
#32 母への小包み
オーディブルで朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」を聞き終えてから、登場人物たちの感情の機微が心に重たく感じたこともあって、ライトで気持ちが明るくなる小説が聞きたいと思い、原田ひ香さんの「母親からの小包はなぜこんなにダサいのか」を聞き始めた。
原田ひ香さんを知ったのは、「三千円の使いかた」から。
「財布は踊る」を読んだときは、タイトルからは想像出来ないような登場人物の切実なシーンが出てきたり、考えさせられる内容もあったけど、読んだ後にさわやかな気持ちになるというか、心がふっと軽くなって好きな作家さんの一人。
「母親からの小包はなぜこんなにダサいのか」の第四話「お母さんの小包、お作りします」が終盤に差し掛かるころ、私もいつか子供たちが一人暮らしや独立して家を出たら、「ダサい」小包を送る日が来るんだろうかとぼんやり考えていた時、「あ、わたし小包送っていたんだった」と気づいた。そして、少し鼻の奥がツーンとした。
それは、私が母から小包を送ってもらった記憶ではなく、私が母に小包を送っていたことだった。
1人暮らしをしていた母が倒れてサ高住(サービス付高齢者住宅)へ入居してからは、母が必要なものや足りないものがある時は、母を訪問した際に届けたり一緒に外出して買い物をしていたが、コロナ禍になりそれも出来なくなって、必然的に小包を送るようになった。
デイサービスでアクリルたわしを作る時の毛糸やあみ針、塗り絵や色えんぴつなど送っていたのだが、それは半ば口実で一番の目的は「甘いもの」を送る事だった。
本来なら持病や薬の関係で、施設に食べ物を送るときや届ける時は職員の方に申し出ないといけないルールなのだが、送付状に「毛糸、飴」などと書いて送っていた。きっと職員さんにはバレていたと思うけど。。。
入居した当初は私も「規則だし、おやつ食べて太るといけないからだめだよ。」と断っていたのだが、ある時私のいとこから「まあまあ、たまにはいいんじゃないの?」と言われて、確かに80歳を超えての施設での暮らしは多少の我慢もあるだろうと、所望されるまま送る日が続いた。
細長い塩ようかんのパック、黒飴、梅干し入り飴、ようかん巻きなどが定番で、クッキーが食べたいと言われれば、ラングドシャやハーベストなども送った。あんこが好きなので最中が食べたいと言われたけど、部屋でこっそり食べるのに最中の皮があごに張り付いては困ると、断った。
母からの着信があるとたびに、「もう食べたの?!」とつぶやきながら電話に出る。
「食べるものがなくなったんだけど。。。」という母に「施設で3食プラスおやつ出てるでしょ!」と心の中でツッコミを入れる。
近所の割安なスーパー(オーケー)へ買い出しに行き、ありがたいことにその買い出しには夫も付き合ってくれた。
早いと2,3週間に一度くらいのペースで送っていた。
今でもオーケーに行って母に送っていたお菓子を見つけると、なつかしい気持ちになる。
母に最後に小包を送ったのは、亡くなる2週間くらい前のことだった。
ずっと頼まれていた、古い韓国ドラマのDVDBOX(中古)だった。
買う目星は付いていたのになかなか面倒で、催促されるたび「ちょっと待ってね」と言い続けた。
亡くなった後、母の部屋を片付けに行くと最後に送ったお菓子や飴など、まだ封を切っていないものもあった。
DVDBOXも、たぶん見れてなかったと思う。
もっと早く送ってあげれば良かったな、そう思った。