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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第6話 渡辺崋山(9)

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    9


     崋山の投獄は、崋山と交友関係のあった人びとに大きな衝撃を与えた。
    幕府や諸藩の高官や大半の儒学者は、朱子学の師佐藤一斎をふくめ、崋山との無関係を強調し、沈黙を決め込むことに終始した。
    すべて押収された崋山の書物のなかに、四年前に愛息の肖像画の謝礼として贈っていた書物があったはずだと危惧していた曲亭馬琴は、「夢物語」の作者が崋山ではないという正確な情報をつかんでいたが、陪臣の職分を超えて国事に尽くしたのが災禍のもとだったという感想をもらすにとどまった。

    崋山の救援活動に奔走したのは、椿椿山つばきちんざんや鈴木春山すずきしゅんさんをはじめとする、主に身分の低い門人や、家中の友人たちだった。

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    椿椿山自画像 上野記念館蔵(?)
    (パブリック・ドメイン/ファイル:A self portrait of Tsubaki Chinzan 椿椿山自画像.jpg)
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    鈴木春山?
    佐藤堅司 編『鈴木春山兵学全集』上巻,八紘会,昭和12年 口絵より
      (国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1221012)☆


    彼らにとってのさしせまった気がかりは、娑婆とは別の掟が支配する牢内で、まずは崋山の生命と安全が保たれることだった。必要なのは牢見舞、すなわち金子きんすである。
    同志たちに経済のゆとりはなかったが、崋山の風雅の友だった津和野藩家老
    多胡たこ逸斎いっさい(1802-57)らが多額のカンパを投じ、牢内での崋山の待遇を好転させた。
    彼らの多方面にわたる懸命な活動は、崋山の無罪放免を実現するには無力だったが、崋山がふだん行っていた私的なやりとりが、どれほど心のこもったものだったかを示している。その意味で崋山の残した数多くの書簡は、「慎機論」や「西洋事情書」に拮抗する値打ちをもつと言えるだろう(『渡辺崋山書簡集』平凡社東洋文庫ほか)。

    重罪人としての量刑をまつほかなかった崋山の減刑と出獄に尽力し、これを実現させたのは、崋山の恩師松崎慊堂まつざきこうどう(1771-1844)だった。

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    松崎慊堂像稿(晩年) 渡辺崋山筆 
    重要美術品(個人蔵?)
    (パブリック・ドメイン/ファイル:A portrait of Matsuzaki Kohdoh 松崎慊堂像.jpg)


    慊堂はすでにこの時69歳。林述斎に学んだ朱子学者で、佐藤一斎とは同門の徒。述斎の子鳥居耀蔵の人間性についても熟知していたはずである。掛川藩校教授を務めたのち、故郷肥後の細川家からの招聘を断り、江戸目黒羽沢村に開いた石経山房せっけいさんぼうで、学問研究と門弟の指導にあたっていた。
    崋山が石経山房に通い始めたのは父定通の死後まもなくのこと。残された双方の書簡や慊堂の日記からも、二人が深い情誼で結ばれていたことがわかる。

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    石経山房跡(白根記念渋谷区郷土博物館・文学館)
    公道の北側から見る(2015年6月撮影)
    撮影:江戸村のとくぞう (Edomura no Tokuzo) -
    (CC 表示-継承 4.0 /ファイル:Shirane Memorial Museum2.JPG)


    崋山の口書の内容を、老中水野の用人小田切要助から知らされた慊堂は、病苦のなかで長文の嘆願書をしたため、7月29日、小田切を通して水野に差し出した。崋山に同情する老中がいたことも幸いし、崋山は死一等をまぬがれ、12月18日、在所田原での蟄居処分が申し渡された。

    長期にわたる入牢のため、崋山の心身は疲労困憊をきわめていたうえに、全身がひどい皮膚病に冒されていた。
    厳重な護送警備に囲まれながら、天保11(1840)年1月13日、極寒をおかして崋山は江戸を立つ。母の栄と妻のたか、三人の子ども(長女可津かつ、長男立たつ、次男諧かのう)も遅れてそれを追った。

    20日、田原到着。
    崋山の累が及んで藩から追放された大蔵永常おおくらながつねの池ノ原の屋敷に、家族ともども移り住むことになる。
    ここが崋山の最期の地になった。

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    崋山蟄居の地
    崋山最期の地は、いま池ノ原公園(愛知県田原市)になっている(著者撮影)

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    池ノ原公園(愛知県田原市)幽居跡の看板(著者撮影)


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    ■写真について


    *ヘッダー写真:池ノ原公園(愛知県田原市)に復元(1955年)された崋山の幽居(著者撮影)

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    ■参考文献

    ■著者プロフィール


    野口良平 のぐち・りょうへい
    思想史家、文筆家。
    著書に『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、2009年、第一八回橋本峰雄賞受賞)、『幕末的思考』(みすず書房、2017年)、最新刊に『列島哲学史』(みすず書房、2025年)がある。
    訳書にルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ 米国一〇〇年の精神史』(共訳、みすず書房、2011年)、マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』(みすず書房、2019年)。

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    *全文章の著作権は、著者(野口良平先生)に、版権は、編集工房けいこう舎に帰属します。無断転載はなさらないでくださいませ。
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    (けいこう舎編集部)

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