
拝啓、私を選ばなかった傘#雨の日の傘
拝啓
突然のお手紙、失礼します。
昨日まであなたを使っていた者です。持ち手に名前を書いた者、と言えば思い出していただけるでしょうか。
まず、昨日の駅前での件について、説明を求めます。
私が何度ボタンを押しても開かなかったあなたが、隣の男性に渡した途端、勢いよく開いた件です。
あの音。私のときより、ずいぶん立派な音でしたね。
傘にも持ち主を選ぶ権利が認められたことは、知っています。駅の傘立てにも「開かない場合は、相性をご確認ください」と貼ってあります。
ただ、ああいうのは買って二、三日の話だと思っていました。私たちには五年があります。
男性は「いいんですか」と、私に聞きました。
よくはありません。でも、私の手に戻るとあなたは閉じる。向こうに渡すと開く。三回やって、男性も私に聞くのをやめました。
私は駅の売店でビニール傘を買いました。
千二百円でした。
責めているわけではありません。経緯として書いています。
私に至らない点があったことは認めます。
濡れたまま巻いていた件は、忙しい朝もあったということで、ご理解ください。帰ったら干すつもりでした。帰るころには晴れていて、あなたは玄関でおとなしくしていた。あれで私も、済んだような気になってしまったのです。
車に置きっぱなしにした夏もありました。
ただ、盗まれないよう、ちゃんと鍵はかけていました。
階段で杖の代わりにした件については、今になって思えば、あの使い方はよくなかった。
この件は謝ります。
しかし、私だって、あなたのことを考えていなかったわけではありません。
電車を降りてから忘れたことに気づき、一駅ぶん走って追いかけたことがあります。もちろん電車には追いつけませんでしたが、翌日、忘れ物窓口まで迎えに行きました。
窓口の人に特徴を聞かれ、「紺色で、持ち手が茶色」と答えました。
同じものを四本並べられても、私はすぐにあなたを選べた。
先端が少し斜めにすり減っていましたから。
これは、先ほど謝った件と関係があります。
新しい持ち主のことを悪く言うつもりはありません。感じのよい方でした。
私に連絡先を渡し、「何かありましたら」とまで言ってくれました。この手紙も、あの方に託すつもりです。
ただ、少し気になることがあります。
あなたを引き取ったあと、あの方は店に入る前に、一度立ち止まりましたね。水を切り、布のひだを一本ずつ整え、留め具をきちんと巻いた。
私は向かいの売店から見ていました。
たしかに、丁寧でした。
でも、初日ですから。
私は買ったばかりのビニール傘を開きました。少し引っかかりましたが、もう一度押したら開きました。
雨の中を歩きながら、あなたの骨が一本曲がった日のことを思い出しました。
強い風の日でした。裏返ったあなたを両手で戻して、私はそのまま使い続けた。帰ってからペンチを探したものの、工具箱が見当たらず、翌日にしようと思いました。
翌日には、使うぶんには困らないと分かりました。
あの方は昨日、あなたを広げて骨を確かめていましたね。
曲がったところを指でなぞり、それから、あなたを少し傾けた。
私も、あそこが曲がっていることは知っていました。
玄関にある傘立ては、一本ぶん空いたままです。
ビニール傘を入れれば済むのですが、あれは今、風呂場に広げてあります。乾いてから巻こうと思っています。
この手紙を書き始めたときは、返ってきてほしいと伝えるつもりでした。
読み返したら、私が思っていたより謝ることが多く、いったん、その話はやめておきます。
ただ、一度だけ、会って話せませんか。
直しておけばよかったことを、もう少しちゃんと謝りたいのです。あなたは何も言わず、閉じていてくれて構いません。
明日の午後三時、駅前で待っています。
敬具
追伸
雨なら行けません。
新しい傘が、今朝から開かなくなりました。
Mr.Qさんの企画に参加しています。