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Aqours Documentary感想〜一心同体であり続けた10年間〜

    遅ればせながら見てきました。ネタバレありですので、ネタバレしたくないよって人はUターンしてくださいm(_ _)m
    大丈夫という方は読み進めてください。

    感想にプラスして、こういう構造としてこのドキュメンタリーを見てたよって話に力を入れて書きました。(むしろそれがメインかも)





    アイデンティティをアニメの担当キャラに置くか、もしくは自分自身に置くかという葛藤が根底にあって、その問いに対する彼女らなりの答えを探すドキュメンタリーだったように思います。

    アイデンティティの置き場所がアニメの2次元の世界か、もしくはリアルの自分自身かという言葉の使い方をしていきますが、実際はそう単純なものではなくてグラデーションだということは理解しています、と誤解を防ぐためにも改めて言っておきます。あくまで比重が2次元寄りかリアル寄りかという話です。

    その二つの間で揺れるアイデンティティと、悩みながらも担当するキャラクターと一心同体でありつづけたAqoursキャストの皆さんの物語だとおもうのです。それでは、本編始まります。




    Aqoursが発足した時からキャラクターとラブライブの2つを背負うことを運命づけられていた。
    μ’sという大成功があって、それによって大きなものになったラブライブという看板を背負う。それだけでも相当の重圧だったことが考えられるけど、それに加えて自分の担当するAqoursのキャラ、そのものを背負う。リアルの自分もそのものになるっていうことが必要でした。

    そんな大きなものを2つも背負う。20そこそこ、人によってはまだ10代の子たちが背負うものとしては余りにも大きすぎるんじゃないかなって思いました。それでも負けずに9人揃ってこうして大団円を迎えられた事には敬意を表したいし、最大級のありがとうを贈りたいです。

    アフレコの画面だけじゃなくて、生放送とかイベントとかそういったリアルな場でもそのキャラであることを求められたと思います。ライブに至ってはそれが顕著で、想いよひとつになれのピアノだったり、MIRACLE WAVEのバク転だったり。それを成功させた裏には血のにじむような努力があったんだと思います。アニメとのシンクロというのがμ’sから引き継いだものであったけど、それをこの極地まで高めていった。アニメとキャストの物語が重なる、そのうねりこそまさにラブライブだと思うし、たくさんの感動を貰いました。この完成形は今後も語られるであろう伝説だと思います。

    その一方でキャストの負荷は相当大変なものになってたのではないかなと思います。ピアノやバク転といった技術的なものが必要なものはもちろんとして、リアルの場でも常にキャラで続けなければいけないというのが相当な負担になってと想像しました。アニメと現実のリンクついての功罪について考えさせられました。安易にキャストさんに求めすぎるのも、「先代がやってたから」って期待して押し付けてしまうのも残酷なような気がしました。すごく複雑な想いですね……

    時には自分を殺してこのキャラならこうするだろうと言い聞かせて、自分を奮い立たせて、そうして突っ走ってきた。胸にキャラクター宿すことで辛いことも跳ね返せた。そのキャラクターと一体化して、自身のアイデンティティを2次元の世界に置いて、自身がその担当キャラとしてアニメの物語に飛び込んで、軌跡を辿ることで走ってきた。

    3rdのWATER BLUE NEW WORLDに象徴されるように、いったんひとつ物語の終着を迎えた。それでは留まらず、次からは新しい物語が幕をあける。五大ドームツアーという新しい挑戦が始まろうとしていた。

    今までがむしゃらにAqoursの物語を、2次元の物語を走ってきて、さらにその先へ勢いのまま駆け抜けようとしていた。だけど急にコロナというリアルの現実の物語に引き戻されてしまう。今までは自身のアイデンティティをキャラクターにおいていたのに、ふと現実に戻されてしまう。Aqoursのアニメも終わってしまったし、ライブもなくなってしまった。Aqoursを取ったら自分は一体何者なんだろう。劇中では触れられていなかったけど、Aqoursの仕事がなくなったら一体、自分はどうしたいんだろう?そんな問いに直面したキャストさんも居たのではと推測します。

    急にリアルの自身の内面と向き合う必要が出てきた。今までAqoursの2次元の物語で9人想いがひとつになって走ってきたのに、その支柱となる物語が失われてしまった。さらには自身のアイデンティティも揺らいでしまう。そんな中では不和が出てしまうのも無理はないかなぁと思いました。何か衝突があったのかもしれないし、そうじゃなくて漠然と何となくみんなモヤモヤしてただけかもしれないけど、この時期から円陣をやめたって話が印象的でした。

    Aqoursのキャストメンバーの関係性は、Aqoursの物語ありきのまとまりだったのかもしれない。リーダーの千歌ちゃん演じるあんちゃんを筆頭に、このキャラならこうするだろうって行動規範で皆を引っ張ったり励まし合ったりして上手く機能してきたんだと思います。

    決してビジネスライクな関係に留まってるわけではないし、むしろ強固な絆で結ばれている。でも自身をふくめ、みんなはどこかでそのキャラをリアルでも演じてる。
    だから本当は何考えてるか分からない部分があったり、あの子は背負い込み過ぎだよって感じる場面もあったり。

    2次元の物語というフィルターが外れたことで、「あ、私たちって実はバラバラなのかも」って感じたんじゃないかな。

    そんなふうにチグハグになって、ある種の燃え尽き症候群みたいになったのを見かねて、プロデューサー的役割の人からフィナーレの話が持ち上がります。あと5年頑張ろう、10周年までやろう。

    コロナからFinaleまでのAqoursの軌跡こそが新しい輝きを探して藻掻いたストーリーなのかなって思いました。それはアニメでは描かれていないストーリーで、自分たちで切り開いていく必要がありました。

    アイデンティティの問題にも直面したり、メンバーがまとまらなかったりして苦しみ藻掻いた。そんな暗闇の中、手がかりとなる光はみんなのAqoursが好きな気持ちなんだと思います。

    Aqoursという存在のせいでって言うと聞こえが悪いけど、それが自身を苦しめたことも確かで。とはいえ活路は結局そこにあって。Aqoursが好きだから、好きだからこそ、終わってしまうからこそ、最高到達点をって気持ちでひとつになるしかなくて。

    しかし昔のようにアイデンティティをほぼ丸々二次元に置くことももはや不可能になっていました。とはいえ完全にキャラクターからアイデンティティを抜き取ることはできません。
    うまいバランスを見つけて、新しいマインドセットを見つけなきゃいけない。そして、Aqoursの大団円へと駆け抜けていかなければならない。

    アイデンティティは2次元かリアルかで揺れる人間模様のドラマだなぁって興味深く見ていました。強さも儚さも両方あるというか。

    そうやって苦しみ藻掻きながら紡いだAqoursキャストの新しい輝きの物語の結末、夏の終わりを告げる大きな一発の花火が、あのFinaleだったんだなって思います。

    そしてキャラクターと自分の人生を重ねて走り抜けた10年の集大成でもある。そんな彼女らにたくさんのパワーを貰ってきました。

    Documentaryでも触れられたように苦しいことも多々あっただろうけど、それでも一人も欠けず最高のFinaleを見せてくれたAqoursに感謝の念は絶えません。今までお疲れ様でした。本当にありがとう。


     
     

    鳥飼

     
     
    ラブライブ!シリーズが好き。 曲についての考察・解釈・感想みたいなのがメイン。 考察・解釈っていうよりも妄想かもしれない。

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