
「生しるこサンド」の力
妹から電話がかかってきた。
実家で一人暮らしをしている母の様子を見てきてほしいという内容だった。
妹は、実家から車で10分ほどのところに住んでいる。母を買い物に連れて行ったり、日常的に母の様子を気にかけてくれているので、助かっている。
私は隣市に住み、車で1時間ほど。
遠すぎる距離ではないが、頻繁には顔を出せていない。
妹は、スマホをスピーカーモードにして話しているのだろう。電話の向こうでは、
妹の娘が「見ているのがつらくて」と言い、
妹の夫は「このまま放っておいて手遅れになるといけない」と言う。
そして、妹が「私じゃわからないし、なんて言っていいかもわからないから、お姉ちゃんが行ってくれるのが1番いいって話してたの」と。
仲のいい家族だな、離婚騒動の渦中にいる私とは大違いと、頼り上手な妹を少しうらやましく思ったりする。
妹に様子を見てきてほしいと頼まれたものの、特に理由もなく、母に突然行くと言ったら、不審がられないかと、私は警戒した。
そこで、思いついたのが、最近気になっていた
「生しるこサンド」だ。
私の地元では、昭和世代の人なら、おそらく誰もが知っている「しるこサンド」を、しっとり濃厚な半生スイーツに仕上げたらしい。つぶあん、こしあん、抹茶味のほかに、期間限定フレーバーもあるようだ。
早速、母に電話した。
「生しるこサンドって知ってる?」と。
母は「何、それ、知らない」と笑いながら、自然なかたちで、週末に行く約束ができた。
懐かしい「しるこサンド」が、こんな形で母との約束を取り付ける口実になるとは思わなかった。昔から知っているお菓子なのに、少し姿を変えただけで、今の私たちをつないでくれる。
妹なら、少し遠くに離れていたとしても、気軽に実家に立ち寄っていたかもしれない。でも、私はそれができず、行く理由を探してしまう。
妹にも聞いてみた。「生しるこサンドって知ってる?」と。妹は「なに?」と聞き返し、笑っていた。
また急に何か言い出した、という空気で笑ってもらえたことが、少し嬉しかった。
迎えた週末。万が一、病院に行くことを考え、早めの時間に到着した。
実家のドアを開けると、母は、私を出迎えるなり、最近の出来事を話し始めた。
ひと通り話し終えた母は「お茶にする?コーヒーにする?」と聞き、お茶を淹れてくれた。
生しるこサンドを食べながら、母は再び話し始める。
味についての感想はほとんどなかった。
けれど、母は生しるこサンドをつまみながら、次から次へと話を続けた。
母の兄が前立腺がんとわかったこと。兄の内縁の妻が本当によくしてくれること。
最近母の妹と会ったこと。妹の夫はパーキンソン病を患っていること。
近所の人の夫が認知症で着替えの仕方もわからないこと。
周囲の人の体調の話が多い。
母は最近受けた健診の結果を見せてくれた。異常値はなく安心した。
毎日、自宅周辺を3000歩ほど歩いているとのこと。
それから、リメイクしたシャツやベストを見せてくれた。招き猫の編みぐるみを作り始めたが、これは目が疲れ、挫折してしまったと。
そして、私に、孫の近況や私の離婚調停のことを尋ねる。
「お父さんに生しるこサンドお供えするの忘れてた」と私が言うと、母は、笑いながら「ほんとだ」と言い、残った生しるこサンドを仏壇に供えた。
「お父さんに供えて、賞味期限が切れる前に、お母さんが食べるね」と。
変わらない母の元気な姿に、胸の奥でそっと安堵の息を漏らした。
帰宅後、妹に母の様子を報告した。
「今日はとりあえず病院にすぐ連れて行ったりはしなかったよ。」と。
そして、母が眩暈がした次の日、妹の夫が、仏壇に供えた日本酒の一升瓶を新しいものにかえに来てくれたのは、心配して見にきてくれたのかもと嬉しそうに話していたことを伝えた。
母が生しるこサンドをどう思ったのかは、結局聞きそびれてしまった。
それでも、あのお菓子がなければ、その日の私は実家へ向かっていなかったかもしれない。
次は、何を持っていったら、笑ってくれるかなと考えるのであった。