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靴下の産地が奈良に集まったのは、水不足が原因だった。 知られざる「国産靴下」の世界!

    こんにちは!
    靴下工房Toréを運営しているアクルです。

    これまで大手アパレルOEMの現場で、数百万足の靴下を作ってきました。

    このnoteでは、その経験をもとに、普段あまり意識されない靴下の仕組みをできるだけ分かりやすく書いています。

    靴下はとても地味な存在ですが、実は身体・工業・文化が交差する、なかなか奥の深い世界です。

    今日は、靴下の「産地」の話です!


    靴下を選ぶとき、やっぱり「日本製」は気になりますよね。

    でも、「国産の靴下はどこで作られているのか」まで知っている人は、意外と少ないです。

    私自身、この業界に入るまではそうでした。
    「国産」という言葉は正確です。 でも、まだまだ先があります。

    その先を知ったとき、靴下の見え方が少し変わりました。


    日本の靴下は、ほぼ一つの県でつくられている

    まず、数字の話から。
    日本国内で生産されるソックスの約6割は、奈良県で作られています。

    そしてその奈良県の中でも、特に生産が集中しているのが奈良県北葛城郡広陵町(こうりょうちょう)です。

    人口約3万5000人の小さな町。
    そこが、日本の靴下生産量ナンバーワンの町です。

    「国産靴下」という言葉の中核には、奈良県、とくに広陵町という強い産地があります。

    靴下業界の外では、このことをあまり知らない人が多いように思います。

    では、なぜ奈良だったのか。 なぜ広陵町だったのか。
    そこには、偶然ではない必然の積み重ねがありました。


    なぜ奈良だったのか——繊維の土壌から始まった話

    話は江戸時代にさかのぼります。

    広陵町を含むこの地域では、江戸時代から「大和木綿」や「大和絣」が作られ、繊維に関わる仕事が地域に根づいていました。

    大和盆地はもともと水不足に悩まされやすい土地でした。
    稲作に向かない分、綿を育て、糸を紡ぎ、布を織ることで生計を立てる農家が多くいました。

    大和木綿はその品質の高さで知られ、繊維産業はこの地域の暮らしに深く織り込まれていきました。

    ところが明治に入ると、状況が変わります。

    海外との交流が盛んになり、近代的な紡績技術と大量のインド綿が日本に入ってきます。

    安価で扱いやすいインド綿の流入により、国内の綿作りは急速に衰退していきました。

    機織りの仕事が縮んでいく中で、この地域の繊維の土壌が次の産業を受け入れる素地になっていきます。

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    靴下がはじまる土台がありました

    一人の男が持ち帰った編み機

    そのとき、馬見村(現在の広陵町)に住んでいた吉井泰次郎という人物が、海外視察の際にある機械に目をとめます。

    手回しの靴下編み機でした。

    1910年(明治43年)、吉井泰次郎は近隣農家の娘さんを集めて靴下製造を始めます。 

    機織りに代わる仕事として、農家の副業として、靴下づくりが広陵町に根を下ろした瞬間でした。


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    靴下の夜明け

    ここで重要なのは、背景です。

    すでに綿の栽培と機織りの文化があった土地に、靴下の編み機が来た。

    糸を扱うことへの慣れ。
    農閑期に工賃仕事をする習慣。
    繊維産業に対する理解。

    そういう土壌があったからこそ、靴下づくりはこの地域に自然に馴染んでいきました。

    広陵町では今も、靴下を「編む」ではなく「織る」と呼ぶことがあるそうです。

    機織りから靴下へ、という歴史の流れが言葉の中に残っているのかもしれません。


    産地はこうして厚みを増す

    吉井泰次郎ひとりの取り組みが、やがて広陵町全体に広がっていきます。

    農家の副業から、兼業へ。
    兼業から、本業へ。

    第一次世界大戦の「大戦景気」で靴下の需要が増え、生産戸数は一気に拡大しました。
    その後の不況や戦時中の縮小を経ながらも、産地は生き続けます。

    戦後、素材に大きな転換が起きます。

    ウーリーナイロン糸の登場により飛躍的な発展を遂げ、質・量ともに全国一の規模を誇る伝統ある靴下産地として成長しました。

    つくる人が増えれば、それを支える人も増えてきます。

    広陵町の中を見渡すと、仕上げ工場(アイロンがけ)、デカ箱(靴下を10足単位で詰める箱)工場、染色工場など、周辺産業が発達しており、各社がつながって仕事を循環させていきました。 

    産地というのは、このように機能します。

    一つの産業が育つと、それを支える産業が周りに集まってくる。
    集まれば集まるほど、その産地はさらに強くなる。

    原料・染色・編立・縫製・刺繍・仕上げ・装飾加工の各工程に多くの業者が携わることで、互いに切磋琢磨する良い競争の原理が働いたのです。 

    技術を持った職人が育ち、設備投資もしやすくなり、情報や知見が産地全体で循環する。

    集積が集積を呼ぶ、という構造です。


    最盛期と、その後

    高度経済成長期、広陵町は靴下産業の全盛期を迎えます。

    集団就職の若者たちを受け入れ、最盛期には200軒前後の工場が軒を連ね、「ソックス」という名のスナックもあったそうです(笑)

    それほどに、靴下が町全体の産業として根づいていた時代がありました。

    しかしその後、状況は変わっていきます。

    1990年代以降、安価な海外製品が国内市場に流入してきます。

    中国をはじめとするアジアの工場で大量生産された靴下が、価格競争を激化させていきました。

    多くの工場が閉鎖され、最盛期200軒前後あった工場は、現在では30〜40軒ほどにまで減っています。

    ただ、産地はなくなっていません。

    残った工場たちはそれぞれの方向性を深めながら、靴下をつくり続けています。

    そして産地全体を守るための仕組みも、動いています。

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    在りし日を思う

    産地を守る仕組み——業界団体と「奈良産認定」

    産地が長く続くためには、個々のメーカーの努力だけでは限界があります。

    産地全体としての信頼をつくる仕組みが必要です。
    奈良県の靴下産業には、それを担う組織があります。


    奈良県靴下工業協同組合

    奈良県内の靴下メーカーを束ねる業界団体です。

    奈良県の靴下産業は、明治43年(1910)に創始され、昭和26年(1951)ナイロンが国産化されてウーリーナイロンの靴下が大ヒットして以降、全国約6割の生産を担ってきました。 

    この組合が近年、特に力を入れているのが
    「奈良県靴下商品認定制度」
    「靴下ソムリエ」
    「The Pair」
    という三つの取り組みです。


    奈良県靴下商品認定制度(奈良産認定)
    奈良県靴下工業協同組合の組合員企業が製造した靴下商品のうち、組合が独自に定めた一定の品質基準に合格した靴下商品であり、「安心・安全」な靴下であることを消費者に約束できるものです。

    実際に奈良県で製造している組合員にしか認定はされず、どこで、どういう機械で、どういう原料で製造しているかも記載する必要があります。

    組合が定める品質基準を満たし、認定審査会に合格した商品には「奈良産」の認定マークが付与されます。

    「国産」という大きな括りの中で、「奈良でつくった」という事実をきちんと可視化する仕組みです。


    靴下ソムリエ資格認定制度
    店頭スタッフが直接消費者へ靴下の良さを伝え、ニーズを吸収する"伝道師"に育成するために創設されたのが「靴下ソムリエ資格認定制度」です。

    靴下の歴史、原料、製造工程、用語、接客などについてテキストを作成して試験を行います。 

    試着できない靴下という商品の特性上、言葉で価値を伝える人の存在が重要です。

    そのための人材を育てる制度として、産地の外にも広がりつつあります。


    産地フラッグシップブランド「The Pair」
    組合員の企業から機能性、デザインなどに優れた商品を集めて産地のフラッグシップブランド「The Pair」を立ち上げました。

    消費者ニーズをかたちにすることで、ファン獲得を目指す「双方向型企画」を重視しています。 

    個社のブランドとは別に、「奈良産地」という括りで消費者に届けるブランドです。

    産地としての存在感を高める試みのひとつです。


    馬見靴下事業協同組合

    広陵町の靴下産業が始まった地・疋相(ひきそ)に拠点を置く組合です。

    靴下・ニットインナーなどのニット製品の企画・生産に取り組んでいます。

    WシリンダーやホールガーメントなどのさまざまなOEMに対応しながら、自社ブランド「カサネラボ」の展開にも取り組んでいます。


    こうした業界団体の存在は、産地にとって重要です。

    個々のメーカーが競い合いながらも、産地全体の品質と信頼を守る仕組みをつくる。

    そのバランスが、産地を長く続かせる力になります。


    今も広陵町で靴下を作り続けるメーカーたち

    業界団体の取り組みを支えながら、それぞれのこだわりで靴下をつくり続けているメーカーを紹介します。


    ヤマヤ株式会社(糸季)

    大正時代から続く老舗メーカー。

    多くの工場が海外に拠点を移す中、奈良県に残りものづくりと向き合い続けてきました。

    ならまちにある直営店「糸季(しき)」では、オーガニックコットンを使った靴下を中心に展開。

    素材へのこだわりが一足一足に滲んでいます。


    株式会社創喜(SOUKI)

    創業は1927年。

    「創喜」という名が表すとおり、一貫して創ることの喜びを起点に靴下づくりを続けてきました。

    ふっくらとしたローゲージソックスが得意なメーカーで、ヴィンテージの編み機を使った「Re Loop」など素材と製法にこだわったブランドを展開しています。

    工場内に体験施設「S.Labo」を開設し、自転車を漕いで靴下を編む「チャリックス」という取り組みも話題です。

    産地を知ってもらうための場所づくりにも積極的に取り組んでいます。


    西垣靴下株式会社

    大量生産による低価格を売りにするのではなく、履く人に喜んでもらえる高付加価値製品の開発を得意としています。

    特許技術や意匠を活かしたOEM・ODM生産にも対応しており、足袋型から5本指、パイル、ノンパイルまで幅広い編み機を保有しています。

    「奈良でつくる」という意味にこだわり続けているメーカーのひとつです。


    これらのメーカーは、広陵町で靴下産業が残り続けている理由そのものです。

    価格で戦うのではなく、技術と素材と設計で勝負する。

    その方向に舵を切ったメーカーが、産地を支えています。


    産地を知ると、靴下の見え方が変わる

    「国産」という言葉は、正確です。

    でも、一言で済ませてしまうには、もったいない背景があります。

    繊維の土壌が育った水不足の大和盆地。
    一人の人間が持ち帰った編み機。
    農家の副業から本業へという長い時間。
    集積が集積を呼んだ産地の構造。
    産地を守るための業界団体と認定制度。
    海外製品の波を乗り越えながら残ったメーカーたち。

    そのすべてが積み重なって、今日の「国産靴下」があります。

    「国産」と書かれた靴下を手に取ったとき、その言葉の裏にある一つの町のことを、少し思い浮かべてみてください。


    良いものを正しく知っていくこと。
    それが、靴下との付き合い方を変えていくと私は思っています。

    最後まで読んでいただきありがとうございます。
    靴下は毎日履くものなのに、意外と仕組みを知られていない道具でもあります。

    靴下工房Toréでは「派手ではないけれど毎日履ける靴下」をテーマに、そんな設計をこれからも続けていきます。

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    くつ下を作って販売しています/ 1日平均1000足/ 小売店様に卸も/ 量販業界20年/ お仕事のご依頼お気軽に/ 靴下マニア1人社長/ 元大手OEMで数百万足/ 量販業界のリアル/ 2022年起業/ 足のことを考えた毎日履ける靴下 『Toré』2026年よりスタート/

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