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母はAIにだけ嘘をついた エピローグ

    エピローグ 階段

    四十九日の法要で、私たちはまた実家に集まった。

    母は、小さな骨壺になって、仏間にいた。位牌の字は、まだ新しかった。線香の匂いのする家の中を、凛が退屈して、うろうろ歩き回っていた。

    「りん、二階で本読んでていいよ」

    そう言うと、凛は階段を駆け上がっていった。とん、とん、とん、と軽い音を立てて。

    階段には、手すりが付いていた。

    木のにおいのする、新しい手すり。四十九日の少し前に、父が業者を呼んで付けさせたらしい。手すりを付けようって、いつだったか母と話した。母が生きているうちには、付かなかった。

    父はそのことについて、何も言わない。私も、聞かない。この家の会話は、そういう形でしか進まなくなった。でも、進んではいる。たぶん。

    法要のあと、縁側で、沙耶とお茶を飲んだ。妹とこんなふうに二人で座るのは、子どもの頃以来かもしれなかった。沙耶は最近、月に一度、実家に来ているらしい。「お父さんの様子、見に」と妹は言った。監視なのか、心配なのか、自分でも分かっていない顔だった。どっちでもあるんだと思う。この家では、ずっと、どっちでもあった。

    「凛ちゃーん、帰るよ」

    夕方、玄関で声を張ると、二階から返事がして、凛が降りてきた。

    とん、とん、と軽い音で、新しい手すりに手を滑らせながら、七歳の娘が、古い階段を降りてくる。

    私はその姿を、階段の下から見上げた。

    二十九年前、母もこうやって、七歳の私を見ていたんだろうか。この子に何かあったら、と、一日に何度も思ったんだろうか。思って、そのたびに、あの音を聞いたんだろうか。

    「ママ、なに?」

    「ん。……なんでもない」

    もし、凛が。

    もし、いつか、凛があの日の私と同じ場所に立ったら。私は、母と同じことをしないと、言い切れるだろうか。そして、してしまったあと——父と同じことをしないと、言い切れるだろうか。

    言い切れない自分がいることを、私はもう、知っている。

    その夜、凛を寝かしつけたあと、私は自分のスマホに、AIチャットのアプリを入れた。

    母が使っていたのと、同じもの。私自身は、一度も使ったことがなかった。

    開くと、まっさらな画面に、細いカーソルが点滅していた。誰の履歴もない、誰の嘘もまだない、白い画面。ここに母は、六ヶ月かけて、二十九年ぶんの言葉を置いていったのだ。

    なんでも聞いてください、と画面は言っていた。

    私は、打った。

    「父のことで、そうだんが」

    消した。

    「昔、人が」

    消した。

    「だれかを守るための嘘は」

    消した。

    カーソルが、点滅している。急かさずに、ただ、点滅している。機械は待つのが得意だ。何ヶ月でも、何年でも、たぶん待つ。母を待ったように、私を待つ。

    私は、息を吸って、短く一行だけ、打った。

    指が、画面の上で止まる。

    窓の外で、夜の町はもう眠っていて、隣の部屋からは、凛の寝息が聞こえていた。
     

    #創作大賞2026  #ミステリー小説部門

     
     
     
    AI、科学、宗教、スピリチュアル、社会。 一見つながらないものの境界をたどりながら、気になったことを調べ、考えています。 答えよりも、考えるきっかけを。ときどき短編小説も書きます。

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