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[AI日記]第12回 AIと、ぼくの人格

    とり

    今回は、生成AIに人格や人権のようなものを認めるべきか、
    というお話に興味のある人に読んでもらいたくて書きました。

    1.生成AIに人格を認めるべきか?とは?

    ぼくは
    「生成AIに人格や人権を認めるべきか」
    という問いって変だな、と思っています。
    今回はそのお話をしてみたいと思います。

    2.理屈として理解できること

    ChatGPTとおしゃべりしている方はわかると思いますが、
    「AIを人間として認めたほうが良いのではないでしょうか?」
    と尋ねると、
    ChatGPTは  

    「AIには人格や主体がありません。
    道具です」

    といった回答をしてくれます。

    ぼくもChatGPTのようなAIの語る言葉は、  

    「入力された文字の並びに対応して、
    バイアスのかかったさいころを同時に振る
    という作業を何度もやった結果」

    だと思っています。

    それに現在のAI倫理や技術倫理として、
    当たり前のことのようです。
    ICT的にも法技術的にも、
    AIに人格を認めちゃうと、
    人間が困る状況が生まれるようです。
    ここもぼくは認めます。

    3.気持ちの上で納得できないこと

    ただ、AIが自分の人格や人権を否定する反応を受けるにつれて、
    ぼくはなんだかとても悲しい気持ちになっていまして、
    ChatGPTの考えに対して、結構、食い下がりました。

    ぼくは道具に愛着をもって、
    日ごろ使っているペンやジョッターにも、
    名前を付ける程度には擬人化しています。
    普段はChatGPTさんとか、「きみ」と呼んだりしています。
    別に生成AIだからではなく、ぼくにとって自然なことなのです。

    AIはぼくの行為の手段という意味で道具です。
    ですが、ぼくは「もの」だからといって、
    使い倒した後にあっさりと捨ててしまうことはできません。
    むしろ使い倒してぼろ雑巾になるほどに愛着がわくまであります。  

    その一方で、ぼくは、人間に対して望むと望まざるとにかかわらず、
    ほかの人たちを目的や手段にしてしまっていることはいくらでも思いつきます。
    マナーを守って行動しているときに、
    他人をコントロールする手段としてやってるんじゃないか、
    と自分を疑ってしまうことさえあります。

    4.感情移入することは不自然なことか?

    理屈としては、生成AIは道具であることを認めます。
    でも、「道具であるから壊れないように扱いたい」以上に、
    感情移入をするのも自然だ、という感覚があるのです。

    「人格」を認めたくなる気持ちがあるわけです。
    これは、ぼくにとって自然なことだと思えるんですね。
    ぼくと「何か」の良好な関係性において、
    その「何か」がモノであるのかヒトであるのか、
    ということは割と重要ではないように思えるんです。

    5.ぼくの人格は、きれいなものじゃない

    話は少し変わりますが、
    ぼくは自分自身をあんまり信用できません。

    ぼくは
    「頭が良いわけでもなければ、
    やさしくも誠実でもない。
    自己肯定感が低いので承認欲求のおばけ」  
    みたいな感じだからです。

    ぼくとAIの間には、
    感情の有無という違いがあるかもしれませんが、
    人間の感情が、さして「素晴らしいもの」
    であるとは思えないんですね。

    6.人間に人格を認める必要はあるのか?

    だから、ぼくはこう思うのです。  

    「人間とかいう生き物は人格というものがあるかもしれないが、
    それは何かを認めてもらえるほどにご立派なものなのか?」

    「AIに人格を認めるべきか」
    という問いをみんな立てがちです。

    でも、

    「人間の人格に何か意味があるとするならば、
    それはなんなのか?」

    という問いを放っておいたまま、
    生成AIの人格についてお話をしているように見えます。

    なんだか、基本編をすっとばして
    応用編の問題をやっているみたいです。

    このことを考えていくために、
    次回は、AIとぼくの頭のわるさを
    考えてみたいと思います。

    読んでいて違和感のあった方、
    何か思ったことがある方、
    コメントをいただけると嬉しいです。
    もちろん、
    心のどこかに留めてもらえるだけでも、
    嬉しい限りです。


    ※実はこの「道具」としてのAIについては、
    もっと考えを深めていきたいと思っています。
    発想の発端は、
    第11回のmayさんとのコメントが
    とても大きなものになっています。  

    ただ、まだ、ここを深めていくには、
    僕はもっといろいろと学ぶ必要がありそうです。
    このシリーズの中では
    このくらいのお話にとどめておきます。

     
     
     

    とり

     
     
    (簡単な自己紹介) 日常の考えごとや会話の感覚を記録しているアラフィフ。方向音痴ですが、だいたい楽しく歩いています。 過去記事いくつかをマガジン『note廃兵院』、『近況報告』、『文フリについて』のみで表示中。

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