起業直後の不安は十年経っても消えていなかった
起業したばかりの頃の、あの先の見えない不安。成功すれば、いつか消えるものだと思っていました。
でも、十年以上たったいまも、それは完全には消えていません。
ある日、娘と、実家の近くの道を歩いていました。
小さな川の上を、タイルで敷き詰めた道です。歩くと、足の裏でガタガタと音が鳴る。その感触が足に伝わってきた瞬間、私はふっと、十年以上前の自分のところへ引き戻されました。
同じ道を、まだ結婚もしていない、娘もいない私が、たった一人で歩いていた頃です。
夕方が、一日の始まりだった頃
十年以上前、私は起業したばかりでした。結婚する前で、まだ実家に住んでいた頃です。
季節は春。四月から五月にかけて、日も伸びて、寒くも暑くもない。散歩に出るには、これ以上ないという気候でした。
その頃の私は、夜遅くまで作業をしていたので、朝は昼近く、ときには昼を過ぎて起きていました。そこからようやくエンジンをかけて、夕方に散歩へ出る。夕方の散歩なのに、私にとっては、そこがほとんど一日の始まりでした。
歩くのは、いつも決まった道でした。小さな川の上をタイルで敷き詰めた、あのガタガタ鳴る道です。耳には、いつもビジネスの音声教材を入れていました。その道を、来る日も来る日も歩いていました。
夕方の五時ごろでした。五時半になると、自治体の放送で「子どもは帰りましょう」という音楽が流れます。それを聞きながら歩いていたことを、いまでもよく覚えています。
お金はないのに、どこか強気だった
歩きながら、私はいつも、同じことを考えていました。
自分は本当に、これからどうなってしまうのか。先のことは、何ひとつ見えていませんでした。
私はそれまで、自分でビジネスをやった経験がありませんでした。会社員しかやったことがなく、その会社員でさえ、正社員だった期間は二年ほどです。だからこそ、答えがほしくて必死でした。いろんな人の教材を、来る日も来る日も、むさぼるように聞いていました。少しでも成長したい、少しでも前へ進みたい。その一心だったのだと思います。
お金は、減っていくというより、もうありませんでした。次の入金のあてもない。それなのに、次に欲しい教材は、次から次へと出てくる。使うあてばかりがあって、入ってくるあてが、どこにもない。「これから、どうするんだ」。その心細さが、いつも足元にありました。
それでも、どこかに強気な自分もいました。何とかする、と決めていたし、何とかなる、とも信じていた。入ってくるあてのない心細さと、これから始まることへの高ぶり。相反するものが、同じ一つの時間の中に、混ざり合っていたのです。
複雑な気分でした。けれど、私はあの時間を、いま思い返しても、かけがえのないものだったと思います。
同じ道を、今度は娘と歩いていた
結婚して、私はその土地を離れました。いまは、実家からも、あの道からも、離れた場所に暮らしています。
その道を、私はまた歩くことになりました。今度は、娘と一緒に。
ガタガタと鳴る足の感触も、あたりの空気も、あの頃とほとんど変わっていません。その日はじめじめとしていて、でもそこまで暑くはなく、風も吹いていて、どちらかというと心地よい日でした。そんな中を歩いていて、私はふと、しみじみと、あの頃を思い出したのです。
ひとつ、はっきりと違うことがありました。
あの「子どもは帰りましょう」という放送を、十年以上前の私は、帰る家庭も、帰るべき子どももいない、たった一人の身で聞いていました。それがいまは、まさにその「子ども」の側にいる娘と、同じ道を歩いている。
あの頃の私は、こんなふうに娘の手を引いて散歩する日が来るなんて、微塵も想像していませんでした。その娘が、もう小学一年生です。道は、何ひとつ変わっていないのに、私はまるで違う場所に立っていました。
不安なのに、懐かしい
変わったのは、立っている場所だけではありませんでした。立っている場所は大きく変わったのに、変わらずに残っているものがあったのです。
結婚して、娘が生まれて、暮らしも、仕事も、あの頃とはまるで違います。それなのに、あの道を歩いていると、当時の心細さが、そっくりそのまま戻ってくるのです。
先が見えない不安。入ってくるあてのない心細さ。それでも何かへ向かっているという、あの強気。あの頃味わっていたものは、実はいまも、そんなに変わっていないのかもしれません。
だからでしょうか。あの頃を思い出すと、不安なのに、どこか懐かしい。すでにあそこを通り過ぎたはずなのに、まだそこから完全に離れたわけでもありません。
何も掴まないまま、娘と帰った
そんなことを思いながら歩いていたのですが、その余韻に浸っている暇は、ありませんでした。娘が、転んでしまったのです。膝を擦りむいて泣く娘を抱えて、私たちは急いで家へ帰りました。
帰る子どももいなかったあの頃の私が、いま、その子を抱きかかえている。あらためて、不思議な感覚でした。
あの頃に戻りたいとは思いません。もう一度やり直したいとも思わない。ただ、あのガタガタ鳴る道の感触だけは、もう一度味わえるものなら、味わってみたい。そんな気持ちも、どこかにあります。
もし、一人であの道を歩いていた頃の自分に、声をかけられるとしたら。必ずうまくいくから、自分を信じて、一歩ずつ進んでいけ。そう言ってやりたい気もします。でも、たぶんあの頃の私は、その言葉がなくても、同じ道を歩いていました。
先の見えなさと、これからどうつき合っていくのか。その答えは、いまも分かっていません。
あの頃の不安は、消えてなくなったわけではなかった。ただ、いつのまにか、少し懐かしいものに変わっていた。
いま、先の見えない道を、一人で歩いている人もいると思います。その不安がなくなるとは、私にも言えません。ただ、いつか同じ道を振り返ったとき、懐かしいと思える日が、来るのかもしれません。
探究の続きを、一緒に
あの頃の不安を、いまはもう、責めるようには思い出さなくなっています。答えが出たからではありません。ただ、変わったものと、変わらず残っているものを、同じ道の上で、いちど確かめられたからかもしれません。
いま自分が、どんな場所に立っているのか。あの頃から何が変わって、何が変わっていないのか。一度、静かに確かめてみるだけでも、いまの自分を、少し受け取りやすくなる気がします。
その手がかりとして、メルマガに登録してくださった方に、「自己探究コンパス」をお渡ししています。いくつかの問いに答えていくうちに、自分がいま立っている場所の輪郭が、少しずつ見えてくると思います。
急いで答えにしなくていいので、いまの自分を少し確かめてみたい方に届けたいと思っています。
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