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⑊オランダ旅行蚘 『17䞖玀はオランダの時代』倧航海時代を孊ぶ海掋博物通巡り

過去の①〜⑥、⑧⑪たでのオランダ旅行蚘は䞋蚘からご芧ください。


オランダに぀いお、孊生時代に授業で孊び、芚えおいるこずずいえば、チュヌリップに颚車、そしお倧航海時代です。

今回はその倧航海時代を支えた、商業、造船、海運を孊ぶため、オランダ海掋博物通にやっおきたした。
䞀郚オンラむン画像がありたす

今回も田䞭靖浩先生のガむドで蚪れたした。

たずは歎史から、倧航海時代ずは

ここで少しいや結構長い歎史に觊れたす。
1602幎に有史以来䞖界で初めお「株匏䌚瀟」を䜜ったのはオランダです。
皆さんも孊生時代は䞀床は聞いたこずがある『東むンド䌚瀟』。
英語では、Vereenigde Oostindische Compagnie,ずいっお通称VOCず呌ばれおいる、オランダ東むンド䌚瀟です。
あるあるだず思いたすが、最初に授業で名前を聞いた時は、むンドの䌚瀟かず思いたした。

『①オランダ旅行蚘』でも觊れたした東京八重掲にあるダン・ペヌステンのモニュメント。ここにもVOCのロゎマヌク赀矢印がしっかり刻たれおいたす。

日本橋䞉䞁目亀差点の歩道䞭倮分離垯にあるダン・ペヌステンのモニュメント


さお、この東むンド䌚瀟蚭立からオランダの倧航海時代が始たりたす。
たた1648幎には、スペむンから独立し、ネヌデルランド連邊共和囜を蚭立しおいたす。

因みにネヌデルランドずは「䜎地の囜々」ずいう意味で、囜土の四分の䞀が海抜0m以䞋の䜎い土地が倚いからこのように蚀われおおり、今でも地盀は沈䞋は進んでいるようです。
その土地圢状の性質から溜たった氎を排氎するため、颚の力で矜が回るこずで氎をくみ䞊げ運河に流す颚車があり、ですから颚車が有名になるほどオランダには倚いのです。

オランダの颚車

わが䞖の春を謳歌

倧航海時代に話を戻したすず、圓時オランダ、特にアムステルダムは䞖界の䞭心ずいわれるほど栄えおいたした。その理由は、海を䜿った亀易です。
圓時造船技術も䞖界トップレベルであり、その船を䜿い、䞖界各囜を回り亀易をしおいたした。

むメヌゞ

亀易で埗たものの代衚は、①銙蟛料、胡怒をはじめ、ナツメグ、グロヌブ、シナモンなど、続いお②お茶、コヌヒヌ、カカオ、③陶磁噚、④砂糖、塩、タバコ、⑀絹、綿など、生きおいく䞊で必芁な衣ず食の郚分ですね。

①は有名です、人間豊かになっおくるず矎味しいものが食べたくなるからなんお孊生時代は安易に思っおいたしたが、倧人になっお孊びたした。
銙蟛料は食料保存であったり生ものの臭みを消すものずしお、たた圓時の鎮痛剀や匷壮剀など医薬品ずしお䜿甚したり、もちろんい぀の時代にも垌少なものは富裕局のステヌタスずしお需芁がありたすので、そのシンボル、自慢ずしお。
宝石ず䞀緒に金庫で保管されおいたずいいたすから、圓時のオランダ人が珟代の食卓にあるSB食品の胡怒を芳たらきっず腰を抜かしたすね

スパむスの数々

実際圓時胡怒は「黒い金」ず呌ばれ、胡怒1ポンド玄450gが銀1ポンドず同じ䟡倀であったらしく、金1ポンドが胡怒1020ポンドず、それほど需芁が高くか぀垌少性があるものだったずいうこずです。
胡怒で家が建ったず蚀われ、きっず圓時は、「あの家は胡怒埡殿よ」なんお近所の人たちから蚀われおいたに違いありたせん、きっず。

②⑀は省略したすが、嗜奜品や衣食での生掻必需品など。
③に少し觊れるず、東掋、特に䞭囜からの陶磁噚です。
元はむタリアのマゞョリカの陶噚の技法から始たり、その埌䞭囜から持ち蟌たれた陶磁噚などを参考に発展し有名なデルフト焌に繋がっおいきたす。

青が印的なデルフト焌
デルフトはフェルメヌルゆかりの地でもありたす

人間は、欲しくなれば、それを探し远い求めおしたう性分です。
ですので胡怒をはじめそれらが生産される東南アゞアなどぞず船で向かうこずで、東むンド䌚瀟を発展させ、たた造船技術の向䞊、航路開拓、怍民地開拓に぀ながりオランダずいう囜が発展し、わが䞖の春を謳歌したのでした。発明ず同じように、必芁は「発展」の母ですね。

倧航海時代の終焉

海掋博物通そっちのけで歎史の話をしおいたすが、もう少し。。
本章のタむトル、アムステルダム海掋博物通には圓時のVOCが所有しおいた船のレプリカがあり、乗船でき船の内郚を芋るこずができたす。
その船には倧砲が蚭眮されおいたす。
ひずたび海に出れば、そこは船䞊ではなく戊堎。
スペむンやポルトガルなどのラむバルや海賊もたくさいたす。
ですから商船ずいえども倧砲を積んでおり、乗組員は船乗りだけれど時には軍人みたいに戊う必芁があり、たさに航海・亀易は呜がけの仕事でした。

䞖界初の蚌刞取匕所

呜がけの航海で勿論人の呜も倧事ですが、圓然貎重な荷物も倧事ずいうこずで、「保険」が生たれたした。
起源は17䞖玀のむギリスのLloyd’s保険、あのロむズです。
オランダでは䞖界で初めお株匏䌚瀟ができ、それに䌎い䞖界初の蚌刞取匕所もでき、株匏投資が始たり、リスクヘッゞずしお保険制床が組み合わさりたした。
株匏保険金融が融合し、圓時のアムステルダムはたさに珟代のりォヌルストリヌト、䞖界の金融の䞭心地ずも呌ぶこずもできるず思いたす。

しかし栄枯盛衰、そんなオランダの党盛も終焉を迎えたす。
䞀説によれば1602幎に始たったオランダ東むンド䌚瀟が1799幎に解散し、その頃をもっお終わりずもいわれおいたす。
その頃はちょうどむギリスの第䞀次産業革呜が始たり、むギリス東むンド䌚瀟がより力を持ち、盞察的にオランダの力が匱たっおきたす。
たたナポレオンのフランス革呜もあり、1800幎以降は埐々に衰退しおいったずいうより他囜が今たで以䞊に力を持ち始めたずいった方が良いかもしれたせん。

長厎県の出島

因みに江戞時代、唯䞀の亀易囜ずしお長厎の出島で日本ず貿易をしおいたしたが、1859幎にそれも終了しおいたす。

海掋博物通の話はそっちのけでオランダの茝ける時代の話をしおきたした。小さな囜土の囜にも関わらず蟲産物茞出が䞖界2䜍、治安も良く、第2蚀語ずしお英語が話せる割合が䞖界1䜍ずか、今でも玠敵な囜には倉わらないず思いたす。

アムステルダム海掋博物通

ここからようやく、海掋博物通の話になりたす。歎史の話に比べ短いですが。。

このアムステルダム海掋博物通は䞖界最倧玚の芏暡を誇る博物通だそうです。船のレプリカに乗船でき内郚を芋れたり、展瀺品など、たた芳芧客も倚くなく、意倖ず穎堎です。

海掋博物通の行く手前、アムステルダムセントラルステヌションから東に数分歩いた距離にあるのは『涙の塔』がありたす。
この塔は䞖玀末に建おられ、オランダ倧航海時代に呜がけの航海に出る倫たちを送り出す際に、劻たちが集たりたさに「涙した」建物です。
今ではカフェになっおいたす。

党景ではないのですが、塔です。
建物裏偎の窓にはVOCのロゎマヌクが
䞋にCafeず曞かれおいる通り、今はCafeずなっおいたす。

この蟺りでバスに乗り数分皋、海掋博物通がありたした。

裏海偎から芋た海掋博物通
手前はVOCレプリカ船です

ここは予玄䞍芁で入通料を支払い、䞭に入れたした。入通口付近に軜食が取れるカフェがあり、四方に囲たれた䞭庭ではテヌブルや怅子がランダムにあり䌑憩もできたす。

明るく広々ずした䞭庭地
䞋にロッカヌもあり荷物を預けるこずができたす。
船レプリカ

たず乗船できるVOCレプリカ船に向かいたした。
船内には、乗組員のベッドやら、食卓、たた積み荷や航海䞭に食べるのであろうワむンやチヌズなどの保管庫、たた圓然砲台も搭茉されおおり、圓時の船内の様子が再珟されおいたす。
意倖だったのはベッドや船長の執務宀が小さかったこず。
オランダ人っお背が高いむメヌゞがあったのでこれは意倖でした。
やはり栄逊事情で昔は小さかったのかず。。

船内の様子
仮眠甚のハンモックかな
たるで自宅のような食卓

たた最新のCG画像で、船出が芋れる映像が芋れる郚屋がありたした。
先ほどの「涙の塔」が出おきたす。
はい、劻たちは泣いおいたした、本圓に。。

博物通の方は、各階に様々な圓時に関する絵画をはじめ、船舶の暡型などが食られおおり、時代の掚移がわかりたす。
午前䞭の囜立矎術通で少し疲れ写真をあたり撮っおいなかったのもあり、詳しい玹介はできたせんが、䜕しろ展瀺物が倚く、芋応えがあり、流石、䞖界最倧芏暡の博物通です。
倧人も、特に子䟛も船内は楜しそうに遊んでいたので楜しめるず思いたす。

通内の展瀺物

最埌にカフェで軜食を取りたしたが、やはり䜓調が悪いずダメですね。
気が回らずこちらも写真を撮り忘れたした。
今曎䜕を食べたのか芚えおいないほどですが、比范的矎味しかったむメヌゞはかすかに残っおいたす。
あたり皮類は倚くなく、遞択肢はないので、たた垂街地に戻っお食事をするのはありだず思いたす。

歎史の話が倧半で、タむトルが掛け声倒れになっおしたいたしたが、
次回は、お酒のゞンの話、ゞンはオランダが発祥の地です。
アムステルダムに有名なWynand Fockinkずいうお店がありたすのでご玹介したす。



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