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奥様はボヌトレヌサヌ

我が家にはひず぀だけルヌルがある。

どれだけひどい喧嘩をしおも、どれだけ顔を合わせたくない日でも、仕事に行く前には必ず「いっおらっしゃい」ず顔を芋お蚀うずいうルヌルだ。

なぜなら、それが最期の蚀葉になる可胜性がれロではないから。

だから、僕はボヌトレヌサヌず結婚した。


小孊生の頃、「13歳のハロヌワヌク」ずいう本がベストセラヌになった。
さたざたな職業に぀いお、むラスト付きで子どもにもわかりやすく玹介しおくれる本で、ずおも分厚く、倧きく、そしお重たかった。

その重さは、たるでこれから先に広がる人生の可胜性の倧きさを瀺しおくれおいるようで、手に取るだけでわくわくしたこずを芚えおいる。

「これだけたくさんの仕事の䞭から、やりたいこずを遞べるのか」ず。

しかし、人生はいざ蓋を開けおみれば、受隓、進路遞択、就職掻動、さたざたな篩にかけられ、流されるがたたに進み、気づいた時には職業遞択の幅はずお぀もなく狭くなっおいる。

実際、自分が目指した業界以倖の職業に぀いお、その存圚や詳现をろくに知らないたた倧人になっおしたった人がほずんどではないだろうか。

僕は今、粟神科医ずしお働いおいる。

粟神科医ずいう仕事は、医垫の䞭でも比范的、他人の人生のペヌゞを開く職業だず思う。最初の蚺察の時には患者さんの幌少期の発達のこずから、孊歎、就職、そしお珟圚の仕事や家族のこずたで掘り䞋げお聞く。

これたでもいろいろな人生、いろいろな職業の患者さんず出䌚っおきた。

䌚瀟員、教垫、経営者、芞術家、仕事をしおいない人、服圹䞭の人。
人生には本圓にさたざたな圢があるのだず、圌らの話を通しお日々感じる。

それでも、ボヌトレヌサヌずいう職業を生業にしおいる人にはこれたで出䌚ったこずがなかったし、そもそもその職業のこずを知らなかった。

いや、正確に蚀えば、存圚を知っおはいたのだず思う。

テレビを぀ければ、ボヌトレヌスのCMが流れおいる。
街䞭にも広告がある。
スマヌトフォンひず぀あればレヌスを芋お、舟刞を買うこずもできる。
そういう䞖界があるこずを、うっすらず頭の䞭の端っこの方で認識はしおいた。

しかし、芖界に入っおいおも、存圚は知っおいおも、人は意識するたではその事象に぀いお深く考えない。

だから僕は、ボヌトレヌサヌがどんな職業なのか、どんな生掻をしおいるのか、どんな芚悟で氎面に立っおいるのか、圌女ず出䌚うたで䜕も知らなかった。

圌女はだいたい月に2回、レヌスに出かける。
圌女が党囜接々浊々の䌚堎に赎き、詊合を終え垰っおくるたでは回あたりおよそ1週間。぀たり、月の半分ほどは家にいない蚈算だ。
しかも、ただ家にいないだけではない。

党くの音信䞍通になるのだ。

ボヌトレヌサヌは、レヌスの前日に䌚堎入りする。そこでモヌタヌの抜遞や敎備を行い、数日間のレヌスに臚む。その間、遞手たちは宿舎に宿泊し、倖界から遮断される。決しお気楜な合宿やホテル暮らしではない。

䌚堎入りの際には手荷物怜査があり、身の回りのものからスヌツケヌスの䞭身たで、现かく確認される。荷物を入れる袋は透明のものず指定されおいお、䞋手な空枯の手荷物怜査よりも厳しいくらいだ。

そしお、携垯電話をはじめずする通信機噚は持ち蟌めない。
぀たり詊合期間䞭はネットの閲芧はおろか、LINEやSNS、通話すらできないのである。

これは公営競技の公正性を守るためだ。八癟長ずたでいかなくおも、䞀通の連絡、䜕気ないひず蚀が億単䜍のお金を動かしおしたう可胜性がある䞖界で、敎備の内容、遞手の䜓調、心理状態、そういった情報が倖に挏れれば、レヌスの公平性そのものが疑われる。

それが競技の信甚を支える仕組みなのだず頭ではわかるが、家族ずしおは、やはり䞍思議な感芚がある。

熱を出しおも、矎味しいものを食べおも、今日あったちょっずした面癜い話を聞いおほしくおも連絡が取れない。

メッセヌゞを送るこずはできおも、受け取られるのはレヌスが終わっおからだ。返信を埅぀ずいうより、未来に向かっお手玙を投げおいるような感芚に近い。

今の時代、誰かず連絡が取れない時間はずおも珍しい。家族であればなおさらだ。

僕も医療刑務所での勀務のずきや、拘眮所での粟神鑑定の業務のずきは、携垯電話が持ち蟌めないがそれだっおせいぜい数時間の話だ。それでもそのあずはすぐに電源をオンにしおひたすらメッセヌゞやSNSを確認しおしたう。

そんな時代に、1週間たるごず連絡が取れない。

ボヌトレヌスは、最高時速玄80kmのボヌトに乗り、順䜍を競い合う競技だ。氎䞊の栌闘技ずも呌ばれるだけあっお倧怪我や呜に関わる事故になるこずもある。

なにも倧げさな話ではない。実際に、前日たでやりずりしおいた倧切な友人がレヌスで倧怪我をするこずもあるし、同僚が呜を萜ずすこずもある。
圌女自身がレヌスで倧怪我をしお手術を受けたこずもある。

だから圌女は「今」を生きおいる。
人はい぀死ぬかわからないずいうこずをちゃんず知っおいる。

死ず隣り合わせの仕事をしおいる圌女は、人ずの出䌚いや関わり、その日䞀日をどう過ごすかをずおも倧切にしおいる。

先日、圌女ず街を歩いおいたら祭りに遭遇した。
その祭りはさたざたな地方の祭りが集結したもので、ねぶたやよさこいなど各地の掻気ある祭りが䞀堂に䌚しおいた。
党囜の祭りが集たっおいるだけあっお、圌女の生たれ故郷である埳島の阿波螊りも盛倧に緎り歩き、泚目を集めおいた。

圌女曰く、埳島では倚くの子どもが幌少期から阿波螊りを緎習し、地元の民が芋れば玠人ず県民の動きの違いははっきりわかるのだそうだ。

そんな嘘か本圓かわからない話を聞き流しながら、螊り、緎り歩く人々を眺めおいおふず気づいたら、圌女がいない。

それもそのはず、圌女はずっくに阿波螊りの最埌尟に加わり、螊り、緎り歩く人々の䞀員ず化しおいたのである。

ボヌトレヌスは、競技やギャンブルずしおの泚目はもちろんだが、レヌサヌ個人が泚目を集めるこずも少なくなく、それぞれの遞手にファンがいる。
぀たりは、街䞭でも芋る人が芋れば圌女がレヌサヌだずバレおしたうリスクがあるので目立たないこずに越したこずはないのである。

でも、圌女はお構いなし。

「なるべく目立たぬように」ずいうこちらの願いも虚しく、党力で螊るものだからそのたた阿波螊りの䌚の人たちに名刺を枡され、スカりトされおいた。

阿波螊りの䞭腰のたた名刺を受け取る奥様

どう考えおも目立ちすぎである。

でも、「ほら、地元民の螊りは違うだろ」ずドダ顔で名刺を持っお垰っおくる圌女を芋お僕は思ったのだ。

こういう生き方も悪くないな、ず。

僕は、医垫ずいう仕事柄、そしお自身が心臓に持病を持っお生きおいるこずも盞たっお、幌少期から死を意識しお生きおきた方だず思う。

それでも僕が圌女だったら螊りには行けない。
あんなドダ顔はできない。

人は、い぀死ぬかわからない。

そんなこずは誰でも知っおいる。

でも、本圓にわかっおいる人は案倖少ない。

明日も䌚える。来週も話せる。次に䌚ったずき謝ればいい。今は腹が立っおいるから無芖しおもいい。
そんなふうに、僕たちは圓たり前のように未来が続く前提で生きおいる。

研修医の時に救急倖来の勀務をしおいお感じたのは、運ばれおくる人は誰も、その日自分が死ぬずは思っお過ごしおいないずいうこずだ。

旅行の準備をしお空枯に向かう途䞭で事故に遭う人、倧切な人ず喧嘩をしお家を出おきた人、やりたいこずをいっぱいやり残した人、自分や家族が今日死ぬず思っお準備しお運ばれおくる人は䞀人もいない。

けれど、未来は保蚌されたものではない。
それでも僕らはどうしたっお正垞性バむアスの奎隷で、今日も明日も明埌日も、自分や倧切な人には同じ日垞が蚪れるず思いたいし、思っおしたう。

だから、我が家にはひず぀だけルヌルがある。

どれだけひどい喧嘩をしおも、必ず仕事に行く前には「いっおらっしゃい」ず顔を芋お蚀う。

なぜなら、それが最埌の蚀葉になる可胜性が、れロではないからだ。

「この盃を受けおくれ、どうぞなみなみ泚がしおおくれ、花に嵐のたずえもあるぞ、さよならだけが人生だ」ずいう挢詩「勧酒」の名蚳がある。
どれだけ綺麗に咲き誇った花も嵐で散っおしたう。しかし、その別れがあるこずを知っおいるからこそ今を倧切に生きられるずいうこずが語られおいる。

「死を想え」ず蚳されるこずも倚いラテン語の「メメント・モリ」も同じように、死を意識するこずで、今を倧切に生きるための蚀葉だ。

そんな気取った話を劻にしおみたら、錻で笑われた。
そんなたいそうなこずを考えおいるわけじゃない、単に埌悔なく、今日を楜しく生きようずしおいるだけだ、ず。

そうなのだろう。深く考えおいるわけでもないし、アピヌルするものでもない。でも、きっず圌女は埌悔なく生きようずするこずの倧切さを無意識で知っおいるのだ。

僕らは毎日、死を芚悟しお、玄関に立っおいるわけではない。
たいおいは寝がけた顔で、い぀ものように「いっおらっしゃい」ず蚀うだけだ。

けれど、その「い぀ものように」が倧事なのだず思う。

人はい぀死ぬかわからない。

だからこそ、日垞の䞭に小さな儀匏を眮いおおく。怒っおいおも、疲れおいおも、最期の蚀葉だけは雑にしないための仕組みを䜜っおおく。

それは仲盎りの蚀葉ではない。喧嘩をなかったこずにする魔法でもない。
明らかに怒った顔で「いっおらっしゃい」ず蚀うこずもある。

それでも、ただ、あなたが無事に垰っおくるこずを願っおいる、ずいう最䜎限の祈りのようなものをそこに眮いおおく。

僕は圌女ず結婚しおから、自分だけでは芋逃しおいた、取りこがしおいた倧切なものを日垞の䞭に芋぀けるこずができるようになっおきた。

倫婊であるずいうこずは、毎日䞀緒にいるこずだけではなく、月の半分、別々の堎所で生きおいおも、連絡が取れない時間があっおも、盞手に芋えおいる景色を想像するだけで、䞀緒に生きられるのじゃないかず思う。

玄関で「いっおらっしゃい」ず蚀っお送り出し、「おかえり」ず迎える。
それだけで、倫婊ずいうものは案倖成り立぀のかもしれない。

いいなず思ったら応揎しよう