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批判が怖くて、自分の感性を薄めていた

今日は、ハッピーライティングマラソンの#65 のお題「批判されるのが怖くて、やめていることはありますか?」から考えてみたいと思います。


批判されるのが怖くてやめる。

これはもう、私の子どもの頃だと日常そのものでした。

母が怖くもあり、またあまり褒めない人だったので、子ども心に褒められたくて仕方なく、母の顔色をうかがっているような子だったからです。

そのことは、いったん置いといて……。
大人になってから、しかもここ数年で考えるとどうなのかな?と。


改めて考えると見えてきたことがありました。
それは、私の文章の中。


noteを書くようになってから、自然と自分と向き合う時間も増え、「あ、こう感じてるんだな」ということが自分で見えやすくなってきました。書いてよかったと思ってます。


私はもともと、いろんなことを観察するのが好きで、これまでもブログなどで文章を書く機会を作ってきたほうです。

「楽しかった!」
「面白かった!」
「こんなことがあった!」

そんな感情も、わりとそのまま出してきたと思います。


直近で書いていたのは、小さな農をテーマにしたブログ。植物を育てながら、自分なりに考えたり、試したりしたことを綴る機会が多くありました。

でも、そんな文章を書いていると、ときどき不安がよぎるのです。

「誤解を招いたらどうしよう」

「変な批判を受けたくないな」


こうなると始まるのが、付け足しです。

「これはあくまで私の場合ですが」

「もちろん違う考え方もあると思います」

「すべてに当てはまるわけではなく」

「誤解のないように付け加えると」

「とはいえ○○という面もあります」


んー。
くどい(笑)。


これは、明らかな予防線ですよね…。

誤解されたくない

↓

別の意味に取られないよう補足

↓

例外もあるから補足

↓

断定と思われないよう和らげる

↓

さっきの表現が強かった気がしてもう一回説明

このループ。


文章の周りに、緩衝材をぐるぐる巻きです。

これ、オブラートの5枚重ねとも言えるかも。

相手への配慮のつもりで包んでいたけれど、包みすぎたら、かえって飲み込みにくい。

薬の苦さからは逃れられるけど…

喉詰まるっちゅーねん!(笑)


もちろん、誤解を避けるために必要な注釈もあります。

事実を確認することも、人を傷つけないように考えることも大切です。

でも、それとは別に、「こんなこと言ったら、どう思われるだろう」から入れていたクッションも、結構あったと思うのです。


そうすると、「私はこう見えた!!」が、

「あくまで個人的な感想ではありますが、こういう見方もできるかもしれません」

になっていく。


間違ってはいない。
むしろ丁寧。

だけど、これにより、温度が2℃くらいずつ下がっていく。

私、文章に温度はとても大切と思ってます。

だからね、自分でやってて残念なことだったなと感じます。


改めて考えてみると、私が批判を避けるためにやめていたことは、何かひとつの行動ではなかったのかもしれません。

自分の見方を、そのままの濃度で出すことをやめていた。


だからといって、何でも無加工で外に出せばいいわけではありません。

必要な事実確認はする。

人を傷つけない配慮もする。

専門的な情報なら、必要な注意書きもする。

ちゃんと、人に渡せる形には整えたい。

でも、嫌われないために、自分の感性まで希釈しない。


そして、

個人的に感じたことにまで、免責事項をつけない。


批判されることは、これからだって怖いと思います。

それでも、自分に見えたものまで薄めてしまわないように。必要なぶんだけ整えて、自分の味がちゃんとする一皿を出してみる。


これからは、そんなことを思いながら、楽しく文章を綴っていきたいと思います。


#ハッピーライティングマラソン
#本田健


自分の書き方を考える良い機会をいただきました。
素敵なお題をありがとうございました。



今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

あなたの今日にも、小さな発見がありますように。


また、景色の中で。


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