メインコンテンツへスキップ
見出し画像

小説『笑わない写真』~第三部

    第三部
      
    (一)
     
     JR高崎駅からバスに揺られること二十分。兼松の姉は実家の近くに住んでいた。
     手紙のお礼を述べ、早々、聞き取りを始める。
     事故で妻と子を亡くした直後の様子について聞く。
    「滅多に顔を出さない弟が突然やって来たので驚きました。普通なら、来る前に連絡があるのですが、それもなくて。本当に突然でした。憔悴しきっている様子で、見ているのが辛かったです。好物の大福を出してやったのにまったく手を付けませんでした。何をしに来たのか尋ねると、両親の墓参りだと言いました。うちにいたのは三十分ほどでした」
     ――その三十分の間にどんなお話をされましたか?
    「クリニックのことを聞きました。その日は確か平日で、お休みの日ではなかったはずです。仕事はいいのと聞くと、しばらく休むと言っていました」
     ――あとは?
    「痛々しい姿を見て、心配になったものですから、食べてるのとか、寝てるのとか、そんなことを尋ねたと思います」
     ――そうですか。その後の計画については何かおっしゃっていませんでしたか?
    「詳しいことは特に。しばらく旅でもしてみようかと言っていました」
     ――それだけですか?
    「はい、それだけです」
     ――その後、かなり長い期間、東京にはお戻りになっていないようですね。先日送っていただいた手紙以外で連絡が入ったことはありますか? 電話とか、メールとか。
    「メールが一回だけありました」
     日付を確認する。
     その日付は姉を訪ねてから一週間後だった。
    「メールは『大丈夫だから』という簡単なものでした。河口湖から届いた絵葉書に書いてあった言葉がまるで遺書のようでしたから、心配になってメールをしたんです。その返事でした」
     その絵葉書を取り出す。河口湖の美しい写真。そこに『すべてをなかったことにして、妻と娘に会いたい』と書かれていた。まるで遺書のようだ。
    消印は兼松が姉宅を訪れた三日後。河口湖で一体、何があったのだろうか。  私は早々に姉の自宅を後にした。
     
     再び新幹線に乗り込む。
     今日のうちに河口湖に到着したい。
     東京駅で新幹線を降り、JR中央線の特急電車に乗り換える。更に大月駅から富士急行線に乗り、終点の河口湖駅に向かう。駅に降り立ったときにはすっかり日が暮れていた。有数の観光地であるが、この時間になると人影もまばらだ。
     私は予め駅周辺の旅館やホテルを数軒ピックアップしていた。自分が泊まるためではない。兼松が宿泊していた場所を調べるためだ。
     私はこう考えた。兼松がこの地を訪れた目的は自らの命を絶つことだった。自殺の名所、青木ヶ原の樹海はここから目と鼻の先だ。駅前から出ている路線バスに乗り込み、適当な場所で降りれば、どこからでも樹海に分け入ることができる。ならば、駅から遠い場所には宿泊していないだろう。観光ではないのだ。高級リゾートもないだろうと。そして、五軒の旅館、ホテルをピックアップした。
     そのうちの一つ『湖水荘』に電話をする。今日はもう時間が遅い。取材は明日からとして、とりあえず部屋を求めた。幸い空室があるということだったので、電話を切りすぐに宿に向かう。駅前のロータリーを抜け、御坂みちを通り河口湖方面へ。食事処や土産物屋は軒並みシャッターを下ろしている。
     一〇分ほどで目的に到着した。
     チェックインを済ませ部屋に入ると、どっと疲れが出た。
     まだ初日だというのに。
     窓の外に目を向ける。湖を一望できる部屋だった。『富士河口湖紅葉祭り』なるイベントのリーフレットが置いてあった。
    「そうか、紅葉の季節か」
     再び外に視線を移すが、外は暗く、樹々が織り成す色彩の美しさを堪能することはできなかった。
    「遊びで来たかった」
     独り言。
     モバイルPCを取り出す。できるところから文章にしていこうと思った。
    『二〇〇五年、兼松医師は結婚した。相手は、当時勤めていた高崎中央病院で医療事務を担当していた女性だった。二〇〇七年に東京に転居、かねまつ心療内科クリニックを開業する。まもなくして長女が生まれた。名は広恵。しかし、この子は重い病を抱えていた。左心低形成症候群という生まれつき心臓の弁が十分に機能しない病気だった。放置しておけば生存が危ぶまれる。治療には手術が必要だったが、それには大きなリスクがあったのだ。命が助かっても、手術中、脳への酸素供給が足りず、その影響で発達上の障害が残る可能性があった。難しい選択だったことだろう。おそらく夫婦は相当に悩んだのではないだろうか。結局、夫婦は手術を行うことを決めた。手術は無事、成功。心配していた後遺症は残らなかった。兼松医師にとって、娘の命は一度失いかけたものだったのである』
     そして、その大切な命が近田運用株式会社の社員が起こした交通事故により失われた。愛する妻もろとも。
     私は兼松の抱えた喪失感の大きさを想った。そして、それが復讐の原点になったのだ。
     
     翌日の早朝、朝食も摂らずにフロントに声をかけた。時間が早かったため、チェックアウトの客はまばらだった。
    「私、こういう者です」
     フロントに立つ男性に名刺を見せる。
    「五年前にこの地を訪れた兼松秀之という医師の足取りを追っています」
     男性の表情がわずかに動いたのを私は見逃さなかった。
     男性は「少々お待ちください」と言って、奥に消えて行った。
     しばらくすると和服姿の女性が現われた。
    「宿の女将でございます。ここでは何ですので、どうぞこちらへ」
    女将は私を奥の事務所へと招き入れた。
     『湖水荘』を選んで、大正解だった。兼松はこの宿に泊まっていたのだ。
    「土地の有志が自殺防止のためのパトロール隊を編成していて、その一団が、樹海のなかで横たわる殿方を見つけました」
     睨んだ通り、兼松は自殺未遂を起こしていた。
    「当然、警察にも連絡がいきますわね。その方、お部屋のカードキーを持っていらしたので、私どものところにも地元警察が照会に来られました」
    女将の横には先ほどフロントで声をかけた男性もいた。聞けば勤続三〇年で、番頭をしているという。
     ――さぞ驚かれたでしょう。
    「えゝ、それはもう」
     ――男性は一人で?
    「はい、お一人でいらっしゃいました」
     ――人が訪ねてきたことは?
     女将に代わって番頭が答える。
    「私が知る限りはありません」
     私は兼松の顔写真を取り出した。
     ――その男性はこの人で間違いないですか?
     女将は「間違いありません」と答えた。迷いが感じられなかった。
     ――宿泊客一人ひとりの顔をそんなにはっきりと覚えているものですか?
    「この方の場合は特別です。私、入院中の病院を訪ねたもので。お部屋に荷物を置いたままでしたから、お届けに参りました」
     ――女将自ら?
    「ちょうど用事がございました。親戚の者がそこに入院しておりましたので」
     ――なるほど。
    「お医者様だと聞きました。さぞ、お辛いことがあったんでしょうね」
     女将は兼松に同情している様子だった。
     そうなのだ。兼松には死を選ぶほどの苦しみがあった。それをわかった上で、私は兼松を告発しようとしている。
     ――お願いがあります。そのパトロール隊の方をご存じでしたら、ご紹介いただけないでしょうか? あと兼松医師が入院していた病院の名前も教えてください。
     女将は快諾した。
     
     紹介されたのは近所に住む初老の男性だった。
     男性は湖畔で土産物屋を営んでいたが、三年前、息子夫婦に店を任せると、現在は悠々自適な暮らしをしていた。
    「わしら有志で活動をしております。週に二、三回ほどのペースで樹海に入って、自殺志願の人がいないか探すんです。まだまだ足腰もしっかりしていますんでな。若い奴らには負けませんよ。わっはっはっはっ」
     男性は大きな声で笑った。話の通り元気そうだ。
     ――男の人を見つけたときのことを聞かせてください。
    「こういう活動をしていると、時にご遺体を見つけてしまうことがあります。あの人のときもてっきりそうかと思いました。大きな木の根元に横たわっていましてね。全然動かないから、亡くなっているんだと思いました。でも、近づいてみると息があるじゃないですか。びっくりしましてね。みんなで担いで運びましたよ」
     ――皆さんで病院へ?
    「いえいえ、私たちが運んだのは、車が入ってこられる場所までです。そこで救急車を待ちました」
     ――男の人がどのような方法で自殺を図ったかご存じですか?
    「睡眠薬を大量に飲んでいたそうです」
     ――その後、男性と会ったことは?
    「ありません。助かったんですよね?」
     ――はい。その後、東京で仕事に戻りました。
    「そりゃ、よかった。お医者さんだって警察から聞きましたよ。何か辛いことがあったんでしょう。でも、人の命を救う人間が、命を粗末にしちゃいけませんよ。あの人に会うことがあれば、そう伝えてください」
    そんな機会はあるだろうかと私は思った。
     この後、兼松が搬送された山梨県都留郡にある救急病院に行き、処置を受けた事実を確認した。
     更に真相に繋がる重要な情報も。
     
     
     (二)
     
    「この人じゃないんですか。もう一度、よく見てください」
     富士河口湖慈恵病院に勤める女性看護師は首を左右に振った。
    「やっぱり違います。全くの別人です」
     私は兼松医師が救急搬送された病院にいた。
     兼松医師の処置に係った職員に話を聞いて回った。看護師が兼松の病室に女性が訪ねてきたと言ったので、取材の記録用にと撮っておいた女将の写真を見せた。ところが看護師はこの人ではないという。年齢はおそらく四〇代、上品な雰囲気のご婦人だということだったので、きっと女将であろうと思い、念のため写真を見せたのだ。
     求めていた情報を掴んだかもしれない。
     私は興奮した。
     
     そして、次の目的地へ。
     私は新宿に向かう高速バスのなかでモバイルPCに向かい、原稿の続きを書いた。
    『兼松医師は救急搬送された富士河口湖慈恵病院で五日間を過ごした。筆者はそこで事件の真相に繋がる重要な情報を得た。兼松医師のもとを一人の女性が訪ねてきたというのである。年齢は四〇代。上品な雰囲気の婦人だったという。目撃者によれば兼松医師とその女性は親密な様子だったというではないか!』
     私は確信を持って、原稿を書き進めた。
     
     バスは定刻通りに新宿駅に到着した。その足でJR湘南新宿ラインに乗り宇都宮へ、そこから日光線に乗り換え、栃木県日光市を目指した。
     私は一枚の絵ハガキを手にした。中禅寺湖の写真。周囲の山々が美しく紅葉している。今の季節ならこんな景色が見られるはずだ。
     そこに添えられた一言。
    『妻の思い出とともに』
     絵葉書は兼松が姉に送ったものだ。消印は樹海での自殺未遂から約一か月後。搬送された河口湖近くの病院を出てから、この葉書が投函されるまでの約三週間、兼松がどこで何をしていたか、その足取りを掴むことはできなかった。
     これは兼松の姉に確認したことなのだが、日光は兼松が新婚旅行で妻と訪れた思い出の土地なのだ。兼松はなぜこの地を目指したのか。絵葉書に添えられた一文は読み方によっては遺書とも取れる。
     現地に到着したのは夜遅くだった。とりあえず駅近くのビジネスホテルに宿を取った。
     翌日、私は早朝から周辺のホテル、旅館に片っ端から電話をかけた。兼松が泊まった宿を特定するためだった。ところが空振りの連続だった。携帯の充電が切れそうになったところで諦めた。
     携帯に充電器を差し、考える。河口湖のときと同じような条件設定に基づき、宿をピックアップしていた。駅から徒歩で行ける距離。高級リゾートは外す。
     本当にこれでいいのか?
     私はある事を思いついた。
     充電器に繋いだスマートフォンを再び手に取る。
    〈読日の向田です。昨日はお話をさせていただき、ありがとうございました。今、日光にいます。一つ教えてください。弟さんが新婚旅行で泊まった宿をご存じですか?〉
     兼松の姉に向けて、ショートメッセージを送った
     
     返事が来るまでの間で昼食を摂ることにした。
     ホテルの外に出る。眼の前を高齢男女の一団が通り過ぎる。皆、一様に楽しそうだ。改めて自分が観光地にいることを実感する。
     ホテル近くにある蕎麦屋の暖簾をくぐった。会社の蕎麦通が、日光は蕎麦作りに欠かせない良質な水に恵まれているから美味しいのだと言っていた。注文したざる蕎麦が運ばれてきた。確かに美味しい。歯ごたえがあり、蕎麦本来の味が感じられた。
     食後、出された日本茶をすすりながら、店に備えつけられていたガイドマップを何気なく手に取る。ぼんやりとそれを眺めていたが、ある一点に視線が釘づけになった。
     華厳の滝――
     今回の目的もまた自殺であるとしたら……
     会計を済ませ、急いでホテルの部屋に戻った。兼松の姉から返信は来ていなかった。
     他にすることもない。行ってみよう。
     私は身支度を整え、急ぎ部屋を出た。
     華厳の滝は高さ百メートルほどもある大瀑布だ。日本三大名瀑の一つであり、日光に数ある滝のなかで最も有名な観光名所だ。
     そして、ここもまた自殺の名所。
     人生の希望を失った者たちを引き寄せる場所だ。
     
    「自殺騒ぎですか。最近はないですねえ」
     事務室は日本家屋のなかにあった。対応に出た年配の男性は更に言った。
    「自殺者がたくさん出たのは戦前の話ですよ。今は危険な場所には立ち入れないようにしてありますからね。最後に騒ぎがあったのは何年前のことだったかなあ」
     男性は首を傾げた。
    「調べます?」
    「いえ、結構です。お忙しいところ、ありがとうございました」
    思いつきでここまで来てしまったが、男性と話しているうち、自分の行動が浅はかなものであったことに気づいた。兼松は生きている。百メートルもある滝の上から身を投げて助かるわけはない。もしかしたら、自殺を考え、ここまで来た可能性はある。しかし、ここの職員に尋ねたところで自殺志願者まで見分けているはずもない。
    「せっかくですから、見ていきませんか、滝?」
     男性の問いかけをあしらうように、私は「また今度」と言って、その場を後にした。後方から「残念。今なら紅葉も見頃なのに」という男性のささやくような声が聞こえた。
     
     帰路。路線バスのなかでスマートフォンを取り出す。
     来ていた。
    〈お世話になっております。弟秀之が新婚旅行で泊まったのは日光谷川ホテルです〉
     五つ星の老舗ホテルだ。やはり私がつくったリストからは漏れていた。
     場所を検索する。駅から徒歩で五分。すぐに行ける。
     駅前に到着したバスを飛び降り、日光谷川ホテルへと急ぐ。
     夕方。傾いた陽は山並みの向こうにその姿を消そうとしていた。ホテルに着いたとき、その風格のある建物は夕闇のなかで輪郭だけになっていた。
    ホテルのフロントに人が溢れていた。チェックインが集中する時間にあたってしまったようだ。観光を終え、一日の疲れを癒しにやって来た人々。老夫妻、家族連れ、カップル。皆、この地で忘れられない記憶をつくる。私だけが異質な存在。私の足元にだけ淀んだ影が横たわっていた。
     少し待とう。
     疲れていた。
     ソファに腰を下ろし一時間程、何をするでもなくただ座っていた。
     
     対応してくれたのはフロントマネージャーの女性だった。
    「宿泊者の情報を開示することはできません」
     女性はきっぱりと言った。
     ここは本館二階の婚礼エリアの一角。挙式の予約は入っていないようで、人気はない。移動式の掲示板に貼られた一枚のポスターが貼られている。ウエディングドレスの女性がこちらを見て、微笑んでいた。
    「そこを何とかお願いできないでしょうか。ある人物の冤罪を晴らすために必要なのです。この写真の男性が宿泊していたかどうかだけでいいのです。イエスかノーか、それだけ答えていただけるだけで結構ですから」
     私の手には兼松の写真が握られていた。
    「本当にイエスかノーだけでいいですか?」
    「はい」
     この場所にいたことだけでもわかれば、その後取材を進める方法は何等かあるだろうと私は考えた。
    「わかりました。その代わり、記事にするときには私どものホテルの名前は絶対に出さないでください」
    「約束します」
    「この方のお名前は?」
    「兼松秀之です。兼ねるに松竹梅の松で兼松、秀でるに之(これ)です」
    女性は「しばらくお待ちください」と言って、立ち上がった。
    待つこと十五分、女性の回答はノーだった。
     
      
    (三)
     
     結局、日光では有益な情報を掴むことはできなかった。
     兼松は絶対にこの地を訪れているはずなのに。
     もう少しこの地で粘ることも考えたが、止めた。時間がない。すでに東京を出発して三日が過ぎていた。荷造りをし、駅前から新宿行きの深夜バスに乗り込む。明日の明け方には東京に戻り、次の場所に発てる。
     神津島――
     次の目的地である。
     夕暮れ時の美しい海辺の景色が印刷された絵葉書。兼松の姉に送られた最後の通信。そこにこう書かれていた。
    『心が洗われるようです。しばらくここにいます』
    これまでのメッセージとは明らかに異なる。兼松の心情に何らかの変化があったと思われる。
     神々が集まる島で一体何があったのだろうか。
     
    「お客さん、着きましたよ」
     運転手は私の肩をたたいていた。
     深く眠っていたようだ。
    「済みません」
     重たい身体を引きずるようにバスを降りた。
     その足で向かったのは東京郊外にある調布空港。離島に向けた飛行機が離着陸している小さな空港である。乗り込んだのはセスナ一七二というプロペラ機だった。客席はわずかに四つ。乗客は私ともう一人だけだった。
     私は飛行機があまり得意ではない。離陸する機体が浮き上がる時のどうにも居心地の悪い感覚が好きになれない。
     飛行機が滑走路に向けて動き出した。停止位置で管制からの指示を待つ。
    〈cleared for takeoff〉
     離陸の許可だ。「I have」と機長が答える
     飛行機が走り出した。次第に速度を上げる。飛行機が小さいため滑走路のゴツゴツとした振動がダイレクトに伝わる。次の瞬間、機体がふわっと浮いた。
     眼下には住宅街が広がっていた。
     公園で遊ぶ子どもが無邪気な姿。こちらを指さしていた。
     フライト時間は四十五分。あっという間だった。
     着いたのはこれまた小さな空港。観光案内用のカウンターで宿泊施設の一覧が載っているチラシを手に取る。ここでも兼松が宿泊した場所を特定することを考えた。日光と異なり、その数は多くない。労をかけずとも発見できるだろうと踏んでいた。
     一覧を上から順に見る。
     そこに掲載されているある名前に気づいた。思わずにんまりとする。
    ここだ。
     タクシーに乗り込み、目的地を告げる。一〇分ほどで到着した。
    「この先、車が入れないので、ここでいいですか」
     運転手が指し示す方を見ると小道が山の方向に伸びているのが見えた。
    「ここを少し登ったところにありますから」
     私は料金を払い、車を降りた。
     車道の下には浜辺が広がっていた。手つかずの自然がそのまま残っている。そんな印象を受けた。
    『心が洗われるようです。しばらくここにいます』
     兼松はこの美しさに魅了されたのだろうか。
     おや?
     少し離れた場所に流木が転がっていて、そこに一人の少女が腰かけているのが見えた。
     今日は平日。
     学校はどうしたのだろう?
     気になって、少女のいる方に歩き出す。
     背を向けていた少女は私が近づいてくるのに気づき、こちらを振り返る。
    「こんにちは」
     私は声をかけた。
     この子……。
     間違いない。あの子だ。
     少女の顔つきに利発そうだが、どこか傷つきやすい繊細さを感じた。
    「この辺に住んでるの?」
    「そこ」と言って、小道の方を指さす。
    「ゲストハウスに住んでるのね」
     少女がこっくりとうなずく。
    「案内してくれる?」
    「お泊りですか?」
     少女のしゃべり方が急に大人びた口調に変わった。しかし、その調子には大人になりきれない子ども特有のぎこちなさがあり、私はそれを可愛いと思った。
    「こちらにどうぞ」
     少女は立ち上がり、歩き出した。少女の小さな背中を追いながら、私は聞いた。
    「今日、学校はお休みなの?」
     少女は「あるよ」とだけ答えた。それ以上、詮索することは許されないという気になり、質問を重ねることはしなかった。
     小道の先に小さな建物が見えてきた。
     ゲストハウスあまの――
     私はこの名を空港の観光案内で見つけた時、兼松のクリニックを訪ねた際のことを思い出した。
     クリニックの事務室に飾られていた親子写真――
     私たち二人がゲストハウスの敷地に足を踏み入れた時、ちょうど建物から一人の女性が出て来た。写真の女性だ。
    「お母さん、お客さん」
     女性が私たちに気づき、素朴な笑顔を向けた。
    「お電話いただいた向田様ですか?」
    「はい、向田です。天野恵さんですね?」
     女性は突然、自分の名前を言われたことに驚いた。
     
     
     (四)
     
     天野恵――
     そして、娘は天野皐月。兼松はこの親子の写真をクリニックに飾っていた。写真立ての裏に二人の名前がはっきりと記されていた。
     天野恵は私と同じシングルマザーだった。
     以前は東京で商社に勤めていたそうだ。離婚を機に脱サラして、ここ神津島に移住し、宿泊業を始めた。
     神津島はダイバーが集まる島だ。海水は澄んでおり、美しい海中の世界を堪能できる。季節になると古民家を改装したこのゲストハウスに多くのダイバーが集まるのだとか。
    「とにかく都会の喧騒から身をおきたかったんです」と彼女は言った。
     取材とは関係のないことなので、それ以上の話は聞かなかったが、彼女なりの苦労や悩みがあったのだろうと思った。
     天野恵は兼松がやって来た時の様子を次のように語った。
    「最初に先生を見たときは、とても驚きました。まるで死人のようでしたから。身体はやせ細り、顔には、生気がありませんでした。宿泊日数を尋ねると、はっきりしません。とりあえず二泊分の料金を前金でお預かりしました。観光ですかと尋ねても、まあ、そんなところかな、というあやふやな答えが返ってくるだけでした」
     宿の宿泊記録を確認させてもらった。姉に送られた葉書の消印は、兼松が島に到着した五日後。天野恵が言う通りなら、到着時の兼松は自らの死を企図していたと思われる。宿泊日数も二泊程度しか、考えていなかった。その二日を超えて、五日が経ち、心境に変化があったのだ。
    『心が洗われるようです。しばらくここにいます』
     私は島の自然が兼松の心を癒したという考えを捨てた。
     その理由を天野恵の言葉のなかに探った。
     それにしても彼女はなぜ兼松を先生と呼んだのだろうか。
     兼松の島への滞在は三週間に渡った。その間に起きた出来事を通じて、彼女は兼松が医師であることを知ったのだ。
    「我が家には娘がいます。小学四年生です。娘は学校に通っていません。不登校です。都会の生活に慣れた彼女にとっては、田舎暮らしは水にあわなかったようで、学校に馴染めませんでした。だから一日中、私の傍にいます。よく勉強のことで、親子喧嘩になるんです。学校に通っていないことで、勉強はどんどん遅れていきます。島には学習塾なんてありませんし、仕事をしながら娘の勉強見るなんてこともできない。学校に行ってなくても、宿題のプリントやテストは配られます。それらが束になって、どんどん積みあがっていきます。親としては焦ります。
     ある日、宿題をやる、やらないで喧嘩をしているところを、先生に見られてしまいました。先生が来て三日目だったと思います。その段階で、先生は我が家の状況を何となく把握していたようで、僕が娘さんの宿題、見ましょうか、と言ってくれたんです。ご厚意に甘えてお願いしました。宿泊客に子どもの面倒をお願いするなんて、非常識だとは思いましたが、娘もそれを希望しましたので、お言葉に甘えました。
     そのときには、こんなことは一日の気まぐれに決まっていると思っていました。ところが、次の日も、そして、その次の日も、二人の時間は続きました。娘も次第に、緊張がとれ、リラックスしているのがわかりました。ときおり声を上げて笑い合う姿も見られました。先生のその姿は、ここに来たときとはまるで別人でした。そのとき、私は思ったんです、これが、この人本来の姿なんだろうなと。
     ある晩、娘が激しい腹痛を訴えました。普通の痛がり方ではなかった。嘔吐もありました。これは腸重積の可能性があると先生は言いました」
     兼松は精神科医である。専門外ではあったが、医師免許を持ち、一般人よりははるかに多くの医学的な知識を持っている。兼松は娘の状況から、病名を言い当てたのだ。
     後から調べたところによると、腸重積とは大変に危険な病気なのだそうだ。典型的な事例としては回腸が大腸に入り込み、腸が塞がるパターンで、発見が早ければ、肛門から空気を送り込み圧力で元の正常な状態に戻すことができる。だが、発症から二十四時間を過ぎると、それが難しくなり、手術が必要になる。場合によっては腸の一部を切除するという大きな手術になることもある。発見が遅れ、腸重積の状態が長時間に及ぶと、腸への血流が途絶え、組織が壊死してしまうこともあり、その状態で処置が遅れると死に至る。
     天野恵は続けた。
    「正式な診断には、X線検査か、超音波検査が必要だそうで、島には残念ながらそのような設備はありません。小さな診療所が一つあるだけです。先生は、すぐにドクターヘリの手配をしてくれました。ヘリでやって来た救急隊員への指示も的確だったようで、娘の皐月は、緊急搬送により都内の病院に収容され、適切な処置を受けることができました。対応が早かったので、手術には至らず数日で退院できました」
     兼松は皐月の帰宅を待って、島を離れた
     天野恵は最後にこう言った。
    「先生は、娘の命を救ってくれた恩人です。とても優しい方でした。娘も先生を慕っていました。東京に帰る時、先生はこう言いました、皐月ちゃんを大切に、と」
     死んだ自分の娘の分もという意味だろうか。きっとそうだろう。
    『心が洗われるようです。しばらくここにいます』
     兼松の心境変化は宿の親子との交流によって生まれたものだった。痩身の兼松にとって、天野親子の存在はとても大切なものになった。
     兼松はクリニックに親子の写真を飾ったのだ。
     大切な記憶を、大切なまま残すために。
     
     私を載せた機体は洋上を飛行していた。
     私はここまでの取材を振り返る。
     思えば、兼松の喪失と再生を追う五日間であった。私が知り得た事実は、兼松が失踪していた三か月間のうちのごく一部だ。それでも彼の心の動きを追うには十分な情報を得た。
     そして、何よりの収穫は河口湖での入院中に兼松が謎の女と接触していたことだ。
     もう一度、記憶捏造事件の論点を整理する。
     近田会長を裁く裁判で、重要な証拠とされたのは二つ、佐久間琴美(ひとみ)が虐待の事実を語った映像記録と近田会長の精液が付着した寝間着であった。前者については反証できるだけの情報を私は持っていた。それに関して最後に残った謎はアンカーリングだった。つまり、何を使って佐久間琴美(ひとみ)の記憶を誘導したかだ。その答えは近田誠が送ってくれた読書リストのなかにあった。
    『生きる勇気と癒す力』――
     他がすべて日本人作家による小説であったのに対し、この本だけが異質な存在だった。
     私はこの本の内容を調べた。アメリカで起きた記憶戦争のきっかけをつくってしまった罪深き書籍であることがわかった。
     青年期以降に発症したストレス障害の原因は、幼少期に受けたレイプなどのトラウマ体験であるとし、娘が父親を訴えるという裁判が一九八〇年代から九〇年代にかけて、全米各地に起きた。
     女性が理由もわからず、鬱の症状に悩んでいる場合、少女期または幼児期に性的虐待を受けた可能性が高いとこの本に書かれていた。
     一旦、失われた娘たちの記憶を呼び覚ますのに使われたのが催眠療法だった。催眠療法は、年齢退行を引き起こし、忘れられた記憶を呼び覚ますことができるとされた。
     兼松は、この本を洗脳に使ったのだ。
     そして、二つ目の証拠。佐久間琴美(ひとみ)が着用していた衣類についた精液。私が抱いた疑問。それは十数年前に使われていた物が突然、物証として見つかるなどということが起こり得るだろうかというものだった。そこに何者かの意思があったのではないか。
     それができる人物はただ一人。
     沢木恵美子――
     近田会長の身の回りの世話をするあの家政婦だ。
     沢木は男の欲望のはけ口となり、女性としての幸せを失った。単なる家政婦として近田会長の奴隷として生きることを強いられた。
     女としての一生を壊された沢木が近田会長を憎んだとしても不思議なことではない。
     私は資料室長、羽村瑠璃子に沢木の経歴を調べるよう依頼していた。彼女の出身地は兼松と同じ、群馬県高崎市だった。
     そして、先ほど私は兼松の姉から重要なメールを受け取った。
    〈母の遺品のなかに中学のときの卒業アルバムを見つけました。お尋ねの沢木恵美子さんという方は確かに秀之の同級生でした〉
     兼松が河口湖の病院に入院中に現れた女性。それは沢木恵美子だったに違いない。
     上品な雰囲気のご婦人――
     女性を目撃した看護師はそう言った。確かに沢木ならその言葉が当てはまる。
     兼松と沢木はずっと繋がっていたのだ。
     私がこの後、向かうのは沢木がいる軽井沢だ。
     そこで沢木恵美子との対決が待っている、
     
      
    (五)
     
     私は再び軽井沢の地にやって来た。
     空一面を雨雲が垂れ込めていた。今にも降り出しそうだ。
     降らないで。傘、持ってないんだから。
     駅前でタクシーに乗り込み、近田会長の邸宅に向かう。
     アポイントは取っていない。車椅子の会長がいるのだ。外出している可能性は低いと、私は考えた。もし出かけているようなら帰宅するまで待つ。そう決めていた。
     車を降りる。静かだ。静寂のなかを近田邸に向かって歩く。
     玄関ポーチに立つ。深呼吸。呼び鈴を鳴らす。「はーい」という女性の声。玄関が開く。
    「どちら様でしょうか」
     玄関から顔を出した女性は沢木恵美子ではなかった。
     
    「失礼します」と言って、先ほどの女性は寝室のドアを開けた。
     近田宗助はベッドに横になっていた。
    「旦那様、向田様です」
    「向田さんと二人で話がしたい。君は下がっていい」
     弱々しい声だった。
     女性は黙礼し、部屋を出た。
    「また来ると思ってたよ」と近田宗助が言う。
    「お加減が悪いのですか?」
    「あゝ。もう歳だ。寿命かな」
    「悪い冗談は止めてください」
     遠くで雷が鳴った。
    「天気、悪いのか?」
     部屋には小さな窓が一つだけあった。だが、近田宗助のいる場所からは外は見えないのだ。
    「えゝ、今にも降り出しそうです」
    「そうか。……今日は沢木に会いにきたんだろ?」
     近田宗助はすべてを見通しているようだ。
    「はい。沢木さんはどちらに?」
    「辞めたよ」
     何ですって!
    「本人の立つ手の希望でね」
     群馬の実家に帰ったという。
     年老いた男性の告白が始まった。
    「まだ社長だった頃、私たちは男女の関係になった。すでに妻はなく、法的な問題はない。私は沢木に結婚を申し込んだ。しかし、断られてしまった。彼女は、亡くなった妻の恩に背くことになる、と言った。そのときにも、暇をくれと言った。私は傍にいてくれと懇願した」
     近田宗助は静かな口調で語った。
    「あなたは沢木を疑っているんだろ?」
     私はゆっくりとうなずいた。
    「実はね、私もそうだった」
     告白は続いた。
    「私は誓ってやっていない。可愛い孫に悪魔のような仕打ちをするわけがない。ところが物証もあるというじゃないか。そんな物を引っ張り出して来られるのは沢木しかいないと思った。場合によってはわざわざ仕込んだのではないかとも考えた。沢木と泥仕合などしたくない。だから、裁判で争うのは止めたんだ」
     近田宗助は沢木を愛していた。
     だが、一方の沢木はどうなのだろう?
     最後に会長はこう言った。
    「書かないでほしい。もう私たちをそっとしておいてほしい」
     
     私は軽井沢を後にし、群馬県高崎市に急いだ。
     移動中に溜まっていたメールをチェックした。
     未開封のメールを順番に開く。
     仕事関係の連絡に混じって、野中弁護士からのメールが届いていた。
     
      件名:Re,姫様との接見について
      TO:向田和子様
      FROM:野中正成
     
      お世話になっております。
      やはりお母様には会いたくないとのことです。
      しばらく時間をおいた方がよいかもしれません。
     
      姫様より伝言をお預かりしました。
      ファイル共有サービスのフォルダ「軽井沢」に
      保存してある動画を見てほしいとのことです。
      意図はよくわかりません。
     
      あとお金の件ですが、
      こちらも受け取りを拒んでいます。
      ですが、心配は無用です。
      お父様が時折、面会にいらしており、
      必要なお金を用立てくれています。
      姫様からは内緒にしておいてほしいと言われていましたが、
      向田様のご心配を軽減したく、お伝えした次第です。
     
      それでは引き続き、よろしくお願いいたします。
     
     私の知らないところで父親と会っていたなんて。
     あの子をここまで育てたのは私。
     裏切り行為だ!
     私は憤った。
     
     その日は高崎市内のホテルに泊まった。
     むしゃくしゃとした気持ちはホテルの部屋に落ち着いた後も収まらなかった。
     それにしても娘はなぜ家族旅行の記録を見返すよう伝えてきたのだろうか。そもそもあのフォルダに動画など保存されていただろうか。まったく記憶がない。
     PCを立ち上げ、部屋のWifiにつなぐ。
     ファイル共有サービスにアクセス。保存してあるデータは年代別、シーン別にフォルダ分けしてある。「軽井沢」という名称のフォルダはすぐに見つかった。
     開いてみる。
     そこには無数のデータが整然と並んでいた。
     一枚目の画像を立ち上げ、スライドショーをオンにする。画像が自動再生されていく。
     嫌だ。なにこれ。
     笑ってない。
     どの写真も、どの写真も。
     最初から最後まで。
     姫(かぐや)が笑っている写真は一枚も見当たらなかった。
     そして、見つけた。誰が撮影したものだろうか、確かに、姫(かぐや)が言うように動画ファイルが一つだけ保存されていた。
     手が震えた。ファイルを立ちあげても、なぜか再生ボタンを押すのに時間がかかった。
     映像が流れ出す。
     娘が立っている。軽井沢の教会の前。
     どうやら別れた旦那が撮影したもののようだ。
     私の声。
    「ほら、笑って」
     苛立ちを含んだ声。
    「ちゃんと笑いなさいよ」
     娘は無表情のまま動かない。
    「せっかく来たのに。なんでそんな顔しんのよ」
     我ながら酷い物言いだと思う。
     沈黙。
     やがて、娘が小さく言う。
    「早く帰ろうよ」
     画面が暗転した。
     私は混乱した。記憶とまったく違う。軽井沢の記憶は美しいものだったはずなのに。
     記録された現実。私の認識は一体、何だったのだ。
     私はこれまで一体何を見て生きてきたのか。何を信じて生きてきたのか。
    私のなかで何かが壊れ始めていた。
     消してしまいたい。
     そう思い、ファイルにカーソルを合わせる。右クリック。「削除」の文字が現われる。
     指が止まる。
     消せば、またすべてを忘れられる。何もなかったことにできる。
     でも――
     クリックできなかった。
     
      
    (六)
     
     朝一番で兼松の姉を尋ね、卒業アルバムを見せてほしいと頼んだ。
     兼松の学年はA組、B組の二クラス。兼松秀之と沢木恵美子はいずれもB組だった。
     アルバムの最後のページを開く。
     やっぱりあった。
     住所録が載っていた。沢木恵美子の住所を記憶する。
     
     沢木の実家は姉の家から近かった。スマートフォンの道案内に従って歩く。
     左右にうっそうとした樹々が茂る緩やかな坂道を下ると急に視界が開けた。田畑が広がるなか、小さな人家が点在している。人影は見えない。
    この辺のはずだ。
     少し歩くと、昭和の頃に建ったと思われる古びた平屋住宅が四棟並んでいるのが見えた。
     おそらくあれだ。
     四棟を端から順に確認する
     錆びだらけの郵便受けにわずかに残る沢木という文字を見つける。
     胸が騒ぐ。
     玄関の前に立ちノックをしようと右腕を上げたとき、不意にドアが開いた。
     
     私たちは卓袱(ちゃぶ)台を挟んで対峙した。
    「あなたが歩いて来るのをずっと見ていました」と沢木恵美子が言った。
     沢木は近田宗助の元を辞去して以来、ずっとこの小さな家に引きこもっていたという。間取りは二間。二人がいるのは典型的な昭和の居間である。畳敷きの和室。隣の部屋とは襖で仕切られている。
     沢木の背後にある本棚に大量の小説が並んでいた。収まりきらない本が一部床に積まれている。
     卓袱台の上にも読みかけの文庫本が一冊。小説のタイトルは『恋』。佐久間琴美(ひとみ)が残した読書リストのトップに記録されていた本だ。
    「琴美(ひとみ)さんの読書好きはあなたの影響ですか?」
     沢木はにっこりと笑いながら「そうです」と答えた。穏やかな口調だった。
    「私は彼女を自分の子のように愛しました」
     沢木は悲しい身の上を語った。
     彼女には結婚歴があった。高崎で和菓子屋の跡取り息子に嫁いだ。家業を継げる男子を出産しなければいけないというプレッシャーが彼女にのしかかった。しかし、二度の流産の末、結局、子どもを産むことはできなかった。それが原因となり、嫁ぎ先から実家に戻されてしまったのだ。傷心の沢木は東京に出ることを決意。そして、近田家の家政婦となった。
     そんな経緯があった彼女は佐久間琴美(ひとみ)の世話にのめり込んだ。
    「それはとても幸せな時間でした」
     
     沢木は兼松との関係をあっさりと認めた。
    「あなたがここまでたどり着いたということは私たちが昔からの知り合いであることを掴んだ上でのことでしょう」
     彼女は「隠し立てはいたしません。あなたが現われたら、すべてを語るつもりでいました」と言った。
     であるならば話は早い。
     私は「あなたがしたことをすべて話してください」とストレートに聞いた。
    「はい、わかりました」と言い、彼女は一旦、下を向いた。
     彼女の言葉を待った。
     沢木が顔を上げる。
    「ある日、兼松くんがメンタルの不調を訴える高校生の女の子がクリニックにやって来たと言いました。兼松くんは医師として倫理観から、名前や個人を特定することに繋がる情報は伏せながら話をしていましたが、私にはそれは琴(ひと)美(み)さんであることがすぐにわかりました。兼松くんは琴(ひと)美(み)さんの症状から過去のトラウマ体験が影響していると考えました。催眠療法を行ってみようと思うと言いました。その時に彼からアメリカで起きた記憶戦争のことや、その発端となった『生きる勇気と癒す力』という本の話を聞きました」
     今が核心を突くときだ!
    「その時、兼松医師から協力の要請があったわけですね?」
    「済みません。質問の意図がよくわかりません。あなたはどんな記事を書こうとしているのですか?」
     逆に質問されてしまった。
     私は自らの仮説を披歴した。
     家政婦共謀説――
     沢木は笑い出した。
    「そうですか。あの時、兼松くんが言ったことの意味がわかりました。『これで復讐できるかもしれない』と彼は言ったんです。兼松くんに聞いても『何でもない。忘れてくれ』というだけでした。もちろん、彼は本気ではなかった。あっ、済みません。質問にお答えしていませんでしたね」
    沢木はこの後、はっきりと言った。「兼松くんから依頼や強制はありませんでした」と。
     家政婦共謀説が崩れる予感がした。
    「では、あなたは何もしなかったということですか?」
    「いいえ、私は罪深いことをしました。取り返しのつかないことを……」
     沢木は言葉を詰まらせた。
    「話してください」
    「はい。私は……、兼松くんの見解を聞きながら思ったのです。あの子の心を開放させてあげたいと。過去のトラウマ体験という言葉に思い当たることがありました。私は琴美さんのお傍にいましたので、あることに気づいていました」
    「あることとは?」
    「虐待です」
    「え? 虐待があったのですか?」
    「はい、ありました」
     虐待の事実がなかったことを証明しようとしていた私はその言葉にすっかり混乱してしまった。
    「近田会長が琴美(ひとみ)さんを虐待していたというのは本当だったんですか?」
    「いいえ、違います」
     違う? 私は益々混乱した。
    「どういうことですか? 説明してください」
    「はい。琴美(ひとみ)さんを虐待していたのは会長ではなりません。虐待していたの……」
    「誰です?」
    「彼女の父親です」
     あの男だ。近田家の娘婿。
     神経質そうな男の顔を思い浮かべた。
    「実の父親が……」
     私は言葉を失った。
    「あと……」
     その後、沢木によって語られた事実によって、私は完全に打ちのめされた。
      
     
    (七)
     
    「これ、原稿」
     私は昨晩、徹夜で仕上げた原稿を編集長の尾長悠史に渡した。
     場所は応接室。昇進の内示を受けた場所だ。
     東京を出発してちょうど一週間が経っていた。
    「読んでいいかい?」
     私はうなずいた。尾長が原稿を読み終えるのを待った。
     虚脱感が襲う。
     どれほどの時間が経過したのか。精神的な疲労から時間の感覚が麻痺していた。
     尾長が顔を上げる。
    「家政婦共謀説か。で、裏は取れたのか?」
     私は首を左右に振った。
    「おいおい、どういうことだよ」
     当初、描いていた仮説にしたがって原稿を書いた。
     事実はそれと大きく異なるものであったのに。
    「ここに書いていることは全部、嘘」
    「何言ってんだ。ふざけてるのか」
    「ふざけてなんかないよ。私自身の愚かさを認めるために、書かずにはいられなかった」
     尾長が困惑の表情を見せる。
    「わからない。理解できるように説明してくれ」
     私は気持ちを落ち着かせるために大きく息を吐き出した。
    「東京に戻りクリニックを再開した兼松医師の前に佐久間琴(ひと)美(み)が現われた。一瞬、復讐という文字が頭のなかをよぎった。でも、彼は実行しなかった」
    「なぜ、そう言い切れる? 兼松と沢木は河口湖で接触しているんだろ? そこで何らかの企てがあったと、この原稿にも書いてあるじゃないか」
    「絶対にない」
     私はきっぱりと否定した。
    「だって、その時点で佐久間琴(ひと)美(み)が兼松のもとにやって来るなんて、二人に予測できるわけがない」
     更に私は続けた。
    「沢木恵美子はこの記事に書かれていることを一部で認め、一部を否定しました。認めたのは兼松と昔からの知り合いで、河口湖の病院に彼を見舞ったこと。逆に否定したのは兼松医師による記憶の捏造です」
    「記憶の捏造はなかったのか? じゃあ、やっぱり近田会長による虐待があったということか?」
    「いいえ、会長による虐待はありませんでした」
    尾長の表情に困惑の色が増す。
    「あゝ、ますますわからなくなってきた」
     尾長の混乱は当然だ。私も頭を整理するのに時間がかかった。
     私は沢木恵美子から聞き取ったことを漏らさず、尾長に伝えた。虐待の加害者が実は父親であったと聞いた尾長は絶句した。
    「沢木は我が子のように愛した佐久間琴(ひと)美(み)を心の病から救い出したかった。そのために記憶の底に沈んだ過去の出来事を明らかにする必要があると考えた。そして、アンカー情報として『生きる勇気と癒す力』を読ませた」
    「でも、なんで加害者が会長になってしまったんだ?」
    「それは言葉の解釈の問題です。佐久間琴(ひと)美(み)はこう言ったんです。『止めて。じいじ……。助けて』と。誰もが加害者は近田会長であると思った。しかし、琴(ひと)美(み)は誰から虐待を受けたかを語ってはいなかった。琴(ひと)美(み)は会長に助けを求めただけだった」
     尾長が首をかしげる。
    「裁判の時、会長は何で釈明しなかった?」
     彼女を疑ってしまった――
     近田宗助の言葉を思い出す。軽井沢で見聞きしたことを尾長に伝える。会長は確かに沢木を愛していた。愛する女を疑ってしまったことを悔いていと
    「沢木はどうなんだ? 会長を憎んでいたんじゃないのか?」
     私は首を振った。
    「彼女もまた会長を愛していました。私が佐久間琴(ひと)美(み)の死を記事にしようとしていることに気づき、迷惑をかけられないと会長の元を去った」
     誤った認識――
     人の命を省みることなく悪魔の所業に走る精神科医と不幸な女。そんな者たちはどこにもいなかったのだ。近田宗助の言い分と兼松秀之の言い分。二人の言葉が食い違った時、どちらが嘘をついているのか考えた。それは単なる先入観だった。どちらも嘘をついていないという可能性を考えもしなかった。未熟さ故、私は真実を探求できなかったのだ。
     短絡的な思考。
     それは仕事だけじゃない。
     娘の姿、私を刺した男の姿。
     私には何も見えていなかった。
     喉が渇いた。ペットボトルの水を一口含む。
    「じゃあ、精液が付着した衣類についてはどうなんだ?」
    「誰も仕組んでなんかいない。事実は近田会長が語った通り。発見も偶然だった」
     尾長は今一つ納得しきれていない様子だ。
    「かずちゃん、聞いてもいいか」
     うなずく。
    「兼松は取材の時に催眠療法のことを秘匿にした。それはどういう理由からだ?」
    「兼松医師は虐待の加害者が誰かを今も知りません。加害者は近田会長だと思っています。自分には会長を恨む理由がある。だから、私の取材を警戒したんです」
     催眠療法――
     兼松医師に過失があったとすれば、この療法による副作用を軽く見積もってしまったことだ。
     吐き気やめまい、幻覚。佐久間琴美(ひとみ)はそれらに苦しんだ挙句、自らの命を絶ってしまった。
     兼松秀之と沢木恵美子。
     少女に係った二人は彼女の死に苦しんだ。自責の念に苛まれた兼松秀之は佐久間琴美(ひとみ)と同じ「ひとみ」という名の交通遺児たちの進学を支援することにした。贖罪の気持ちからだ。
     そして、同じ苦しみを背負った人間がここにもう一人いる。
    「かずちゃん、俺、ずっと不思議に思っていたことがあるんだ。佐久間琴美(ひとみ)が兼松のクリニックを尋ねたのは偶然だったんだろうか。評判のいい診療内科なんていくらでもあるだろうに、なぜ彼女は自宅から遠い兼松のところを選んだ?」
     やはり、尾長は核心を見逃さなかった。
    「何者かの作為を感じる」と尾長は言った。
     私は答えた。
    「作為はなかったけど、必然はあった」
     私の言葉に尾長は納得しなかった。
    「わからない。どういうことだ?」
    「必然をつくり出してしまった罪深い人間がいるってこと」
    「誰だ、それは」
     それは――
    「私」
     心に刺さった棘がうずく。
     人は悪意なく、他人を不幸にしてしまう。
     それでも罪は罪。
     言い訳はできない。人の命が失われているのだから。
    「佐久間琴美(ひとみ)の母親、佐久間愛にかねまつ心療内科クリニックを紹介したのは私なの」
     私が必然をつくり出してしまった。
    「近田誠から、親族で精神科を探している者がいると相談された。いい病院を知らないかと。それで兼松医師のクリニックを紹介した。だから、佐久間琴美(ひとみ)が兼松医師の元を訪れたのは偶然じゃないの。小説を書いていたことは、ゆうじくんも知ってるよね。ある精神科医が催眠療法を使って、一人の少女の記憶を捏造し、社会的地位のある人物を陥れるという内容になる予定だった。私は小説のアイデアを兼松医師に話していた。それを沢木恵美子が聞き、利用した」
     だから少女の死は私のせいでもあるのだ。
     私は尾長の手元にある原稿に視線を落とす。
    「何でこんな原稿を書いた? なぜ本当のことを書かなかった?」
    「書けないよ」
     書けるわけがない。書くためには自分の心を自らで切り刻まなければいけないのだから。
    「没にしてください。私の思い込みだけで書いた記事ですから」
     思い込み、妄想、先入観。
     私の記事はまやかしだらけ。
     私の人生もまた同じ。
     資料室長、羽村瑠璃子がいつかこう言っていた。
     私ね、あなただと思うの――
     羽村は誤報騒ぎを立て続けに起こし、記者のポジションを追われた。その彼女が自分の後釜は私だと言った。その指摘はあながち間違いではなかったのかもしれない。
     近田会長にこんなことも言われた。
     ジャーナリストとして真実を正しく見つめる眼を持つべきなのでは――
    もう書くことなんかできない。
    「ねえ、ゆうじくん、私、副編集長になるよ」
     本来ならば喜ばしいはずの昇進。
     でも、尾長は笑っていなかった。

    (終)

     
     
     
    映画と旅、ビールをこよなく愛する。アマチュア小説家としての私の企て。社会課題をエンターテイメントに。

    あなたへのおすすめ