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正義とは何か、道とは何か。夏目漱石「野分」を読んで。

漱石に関しては、「維新の志士のような精神でものを書いている」というのが記憶に焼きついていた。ところどころ漱石の作品を読み齧っては、なるほど、これもそういう覚悟で書いたものなのだ、と思って読んでいたのでしたが、この度「野分」を読むに当たって、解説を読み、この一文に出会ったのでした。

孫引きになりますが、

「(略)僕は一面に於いて俳諧的文学に出入りすると同時に一面に於いて死ぬか生きるか、命のやり取りをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやってみたい」

「夏目漱石全集3」ちくま文庫 解説より

それがまさに「野分」を書くであろう漱石の手紙の一文だったのでした。「野分」を読んで、激しく納得できました。

教壇において一度正義を語ったら、忽ち追い払われる道也。そんなことを三度繰り返し、道也は、思い知る。

「あの自分は今とだいぶ考えも違っていた。己れと同じような思想やら、感情やらを持っているものは珍しくあるまいと信じていた。したがって文筆の力で自分から率先して世間を警醒しようと云う気にもならなかった。」

そして、それを正すのには文士として生きるしかないと、世を警醒することを志すのでありました。

道也の言葉に乗せて、漱石の思想がありありとうかがえます。

皆さんは、小さいことでも何か正義のために戦ったことってありますでしょうか?

私は、一度、道也と同じ経験をしたことがあった。正義とはちょっと違いますが、誠意は必ず伝わるものと思い込んでいたのが、その自分の常識が通用しなかった。誠意が通用しなければ、何だと相手に伝わるだろう。それは、その人のステータスであります。たとえ自分の人格が非の打ち所がないものだとしても、誠意だけでは、人は動かないものです。社会的信用とかあるでしょうし、利害や損得、保身で人は動くもの。私には、それが欠けていた。ただ、正義感だとか、精神だとかいうものは、人一倍強いものがあったと自負している。それは今も変わらない。いや、むしろそうした経験を通して成長しさらに強くなった。

そんな中でも、道也同様、理解者はいて、それがだんだん認められるようになった。道也もきっと話の結末の後には、世間に評判となることでしょう。正義とはすぐに勝ち得なくとも残るもの。歴史がそれを証明している。世の中捨てたものじゃない。私も正義を勝ち取ったぞ。

さて、この作品の評価ですが、解説には、大人対小児的観照(大人の小児に対するという写生文的態度)と評していますが、むしろこれは、漱石の得意とするところだと思います。例えていうなら、落語的、或いは活動弁士的な視点であります。それを解説では「大人対小児的」と言うのでしょう。私はそれは、ちょっと穿った見方だなと思いました。この作品を評せんが為の方便のように感じるのです。ですから、ここは素直に面白く読みたいところです。


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