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Photo bynaota_t

“算術の先生の碑”と、いまの私

    子どもが生まれてから、外で働くことが難しくなった。

    これからどうしようかと考えて、家でできることを探していた。
    いくつかの選択肢の中で、気がつけば、数字に関わるような時間を持つようになっていた。


    最初からそれを望んでいたわけではない。
    この仕事のことを考えたことがこれまで1ミリもなかったのだ。

    それでも続けているうちに、その時間は、少しずつ生活の芯のようなものになっていった。

    誰かと一緒に考え、手を動かし、答えにたどりつく。
    その過程を見届ける時間が、自分の中で思っていた以上に大きな意味を持つようになっていた。

    画面の向こうで、誰かが静かに集中している気配がある。
    言葉はなくても、その緊張や手の動きの流れは、伝わってくる。

    数が揃った瞬間の、わずかな解放。
    それを遠く離れた場所で共有している。





    実家の近くに、大きな石碑がある。
    私の祖父の、さらにそのまた祖父のものだ。
    子どものころから手を合わせに行っていた。

    大人になってから、あらためてその石碑の前に立ち、刻まれている文字をゆっくり読んだ。

    「算術 ――先生の碑」

    風化したその文字のあいだに、時間の重さだけが残っているように見えた。

    そのとき、少しだけ驚いた。
    そして、それ以上に、うまく言葉にできない感覚が残った。

    いま自分がしていることと、重なっている。

    もちろん、同じではない。
    時代も、形も、何もかも違う。

    それでも、誰かと一緒に考え、答えに向かう時間には、
    名前のつかない共通点があるように思える。

    自分で選んできたはずの道なのに、
    ときどき、少しだけ不確かになる。




    帰省する時はいつもその石碑の前に立って、近況を報告をしている。息子と行くこともある。

    返事があるわけでもないのに、
    なぜか少しだけ背筋が伸びる。

    「算術」と刻まれた文字を見上げる。

    その人も、誰かに何かを渡すような時間の中にいたのだろうかと思う。

    選んだはずの毎日なのに、
    ときどき、どこかから静かに続いてきたものの上に立っている気がする。






     
     

    tomo

     
     
    IQ139息子(小5)、次男(小1)を育てる2児の母 学校からの電話に毎日怯えています… ぷぷ(10ヶ月)、くろみ(3ヶ月)のトイプーたちの母でもあります。トイプー仲間募集中🐶🩷

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