
こどもが「ママ」と振り返った時、いつも視線の先にいたかった【約3年の自宅保育の終わりに】
大それた育児の目標なんて、何ひとつなかった。
ただひとつ、何か大事にしていたいと思っていたことがあるとすれば、息子が「ママ」と振り返った時、いつもその視線の先にいたかった、ということ。
今月で3歳になる第一子。時期を同じくして、第二子が産まれてくる。
3年間、ひとりっ子だった息子。ママもパパも独り占めして。すべての時間と愛情を一身に。「ママ」と振り返った時、私はせめていつもそこにいたかった。
うれしい時、たのしい時、何か綺麗なものを道端で見つけた時。花や飛行機、救急車とか何か特別なものじゃなくて、道端のいしころも小さなアリも、枝も枯れ葉もゴミでもなんでも、君にはきっととてつもなく魅力的に見えていて。「あったよ!」なんて話せない、まだことばを持たない0歳の頃から、目をキラキラさせてこちらを見た。
何かあった時に、必ずこちらを。世界で一番美しいその瞳の輝きを、見逃したくなくて、せめてものできることとして受け止めたくて。
「ママ!」と振り返ってくれる、視線の先に母をいのいちばんに探してくれるその時期は、人生の中でうんと短いものだと知っていたから。たくさんの子育ての先輩方の記録や声から、学べていたから。
いつか訪れる「ママとぼく」以外の世界への旅立ちのその前に。その時代がたしかに私たちの間にあったことを、私は絶対に忘れたくなくて、覚えていたくて。できるだけ、最大限に。味わっていたかった。
その実行の道が、私にとっては丸3年近くにわたる、自営業の仕事をしながらの自宅保育という選択だった。とはいえ本当にこんなにほぼ丸3年も、自宅保育を続けるとはまさか正直思っていなかった。
第二子が産まれることもあり、息子は3歳になる年の春に、じつは初めて保育園に入園した。が、「ママといたい」の声と、すこしのSOSの気配を感じて、4月に一度立ち止まり、私たち夫婦は彼をもうすこしだけ自宅保育しながら、保育園転園か幼稚園入園か、迷うことに決め。
結果として、先月半ばから保育園転園を選んだけれど。まだ慣らし保育は3日目で、これからどうなるか、どうするかはわからない。
そして私はといえば、切迫早産の診断が下って4週間目に入ったいま。満足に動けない身体で、それでも第二子がお腹にとどまってくれるベッドの上で、この時間を何に使おうかと取捨選択。
少し考え、やりたいことがあると思い続けていたことを、両手で少しずつ掬い出す。すっかりサボってしまっていたこの3年間の、無数の写真データ。振り返って、毎月の記録をすべて、プリントしようときらめく日々をスクロールし始めた。
画面に並ぶ、3年間の思い出たち。どんどん、どんどん大きくなって、ミニベビーベッドを卒業して洋服を次々サイズアウトし、靴を履いて外の世界へ。やれることが増えて、語彙が増えて。知らなかった個性がたくさん見え始める過程の1,000日以上を。
大丈夫、だいじょうぶ。私たちは、私は、君のことを毎日まいにち愛してた。きちんと愛を注いで、きっと浴びてもらえて、それでもまだまだ一緒にいたかった。見つめていたかったという気持ちが残る。
こんなにも愛したのに。こんなにも抱きしめたのに。「あとでね」なんてほとんど言ったことがないつもりだし、「だっこ」には全部応えたつもりだし。
毎夜「産まれてきてくれてありがとう」と伝えたし、「だいすき」は最近やっと言ってくれるようになったりして、毎日言っててよかったね、と夫がぽつりこぼしたりして。
両手をあげてこちらへ飛び込んでくる瞬間。外で私を見つけて遠くから一目散に全力で走ってくるそのまだおぼつかない姿の、世界に対する圧倒的な小ささ。初めて「おいしい」と手作りハンバーグを食べて教えてくれた時に泣いたこと(人生で初めて思っていることを知ることができた日だった)。
海が好きなこと、虫が好きなこと、プールは「じゃーじゃー!」という呼び名で、自転車は「ばん」だったこと。いつの間にか「プール」と呼べるし、「川」や「噴水」との違いもわかるし、自転車はすっかり「自転車」で、ストライダーとの違いもわかる。
「ママ」「わんわん」だけだった語彙は、「ママおなかおおきいのに、おそと、いかないでよね」とすっかりパパの口真似ができるほどに増え、助詞を使いこなして一人前でさ。
嫉妬もするし癇癪もする。そのあとに「ないちゃった」と理由を教えてくれて、「こんどはなかないよ」と笑ってくれる。
3年。3年、かぁ。気づけば私の身長の半分をゆうに超えて、お兄ちゃんになることもきっと理解している息子。
「ママ」と振り返ってくれた時。人生で私を必要としてくれる黄金時代に。私はきちんと、その視線の先にいることだけは、できたかなぁ。
育て方が、これで正しいとか、間違っていなかったとか、不安にならないわけじゃない。甘やかしすぎたかなとか、奔放すぎかなとか、過保護かなとか、かと思えば連れ回しすぎかなとか。色々思わないわけじゃない。
でも。ただひとつ、もし私が彼を産んだその日から、守りたいと思っていたことがあるとすれば。「私を求めた時に、せめてそばに」。
それだけは守れたんじゃないかと、約3年間の自宅保育の終着に近づく今、思えている。
そして繰り返しになるけれど、やっぱりこんなにべったりいても、「まだ一緒にいたかった」と思うのだから。
どんな道を選んでも、子どもとはそう思わせてくれるものなのだろう。これ以上の時間と気持ちを費やすことはできなかった。その上限にいた、と思う私たちですら、そうなのだから。
「触れることのできる距離」にいる時間を、抱きしめながら。第一子が家庭以外の世界を築く過程を、次のフェーズでは楽しまねばと心に刻んで。これから始まる第二子のもう一度黄金期にも、想いを馳せて眠りにつく。臨月の胎動が、夜を震わす。