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小牧市 北外山 南屋敷とマイホームとお店

    昭和四十七年、新天地への歩み

    ~桜井から北外山南屋敷への記憶~

    春風に誘われて

    昭和四十七年という年。 高度経済成長の波が日本全土を包み込んでいた頃、 我が家もまた一つの転機を迎えていた。

    桜井という慣れ親しんだ土地を後にし、 北外山の南屋敷という新天地へと足を向けた。 約一・四キロメートル、歩けば二十分ほどの距離。 同じ接道でありながら、そこに広がっていたのは 青々とした稲穂が風に揺れる田園風景だった。

    蛙の声が夕暮れの静寂を破り、 都市化の波がまだ届いていない のどかな農村の風情が残っていた。

    記憶に刻まれた周辺の店々

    斜め前に佇む喫茶店「ルパン」。 今もなお変わらず営業を続けているその店は、 まるで時の番人のような存在だった。

    北へ向かうと、長谷川さんの小さな店。 駄菓子の甘い香り、お好み焼きの香ばしい匂い、 夏の暑さを和らげるかき氷。 子どもの頃の記憶に深く刻まれた小さな幸せの発信地だった。

    その先には郵便局が赤いポストとともに建ち、 さらに進めば果物屋「つぼい屋」さんが 季節の彩りを店先に並べていた。

    当時の交差点周辺には今のような賑わいはなく、 静寂の中に点在する店々が まるで宝石のように輝いて見えた。

    南への道筋

    新居を起点に南下すると、 隣には理髪店「コバヤシ」が営業していた。 店主の手際よいハサミの音が時折風に乗って聞こえ、 賑やかすぎず、寂しすぎず、 ちょうど良い距離感で人々が暮らしていた。

    さらに歩を進めると外山神社の鳥居が見えてくる。 古い木々に囲まれたその神社は、 この地域の精神的な支柱のような存在で、 四季折々に異なる表情を見せてくれた。

    移住の深層にある物語

    なぜこの地に移り住むことになったのか。 当時の私には、その理由は霞がかかったように曖昧だった。

    後に知ることとなるが、 父が亡くなった後、この土地は叔母の所有であり、 我が家に譲り受けることとなったのだという。

    桜井でのお店の経営は決して土地を購入するほどの余裕はなく、 血縁の絆によって土地を手に入れ、 建築費は何らかの方法で調達したのだろう。

    父の兄弟たちにとって、 賃貸住宅に住むことは格下げと映ったのかもしれない。 昭和という時代の価値観がそこには色濃く反映されていた。

    後に事業用不動産の世界に身を置いた私から見れば、 持ち家より賃貸の方が経営的には有利な場合も多いのだが。

    新しい根を下ろした場所

    この北外山南屋敷の家は、 両親が天寿を全うするまで我が家の中心であり続けた。

    昭和四十七年、私は小学校一年生。 ランドセルを背負って初めて向かった学校は小牧市立南小学校だった。

    真新しい制服、初めて手にした教科書、クラスメイトたちとの出会い。 すべてが新鮮で、すべてが輝いて見えた。

    田園に囲まれた通学路は季節ごとに異なる表情を見せ、 毎日の通学がまるで自然の中を散歩するようだった。

    記憶の断片とその意味

    引っ越しの日のことはかすかに記憶に残っているが、 鮮明に覚えているのは建物が完成してからの日々だった。

    当時の私にとって引っ越しという出来事は それほど印象深いものではなかったのかもしれない。 新しい環境への順応、新しい友達との出会い、新しい日常の始まり。 すべてが自然の流れの中で進んでいった。

    自分史という名の宝物

    こうして文字にすることで、 記憶の断片が少しずつ繋がっていく。 まるでパズルのピースが一つずつはまっていくように。

    自分史を書くということは、 自分自身との対話なのかもしれない。 過去の自分と現在の自分が文字を通じて会話している。

    昭和四十七年から始まった北外山での生活。 それは、私の人生における重要な章の始まりだったのだ。


    記憶は時と共に薄れゆくものだが、文字に残すことで永遠となる。

    #自分史
    #小説

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