ちいかわ考察 多くの考察者が見落としている 鎧さんもシステムに縛られている件 ちいかわという名の推し活
最近、ちいかわの考察ばかりを見ています。主にyoutubeで
あんま、考察動画をはしごしすぎていると、普段の偏差値以上の自分になったって思ってしまって、良くないなと思います。適度に毒だしという名のアウトプットが必要かと。
ちいかわの考察の階層について抑えておくこと
ちいかわ考察の主な階層として
1.ナガノ先生の「こんな風になってくらしたい」が発端だから、ちいかわは理想でユートピアであるが、理想を示すために対比として厳しい労働や討伐などの現実を描いている。
2.考察者や知識人は、ナガノ先生が意図していない失われた○○年世代の閉そく感というものを書いており、ちいかわが鎧さんが管理にとって代わる存在ではなく、ただ与えられた小さな幸せご飯がおいしかったで満足させてしまうことに問題を感じている。上昇志向は必要
3.その反論として
「ちいかわは友達のために勇気を奮える」
「一応、草むしり検定という上昇志向はある」
「システムの奴隷になってもその中で幸せになることの何が問題なんだ?」
「ちいかわはオンラインゲームでは全世界2位なんだぜ」(笑)
というカウンターがあります。
この2と3を堂々巡りしていくのが、ちいかわという作品の考察の面白いポイントだと思います。
2の側にたって、ちいかわを話せたら知識人ぶれます。
でも個人的に3のような考え方が現代人、Z世代、さとり世代、おひとりさまの過半数じゃね?と思います。
ではそこからもう一歩すすんで
果たして管理者?として描かれている鎧さんってそんなに幸せなのかな?
という問題提起が今回の内容になります。
ちいかわの世界観とか鎧さんの話については上に書いています。
あらら、もういいねが16個あるんだ。うれしー(ハチワレ風)
無職の筆者もお金を明確に稼いでいるわけではなく、誰かがNOTEみて面白いとか、いいねもらうことに喜びもらっているので、ある意味、ちいかわ界の人間かもしれません。
あぁ、採取とか討伐とかやりたくねぇ・・・モンスタークレーマーとか言い得て妙だわ
そもそもなぜ鎧を着ているのか?
鎧を着ている理由として、上の私の記事で
「ちいかわの世界は放射能とかで汚染されていたり、毒持ちのつよかわ、キメラにあふれているから」という考えがあります。
あとはメタファーで言えば
鎧=西洋人=アメリカ
ちいかわ=平和主義な日本人
ということで、アメリカと日本の支配関係みたいなことも言えます。
そして、鎧さんの代わりにちいかわ達は毒見とかさせられるんですが
これは日本とアメリカの食品とか農薬とか医薬品の基準の違いとか、陰謀論も入りますが、アメリカの不要なものをおしつけられているというメタファーじゃないかなとも考えられます。
しかし、皮肉なことに敗戦国である日本のほうが健康的な食生活をおくり、長寿国となっている。
アメリカは貧乏=肥満に直結しやすい、世界有数の不健康国になっている。
という逆転現象が起こっています。
鎧さんが徹底的に管理、加熱された弁当を食べている姿よりも
ちいかわが感情や喜びをむき出しにしながら、道に落ちたお菓子をたべたり、工夫して安くておいしいコスパの良さに喜びを得たりする。
日本人だからこそかもしれませんが、後者の方がなんか楽しそう、幸せそうに見えませんか?
ちいかわの絵柄そのものが、ものすごい手の込んだ絵柄ではないのに、わざわざ面倒くさい鎧を書くということは、あえて鎧にする理由があるんじゃないか?って思います。
もちろん、鎧さんにもナガノ先生の性格とか、人間性の何割かが入っているでしょうけど。
そして、鎧のイメージとしては
顔が分からない(無個性)
熱い
動きが不便
という特徴があります。
ちいかわの世界は、人の名前、固有名詞、「あのこ、彼、彼女」という言葉さえもなく、それは鎧さんにも当てはまっており
支配的とされる鎧さんでさえも、古本屋みたいに、ポシェットをちいかわに売っていて、ポシェットを身に着けているCV杉田智和さんのポシェット鎧さんになって、初めて我々は認識するのです。
このキャラの希薄さ、無個性さ、そして鎧によって表情が全く見えないという点は、ちいかわ以上に鎧、つまり現代社会人は無個性や無表情で者たちという皮肉がこめられているんじゃないですかね。
管理者、権力者としての幸せ ポシェット鎧と推し活
作者のいうことが絶対とは思いませんが
前述のようにナガノ先生がなりたい対象がちいかわで、現実は管理や支配している鎧さんからちいかわを眺めているのが、我々の構造という見方もできます。
それで、鎧=アメリカ人、ちいかわ=日本人って対比を書きましたが、一方で、ファストファッションが安くて機能的って驚く日本人の陰に、それをつくる発展途上国の存在があるわけです。
そして、ちいかわ達にいろんなかわいい衣装とかパジャマとか着せて、うたったり踊ったりを楽しむ、ポシェット鎧
これは、いわゆる「推し活」する我々です。
推し活という構造そのものが、自分が主人公になる人生というよりも、誰かの活躍や誰かの姿を見て英気を養う、モチベーションを保つという行為になります。
現に私は、ちいかわのアニメに癒されております。
ちいかわ原画とナガノ先生のサインをフリマで探しましたが、10万を軽くこえておりました(笑)
このポシェット鎧の対比として、本当に弁当ぐらいが娯楽にとどまっている、CV東地宏樹さんの労働の鎧さん
職場の人間関係のつながりがすべてになっているラーメンの鎧さんもいます
職場にシーサーみたいな人がいたら、すごい楽しそうですけどね。
つまり、ぼくらの写し鏡というのはちいかわよりも鎧さんなのではないか?
身動きがとれなくて、没個性になって、どのような娯楽をとればいいかわからず
自分の本心や感情に従うのではなく、誰かが頑張っている、喜んでいる姿を見て癒されたり、勇気をもらうことで良しとしている。
そういう「ちい活」している僕らこそ
一生どれだけ頑張ってもちいかわになれないのではないだろうか?
そういうことを考えました。
でも、せめてたこやきとビールを飲んで
はぁ~~~~~~っていいたいです(笑)