
『星野みなみは、まだ賢くない。』#27カバンの中のモンスター。――手取り18万、ラテマネーの恐るべき正体。
あおい自身の指で、スマートフォン上のクレジットカード一時利用停止ボタンがタップされた。画面に「設定完了」の文字が冷たく光る。
リボ払いの毎月の返済額を5万円に変更させ、カードの機能を止める。
そこまでの“緊急止血”を終えたリビングには、重苦しい静寂が横たわっていた。
「あおいちゃん、泣いている暇はないわよ。ここからあなたの生活を1円単位で『再デザイン』していかないと、来月からの極限生活は確実に破綻するわ」
みなみは万年筆を握り、真っ白なノートを開いた。
2年前、自分が引っ越し違約金で絶望した時、向井さんはこうして数字を可視化してくれた。
今度は自分が、先輩としてその役割を果たす番だった。
「自分の生活の実態から、絶対に目を背けちゃダメ。……まず、今持っているそのカバンの中身、全部テーブルの上に広げなさい」
「えっ? カ、カバンですか……?」
みなみの真剣な眼差しに押され、あおいは恐る恐る、お気に入りの高級ブランドのトートバッグを逆さにした。
テーブルの上に、バラバラと音を立てて中身がぶちまけられる。
みなみはそれらを一つずつ、ピンセットで標本を分けるように万年筆の先で仕分けていった。
出てきたのは、あおいの無計画な変動費の、あまりにも生々しい証拠の山――「数字の残骸」だった。
「まず、このぐちゃぐちゃに丸まったレシートの束。毎日、朝と昼休みの2回、コンビニやカフェに立ち寄っているわね。1回あたりは『350円』とか『450円』だけど……あおいちゃん、これ1ヶ月分を合計したら2万4,000円を超えているわよ」
「えっ……に、2万……!?」
「これが『ラテマネーの罠』よ。目的を持たず、なんとなくの習慣であなたのお財布からお金を奪っていく泥棒。それから、この化粧品ポーチの中身。同じようなピンクのリップが3本もあるじゃない。こっちの限定色なんて、1回使ったきりで奥に眠ってる。本当に必要で買ったの?」
「うう……それは、SNSでバズってて、毎日頑張って働く自分へのご褒美なんです! これくらいないと仕事のモチベーションが保てなくて……」
「あおいちゃん。これはご褒美じゃないわ。『目的なく、なんとなく』でお金を使わせるための誘惑よ。デザインと同じで、家計にも『なぜここにお金を使ったのか』という明確な理由とロジックが必要なの。今のあなたは、自分の未来の時間を15%の手数料で先売りしているリボ払いの債務者なのよ。無駄な線を一本ずつ消していかないと、生き残れないわ」
数字と現物という動かぬ証拠を突きつけられ、あおいは返す言葉もなく頭を抱えた。
みなみはさらに追撃の手を緩めず、あおいのスマホの利用明細をチェックしていく。
案の定、無料期間が終わって使ってもいないのに、毎月数百円ずつ引かれ続けている動画配信や美容系の「幽霊サブスク」が5個も放置されていた。
それらをその場で強制解約させ、変動費の泥棒をすべて捕まえ終えた時、夜はすっかり更けていた。
「……よし、これで変動費の見直しは終わり。キャッシュレスの利便性を手放して、来月からは決まった現金を封筒に分ける『袋分け管理』で、お金が減る痛みを脳に覚え込ませてね」
「はい……画面の数字は減ったのに、なんだかすっきりしました……」
あおいは涙を拭い、固定費が削れた瞬間のロジカルな快感を初めて肌で感じていた。
最悪の破産ルートからは、これで一歩遠のいたはずだ。
みなみはホッと息を吐き、次のステップである「固定費」の確認へとノートのページをめくった。
毎月の通信プラン、そして今住んでいるアパートの家賃。
「じゃあ最後、毎月の固定費の確認ね。スマホ代と家賃はいくら?」
「えっと、スマホは大手キャリアのままで月1万円くらいで……家賃は、ちょっと奮発して管理費込みで8万5,000円の築浅マンションです!」
その瞬間、みなみの万年筆を持つ手が、ピタリと止まった。
ゆっくりと顔を上げたみなみの顔から、すうっと血の気が引いていく。
「……ちょっと待って、あおいちゃん。あなた社会人2年目で、どうしてその金額の部屋に住んでるの……?」
「えっ? だって、綺麗な部屋じゃないとテンション上がらないですし……これって、ダメなんですか?」
変動費をいくら削ったところで、絶対に相殺することのできない圧倒的な絶望。
あおいの家計を根本から自己破産へと追い詰めていた本当の「固定費の爆弾」が、ついにその最悪な姿を現した瞬間だった。