
痛みと言葉の関係性
言葉にできないことは認識できない
言葉に不自由だと、自分の感情すら理解できない。
いろんな感情に飲み込まれていた20代、何度もそう思った。
二十年近く蓋をしてきた父の死に向き合った時、溜まっていたありとあらゆる感情が一気に押し寄せた。その中には多分、寂しさ、孤独、怒り、諦め、愛情、憎悪などたくさんの感情があったけれど、その時のわたしは一気に溢れてきた感情一つひとつの正体が全くわからず、ただただ悲しみだけを感じ、泣いていた。何をしていても、すぐその後に悲しみがやってきた。まるで自分の中から悲しみ以外の感情がなくなってしまったような、世界のありとあらゆるものごとは悲しみで出来ているのではないかと思ってしまうような、兎にも角にも、悲しみ以外の自分の感情の理解に追いつかなかった。
いつここから抜け出せるんだろう。
一生抜け出せないぬかるみに自分の足が浸かっているような感覚を感じながら、何度も思った。
だけど、今思えば、言葉が不足していたのだ。
幼い頃の父の死という、あまりにもショッキングな出来事を理解し、受け止めるだけの言葉たちが自分の中にはなかった。適切な言葉がわからないから、自分がどんな感情なのかさえわからなかった。「自分がいま何をしているのかわからない」「もはや何が悲しいのかわからない」という状態だ。人は、言葉にできないことを認識できないのだ。あの時のわたしは、まるで言葉を知らずにただ泣いている赤ん坊のように不自由だった。
拠り所になったのは、友人や恋人ではなく小説や詩の言葉だった
父の死を受け入れることができていなかった当時、父の死や自分の感情を誰かに打ち明けることができなかった。共感も同情もされたくなかったのだ。父を亡くしたことのない人に、不幸じゃない人に、「わかる」「辛かったね」と言われて自分の過去を消費されたくなかった。たとえ同じ経験をした人がいたとしても、その悲しみがわたしの悲しみと同じであるはずがないとも思っていた。
一方で、処理しきれず自分のなかにどんどん沈殿していく負の感情について、誰かに聞いてもらいたい、吐き出したい、と思うこともあった。わかるとは言われたくないくせに、誰にもわかってもらえないことにも苦しみ、自分が一体何をしたいのかわからなかった。
その矛盾の中で、わたしが救いを求めたのが詩や小説の中の言葉だった。当時の本との向き合い方は少し不思議で、作者が紡いでくれた言葉を見つめながら、今の自分の感情に近いものはどの言葉なのか、7歳のわたしは何を感じていたのか、どうして20年間も父の死に蓋をしたのか、一つひとつ手繰り寄せるように読んでいた。それは読書というより、自分の感情一つひとつに輪郭を与えていくような作業に近く、本を読むことで、過去自分が感じたことや、父の死をどう受け止めているのかを理解していった。
「わかる」とも言わない。「頑張れ」とも言わない。
ただ著者の言葉たちがそこにあるだけ。
だけど、わたしの体力やスピードに合わせ、過去の傷や今の痛みを自覚させてくれる本の距離感が、あの頃の自分にはちょうどよかったのだと思う。
毎日読んだ。残業して、アルコールを摂取して、朝まで飲んで、家の外では騒いで騒いで、だけど家に帰ったら泣きながら本を読んだ。愚かに見えるこの行為たちも、その時のわたしにとっては自己治療というか、生存戦略だった。
言葉の不自由さを乗りこなす
だけど言葉は万能ではない。
被災地に小説を一冊届けたところで、彼らの苦痛や空腹は満たされない。死んだ父も帰ってこない。わたしの傷もなくならない。どんなに言葉の力を信じていても、言葉にすることで溢れていく感情を自覚するたびに、傷は決してなくならないことを自覚するたびに、言葉ではどうにもならないものにぶち当たるたびに、言葉の無力さに絶望する。そしてきっと人生には、その瞬間の方が多い。
それでも。痛みを自分の中で抱えきれなかったあの時、その痛みで自分がどうにかなってしまいそうだったあの時、人を傷つけたあの時、途方に暮れながらも、霧のような場所から今の自分に一番近い言葉を手繰り寄せ、自分の感情の輪郭をなるべく明確にしていく、途方もないその行為だけを拠り所にするしかなかった。言葉にすることで自分を理解し、そして同時に言葉にならなかった何かを手放してしまうような、常に矛盾がつきまとうこの作業だけが、正しいと思えたのだ。
言葉は、とこまでいっても不自由なのである。
だけどわたしは、言葉によって、自分が何に傷つき、何を失い、何を抱えて生きているのかを知っている。言葉が、自分でも認識できなかった傷を傷と教えてくれたのだ。言葉は、痛みをなくすものではなく、傷みとともにこの世界をサバイブするために、自分自身を理解し続けるためのものなのだと思う。だからわたしは今日も、自分の言葉の不自由さに情けなさを感じながら、それでも言葉を手繰り寄せていくこの行為にすがっている。