『ディスクロージャー・デイ』映画感想文
"未知との遭遇"の先に何が待っているのか
2000年代に製作されたような作品だった。スピルバーグらしい照明(映像の暗めなトーン・LUTの好みや暗部、存在感をもって堂々と射し込むバックライト)に、動物のCGの質感(タッチ)など含めて、『マイノリティ・リポート』や『宇宙戦争』と同時期に製作されたと言われても驚かないような。宇宙人のビジュアルも昔から変わらない僕らの中に共通して存在する、お決まりの「"ザ・"宇宙人」そのもの。子どもの頃にテレビでよく見た、宇宙人目撃映像などを流す特番(ex.「ビートたけしの超常現象㊙xファイル」?)を思い出しもした。
これは親の世代ではない、僕たちの世代にとっての『未知との遭遇』だ!…と言いたいところだったが、本作でスポットが当たるのはむしろ「(宇宙人争奪戦やファーストコンタクトの)その後」であり、SF要素に陰謀渦巻くアクションサスペンスの要素が絡む。その中ではSF要素は一種のマクガフィンに成り下がっているようにすら感じるかもしれない。また、スピルバーグが描く未知との遭遇モノ(人類の宇宙人遭遇)と言ったら、スピルバーグ自身の経験が根底にある「親子」の物語とセットなイメージがあるけど、本作にはそれがない。
スピルバーグ御大、まさかのゴリゴリの往年サスペンス映画モードも!作中とある事情(個人的には「チート棒」と呼んでいる)から人が操られたりもするわけだが、そこの演出や画作りが往年のサスペンス映画でも観ているようで、こんなところでまさのヒッチコック・モードなスピルバーグを観られるとは思いもしなかった。凶器(刃物)を片手に、ターゲットをやや上目遣いに睨みつけ、顔の半分しか映らないような。そんな面からも、本作は(良い悪いは置いておいて)2026年公開の映画とは思えないかもしれない。ただ、00年代のあのCG黎明期の実写と映像技術が混ざり合うような空気が好きな人にはもってこい、懐かしさと共に楽しめるはず!
本作は物事の始まりから丁寧に描くタイプではない。既に主人公は真実を知り、目的のために動いているインサイダーで、作中で知るべき人物達とは一通り知っている状態から始まる。この方法は個人的にはうまく観客を目的地への「パッセンジャー(乗客、同乗者)」として乗せることができれば、冒頭からトップギアで行けるけど、一方で観客は主人公たちと同じタイミングで物事を知るわけではないから、置いていかれるリスクと隣り合わせでもある。その点で、スピルバーグの盟友であり名脚本家デヴィッド・コープが書いたスピルバーグの原案(ストーリー)から書いた本作は、敢えて観客にはあえて謎を残したまま進める方法を選ぶ。その割に作中カットできそうなやり取りもあって気になった。
「知らないことを恐れるな」自己実現と人生迷子。エミリー・ブラント演じる主人公マーガレット・フェアチャイルドは、アンカー志望であるにもかかわらず、現実は女性性を前面に押し出して知性を隠すようにおバカっぽい陽気キャラを全力で"演じる"日々。そんな彼女の「自分がいるべき場所」とは?僕らはそれを知らなくてはいけない。人々が真実を知ることの善悪は、僕には判断できない。コリン・ファース演じる追手キャラの名前が「ノアの箱舟」でお馴染みのノアというのも何か示唆的だった。
朝鮮半島で戦争が勃発しそうな危機的状況なのに、それでもあの映像放送を優先する?劇中(本編中)で読まれるニュースが、なぜあれである必要があったのか?それだけでも一部の人からすると疑問に思われて、あまりいい印象を持たれないリスクがあるのに。そして、スマホや配信全盛期気に敢えて時代に逆行するように、テレビというのも今となっては少し時代を感じるが、そのあたりも敢えての選択なのだろうか?そこもまた2000年代っぽいとも言える。あと一つ疑問に思ったのが、マーガレットと彼氏ジャクソン(ワイアット・ラッセル)が道中立ち止まるガソリンスタンド兼コンビニみたいなところでの人々の混乱っぷりだけど、あれは何故(朝鮮半島の一触即発戦争危機で…かな?)?では、皆さん……。スピルバーグ御大は今を生きる僕たちに何を伝えたかったのでしょうか?
では、ここからはとりとめもなく書き連ねてみるゾーン↓
そこで思い出してほしいのが、レスラー目線のファーストカット。それも、勝っている方ではなく一方的にボコボコにされて負けている側のPOVショットという意外性。作品のファーストカットやファーストシーンが作品全体を象徴したり通底するテーマを浮き彫りにしたりする役割があるとしたら、力(権力)を持つ者に僕ら人民は長年暴力を受けてきたとも言えるかもしれない。あるいは、僕らもまた暴力を振るう側として、世界を壊してきたのかもしれない。あと、車のフロントガラス越し等の反射ショットも印象に残って、考えすぎかもしれないけど、真実との間にそれを阻む障害物があるということ。
そうした暴力は作中で地球外生命体に対する暴力として反復されている。では、彼らには果たして地球上での権利は無いのだろうか?人間は好き勝手やっていいのか?戦争の危機がある中で、それよりも地球外生命体の存在を知らしめる映像に釘付けになって動かない世界中の人々。AI生成の映像にも見慣れて、過激な表現にも慣れているはずなのに、指を止めて。何もかもがいき過ぎて、崩壊しそうなこの世界で少し立ち止まって考えてほしい。
勝手に関連作品『未知との遭遇』『E.T.』『宇宙戦争』『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』

P.S. 本日のクソ客磁石報告。片方にはスマホ、もう片方には時折喋るオジサン。
