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Photo bylisa500ml

94歳の母と65歳の娘

    「由紀子ちゃん、ちゃんとお部屋にいてえらいわね。」94歳の母親が65歳の娘に話しかける。
    この2人は親子で入居している。

    先に入居したのは65歳の娘だ。仮に由紀子さんとする。
    由紀子さんには一人息子がいたが、20歳で病死している。その頃から由紀子さんの言動はおかしくなり、夫との関係も悪くなっていった。
    離婚後、由紀子さんは実家に戻ることになる。

    実家で母親と暮らし始めた由紀子さんは、拒食症の様な状態で入院し、一時は経管栄養で命を繋いでいた。その入院で「前頭側頭型認知症」と診断がついた。


    前頭側頭型認知症は、記憶障害よりも「性格の変化」や「反社会的な行動」、「同じ行動の繰り返し」などの異常行動が初期から目立つのが大きな特徴

    その後由紀子さんは60歳でうちのホームに入居する事になる。

    当初は「便秘になるのが怖い」という理由で食事をとらず、経管栄養を継続していた。毎日排便があっても「便が出なくなったらどうしよう」という不安から抜け出せずに一日中下剤が欲しいと訴えた。

    そのうち、固執する行動はスタッフにも向けられた。特定の男性スタッフの後追いをしたり、食事時間の30分以上前から「ご飯まだ?」と繰り返し聞いてくる。食事がとれるようになっても、また別のことに固執が始まる。

    ホームで生活していく数年で症状は強くなっていく。スタッフに向けられていた執着が、他の入居男性に向けられて「おじいちゃま、一緒に散歩に行こう。」と手を繋いで2人で出かけようとしたり、特定の女性入居者には「ババア、あっち行け!」と罵声を浴びせるようになった。攻撃性が強く同じフロアの入居者のストレスになっている状況が続いた。

    精神科医にも相談は続けていた。落ち着くように内服の調整をしてもらっていたが変化はなく、症状の強さから入院してしっかり薬の調整をした方が良さそうだと医師は判断した。

    同じ頃、由紀子さんの母親のエツさんが自宅で転倒して入院、骨折した上に腎不全が悪化して余命が短いという状況になった。
    由紀子さんに面会を勧めても「2時はトイレに行く時間だし、その後はおやつのおしぼりを配る時間だから行かない。」と拒否。自分のルーティンが絶対で、全く余裕がない精神状態だった。

    エツさんは延命治療を望まなかったが、病状が落ち着いたため、娘がいるこのホームに入居してきた。娘が精神病院に入院することは反対で、自分が言い聞かせれば何とかなると譲らず、由紀子さんの入院は保留となった。

    入居してから2人は一緒に食事をとり、エツさんは「由紀子ちゃん、大きい声出してない?そう、頑張ってるね。」と褒める。

    エツさんは94歳だ。夫も既に他界し、由紀子さんの他に子はいない。由紀子さんの子も亡くなっている。自分の余命が長くないと知っているエツさんは由紀子さんの今後が心配だろう。

    いつもは表情がこわばっている由紀子さんだが、エツさんには笑顔をみせる。車イスで並んで移動する姿は微笑ましく、一緒に過ごす時間が嬉しそうだ。
    ただし相変わらずナースコールは頻回だし、何かに固執するとどうにもならない状況は続いている。

    私たちも精神病院に入院させたいわけではない。
    被害を受けている入居者に頭を下げながら、事態を見守っているところだ。
    94歳の母親は65歳の娘を今日も優しく励ましている。

     
     
    このnoteでは老人ホームで出会った人々の小さな物語を書いています。認知症の妄想、家族の葛藤、自由と安全、思わず笑ってしまう出来事。 日常の一場面を切り取り、看護師目線で綴っていきます。 ノンフィクション人生観察エッセイ。

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