな真っ暗なのに、歩いてこれたの?見えないでしょ。」
「私が、通り過ぎたらどうするつもりだったの」
矢継ぎ早に母に言った。
母は笑いながら
「私は見えないけど、ここに立ってたら気づいてくれるから」
私は、慌てて足もとがおぼつかない母の手をとった。
母の手がとても冷たい。母の手がこれ以上夜風に当たらぬよう
私の手を広げ、包み込むように握りしめた。
申し訳なくて、泣きそうになって母を見た。
こんな夜道だから、母は私の表情が読み取れるはずがない。
でも、すべてを見透かされたように、しっかりと目線は合う。
そして、ゆっくり、ゆっくり家路に向かう。
涙がこぼれたら、母の手を離さなくてはならないから
いつものように軽口を言う。
「ねえ、今、家の電気消してきた?
あれだけ電気代がもったいないって言うんだからね。
ケチケチ母さん」
「消してきたよ。これからあなたに、もっとお金がいるのに。
うちには余裕はないの。それに、早く寝ないと目が悪くなる。
お母さんみたいに悪くなったら取り返しがつかないのよ」
もう、頼めない。父も仕事なんて休めない。
夜道を母一人で歩かせるわけにはいかない。
もう、わかったから。わかったから。
心の中で自分を自分で納得させる。
私の心の温もりが、繋いだ母の手に
伝わりますようにと願う。
これからは、一人で母が待つ家に歩いて帰る。
もう、口裂け女なんて怖くない。
うちのお母さんが助けてくれる。最強だ。
もし、本物の口裂け女が
「私って、綺麗?」って聞いてきたら
うちのお母さんは、一喝。
「暗いのに綺麗かどうか、私には見えません。
早く家に帰って、早く寝なさい」
口裂け女の心がさけるぐらい厳しく叱るはずだ。
あの大きな声で夜道が響きわたるほど。
あれから何十年もたった。
我が子も今年、受験生。
塾の送迎は、母親の私の役目になっている。
送迎の度に「ありがとーー」って言ってくれる。
車の運転ができる。我が子のためなら電気代くらいは惜しくない。
母は、できなかった。
したくてもできなかったこと。
もうすぐお盆。
私は毎年、たくさんの迎え団子を作りお供えする。
「綺麗にお団子を丸められるね」ってよく褒められる。
こんな年になっても褒められたら嬉しい。
「母が、よくお盆やお月見などの行事に団子を作ってくれていたのよ。
それを思い出しては、見よう見まねで作っているだけよ。」
ちょっぴり、母自慢。
お母さん、今年も綺麗にできたでしょ?褒められちゃった。
お母さんのおかげね。ありがとう。
仏前にお供えする団子は、ゴキブリ団子と違うからたくさん食べてね。
お母さんが天国から
「見たらわかるわ」って
怒っている声が聞こえた気がした。
一言多いのも母譲り、今も健在よ。
ねえ、お母さん、お盆で、天国から我が家に戻って来るときは、
お父さんとしっかり手を繋いで戻ってきてね。
もう、恥ずかしがったりしちゃだめよ。
迎え火だけでは、心もとないでしょ。
夜道はあぶないからね。
お盆は、姿が見えない母をいつもより身近に感じる。
母は、私たちを身近に見ていてくれるはずだ。