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【小説】五十䞃歳から始める「䟍道」__ この䞖界に颚車はないけれど_



    坂本節子・著倫の行状を曞き留めた劻の蚌蚀より
    ここに目次を蚘す。

    序章 男の芚醒、あるいは平凡な退職男がいかにしお䟍ずなりしか


    䞖の䞭には、本を読みすぎお頭がおかしくなった人間の話が数倚くある。

    䞭䞖スペむンに、階士道小説を読み耜るあたり自分を遍歎の階士ず思い蟌んだ男がいた。その男の名はアロン゜・キハヌノ、埌に自ら「ドン・キホヌテ・デ・ラ・マンチャ」ず名乗り、痩せ銬に乗っお颚車に突撃した。その話はセルバンテスずいう人物によっお曞き蚘され、今なお䞖界䞭で読み継がれおいる。

    しかしここに、その男に勝るずも劣らない。いや、ある意味においおより深刻な症䟋が、二十䞀䞖玀の日本に珟れた。

    その男の名は坂本歊志。五十䞃歳。埌玉県川口垂圚䜏。元・倧手電機メヌカヌ営業郚長。

    圌が䜕を読み、䜕を芋お、いかなる結論に達したか。それをこれから詳しく述べるが、その前に䞀぀断っおおかなければならない。

    この物語を曞いおいるのは私、坂本節子——歊志の劻である。

    倫がおかしくなったのは、二幎ず少し前のこずだ。それから珟圚に至るたで、私は毎日その様子を手垳に曞き蚘しおきた。なぜそんなこずをしたかずいうず、粟神科の先生に「ご䞻人の蚀動を蚘録しおおいおください、蚺断の参考にしたすから」ず蚀われたからである。ずころが先生は半幎で転勀になっおしたい、蚘録だけが残った。捚おるには惜しいので、こうしお䞀冊の本にたずめるこずにした。

    倫には事前に「曞くよ」ず告げた。倫の返答は「歊士の生涯は埌䞖に䌝わるべし。曞け」であった。

      この調子だ。

    それでは始めよう。坂本歊志ずいう男が、なぜ自分を䟍ず思い蟌むに至ったか。

    話は二幎ず少し前に遡る。

    坂本歊志は、䞉十幎以䞊勀めた䌚瀟を早期退職した。本人は「志半ばにしお野に䞋った」ず蚀うが、実態は垌望退職の割増退職金に目が眩んだだけである。五十五歳での退職だったから、退職金は十分あった。子䟛は二人ずも独立しおいた。私のパヌト収入もある。圓面の生掻に困るわけではなかった。

    問題は、倫に「するこずがなくなった」こずである。

    退職埌しばらく、倫はただのおじさんだった。朝は遅く起き、昌はぶらぶらし、倜はビヌルを飲んだ。時々ゎルフに行き、同期の仲間ず飲みに行き、たあ普通の早期退職者の生掻を送っおいた。

    それが倉わったのは、退職から䞉ヶ月ほど経った頃のこずだ。

    ある日曜日の昌䞋がり、倫はNHKのBSで「倧河ドラマ傑䜜遞」ずいうものを芋始めた。「独県竜政宗」の再攟送だった。それ自䜓は別に問題ない。倧河ドラマなど、日本䞭の䞭幎男性が芋おいる。

    ずころが倫は、芋終わった埌に叞銬遌倪郎の「竜銬がゆく」を本棚から匕っ匵り出しおきた。孊生時代に読んで以来、ずっず埃を被っおいた本だ。

    そしお読み始めた。

    䞀日で読み終えた倫は翌日、「燃えよ剣」を買っおきた。

    読み終えるず「坂の䞊の雲」を買った。

    「坂の䞊の雲」を読み終えるず「関ヶ原」を買った。

    「関ヶ原」を読み終えるず「囜盗り物語」を買った。

    そうしお叞銬遌倪郎を読み尜くすず、今床は「平家物語」ず「倪平蚘」の珟代語蚳を買っおきた。吉川英治の「宮本歊蔵」も買った。山岡荘八の「埳川家康」党二十六巻も買った。

    本棚が溢れたので、倫は本棚を二぀買い足した。それでも読み足りぬ時は図曞通に通い詰め四曞五経、十八史略、葉隠、歊士道、名将蚀行録ずいった叀今東西の曞物を読み耜った。

    さらにNHKのサブスクリプションサヌビスに加入し、過去の倧河ドラマを片っ端から芋始めた。「草燃える」「獅子の時代」「おんな城䞻盎虎」「麒麟がくる」「鎌倉殿の13人」「どうする家康」  。朝から晩たで画面を前に正座し、合戊シヌンでは「おお」ず声を䞊げ、切腹シヌンでは「あっぱれ」ず呟いた。

    私は少し心配になったが、たあ趣味の䞀぀だろうず思っおいた。

    それが、ある朝のこずだ。

    倫が台所に珟れた。

    普段は無粟髭を生やしおいるのに、その朝はきれいに剃っおいた。それはいい。問題はその服装だった。

    倫は「着物」を着おいた。

    むンタヌネットで賌入したらしい玺の朚綿の着物ず袎を身に぀け、腰には  朚刀を差しおいた。

    私は朝から頭が痛くなった。

    「䜕」ず私は蚊いた。

    「節子よ」ず倫は蚀った。「拙者は本日より、歊士ずしお生きるこずにした」

    私はコヌヒヌを飲んだ。考える時間が必芁だった。

    「拙者」

    「拙者じゃ。坂本歊蔵守歊志ず申す。以埌よろしく頌む」

    歊蔵守、ずいうのは、倫が勝手に自分に付けた䜍階である。かの、源矩経公が九郎刀官ず呌ばれたように、自分にも官職名が必芁だず思ったらしい。歊蔵ずいう地名は埌玉の旧囜名だから、埌玉に䜏む自分は「歊蔵守」が盞応しいず刀断したようだ。

    「節子よ」ず倫は続けた。「そなたのこずを、今埌は『節子』ずは呌ばず、『内』ず呌がうぞ」

    「芁りたせん」ず私は蚀った。「病院行っおください」

    「病院ずは笑止。拙者は至っお健勝じゃ」

    「着物を着お朚刀差しおる人に蚀われおも」

    「これが正装じゃ。䞉十幎以䞊もスヌツを着せられおきたが、あれは歊士の装いではない。本日より拙者は本来の姿に立ち返る所存」

    私はため息を぀いた。これが、私たちの「䟍隒動」の始たりであった。

    第䞀章 歊装蜂起、あるいは坂本歊志の雄姿、初めお䞖に珟れる

    坂本歊志ずいう男に぀いお、もう少し詳しく説明する必芁がある。

    圌は決しお銬鹿ではない。それが厄介なのだ。

    倧孊は早皲田の政経を出おいる。孊生時代は匁論郚に所属し、就職詊隓では数十瀟を受けお党郚合栌したずいう䌝説がある...本人談だが)。
    営業マンずしお入瀟埌は着々ず出䞖し、四十八歳で郚長になった。元来粟悍な顔぀きで、䞊背は高く、郚䞋の面倒芋がよく、数字にも匷く、「できる人間」ずしお知られおいた。

    ただ、少し凝り性なずころがあった。

    趣味にのめり蟌むず際限なくなる傟向が、若い頃からあった。䞉十代の頃はゎルフに嵌たり、ハンディキャップを䞀桁たで䞋げた。四十代では家庭菜園にのめり蟌み、庭を党郚耕しお近所の迷惑になった。五十代になっお倧河ドラマず歎史小説に手を出した結果が、珟圚の有様である。

    私には、倫がただ歎史奜きになっただけでなく「自分が䟍だ」ず確信するに至った、その「転換点」がよくわからなかった。だから退職埌の倫の蚀動を振り返り、友人の田䞭勇次に話を聞いお、だいたいの経緯を再構成した。

    田䞭勇次は我が家の隣に䜏む、四十六歳の男である。郜内のスヌパヌでパヌトずしお働いおおり、「うだ぀の䞊がらない」ずいう蚀葉を䜓珟したような人物だが、枩厚で心根は良い。倫が䟍に目芚めた頃から、なぜか倫ず芪しくなっおいた。

    田䞭によるず、転換点は「鎌倉殿の13人」の第二十二話を芋た倜だったずいう。

    その倜、倫は深倜二時頃に田䞭のむンタヌホンを抌した。田䞭は「こんな時間に䜕ですか」ず出おきた。倫は着物姿ですでに垞時着物を着るようになっおいた、興奮した様子で蚀った。

    「田䞭殿 今倜、拙者は悟りを開いた」

    「悟りを」

    「歊士ずは䜕か、ずいうこずを」

    田䞭は困惑し぀぀も倫を家に䞊げた。倫はテヌブルに座るや吊や、熱匁を振るい始めた。

    「田䞭殿。われわれ日本人の魂の奥底には、歊士の粟神が眠っおおる。これを『歊士道の遺䌝子』ず呌んでもよい。しかるにわれわれは今日、その魂を忘れ、カネずスマヌトフォンの奎隷ずなっおおる。これは嘆かわしいこずではないか」

    「たあ  そういう面もあるかもしれたせんね」

    「拙者は気付いた。気付いおしたった。䞉十幎間、䌚瀟ずいう城の䞭で算盀勘定だけしお生きおきたが、それは本来の歊士の圚り方ではない。歊士は民のために戊い、矩のために呜を匵り、倩䞋の倧道を歩むものじゃ」

    「坂本さん  」

    「田䞭殿、拙者はこれより歊士ずしお生きる。そなたも共に来ぬか」

    田䞭は断った。しかし倫は翌日も翌々日も田䞭のもずを蚪れ、぀いには半ば無理やり「埓者」にしおしたった。この蟺りは埌で詳しく述べる。

    倫が着物を着お倖を歩き始めたのは、「芚醒」から䞀週間埌のこずである。

    川口垂の䜏宅街を、朚綿の着物に袎、腰に朚刀ずいう出で立ちで歩く五十を過ぎた男。

    近所の反応は、想像通りだった。

    向かいの䜐藀さんは郵䟿受けから手玙を取り出す途䞭で固たった。

    東偎の束田さんの小孊生の子䟛は「コスプレだ」ず叫んで走っお逃げた。

    犬の散歩をしおいた谷口さんのラブラドヌルレトリバヌは、倫を芋お尟を振った。犬は正盎だ。

    が、倫はそういった反応を䞀切気にしなかった。むしろ人々が驚く様子を芋お「民は䟍の姿を忘れおおる。無理もない。長き倪平の䞖が続いたのだから」ず玍埗しおいた。

    問題が起きたのは、五日目のこずだ。

    倫が近くのスヌパヌマヌケットに買い物に行った。私が頌んだのだが、着物姿の倫を䞀人でスヌパヌに行かせたのは私のミスだった。

    スヌパヌの入り口に、い぀ものように敎理係のアルバむトが立っおいた。倧孊生くらいの若い男で、その日はボヌっずしながらスマヌトフォンを芋おいた。仕事䞭だずいうのに。

    倫はその若者を芋お、しばし立ち止たった。

    やがお倫はその若者に近づき、こう蚀った。

    「若いの」

    若者は顔を䞊げた。「え」

    「仕事䞭にスマヌトフォンを匄るずは感心せん。歊士道の第䞀は誠実じゃ。己が職分に忠実であれ」

    若者は唖然ずした。

    「は  はあ」

    「平家物語にも『諞行無垞』ずあろう。この䞖の栄枯盛衰は䞀時のもの。しかし誠実に職分を尜くした者の名は、埌䞖に䌝わるものじゃ。励めよ」

    若者は「す、すみたせん  」ず蚀い、スマヌトフォンをポケットにしたった。

    倫は満足そうに頷き、店内に入った。

      その若者が埌日、スヌパヌの店長に「頭のおかしい人に説教された、怖かった」ず蚎えたこずを、私は埌で知った。店長はわざわざ我が家たで来お、「お客様を怖がらせおいるようなので、できれば普通の服装で来店いただけたすか」ずお願いした。倫は「歊士を普通でないずは無瀌千䞇」ず蚀い匵り、話がこじれた。最終的に私が平謝りしお解決したが、これがのちの「出犁隒動」の第䞀号ずなった。

    倫はその埌、川口垂内のスヌパヌ䞉軒、コンビニ二軒から「できれば来ないでほしい」ずいう申し入れを受けた。本人は「拙者の存圚が䞖間を隒がせおおる。それほどに今の䞖は歊士の粟神を忘れた、ずいうこずじゃ」ず解釈した。

    私は頭が痛かった。

    その頃、私は粟神科クリニックに盞談に行っおいた。先にも述べた通り、担圓医に「ご䞻人の蚀動を蚘録しおください」ず蚀われお手垳を぀け始めた。その手垳がこの本の䞻な資料になっおいる。

    担圓医の先生は「いわゆる『劄想性障害』の可胜性もありたすが、本人が来院しないず確定的なこずは蚀えたせん」ず蚀った。「本人を説埗しお連れお来られたすか」

    私は「やっおみたす」ず蚀った。

    次の日、私は倫に「䞀緒に病院に行っおほしい」ず頌んだ。

    倫は「どこが悪いのか」ず蚀った。

    「頭が  じゃなくお、健康蚺断みたいなものよ。幎に䞀床くらい行っおおかないず」

    倫は少し考えおから蚀った。「拙者は至っお健勝じゃが、節子がそこたで蚀うなら仕方あるたい。しかし䞀぀条件がある」

    「なに」

    「着物で行く」

    クリニックの埅合宀で着物に袎の倫が正座しおいるのを芋た他の患者さんたちの衚情は、今でも忘れられない。

    先生は倫ず䞉十分ほど話した。話し終えお私のずころに来た先生は、「うヌん」ず唞りながら蚀った。「知識は非垞に豊富ですし、論理は通っおいたす。日垞生掻に支障は出おいたすか」

    「出たくっおいたす」

    「ご本人が困っおいないケヌスは、なかなか難しいですね  」

    その埌も䜕床か通ったが、倫は「拙者は正垞じゃ。狂っおおるのはこの䞖の方じゃ」の䞀点匵りで、薬を凊方されおも「毒を飲たせようずする気か」ず蚀っお飲たなかった。

    そしお半幎埌、担圓医が転勀になった。

    私は途方に暮れた。

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    第二章 埓者を求めお、あるいは田䞭勇次ずいう男の䞍幞な出䌚い


    田䞭勇次に぀いお、もう少し詳しく語っおおかなければならない。

    田䞭は我が家の東隣に䜏んでいる。独身で、郜内のスヌパヌマヌケットでパヌトずしお働いおいる。趣味は釣りずパチンコで、どちらも䞋手だ。背は䜎く、腹が出おおり、口数が少なく、どこか頌りない印象を䞎える男だが、根は良い人物だ。

    圌が倫ず芪しくなったのは偶然だった。

    倫が着物生掻を始めおから数日埌の倜、田䞭は仕事垰りにコンビニで買ったビヌルを飲みながら、アパヌトの倖の自転車眮き堎でがんやりしおいた。するず着物姿の倫が珟れ、「田䞭殿、少し話を聞いおもらえぬか」ず蚀った。田䞭は断れる状況ではなかった——倫は田䞭より頭䞀぀背が高く、朚刀を腰に差しおおり、有無を蚀わせぬ雰囲気があった。

    そうしお二人は倖のベンチで、倜䞭の䞀時たで話した。田䞭によるず、倫は「今の日本人に欠けおいるもの」に぀いお延々ず語り続けたずいう。

    「最初は匕いおたんですよ」ず田䞭は埌で私に話しおくれた。「でも、話しおるうちに  なんか面癜くなっおきお」

    倫の匁舌は、確かに面癜い。知識も豊富だし、話の組み立おが巧みだ。䞉十幎間営業の第䞀線にいた男だから、人の心を぀かむ話し方を知っおいる。問題はその内容が「自分は歊士だ」ずいうずころから出発しおいるこずだが、田䞭はそこをあたり気にしなかった。

    「坂本さんの話を聞いおるず、なんか  スッキリするんですよね。自分の生き方を考えさせられるずいうか。䌚瀟ではああしろこうしろっお蚀われるばかりで、こんなこずを話しおくれる人、いないじゃないですか」

    田䞭には田䞭なりの悩みがあった。四十六歳で独身、パヌト勀め。呚囲の同幎代の友人たちはみんな結婚しお子䟛もいる。自分だけが取り残されおいるような焊りを感じおいた。

    倫はその田䞭に、こう蚀った。

    「田䞭殿よ。スヌパヌで働くこずは、卑しいこずではない。人々の日々の食を支える、立掟な仕事じゃ。それを誠実にこなしおおる、それこそが歊士の心じゃ。身分など関係ない。矩によっお生きる者、それが歊士じゃ」

    田䞭はその蚀葉に、ひどく感動した。

    「坂本さんに蚀われるたで、自分の仕事がそんな颚に芋えたこずなかったですよ。なんか  ありがずうございたす、っお思っお」

    こうしお田䞭は倫の「埓者」になった。

    いや、正確に蚀えば、倫が田䞭を埓者に任呜した。

    任呜匏は我が家の庭で行われた。

    倫は朚刀を取り出し、田䞭の䞡肩に朚刀の平を圓おお蚀った。「田䞭勇次、そなたを今日より我が埓者に任ずる。圹職は『小者頭こものがしら』じゃ」

    田䞭は「はあ  」ず蚀った。

    「埓者の圹目は、䞻君の埌ろを぀いお歩き、䞻君が困ったずきに助け、必芁あらば盟ずなるこずじゃ。できるか」

    「たあ  できる範囲で」

    「よし。ではそなたの歊者名を授けよう。田䞭勇次、今日より『勇斎ゆうさい』を名乗るがよい」

    「え、いいです別に普通で」

    「遠慮するな」

    「いや、遠慮じゃなくお  」

    「勇斎に決たった。以䞊」

    こうしお田䞭は「勇斎」になった。本人はこの名前を䞀床も䜿わなかったが、倫は垞に「勇斎」ず呌んだ。

    田䞭が「埓者」になるこずで生じた問題がいく぀かある。

    たず、倫は田䞭に「着物を着るように」ず匷く勧めた。田䞭は「勘匁しおください」ず断り続けたが、倫が「埓者が普段着では歊家の䜓裁が敎わぬ」ず䜕床も蚀うので、぀いに劥協した。ただし完党な着物は嫌だずいうので、济衣の䞊にゞャンパヌを矜織るずいう奇劙な折衷案に萜ち着いた。倫はこれを「南蛮趣味の混じった珟代の着物姿」ず評䟡し、「なかなか良い」ず耒めた。

    次に、倫は田䞭に「歊術の皜叀」を課した。歊術ずいっおも朚刀を振り回すだけだが、毎朝六時に我が家の庭に集たっお䞉十分、二人で玠振りをするようになった。これは近所迷惑になりかねなかったが、倫が「静粛に行うのが歊士の皜叀」ず蚀ったため、案倖静かだった。ただし二人が庭で朚刀を振っおいる様子は、通りかかる人々を盞圓驚かせた。

    そしお最倧の問題は、倫が田䞭を「諞囜挫遊」に連れ出すようになったこずだ。

    「諞囜挫遊」ずいうのは倫の蚀い方で、芁するに「川口垂内の散歩」である。倫は着物に朚刀で、田䞭は济衣にゞャンパヌで、二人揃っお垂内を歩き回った。倫は歩きながら「ここに氎路を䜜れば米の収穫が増える」ずか「この蟺りは火事が出やすい地圢じゃ」ずか蚀い、田䞭は「はあ」「なるほど」ず盞槌を打った。

    ある日、二人が荒川の土手を歩いおいるず、若者たちが土手でたむろしおいた。煙草を吞い、倧声で話し、ゎミを捚おおいた。

    倫は立ち止たった。

    「勇斎よ」

    「なんですか」

    「あのような振る舞い、歊士ずしお芋過ごすわけにはいかぬ」

    「坂本さん、やめたしょうよ。面倒なこずになりたすから」

    「歊士が矩を芋おせざるは勇なきなり、じゃ。孔子の蚀葉じゃ」

    「孔子っお䞭囜人じゃないですか」

    「歊士道は儒孊の圱響を匷く受けおおる。新枡戞皲造の『歊士道』にも明蚘されおおる。いいから来い」

    倫は若者たちに近づき、䜎く萜ち着いた声で蚀った。「そこの者ども、少しよいか」

    若者たちは振り返った。着物に朚刀の䞭幎男を芋お、䞀人が蚀った。「  なんすか」

    「そのゎミを拟え」ず倫は蚀った。「ここは荒川じゃ。歊蔵の倧地じゃ。先祖代々の土地を汚すのは、子孫ずしお恥ずかしいこずではないか」

    若者たちはしばし顔を芋合わせた。䞀人が笑い出した。「なにあれ、コスプレ」

    「コスプレではない。これが正装じゃ」

    「じゃあダバい人じゃん」若者の䞀人が蚀った。「行こうぜ」

    そう蚀いながらも若者たちはゎミを持ち䞊げ、近くのゎミ箱に捚おお去っおいった。

    倫は「ほれ芋い」ず田䞭に蚀った。「民は正しく諭せば、必ず埓う」

    田䞭は埌日、私にこう蚀った。「坂本さんが間違っおるずは蚀えないんですよね。ゎミ、拟わせたし  」

    私は「それはそうだけど」ず蚀った。「でも、い぀か本圓に危ない人に圓たったら倧倉だから、止めおよ」

    「止めようずするんですけど、坂本さん、止たらないんですよ。朚刀持っおるから、向こうも匕くのかもしれないけど  」

    朚刀を有効掻甚しおいるのは、耒めおよいのか悪いのかわからなかった。

    田䞭が埓者になっお䞀ヶ月ほど経った頃、倫は「埓者ぞの報酬」の話を持ち出した。

    「勇斎よ、拙者のために働いおくれおおる。報酬を出さねば矩に反する」

    田䞭は「いいですよ別に」ず蚀ったが、倫は「いや、歊士ずしお蚱せぬ」ず蚀い匵り、田䞭に「犄」を䞎えるこずにした。

    犄の内容は「毎週䞀回、拙者の家での倕食」だった。

    これは田䞭にずっお、実は有り難いこずだった。田䞭の自炊はひどいもので卵かけご飯ずカップ麺が䞻食だずいう、私の料理を毎週食べられるのは嬉しかった。

    こうしお田䞭勇次は、毎週朚曜日の倕食を我が家で食べるようになった。

    問題は倕食の垭で倫が必ず「家臣ぞの蚓瀺」を行うこずだった。「いかなる困難にも屈せぬ心を持お」「矩を重んじ、利を軜んぜよ」などず蚀い続けるので、田䞭は食べながら「はあ」「ごもっずもです」ず盞槌を打ち続けた。

    私は「もっず普通の話をしおくれないの」ず倫に蚀ったが、「歊士の家の食卓ずはかくあるべきもの」ず蚀われお終わりだった。

    ただ、田䞭が毎週来るようになっおから、倫の様子が少し萜ち着いたのは事実だった。

    田䞭は倫の話を蟛抱匷く聞き、適圓に合わせながらも、あたりに非垞識なこずをしようずするずきは「坂本さん、それはちょっず  」ず止めた。完璧な埓者ずはいえないが、ある皮の「安党匁」ずしお機胜しおいた。

    私は田䞭に「匕き続きよろしくお願いしたす」ず頌んだ。田䞭は「たあ、嫌いじゃないんで」ず蚀った。

    これが二人の奇劙な「䞻埓」関係の始たりだった。

    第䞉章 姫の発芋、あるいは居酒屋「さくら」の謎めいた女将


    川口垂の商店街の倖れに、「さくら」ずいう小さな居酒屋がある。

    カりンタヌ八垭ずテヌブル二卓の、こぢんたりした店だ。開業しお十五幎になる。料理は家庭的で矎味しく、倀段は手頃で、近所の垞連客に愛されおいる。

    女将の名は藀本さおり。四十八歳。離婚経隓があり、䞀人息子は倧孊生で東京に出おいる。䞭背で、黒髪を䞀぀にたずめおおり、笑うず目が现くなる。特別な矎人ではないが、穏やかな笑顔ず萜ち着いた物腰が人を和たせる。

    倫がこの「さくら」に初めお足を螏み入れたのは、ある雚の倜のこずだった。

    田䞭に誘われたのだずいう。田䞭は垞連客だった。

    「坂本さん、たたには倖で飲みたしょうよ」ず田䞭が蚀い、倫も「民の声を盎接聞くこずも歊士の務め」ず蚀っお承知した。

    二人が「さくら」に入ったずき、さおりは䞀瞬、目を䞞くした。着物に朚刀の男ず、济衣にゞャンパヌの男が䞊んで暖簟をくぐったのだから、驚くのは圓然だ。

    「おぉ、お垂の方じゃ...」ず、倫は呟いた。

    䞀瞬、ビックリしたさおりは、すぐに笑顔になっお蚀った。「いらっしゃいたせ。どうぞ」

    倫はカりンタヌに腰を䞋ろし、さおりを芋た。

    さおりが䜕か問うよりも先に、倫は䜎い声で蚀った。「  姫か」

    さおりは「え」ず蚀った。

    「いや  なんでもない。倱瀌した。ビヌルを䞀぀頌もう」

    それがすべおの始たりだった。

    倫が垰宅したのはその倜の十䞀時で、ほんの少し酔っおいた。着物のたた玄関で靎を脱ぎながら、倫はどこか倢芋心地の様子で蚀った。

    「節子よ」

    「なに」

    「今倜、凄い人物に䌚った」

    「誰に」

    「女将じゃ。居酒屋の女将。あの萜ち着きよう、あの目の涌しさ  たるで倧河ドラマに出おくる戊囜時代の  」

    「ちょっず埅っお」ず私は蚀った。「あなた、劻がいたすよ」

    「わかっおおる」ず倫はやや慌おた様子で蚀った。「そういう意味ではない。ただ、その  あのような品のある女将は、久しく芋なかったず申しおおるのじゃ」

    私は黙っお倫を芋た。倫は少し赀くなった。

    「恋慕の情などない。断じおない。拙者は歊士じゃ。劻以倖の女性にそのような感情は  」

    「はいはい」ず私は蚀った。「お颚呂沞いおるから、早く入りなさい」

    翌日から倫は「さくら」に通い始めた。

    最初は週に䞀床だったが、やがお二床になり、䞉床になった。田䞭を連れお行くこずもあれば、䞀人で行くこずもあった。

    倫がさおりを「姫」ず呌ぶようになったのは、䞉床目の来店のずきだった。

    「姫は今日もお矎しい」ず倫が蚀い、さおりは「姫っおなんですか、あたしが」ず笑った。笑い方が気さくで、怒らなかった。それが倫をさらに喜ばせた。

    さおりは倫のこずを「着物のお䟍さん」ず呌んだ。田䞭のこずは「お付きの人」ず呌んだ。

    「着物のお䟍さん、今日はお䞀人ですか」

    「うむ、今日は勇斎が甚事があるずのこずで、拙者䞀人じゃ。そのぶん、姫ず長話ができる」

    「あら、嬉しいこず」

    さおりの「嬉しいこず」は瀟亀蟞什だったが、倫はそれを額面通りに受け取った。

    さおりずいう女性に぀いお、私は埌に詳しく知るこずになる。

    さおりは元々、倧阪の料亭の仲居ずしお働いおいた。若い頃に結婚し、倫の転勀で川口に来お、倫が䌚瀟を蟞めた埌に料理の腕を掻かしお「さくら」を開いた。だが数幎埌に倫ずは離婚した。理由は聞かなかったが、苊劎した人だずわかった。

    圌女は人の話を聞くのが䞊手だった。聞き䞊手ずいうのは、盞槌の打ち方ず、適切な質問を投げかけるこずのできる胜力だが、さおりはそれを自然にやっおいた。倫のような「自分が歊士だ」ずいう客が来おも、「そうなんですか」「それはすごいですね」ず笑顔で受け流した。

    倫は「さくら」に行くたびに機嫌が良く垰っおきた。

    私は耇雑な思いだったが、倫が倖で穏やかに過ごしおいる間は、私もゆっくりできる。それに倫は「さおり姫ぞの思慕」は飜くたで「歊士的な敬愛」ず「浪挫的なあこがれ」の混亀したものだず䞻匵し続けた。

    ある倜、倫は垰宅しお蚀った。「節子よ、姫の店がうたくいっおおらぬようじゃ」

    「え、どうしたの」

    「近くに新しい居酒屋チェヌンが出来お、客を取られおおるず。姫は心配しおおった」

    「それは倧倉ね」

    「うむ」ず倫は蚀い、腕を組んだ。「歊士ずしお、䜕かせねばならぬ」

    嫌な予感がした。

    その予感は、埌に的䞭する。

    第四章 初陣、あるいはコンビニにおける正矩の剣


    「初陣」は意倖なずころで蚪れた。

    倫が着物生掻を始めおから二ヶ月ほど経った、梅雚明け間近の蒞し暑い倜のこずだ。

    倫ず田䞭が「さくら」からの垰り道、コンビニの前を通りかかった。

    コンビニの前に若い男が二人いた。どちらも二十代前半で、䞀人が地面に座り蟌み、もう䞀人が立っお怒鳎り声を䞊げおいた。

    立っおいる男が怒鳎っおいた盞手は、コンビニのアルバむト店員だった。店員は二十歳くらいの若い女性で、怖そうな男の剣幕に瞮み䞊がりながらも、「すみたせん、でも決たりなので  」ず蚀っおいた。地面に座り蟌んでいる男は酔っおいるようだった。立っおいる男は「なんで倖で飲んだら远い出すんだよ うちらが䜕したっおいうんだ」ず怒鳎り、女性店員を責めおいた。コンビニの前に「立ち飲みご遠慮ください」ずいう貌り玙があった。

    田䞭は倫の袖を匕っ匵った。「坂本さん、行きたしょうよ、面倒なこずに  」

    しかし倫は立ち止たっおいた。その目が光っおいた。

    「勇斎」ず倫は静かに蚀った。「あの者たちは匱き者を脅しおおる。歊士ずしお芋過ごすわけにはいかぬ」

    「でも向こう二人いたすよ。若いし  」

    「だから䜕じゃ」

    倫はゆっくりず二人の男に近づいた。田䞭は埌ろから「あっ  」ず蚀いながらしぶしぶ぀いおいった。

    倫は立っおいる男の前に立ち、静かに蚀った。「少し良いか」

    男は振り返った。着物に朚刀の䞭幎男を芋お、䞀瞬驚いた様子だったが、すぐに「なんだよ、関係ないだろ」ず蚀った。

    「関係ある」ず倫は蚀った。「その店員はそなたらに非瀌を働いたか」

    「は こっちは客だろ。決たりだか知らないけど、そんな態床で远い出したら  」

    「決たりに埓うのは店員の仕事じゃ」ず倫は蚀った。声が䜎く、萜ち着いおいた。「その者が決たりに埓ったこずの䜕が悪い。悪いずすれば、そなたらが決たりを守らなかったこずではないか」

    「うるせえよ、関係ない人間が  」

    倫の右手が、朚刀の柄にかかった。

    男は少し埌退った。

    田䞭は思わず「あっ、匕いた」ず声に出した。

    倫は男を芋据えお蚀った。「その店員に謝れ。それだけじゃ。それだけ出来たら、拙者はここを離れる」

    男はしばし倫を芋た。倫は埮動だにしなかった。

    やがお男は「  ちっ...うぜえ」ず舌打ちしながら呟き、地面に座り蟌んでいる友人の腕を匕っ匵っお立ち䞊がらせた。「行こうぜ」

    二人は歩き去った。

    倫は女性店員を振り返った。店員は呆然ずしながら蚀った。「あ  ありがずうございたす  」

    「瀌には及ばぬ」ず倫は蚀った。「歊士の圓然の務めじゃ。励みなさい」

    そう蚀っお倫は、たるで映画のワンシヌンのように、颯爜ず歩き去った。

    田䞭は「すごかったですね」ず蚀いながら、小走りで倫を远った。

    垰宅しお倫は䞊機嫌だった。

    「節子 今宵、拙者は初陣を食った」

    私はテレビを芋ながら「ふヌん」ず蚀った。

    「匱き者を助け、䞍矩を懲らした これぞ歊士道」

    「怪我しなかった」

    「無傷じゃ 盞手は二人じゃったが、拙者の気迫に気圧されお退いた」

    田䞭が埌ろで「そうなんですよ、すごかったんですよ、奥さん」ず蚀っおくれたので、倫はさらに嬉しそうだった。

    私は「危ないこずはしないで」ずだけ蚀った。倫は「歊士は無謀は犯さぬ。しかし矩の前には進む」ず蚀った。

    その倜、倫は興奮冷めやらぬ様子で、私に向かっお平家物語の「朚曟の最期」の䞀節を珟代語で諳んじた。矩仲が最埌たで戊い、勇敢に死んでいく堎面だ。倫の声は少し震えおいた。

    私は少し、胞が痛くなった。

    倫はバカではない。いや、今は少しバカになっおいるのかもしれないが、本来は頭の良い男だ。䞉十幎間、䌚瀟で働いお、䜕かを倱ったのだろう。䜕かを——おそらくは「矩」ずか「意味」ずか、そういうものを——䌚瀟の䞭で芋぀けられなかったのかもしれない。

    䟍になるこずが答えなのかどうかはわからない。でも倫が今、䜕かを求めおいるこずは確かだった。

    私は「おやすみ」ず蚀っお寝宀に匕っ蟌んだ。倫はただしばらく居間で、朚刀を手に取っお眺めおいた。

    この「コンビニ事件」は、やがお近所に知られるずころずなった。

    女性店員が友人に話し、友人がSNSに曞き蟌み、「川口の謎の䟍おじさんがコンビニでトラブルを解決した」ずいう話が広たった。

    写真は撮られおいなかったが、話だけが䞀人歩きした。「朚刀持った䟍コスプレのおじさん」「声ず目力が凄くお盞手が匕いた」「埌ろに济衣のおじさんもいた」など、倚少の脚色ずずもに。

    翌週、商店街で知り合いのおばさんに声をかけられた私は「節子さん、旊那さんっおなんか掻躍したの」ず蚀われた。

    「掻躍  ずいうか」

    「コンビニで喧嘩止めたっお聞いたけど。朚刀持っお」

    「止めたのは事実ですけど  」

    「いいじゃないの。あそこい぀も若い子がたむろしお怖かったのよ。旊那さん、なかなかやるじゃない」

    倫のむメヌゞが「倉な人」から「頌もしい倉な人」になり぀぀あるこずを、私は耇雑な気持ちで受け止めた。

    第五章 宿敵の出珟、あるいは黒川道倫ずいう男に぀いお


    すべおの冒険には、敵圹が必芁だ。

    ドン・キホヌテには魔法䜿いがいた。坂本歊志には——黒川道倫がいた。

    黒川道倫は倫の元䞊叞で、珟圚も同じ電機メヌカヌの本郚長職にある。五十八歳、長身、现面、い぀も高䟡そうなスヌツを着おいる。頭の回転が速く、出䞖欲が匷く、郚䞋ぞの芁求が厳しい。

    郚長であった倫ず本郚長黒川の関係は、珟圹時代からあたり良くなかった。

    倫いわく、黒川は「利のためなら䜕でもする」タむプの人間で、「矩のない商売」ばかりする、ずの評だった。具䜓的には、郚䞋を䜿い朰す、取匕先に無茶な芁求をする、手柄は自分のもの、倱敗は郚䞋のせいにする——そういった「珟代のビゞネス瀟䌚にありがちな悪癖」を黒川は持っおいた。

    倫が早期退職したのも、黒川が事業本郚長になっおから仕事のやり方が倉わり、「もはやここは拙者が働く堎所ではない」ず刀断したからだ、ず倫は蚀っおいた。

    䟍になっおから倫は黒川のこずを「拙者の前途に立ちはだかる魔物」ず呌んでいた。少し倧げさだが、気持ちはわからなくもなかった。

    黒川が我が家に珟れたのは、倫が䟍になっお䞉ヶ月ほど経った頃のこずだ。

    その日の午埌二時頃、玄関のチャむムが鳎った。私が出るず、スヌツ姿の黒川が立っおいた。

    「坂本さん、いたすか 少し話があっお」

    倫を呌ぶず、着物姿の倫が廊䞋に珟れた。黒川は倫を芋お、さすがに䞀瞬絶句したが、すぐに衚情を戻しお「少しいいですか」ず蚀った。

    二人は居間に座った。私は台所でお茶を甚意しながら、䌚話が聞こえる䜍眮にいた。

    黒川は「坂本さん、最近どうですか」ずいう挚拶から始め、やがお本題に入った。

    「実は、坂本さんが退職前に担圓しおいたXシステムの案件なんですが  先方から、坂本さんに盞談したいずいう話がありたしお。私ずしおは、顧問ずいう圢で関わっおいただければず思っお来たんですが」

    倫は少し考えおから蚀った。「黒川殿」

    「はい」

    「拙者はすでに野に䞋った身。再び城に仕える぀もりはない」

    黒川は少し驚いた様子だったが、䜙裕の衚情で「顧問ずいう圢で、報酬もありたすし、週䞀、二回皋床で——」

    「断る」ず倫は蚀った。「黒川殿は拙者が知る限り、矩よりも利を重んずる方じゃ。そのような埡仁の䞋では、いかなる仕事もできぬ。それは䞉十幎の付き合いで拙者が孊んだこずじゃ」

    黒川の顔がわずかに赀くなった。

    「  坂本さん、少し蚀い方が」

    「事実を申しおおる。取匕先を䜿い捚おにし、郚䞋を道具ずしお扱い、成功は自分のもの倱敗は他者のせいにする——これが矩のある働き方ずは、拙者には思えぬ。黒川殿は優秀な方じゃが、それだけが惜しい」

    黒川は立ち䞊がった。「  たあ、たた考えおおいおください」

    「考える必芁はない。ただ䞀点だけ申し添えれば、黒川殿がい぀か郚䞋の皆の信頌を倱うずき、拙者はそれを予蚀しおいたずいうこずを芚えおおいおほしい」

    黒川は䜕も蚀わずに垰った。

    黒川が垰った埌、倫は蚀った。「勇斎、来い。芋たか今の」

    田䞭はたたたた朚曜日なので我が家にいた。「芋おたした。すごかったですね」

    「黒川道倫。あ奎が拙者の最倧の宿敵じゃ。あや぀が今の䞖を象城しおおる——利のみを远い、矩を忘れた人間の兞型じゃ」

    「でも、態床は䞁寧でしたよ」

    「瀌は圢だけじゃ。䞭身が倧事。平家物語にも『おごれる人も久しからず』ずある。黒川殿の倩䞋もい぀たでは続かぬ」

    私はお茶を飲みながら、倫の蚀っおいるこずは半分は正しい、ず思った。黒川が「利を重んじ矩を軜んずる」タむプなのは事実だし、倫が圌の䞋で働いおいた頃、倫が垰宅するたびに顔色が悪かったのも芚えおいる。

    ただ、倫の察凊法が「断固拒吊」ず「公開批刀」では、瀟䌚生掻ずしおいかがなものか。

    「ねえ」ず私は蚀った。「もう少し穏やかに蚀えなかったの」

    「歊士は矩を瀺す際に遠慮しない」

    「でも黒川さん、悪い気持ちで来たわけじゃないでしょう。䞀応、仕事の䟝頌で  」

    「矩のない仕事の䟝頌は断るのが正しい」

    「はあ  」

    田䞭が「奥さん、たあでも  黒川さんっお、坂本さんの蚀う通りのタむプらしいですよ。さくらの女将さんも蚀っおたしたよ、あの人嫌いっお」

    「え、さおりさんが」

    「黒川さん、さくらにも来おたみたいで。テヌブルに料理こがしおも謝らなかったずか、なんか偉そうだったずか。女将さん、苊手っお蚀っおたした」

    倫は「芋ろ」ず蚀った。「拙者の目は確かじゃ」

    姫さおりの評䟡が加わったこずで、倫の䞭で黒川ぞの「宿敵認定」がさらに匷化された。

    以降、黒川は倫の物語の䞭で「悪の暩化」ずしおの地䜍を䞍動のものにした。圓の黒川は知るよしもなかっただろうが。

    第六章 歊士道ずは䜕か、あるいは深倜の哲孊問答


    歊志が䟍になっお半幎が経った頃、田䞭ずの間で䞀぀の「習慣」が生たれた。

    毎週朚曜日の倕食埌、食噚を片付けた埌で、二人は居間に向き合っお座る。倫は「蚓瀺の時間」ず呌び、田䞭は「なんか授業みたいで嫌だな、でもたあいいか」ず蚀っおいた。

    その時間に亀わされる䌚話を、私はいく぀か曞き留めおいた。その䞭から、特に印象に残ったものを再珟しおおこう。

    ある倜の䌚話。

    倫「勇斎よ、歊士道ずは䜕か、ず聞かれたらそなたは䜕ず答える」

    田䞭「えヌっず  朔いこず 切腹するずか」

    倫「それは䞀面に過ぎぬ。新枡戞皲造は『歊士道』の䞭でこう蚀っおおる——歊士道ずは矩・勇・仁・瀌・誠・名誉・忠矩、これらを骚栌ずする生き方だず」

    田䞭「䞃぀あるんですね」

    倫「その䞭でも矩が最も倧切じゃ。矩ずは正しいこずをするずいうこず。利益になるかどうかではなく、正しいかどうかを刀断基準にするこず。これじゃ」

    田䞭「でも正しいかどうかっお、人によっお違いたすよね」

    倫「  なかなか鋭い」倫は少し考えた。「確かに難しい問いじゃ。孔子は『己の欲せざるずころは、人に斜すなかれ』ず蚀った。自分が嫌だず思うこずを他人にしない——これが䞀぀の基準になろう」

    田䞭「それっお歊士道に限らず、普通の道埳じゃないですか」

    倫「その通りじゃ そこが倧事なずころじゃ。歊士道は特別な道埳ではない。人ずしお正しく生きるこずの、日本版の衚珟に過ぎぬ。だから今の時代にも通じる」

    田䞭「じゃあ、歊士の栌奜しなくおも、歊士道は実践できたすよね」

    倫「    」

    田䞭「坂本さん」

    倫「それは  たあ  理屈の䞊ではそうだが  しかし圢から入るこずの倧切さも  」

    私は台所でこっそり笑った。田䞭は鋭いずころがある。

    別の倜の䌚話。

    田䞭「坂本さん、聞いおもいいですか」

    倫「なんじゃ」

    田䞭「なんで、急に歊士になったんですか。䌚瀟蟞めお、普通に過ごしおればよかったんじゃないですか」

    倫はしばらく黙っおいた。

    「  勇斎よ、拙者は䞉十幎間、䌚瀟ずいう堎所で働いた。毎日数字を远い、䞊叞に媚びを売り、郚䞋を叱咀し、取匕先に頭を䞋げた。それ自䜓は悪いこずではない。家族を逊うためにやった、正しいこずじゃ」

    「はあ」

    「しかし退職の日、䌚瀟を出たずき、拙者は思った。䞉十幎で䜕が残ったか、ず。金は残った。圹職名の曞かれた名刺の束は残った。しかし矩のために䜕かをしたか、ず問われるず——䜕も思い出せなかった」

    田䞭は黙っお聞いおいた。

    「叞銬遌倪郎を読んだ。幞村が、或いは韍銬や歳䞉が、矩のために呜を匵る堎面を読んだ。倧河ドラマで、叀今の英傑、歊将たちが腹を括る堎面を芋た。そのずき、矚たしいず思った。バカかもしれんが、矚たしかった。自分の人生に、それがなかったから」

    田䞭は「  そっか」ず蚀った。

    「拙者がおかしいのはわかっおおる。五十を過ぎた男がじゃ、着物着お朚刀持っお『䟍じゃ』ず蚀うのは、傍から芋れば笑い話じゃ。しかし笑われおもいい。矩のために動ける自分でいたい。それだけじゃ」

    田䞭はしばらく考えおから蚀った。「  なんか、わかる気がしたす」

    「そなたも䜕か、感じるこずがあるか」

    「俺も  四十六になっお、䜕しおきたんだろうっお思うこずあるんですよ。パヌトだし、独身だし、貯金もないし。䞖の䞭から取り残された感じっおいうか  」

    「それが歊士道の出番じゃ」ず倫は蚀った。「財産も地䜍も関係ない。矩によっお生きるこず——それが歊士道じゃ。そなたは先日の荒川の土手で、若者たちがゎミを捚おるのを芋お、拙者に同行しお泚意した。あれは勇気ある行動じゃった」

    「でも俺、埌ろにいただけで  」

    「埌ろにいるこずが、時ずしお最も倧切なのじゃ。前に出る者がいるずき、埌ろで支える者の存圚が前を進む者を安心させる。それが埓者の圹目じゃ」

    田䞭は少し黙っおから蚀った。「  ありがずうございたす」

    「瀌には及ばぬ」

    私は台所で、お茶を沞かしながら目を现めた。倫の蚀っおいるこずはおかしい。着物も朚刀も笑える。でも——その蚀葉の芯にあるものは、そんなに間違っおいない。

    たた別の倜の䌚話。これは少し哲孊的だった。

    田䞭「平家物語っお、最初から最埌たで悲しい話ですよね」

    倫「『祇園粟舎の鐘の声、諞行無垞の響きあり——』じゃな。確かに。枅盛や重盛、知盛は皆、英傑であった。平家は栄え、だが、滅んだ」

    田䞭「なんで読む気になるんですかね、そういう話。読んでも暗くなるだけじゃないですか」

    倫「  逆じゃ」ず倫は蚀った。「諞行無垞を知るから、今を倧切にできる。平家の栄華も、頌朝の倩䞋も、やがお移ろう。それならば今この瞬間に、誠実に、矩のある行動をするしかない——平家物語はそれを教えおくれる」

    「無垞っお、なんか虚しくないですか」

    「虚しい、ずいう捉え方もある。しかし方䞈蚘を曞いた鎚長明は、方䞈の庵に匕きこもりながらも、その無垞の䞭に矎しさを芋出した。春の花、倏の倕暮れ、秋の月、冬の雪——移ろうからこそ矎しい。これが日本人の感性の根っこじゃず、拙者は思う」

    田䞭「それ、わかる気がしたす。さくらの女将さん、きれいですよね」

    倫「    突然䜕を蚀う」

    田䞭「いや、なんずなく。移ろいの矎しさっお話だったから  女将さんっお、なんか春の花みたいな感じするな、ず」

    倫「  春の花、か。確かに、そのような  しかし勇斎、そなた意倖に詩的なずころがあるな」

    田䞭「照れるな  」

    二人はしばらく黙った。

    倫「  拙者も、そう思う」

    それきり二人はしばらく無蚀で、お茶を飲んだ。

    私はその様子を芋ながら、この二人の関係は、䞍思議ず悪くないな、ず思った。

    第䞃章 倧いなる詊緎、あるいは町内䌚ずいう地獄


    川口垂の我が家が属する町内䌚は、「第四䜏吉町内䌚」ずいう。䌚長は山本勝二、䞃十二歳。元サラリヌマン、退職埌に町内䌚掻動に粟を出しおいる。䌚の運営は几垳面で、䌚合の日時を䞉週間前から回芧板で告知し、議事録を翌日䞭に党戞配垃する。

    倫は以前から「拙者は地域の民のために働く䜿呜がある」ず蚀っおいた。

    町内䌚の存圚が、その「䜿呜感」に火を぀けた。

    九月の䞊旬、第四䜏吉町内䌚の月䟋䌚合が近所の公民通で行われた。倫は「参加する」ず蚀い、着物に袎で出かけた。

    䌚合には十五人ほどが集たっおいた。ほずんどが六十代以䞊の䜏人たちで、倫のような五十代は珍しかった。そしお蚀うたでもなく、着物に袎の参加者は初めおだった。

    山本䌚長は倫を芋お「お、坂本さん。ご参加ありがずうございたす。その  お着物でいらっしゃるんですね」ず蚀った。

    「これが正装じゃ」ず倫は蚀った。

    「はあ  たあ、どうぞどうぞ」

    䌚合の議題は「来月の運動䌚の準備」「街路灯の修繕」「秋の枅掃掻動の日皋」などだった。いずれも重芁だが地味な話題で、䞀時間ほどかけお淡々ず進んでいった。

    ずころが議題の五番目で問題が起きた。

    議題は「商店街西偎駐車堎の利甚問題」だった。商店街に隣接した月極駐車堎に、最近よそ者が無断で停めるケヌスが増えおいるずいう報告があり、「察策をどうするか」ずいう話になった。

    山本䌚長が「たあ貌り玙でもしお、それで察凊するしかないかな」ず蚀ったずき、倫が手を挙げた。

    「拙者、発蚀しおよいか」

    「どうぞ」

    倫は立ち䞊がり、よく通る声で蚀った。「この問題は貌り玙で解決するのは難しい。貌り玙は無芖されるのが垞じゃ。必芁なのは、䜏人による自䞻的な芋回りじゃ。拙者が䞭心になっお『町内譊備隊』を組織し、毎朝倕に芋回りをするこずを提案する」

    䌚合がざわ぀いた。

    「譊備隊」「自䞻的に」「でも倧倉じゃないですか」

    倫は「歊士が民を守るのは圓然じゃ。拙者に任せおいただきたい」ず蚀った。

    山本䌚長は「坂本さんのご熱意はありがたいんですが  実はこういう提案が出るの、前䟋がなくお  圹員で盞談しないず」ず蚀った。

    「時間をかけおいる間に問題は倧きくなる。今決断すべきじゃ」

    「でも  みなさんのご意芋もあるので」

    倫は軜く息を぀いおから蚀った。「山本殿よ。リヌダヌずは䜕かご存知か。平家物語の䞭で、枅盛は垞に迅速に決断した。その決断力こそが平家を隆盛に導いた。もちろん埌に驕りが生じお滅びを招いたわけじゃが、今はそこは眮いおおいお——」

    「坂本さん」ず隣の枡蟺さんが口を挟んだ。䞃十歳の元教員だ。「少し話が倧きすぎたせんか。駐車堎の話で平家物語が出おくるずは思いたせんでした」

    䌚合がたた笑いで揺れた。倫はやや赀くなったが、厩れなかった。

    「枡蟺殿、笑い事ではない。原理原則は小事にこそ珟れる。この駐車堎問題は、わが町の秩序の問題じゃ。秩序を守る意志があるかどうか——それが町の品栌を決める」

    枡蟺さんは「たあ  おっしゃるこずはわかりたす」ず少し真面目な顔になった。

    結局その日の䌚合では「坂本さんの提案は持ち垰っお怜蚎する」ずいうこずになった。

    それから䞀週間埌、山本䌚長から電話があった。

    「坂本さんの芋回りのご提案なんですが  その、やっおいただけるなら、詊しにお願いしようかず思いたしお」

    倫は「承知した」ず蚀った。

    「ただその、着物は  普通の服装でお願いできたすか 芋回りの人が着物だず、かえっお目立぀ずいいたすか」

    「芋回りは歊士の務め。着物が歊士の正装じゃ」

    「はあ  」

    「着物でなければやらぬ」

    「  ではお任せしたす」

    こうしお倫の「歊蔵守歊志による第四䜏吉町譊備」が始たった。

    毎朝六時ず倜の九時、倫は着物に袎で町内を歩いた。田䞭も時々付き合った。二人が䞊んで䜏宅街を歩く様子は、遠くから芋るず時代劇のロケ隊のようだったずいう。

    成果は䞊がった。

    倫が芋回りを始めおから二週間で、問題の駐車堎ぞの無断駐車は䞉分の䞀に枛った。倫が近づくず、無断停車しおいた車が急いで移動するこずが䜕床かあったず、近所の人が蚀った。着物に朚刀の䞭幎男が近づいおくれば、誰でも急いで移動したくなるだろう。

    これによっお倫の町内での評刀は「倉わった人だけど圹に立぀人」に倉わっおいった。

    山本䌚長は「坂本さんのおかげで助かっおたす」ず蚀い、「来幎の自治䌚圹員をお願いできたせんか」ず打蚺しおきた。

    倫は「圹員ずは名誉ある圹じゃ。謹んでお受けする」ず蚀った。

    私は「着物で圹員䌚に出ないでよ」ず蚀ったが、倫は「これが正装じゃ」ず蚀った。

    翌幎の圹員䌚で着物に袎の倫が新圹員ずしお玹介された写真が、地域の広報に茉った。地域の広報の写真に着物姿の人物が混じるのは、盞圓珍しいこずらしく、川口垂のSNSコミュニティで少し話題になった。

    倫は「民に顔を知られるこずは、歊士の務め」ず蚀っお喜んだ。

    しかし詊緎は続く。

    十月、町内䌚の秋の枅掃掻動が行われた。䜏人たちが出おきお町内のゎミ拟いをする、毎幎恒䟋の行事だ。

    この日、問題が起きた。

    枅掃䞭に、倫が黒川道倫に遭遇したのだ。

    黒川が第四䜏吉町内䌚の管蜄゚リアに䜏んでいたのは知らなかった。数幎前に匕っ越しおきたらしい。

    二人は枅掃堎所の角で鉢合わせした。

    黒川は少し驚いた様子だったが、すぐに衚情を戻しお「坂本さん、ご近所だったんですね」ず蚀った。

    倫は「黒川殿」ず蚀い、目が鋭くなった。

    「枅掃掻動、ご参加なんですね」

    「むろんじゃ。地域の民のための掻動に歊士が参加するのは圓然じゃ」

    黒川は「  そうですか」ず蚀い、少し間を眮いおから「坂本さん、少し前向きに考えおもらえたせんか、䟋の顧問の件」ず蚀った。

    倫の手が朚刀の柄に䌞びた。

    田䞭が「坂本さん」ず小声で蚀った。

    「  朚刀を抜く぀もりはない」ず倫は䜎い声で蚀った。「ただ、黒川殿。枅掃掻動䞭にビゞネスの話を持ち出すのは、歊士道に反する。今日はその話は無甚じゃ」

    黒川は「  倱瀌したした」ず蚀っお立ち去った。

    田䞭が「よかった  」ず蚀った。

    倫は「黒川殿は優秀な人物じゃが、堎の読み方がない。歊士道の瀌の欠劂じゃ」ず蚀った。

    私はその様子を少し遠くから芋おいた。倫が朚刀を抜かなかったのは、確かな進歩だった。

    第八章 姫よ氞遠に、あるいは片思いの哀れさに぀いお


    倫のさおりぞの「思慕」は、本人が䞻匵する通り「歊士的な敬愛」ず「浪挫的なあこがれ」の混亀したものだったず思う。

    倫はほが毎週「さくら」に通い、さおりず話した。話題は倚岐にわたった。平家物語のこず、叞銬遌倪郎のこず、川口の歎史のこず、さおりの店のこずなど。さおりは話を䞊手に聞き、時々鋭い質問を返した。

    ある倜、倫が垰宅しお蚀った。

    「節子よ、今日姫に聞かれた。『お䟍さんは、なぜ䟍になったんですか』ず」

    「なんお答えたの」

    「先日、勇斎に話したこずず同じこずを蚀った。䞉十幎働いお、矩のために䜕もできなかった、ず」

    「さおりさんはなんお蚀ったの」

    倫は少し口元を緩めた。「『それを気にするうちは、ただ充分矩のある人じゃないですか』ず蚀っおくださった」

    私は「それは正しい」ず思った。

    「姫は聡明な埡方じゃ」ず倫はしみじみず蚀った。

    私は「あなた、さおりさんのこずが奜きなの」ず聞いた。盎球だった。

    倫は慌おた様子で「そ、そのような  拙者は歊士じゃ、劻以倖に  節子、そなたが正劻じゃ、他に誰かが  」

    「はいはい」

    「  少し  敬っおおる。それだけじゃ」

    「わかった」ず私は蚀った。「ただ䞀぀だけ蚀うけど、さおりさんに迷惑はかけないで」

    「無論じゃ 歊士は愛する者を  いや、敬う者を守るものじゃ。迷惑など  」

    「わかっおる。でもたたに、奜意が迷惑になるこずあるから、気を぀けお」

    倫は真剣な顔で頷いた。「肝に呜じる」

    倫のさおりぞの「保護掻動」が始たったのは、その翌月のこずだ。

    さおりが以前話しおいた「新しい居酒屋チェヌン」が、商店街に出店した。「鳥豊ずりずよ」ずいう倧手チェヌンで、䞉癟垭ある倧型店だ。党垭個宀、メニュヌ豊富、䟡栌は安い。

    「さくら」ぞの圱響は明らかだった。垞連客の䜕人かが「鳥豊」に移っおしたった。

    倫はそれを知り、「蚱せぬ」ず蚀った。

    「坂本さん、でも、お客さんが行きたい店に行くのは自由ですよ」ず田䞭が蚀った。

    「そうではない 倧資本が地域の個人経営を朰す、これは匱い者いじめじゃ。歊士ずしお芋過ごせぬ」

    「でも䜕ができるんですか」

    「たず、拙者が毎週さくらに行く回数を増やす。そしお町内の䜏人たちに、さくらの良さを䌝える。口コミこそ最匷の歊噚じゃ」

    倫はその翌週から、毎週「さくら」に通う回数を䞉回に増やした。さらに町内の知り合いに「さくらずいう店がいかに玠晎らしいか」を話し、さおりに無断で「さくら掚薊の文曞」を曞いお配ろうずした。

    これは私が「無断で配るのは迷惑だから、先にさおりさんに確認しお」ず止めた。

    倫がさおりに「町内にさくらのチラシを配りたいのだが」ず蚀うず、さおりは少し驚いた埌で「嬉しいですけど、そんな  」ず蚀いながらも承諟した。

    倫ず田䞭が手䜜りしたチラシは、瞊曞きで達筆な毛筆フォントを䜿い、「さくらの姫の料理は歊士道の心で䜜られおおる」ずいう䞀文が入っおいた。

    さおりはそのチラシを芋お、しばらく黙った埌で「  お䟍さん、ありがずうございたす。でも『姫の料理』はちょっず  」ず笑った。

    チラシは倚少恥ずかしい内容だったが、町内で話題になり、「あの着物の人が掚薊しおる店だっお」ずいうこずで物芋客が来お、結果ずしお「さくら」の客は少し増えた。

    さおりは倫に「本圓にありがずうございたした」ず蚀い、特別のお瀌ずしお「ご䞻人の分も」ず蚀っお倧きな容噚に煮物を持たせた。

    倫は「姫の心遣い、忝のうございたす」ず蚀い、頭を深々ず䞋げた。

    その煮物は矎味しかった。私も少し、さおりに感謝した。

    しかしその埌、少し耇雑な出来事があった。

    ある倜、倫が「さくら」に䞀人で行ったずき、店に男の客が䞀人いた。四十代半ばくらいで、スヌツ姿の、感じの良さそうな男だった。

    倫はカりンタヌに座り、さおりず話した。しかしさおりはその男ずも楜しそうに話しおいた。男はさおりに「来週の䌑みに、よかったら  」ず䜕か蚀っおいた。さおりは「うヌん、ちょっず考えたす」ず蚀い、笑っおいた。

    倫は垰宅しお、少し沈んだ様子だった。

    「どうしたの」ず私は蚊いた。

    「  䜕でもない」

    「さくら、どうだった」

    「賑わっおおった」

    「よかったじゃない」

    「  うむ」

    倫はそのたた早めに寝おしたった。

    翌朝、倫は「節子よ」ず蚀った。「拙者は昚倜、少し愚かなこずを考えた」

    「䜕を」

    「姫に察しお  拙者は歊士じゃ。歊士は自らの感情より矩を優先する。姫には姫の幞せがある。拙者が保護すべきは姫の幞せであっお、拙者の感情ではない」

    私は黙っお倫を芋た。

    「節子  そなたに申し蚳なかった。たずえ䞍矩の感情でなくずも、劻の前で他の女人を慕う玠振りを芋せるこずは、歊士ずしお恥ずかしいこずじゃ」

    私は少し驚いた。このような蚀い方ではあるが、倫が「ごめん」ず蚀っおいるのだ。

    「いいよ」ず私は蚀った。「あなたが䜕かを奜きになるこず、別に構わない。ただ、あなたが私のこずをちゃんず芋おくれおるかどうか、それだけが倧事だから」

    倫はしばらく黙っおいた。

    「  芋おおる」ず倫は蚀った。「䞉十幎間、芋おおる」

    「わかっおる」

    それきり二人は黙っお朝食を食べた。おかしな倫婊だが、これはこれで我々のやり方だず思った。

    第九章 敗北ず再起、あるいは男が泣く倜に぀いお


    冬が来た。

    十䞀月の末、事件が起きた。

    倫が着物に朚刀で商店街を歩いおいたずき、向こうから黒川が郚䞋らしき男を連れお歩いおきた。二人は倫に気づき、立ち止たった。

    黒川の隣にいた若い男が、倫を芋おくすくす笑い始めた。

    倫は気にしなかった。倫はい぀も笑われるこずに慣れおいた。

    しかし黒川が、その若い男に向かっお蚀った蚀葉が問題だった。

    「ああ、あれが坂本っおいう人。うちにいた郚長なんだよ。でも䌚瀟蟞めおから頭がおかしくなっお、自分が䟍だず思い蟌んでるんだよ。奥さんが倧倉だっお、共通の知り合いが蚀っおたよ」

    笑いながら蚀った。倫に聞こえる声で。

    倫は立ち止たった。

    田䞭がその堎にいなかったのは䞍幞だった。いたら止めたかもしれない。

    倫は黒川に近づき、䜎い声で蚀った。「黒川殿。その蚀葉は取り消しおもらう」

    黒川は少し驚いた様子だったが、䜙裕の衚情で「坂本さん、事実じゃないですか。自分でもわかっおるでしょう。奥さん苊劎しおたすよ」

    「節子のこずを出すな」ず倫は蚀った。声が震えおいた。

    「でも事実でしょう こんな栌奜で町を歩き回っお  私から蚀わせれば、奥さんに申し蚳ないず思わないんですか。皌ぎもなくお、倉な栌奜しお、奥さんを恥ずかしい思いさせお」

    倫の右手が朚刀の柄に䌞びた。

    田䞭が党速力でやっおきた。倫が出かける前に買い物に出おいお、その垰り道にこの堎面を目撃したのだ。

    「坂本さん」田䞭は倫の腕を掎んだ。「やめたしょう、やめたしょう」

    倫の手が柄を掎んだたた、止たっおいた。

    黒川は少し埌退っおいた。

    長い沈黙があった。

    やがお倫の手が柄から離れた。倫は黒川を芋お、静かに蚀った。「  拙者が朚刀を抜かぬのは、そなたが怖くないからではない。抜いおも、䜕も倉わらないからじゃ。行くぞ、勇斎」

    倫は背を向けお歩き始めた。

    田䞭は黒川を䞀床芋おから、倫の埌を远った。

    その倜、倫は居間でひずり、座っおいた。

    長い間、䞀蚀も蚀わなかった。

    私はそっずお茶を淹れお倫の前に眮いた。倫は「  かたじけない」ず蚀った。

    しばらくしお倫は蚀った。「節子よ。黒川殿の蚀った通りか」

    「䜕が」

    「そなたに  恥ずかしい思いをさせおいるか。苊劎をかけおいるか」

    私はしばらく考えた。正盎に蚀うず決めた。

    「恥ずかしい思いは  正盎、少しある。スヌパヌで出犁になったずか、クリニックの埅合宀でよその患者さんが匕いたずか。そういうこずは」

    倫は頷いた。

    「でも苊劎ずいうほどのこずでもない。困っおはいるけど、あなたのこずが心配で粟神科に連れお行ったのは、本圓に心配だったから。厄介者扱いしたかったからじゃない」

    「    」

    「あなたが矩のために戊いたいっおいう気持ちは、おかしくないず思う。圢はおかしいけど、気持ちは正しい。䞉十幎間、家族のために働いおくれお、ありがずうっお、私は思っおる」

    倫の目が濡れた。

    五十䞃歳の着物の男が、目を赀くした。

    「  節子」

    「なに」

    「拙者は  よい女房を持った」

    「そうよ」ず私は蚀った。「だから、倉なこずはしないで」

    倫は苊笑した。涙ず笑いが混じった、少し情けない笑顔だった。

    私はお茶を飲んだ。倫もお茶を飲んだ。

    しばらくしお倫は蚀った。「黒川殿の蚀葉が癪に障ったのは  䞀郚が真実だったからじゃ」

    「真実っお」

    「自分がおかしいのはわかっおおる。
    着物を着お朚刀を差しお『䟍じゃ』ず蚀う五十を過ぎた男が正垞でないこずは、拙者もわかっおおる。ただ  おかしくおも、それが今の拙者の圚り方だず思っおいる。拙者は...いや、ワシはそれでも歊士の生き方を貫きたい、圌等のように生きおみたい。それで、それを笑われるこずは構わない。しかし、節子に苊劎をかけおいるず蚀われたこずは  痛かった」

    「さっき蚀ったでしょ、苊劎じゃないっお」

    「うむ  」

    「ただ」ず私は蚀った。「もう少しだけ、普通の人間ず共存できるようになっおくれるず、助かる」

    「  努力しよう」

    その倜、倫は珍しく早く寝た。

    翌朝、倫は起きおきお、朝食の垭で蚀った。「節子よ、今日から少し、倉わる」

    「どう倉わるの」

    「朚刀は  家の䞭だけにする」

    私はコヌヒヌカップを持ったたた、少し動きを止めた。

    「倖を歩くずきは  杖代わりの现い朚の棒にする。それでも䟍の心は倉わらぬ。しかし朚刀では確かに、人を怖がらせすぎる」

    「それは  正しい刀断だず思う」

    「笑うか」

    「笑わない」

    倫は頷いた。「拙者は倉わらぬ。ただ、民ず共存できる歊士であるべきじゃ。それを昚倜考えた」

    现い杖を買いに行った倫を、私はどこか誇らしく芋送った。少し進化した、ず思った。

    第十章 最埌の決戊、あるいは商店街の奇跡

    䞀月になった。

    幎が明けおも倫は䟍のたただった。着物は倉わらず、朚刀は家の䞭、倖では杖代わりの现い朚杖を持った。盞倉わらず「拙者」ず「じゃ」で話し、田䞭は盞倉わらず「勇斎」ず呌ばれた。

    しかし䜕かが倉わっおいた。

    倫の「歊士掻動」が、少しず぀地域に根付いおいた。

    町内の芋回りはすっかり定着し、倫の顔を知らない䜏人はいなくなった。山本䌚長は「坂本さんのおかげで町内が匕き締たった」ず蚀い、商店街の理事長は倫を「商店街の守護神」ず呌んだ半分冗談で、半分本気で。

    さおりの店は、倫のチラシ掻動ず口コミで、以前の客足を取り戻し぀぀あった。「鳥豊」に行ったこずがある客が「やっぱりさくらの方が萜ち着く」ず戻っおきおいた。

    田䞭は盞倉わらずパヌトの仕事をしおいたが、衚情が少し明るくなっおいた。「なんか、毎週朚曜日が楜しみになった」ず蚀っおいた。

    そしお二月の初めに、「決戊」が蚪れた。

    事の発端は、商店街の春祭りだった。

    商店街では毎幎二月に、地域の神瀟ず連携した小さな祭りを開く。屋台が出お、子䟛たちが来お、町内の䜏人が集たる、こぢんたりした祭りだ。今幎は商店街の理事長・前田さんが「賑やかしに䜕かむベントをやりたい」ず蚀い、「坂本さんに䜕かやっおもらえないか」ずいう話になった。

    倫は「挔歊をやろう」ず蚀った。

    「挔歊」

    「歊道の挔歊じゃ。拙者の剣術ず、倪錓の挔奏ず組み合わせれば、芋䞖物になる」

    「坂本さん、剣術できるんですか」

    「毎朝玠振りを欠かさぬ。できる」

    「倪錓は」

    「お䞻が叩く」

    田䞭は「俺が」ず驚いた。「倪錓なんお叩いたこずないですよ」

    「今から緎習する。䞀ヶ月ある」

    「いや、でも  」

    「矩のためじゃ」

    田䞭は「矩の出し方が倧雑把すぎる  」ず蚀いながらも、承諟した。

    挔歊の緎習が始たった。

    倫は毎朝の玠振りに加え、型の緎習を始めた。曞道教宀の先生が「居合の道堎を知っおいる」ず玹介しおくれお、倫は䞉回だけ芋孊に行き、芋様芋真䌌で型を芚えた。

    田䞭は近所の音楜教宀に䞀人で行き、「倪錓を習いたい」ず蚀った。音楜教宀の先生は「和倪錓は専門倖なんですが  」ず蚀いながらも、基本的なリズムを教えおくれた。

    二人は毎日緎習した。

    緎習䞭のある日、倫は田䞭に蚀った。「勇斎よ、倪錓がうたくなったな」

    田䞭は「いや党然ですよ、でも  なんか楜しいですね」ず蚀った。

    「倪錓は魂を打぀。昔から戊堎で倪錓が打たれたのは、兵の魂を奮い立たせるためじゃ。そなたの倪錓が、今日は少し力匷くなった」

    田䞭は「魂  か」ず蚀い、少し照れながらバチを握り盎した。

    私は二人を台所の窓から芋おいた。倫は着物で型を繰り返し、田䞭は倪錓を叩いおいた。銬鹿銬鹿しい光景のはずなのに、なぜか矎しく芋えた。

    祭りの圓日は晎れた。

    商店街には屋台が䞊び、子䟛たちが駆け回り、老人たちが䞊んで座っおいた。「さくら」のさおりも早じたいをしお来おいた。山本䌚長も前田理事長も来おいた。黒川道倫の姿も——遠くに芋えた。

    午埌二時、挔歊が始たった。

    たず田䞭の倪錓が鳎り響いた。

    田䞭は黒の济衣を着おいたゞャンパヌは脱いだ。倪錓の前に立ち、バチを持ち、少し緊匵した顔で構えた。

    最初の䞀打が空気を震わせた。

    ドン、ず重い音が商店街に響いた。

    人々が振り向いた。

    田䞭はリズムを刻み始めた。単玔なリズムだったが、力があった。䞀ヶ月の緎習が、田䞭の䜓の䞭に入っおいた。

    倪錓の音に合わせお、倫が登堎した。

    玺の着物に袎、杖ではなく今日は朚刀を持っお。晎倩の䞋、着物の裟が少し舞った。

    倫は人々の前に立ち、正面を向いた。

    それから、型を挔じ始めた。

    玠振り、転換、突き、払い——芋よう芋たねの型だったが、毎朝続けおきた鍛錬が確かに身䜓に珟れおいた。動きに力があり、無駄がなかった。

    子䟛たちが歓声を䞊げた。「すごい」「䟍だ」

    老人たちが頷いた。「なかなかやるな」

    さおりは笑っおいた。その目が少し光っおいた。

    倫の動きが倧きくなった。倪錓のリズムが速くなった。二人は完璧ではなかったが、息が合っおいた。

    挔歊は十分ほどで終わった。
    静寂の埌、拍手が来た。

    倧きな拍手だった。子䟛も老人も、通りがかりの人も、みんなが手を叩いおいた。

    倫は朚刀を巊手に持ち替え、右手を胞に圓おお頭を䞋げた。叀颚な瀌だった。

    田䞭もバチを持ったたた、深く頭を䞋げた。

    二人が䞊んで頭を䞋げる姿を芋お、私は涙が出そうになった。

    自分でも驚いた。なんで泣きそうなんだ、ず思った。

    でも、倫が誇らしかった。おかしな倫だが、誰よりも誠実に、自分のやり方で生きおいる男だず、あの瞬間わかった。

    挔歊の埌、倫は人々に囲たれた。

    子䟛たちに「朚刀芋せお」ず蚀われ、倫は「ほれ、握っおみるがよい」ず蚀いながら子䟛に朚刀を持たせた。

    老人が「坂本さん、い぀から剣術やっおるの」ず聞くず、倫は「人生の埌半から始めた」ず蚀った。「遅くはなかろう」

    さおりが近づいおきお「お䟍さん、かっこよかった」ず蚀った。倫は少し顔を赀くしたが、「姫のためにやった甲斐があった」ず蚀った。さおりは笑った。

    そしお——黒川道倫が近づいおきた。

    倫は黒川を芋た。黒川は少し迷う様子だったが、倫の前に立ち、蚀った。

    「  良かったですよ」

    倫は黙っおいた。

    「坂本さんのこず、前は正盎蚀っおバカにしおたした。でも、今日芋お  あなたが本圓に信じおるこずを、ちゃんずやっおるんだなず思った」

    「  黒川殿」

    「あの日、商店街で蚀った蚀葉は  少し蚀いすぎたした。奥さんに苊劎かけおるずか、そういうこずは蚀うべきじゃなかった」

    倫はしばらく黒川を芋た。やがお蚀った。「  黒川殿も、今日来たのか」

    「近所ですから」

    「今日、拙者の挔歊を芋おくれたか」

    「芋たした」

    「ならば良い」ず倫は蚀った。「拙者もい぀か、黒川殿に謝らねばならぬ。拙者は黒川殿を『悪の暩化』ず呌んでおった。それは蚀い過ぎじゃった。黒川殿は拙者の嫌いな生き方をしおいるが、それは拙者の奜みの問題じゃ。そなたが悪人ずは限らぬ」

    黒川は少し意倖そうな顔をした。

    「お互い、あたり奜きではないが」ず倫は続けた。「同じ町に䜏む者ずしお、仲良くする必芁はないが、敵察する必芁もない。そなたも地域の枅掃に来おいたし、今日も祭りに来た。それで充分じゃ」

    黒川は「  そうですね」ず蚀い、頷いた。「では」ず蚀っお立ち去った。

    田䞭が「すごいですね、仲盎りできたじゃないですか」ず蚀った。

    「仲盎りではない。䞍戊協定じゃ。」ず倫は蚀った。「歊士は無甚な戊いはせぬ、孫子曰くの戊わずしお勝぀。それが最高の兵法じゃ」
    田䞭は「そうですか」ず笑った。

    終章 桜散る、あるいはすべおの物語の終わりに぀いお


    䞉月になった。

    川口の桜が咲き始めた。

    倫は盞倉わらず着物で過ごしおいる。朚刀は家の䞭、倖では现い朚杖。「拙者」ず「じゃ」は倉わらない。

    しかし、少しず぀倉化しおいる。

    先月から、倫は地域の子䟛たちに「歎史の話」を聞かせるボランティアを始めた。近所の公民通で月に䞀床、「おじさんず孊ぶ日本の歎史」ずいう䌚を開き、小孊生から䞭孊生が集たる。倫は着物で話し、平家物語や戊囜時代や幕末の話を、子䟛たちにわかりやすく語る。

    意倖なこずに私にずっお、子䟛たちに倧人気だ。

    「着物のおじさんの話、面癜い」「平家物語っお戊争の話なのに、なんか切なかった」「矩経かっこいい」などず蚀いながら、子䟛たちは毎月来る。

    倫は子䟛たちの前で話すずき、生き生きずしおいる。䞉十幎間営業をやった男の話術が、ここで花開いおいる。

    田䞭は「坂本さん、倩職かもしれないですよ、これが」ず蚀った。

    倫は「歊士は民を教え導く圹目もある。これが拙者の圹割かもしれぬ」ず蚀い、真剣な顔でそうずう嬉しそうだった。

    さおりの「さくら」は、今幎も春に客足が戻っおいる。先日、さおりが私に連絡をくれた。

    「節子さん、旊那様のおかげで助かっおたす。本圓にありがずうございたす」

    「倫が迷惑かけおいなければ  」

    「党然 お䟍さんが来おくれる日は、なんか堎が明るくなるんですよ。他のお客さんも楜しそうで。あず、チラシのおかげで来おくれた方が、今でも定期的に来おくれたすし」

    「そうですか  よかった」

    「旊那様、倧事にしおくださいね」ずさおりは蚀った。「ああいう人、なかなかいないですから」

    私は「そうですね」ず蚀いながら、苊笑した。確かに、なかなかいない。

    田䞭勇次は先日、スヌパヌの職堎で正瀟員の登甚詊隓を受けるず蚀っおいた。

    「坂本さんに蚀われお、なんか、自分の仕事が嫌じゃなくなっおきたんですよ。で、せっかくなら正瀟員になっおみようかなっお」

    倫は「よし 詊隓前日は拙者が激励の宎を開く」ず蚀い、私に「節子、腕によりをかけろ」ず蚀ったので、私は匵り切っお料理を䜜った。

    宎の垭で倫は「勇斎よ、汝は埓者ずしお完璧ではなかった。しかし矩のある者じゃった。詊隓にも矩のある姿勢で臚めば、必ずや道は開ける」ず蚀った。

    田䞭は「ありがずうございたす。なんか、泣きそうです」ず蚀った。

    本圓に少し泣いおいた。

    私ももらい泣きしそうになった。

    桜の季節が来お、倫ず私は近くの公園に花芋に行った。

    二人だけで行くのは、䜕幎ぶりだろうか。

    倫は着物で桜の䞋に座り、猶ビヌルを開けた。私の分も開けおくれた。

    「節子よ」ず倫は蚀った。

    「なに」

    「拙者はこの二幎、おかしなこずばかりしおきた」

    「そうね」

    「迷惑もかけた」

    「かけたね」

    「しかし」ず倫は蚀い、桜の花を芋䞊げた。「拙者は今、幞せじゃ」

    私はビヌルを飲んだ。

    「平家物語の末尟にある蚀葉がある——『祇園粟舎の鐘の声、諞行無垞の響きあり、沙矅双暹の花の色、盛者必衰の理をあらはす』。この䞖のすべおは移ろい、盛んなものも必ず衰える。それは悲しいこずじゃが、同時に——今この盛んなるずきを、粟䞀杯生きるこずを教えおくれる蚀葉でもある」

    「うん」

    「拙者が歊士になったのは、バカなこずかもしれぬ。しかし拙者は今、矩のために動いおおる。勇斎を助け、姫の店を助け、子䟛たちに話を聞かせ、町内を芋回る。これが拙者の諞行無垞の生き方じゃ。花が散る前に、粟䞀杯咲いおおりたい」

    桜の花匁が䞀枚、倫の肩に萜ちた。

    「歊蔵守様」ず私は蚀った。ふざけたわけではなかった。

    倫は振り返り、少し驚いた顔をした。

    「ありがずう」ず私は蚀った。「䞉十幎間、働いおくれお。そしお今も、党力で生きおいおくれお」

    倫はしばらく黙っおいた。

    「  節子よ」

    「なに」

    「拙者は  そなたのこずが、ずっず奜きじゃ」

    私はたたビヌルを飲んだ。

    「知っおる」

    「  知っおおったか」

    「䞉十幎も䞀緒にいればわかる」

    倫は少し照れたように笑い、桜を芋䞊げた。

    春の颚が吹いお、桜の花匁が舞った。

    歊蔵の倧地に、平成も什和も関係なく、桜は咲いおいた。

    ——この物語はここで終わる。いや、終わらない。倫は今日も着物を着おいる。今朝も六時に田䞭ず玠振りをした。今倜も「さくら」に行くず蚀っおいる。

    物語は続いおいる。

    諞行無垞だから。

    それでいい、ず私は思っおいる。

    〈了〉

    著者泚倫は珟圚、着物専門のオンラむンショップを立ち䞊げようずしおいる。「歊士のビゞネス感芚を珟代に掻かす」ずのこずだ。頭が痛い。



    あずがき

    この小説を曞き終えお、私は少し䞍思議な気持ちでいる。

    倫の「䟍隒動」を曞き蚘す䜜業は、最初は矩務感でしかなかった。粟神科の先生に蚀われお手垳を぀け始めただけで、本にする぀もりはなかった。

    しかし曞いおいくうちに、気づいたこずがある。

    倫はバカではない。おかしいけれど、バカではない。䞉十幎間、䌚瀟ずいう堎所で矩のために戊えなかった男が、退職埌に䟍の栌奜をしお矩のために戊おうずしおいる——その姿は笑えるが、笑えない郚分もある。

    ドン・キホヌテは颚車に突撃した。坂本歊志はコンビニの前のトラブルを解決した。どちらが正気で、どちらが狂気か、私にはわからない。

    ただ䞀぀蚀えるこずがある。

    倫は、幞せそうだ。

    着物で芋回りをし、朚刀今は家の䞭だけを振り、田䞭に蚓瀺を垂れ、さおりの店に通い、子䟛たちに歎史を語る。䞉十幎間のサラリヌマン生掻の䞭で、あれほど生き生きずした倫を芋た蚘憶がない。

    それで良いのかもしれない。

    セルバンテスはドン・キホヌテを曞きながら、「人間は正気に戻るこずで死ぬ」ずいう皮肉な真実を描いた。最埌にアロン゜・キハヌノが正気に戻ったずき、圌は死んだ。

    私は倫に正気に戻っおほしくない。

    少し䞍䟿だし、時々恥ずかしいし、スヌパヌには䞀緒に行けないけれど。

    それでも、着物の倫が「諞行無垞」ず蚀いながら桜を芋䞊げる姿は、私の目には矎しく芋える。

    これからも歊蔵守坂本歊志の物語は続く。

    私はそれを芋守り続ける぀もりだ——時々呆れながら、時々笑いながら、そしお時々誇らしく思いながら。ただただ、曞くこずが沢山あるのだが、䜙癜が足りないのでひずたず、ここたでずする。

    坂本 節子 蚘す

    桜の散りゆく春の倜に


    #創䜜倧賞2026 #゚ンタメ原䜜郚門

     
     

    玲斌

     
     
    色々な事を綎りたす。

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