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鬌死骞千歳之倧疑

    この物語は、実圚の土地・史跡を基にした
    フィクションであり、神話であり、蚘録である。
    䞀぀の語りずしおの蚘録である。
    鬌死骞村探怜隊実圚する旧鬌死骞村を舞台にした物語


    あらすじ
    倩明五幎。
    䞀人の「賊」が凊刑され、藩医たちはその遺䜓を解剖した。
    「賊」ずしお凊刑された男の墓には、「その功、日月ず争う」ずいう矛盟した碑文が刻たれおいた。
    珟代。
    沢枡らは、墓石の苔の䞋に刻たれた正䜓䞍明の図圢を発芋する。
    それはSNSで「鬌死骞の暗号」ずしお拡散されおいた。
    それは地図か、それずも別の䜕かか。
    䌝承を蟿り、䞃぀盛りず廃された八幡神瀟ぞず調査を進めるが、䜕もなかった。男の痕跡を远ううちに、沢枡自身もたた、新たな䌝承を䜜ろうずしおいたこずに気づく。
    碑文の矛盟を読み解こうずするずき、決定的なこずが、曞かれおいなかった。なぜ曞かれなかったのか。䜕が曞けなかったのか。
    答えは残されおいない。
    それでも、石だけが、そこにある。

    本線玄16,300文字

    冒頭

    倩明五幎、晩秋。

    ある賊が凊刑された。
    その墓には、奇劙な蚀葉が刻たれおいる。


    第郚苔の䞋の図圢は、䜕も語らない


    第章豊吉之墓の桜

    春になるず、ケンゞは決たっおそこぞ行く。
    特に理由はない。気が぀いたら、そうなっおいた。

    「今幎も咲いおたすよ」
    食堂のカりンタヌに座っお、ケンゞは蚀った。
    「仕事垰りに寄れる距離なんですよ」

    沢枡は、味噌汁を飲んでいた。
    「䜕が」

    「桜です」
    ケンゞは、少しだけ埗意そうだった。
    「豊吉之墓の桜」

    沢枡は、箞を止めた。
    「豊吉」

    「江戞時代に、ここで凊刑された人です」
    ケンゞは、特に重くなく蚀った。
    「お墓があっお、桜が綺麗でね」

    沢枡は、ケンゞを芋た。それから、もう䞀床聞いた。
    「凊刑された人の墓に、毎幎行くのか」

    「桜が目圓おですからね」
    ケンゞは、蚂正した。

    そのずき、映矎が盆を持っお近づいおきた。
    「あら、豊吉さんの話ですか」

    「知っおるんですか」
    ケンゞが聞く。

    「名前だけは」
    映矎は、向かいの垭に座った。
    「お墓、今幎も綺麗だずいいですね」

    少しだけ間があった。

    「行きたしょうか」
    映矎が蚀った。
    「お花芋」

    ケンゞは、明るくうなずいた。
    沢枡は、䜕も蚀わなかった。だが、断らなかった。


    第章苔の䞋に

    食埌、䞉人で歩いた。道は、よく敎っおいた。
    映矎が、歩きながら蚀う。
    「医垫䌚の方が、幎に䜕回か手入れしおるんです」

    墓は、囜道沿いにあった。
    昭和に移されたず、ケンゞが蚀った。
    もずもずは、少し離れた堎所にあったらしい。

    「移したんか」
    沢枡が聞く。

    「線路の工事でね」
    ケンゞは、あっさり蚀った。
    「五十メヌトルくらいかな」

    沢枡は、それを聞いお、少しだけ立ち止たった。
    だが、䜕も蚀わなかった。

    桜は、満開だった。
    墓石の呚囲に、花びらが萜ちおいる。颚が吹くたびに、たた萜ちおくる。

    ケンゞは、空を芋䞊げた。
    「今幎も綺麗だ」
    満足そうだった。

    映矎は、墓石の前に立った。刻たれた文字を、ゆっくりず読んでいる。
    沢枡も、同じように立った。碑文を読む。

    「賊豊吉」

    声に出さなかった。
    だが、その蚀葉が、しばらく頭に残った。
    賊、ず曞いおある。
    だが、墓石は、䞁寧に建おられおいる。手入れも、されおいる。
    䜕かが、合わない。そう感じた。

    碑文を読み進める。
    やがお、目が止たった。

    文字ではなかった。
    墓石の端の方。苔が、厚く芆っおいる堎所。

    沢枡は、しゃがんだ。
    目を近づける。
    苔の䞋に、䜕かある。
    指で、そっず觊れた。

    「先生」
    映矎が気づいお、隣にしゃがむ。

    「これ」
    沢枡は、その堎所を指した。

    映矎は、芗き蟌んだ。
    しばらく、黙っおいた。
    「ここ、䜕かありたすね」

    二人は、しばらくそのたた芋おいた。
    やがお、沢枡が蚀った。
    「苔を、少しだけ」

    映矎は、ためらわなかった。
    指先で、苔をゆっくりずどける。
    湿った土ず苔の匂いが、かすかに立った。
    図圢が、珟れた。線が、いく぀か。
    芏則性があるようにも芋える。ないようにも芋える。

    沢枡は、それを芋おいた。動かなかった。
    映矎も、動かなかった。

    しばらくしお、埌ろでケンゞの声がした。
    「䜕かありたしたか」

    二人は振り返った。
    「これ、芋たこずありたすか」
    映矎が聞く。

    ケンゞは、近づいお芗き蟌んだ。少し考える。
    「ああ」
    短く蚀った。

    「知っおたんですか」
    映矎が聞く。

    「キズだず思っおたした」
    ケンゞは、あっさり蚀った。
    「経幎劣化か、䜕かの」

    沢枡は、もう䞀床図圢を芋た。
    キズ、ではない。そう思った。
    だが、それ以䞊は、ただ蚀葉にならなかった。

    桜が、たた䞀枚萜ちた。
    墓石の䞊に、静かに乗った。

    䞉人は、しばらくそこにいた。


    倩明五幎、秋。

    男は、針を持っおいた。

    暗い䞭だった。
    火が、小さく燃えおいる。

    針が、皮膚に入る。
    痛みは、あった。
    だが、手は止たらなかった。

    䜕のために圫っおいるのかは、
    曞かれおいない。


    第章老人ず芳光客

    食堂に戻るず、い぀もの空気だった。

    倧将が無愛想に鍋をかき混ぜおいる。
    嚘が、奥から声をかける。
    「お垰り。花芋どうでした」

    「綺麗でしたよ」
    映矎が答えた。

    䞉人は、カりンタヌに䞊んで座った。
    湯のみが眮かれる。湯気が立぀。
    しばらく、誰も話さなかった。

    先に口を開いたのは、映矎だった。
    「あの図圢、気になりたすね」

    沢枡は、湯のみを持ったたた蚀った。
    「写真は撮ったけどな」

    「䜕だず思いたすか」
    映矎が聞く。

    「ただ分からない」
    沢枡は、正盎に答えた。
    「だが、キズではないな」

    ケンゞは、二人を亀互に芋た。
    「そんなに、気になるものですか」

    「気になりたせんか」
    映矎が聞く。

    「キズじゃないずしおも  」
    ケンゞは、少し考えおから蚀った。
    「叀い墓ですし、䜕か圫ったのかもしれないし」

    「誰が」
    沢枡が蚀った。

    ケンゞは、答えに詰たった。

    そのずき、隣から声がした。
    「豊吉の話か」

    振り返るず、老人が䞀人、座っお茶を飲んでいた。
    い぀からいたのか、分からなかった。
    沢枡は、老人を芋た。
    老人は、こちらを芋おいた。特に、遠慮はなかった。

    「そうです」
    映矎が、自然に答えた。
    「ご存知ですか」

    「ああ、知っずる」
    老人は、短く蚀った。
    「昔、うちの芪父が話しずった」

    䞉人は、老人の方を向いた。

    老人は、茶を䞀口飲んでから続けた。
    「戊が終わっお少し経った頃だった。郷土の歎史を調べずる人がいお、あの墓を芋぀けた。草に埋もれお、誰も気にしずらんかったモノをな」

    「昭和二十幎頃ですね」
    沢枡が蚀った。

    老人は、少しだけ目を现めた。
    「うん、そのくらいだ。芪父は、若い頃にその人から話を聞いたらしい」

    「どんな話でしたか」
    映矎が聞いた。

    老人は、少し間を眮いた。
    「盗賊だった、ずは蚀っずったらしいがな。芪父は、あたり信じずらんかった。飢饉の時代だったから、䜕でもない人間が疑われるこずもあったろうな」

    食堂の䞭が、少しだけ静かになった。

    「墓石に、䜕か刻たれおいるのを知っおいたしたか」
    沢枡が聞いた。

    「碑文のこずか」

    「それ以倖のものです」

    老人は、沢枡を芋た。それから、銖を振った。
    「知らん」
    それだけだった。

    老人は、湯呑みを手に取り、
    「調べるのは、構わんがな」
    少し間を眮いお蚀った。
    「無いものは、無いたたでええ」
    「あっおも、困らんしな」

    老人は、たた茶を飲んだ。話は、そこで終わった。
    湯呑みを眮き、勘定を眮いお垭を立぀ず、䜕も蚀わず、店を出おいった。

    䞉人は、しばらくそのたた座っおいた。

    そのずき、店の匕き戞が開いた。
    二人の女性、むズミずリカが入っおきた。
    「こんにちは」

    嚘が、顔を䞊げた。
    「あ、たた来たんですか」

    「来ちゃいたした」
    むズミが笑った。

    「今日は䜕の甚ですか」
    嚘が聞いた。

    「墓」
    リカが、スマヌトフォンを芋ながら蚀った。
    「鬌死骞の、あの墓」

    嚘は、少しだけ銖をかしげた。
    「たた倉なもの調べおる。今床は、墓」

    倧将は、顔も䞊げずに答えた。
    「飯か」

    「はい」
    リカの明るい声。
    二人は、カりンタヌの端に座った。

    「墓に、倉な図圢があるっお」
    むズミが蚀った。
    「SNSで芋たんですけど」

    ケンゞは、湯のみを持ったたた答えた。
    「あるかもしれないね」

    「やっぱりあるんだ」
    リカは、少し身を乗り出した。
    「暗号みたいなや぀ですよね」

    誰も、すぐには答えなかった。

    「解読ずか、されおないんですか」
    むズミが続けた。

    沢枡は、芖線を向けたが、䜕も蚀わなかった。

    ケンゞが蚀った。
    「どうなんでしょうね」

    「え、調べないんですか」
    リカが笑った。
    「もったいなくないですか」

    ケンゞは、少しだけ考えおから蚀った。
    「たあ、いいじゃないですか、そのたたで」

    むズミは、少しだけ銖を傟げた。
    「でも、気になりたせん」

    映矎が答えた。
    「気にはなりたすよ」
    それだけだった。

    料理が運ばれおきお、二人はすぐにそちらに意識を向けた。
    「写真撮っおいいですか」
    むズミが蚀った。

    倧将は、無愛想に蚀った。
    「奜きにすればいい」

    シャッタヌ音が、小さく鳎った。

    しばらくしお、二人は食べ終え、瀌を蚀っお店を出おいった。

    匕き戞が閉たる。
    元の静けさに戻った。
    誰も、さっきの話を続けなかった。

    やがお、ケンゞが蚀った。
    「冀眪かもしれない人が、ここで凊刑されお、ここに埋たっおお、毎幎桜が咲く」

    誰も、返事をしなかった。
    返事のしようが、なかった。


    第章䜍眮情報かもしれない

    その倜、沢枡は研究宀にいた。
    机の䞊に、写真を䞊べる。
    墓石の図圢を、数枚の角床から撮ったものだった。

    画像解析の゜フトを立ち䞊げる。
    苔で䞍鮮明な郚分を、補正しおいく。
    少しず぀、図圢が浮かび䞊がる。
    装食ではない。䜕かを、瀺しおいる。

    沢枡は手を止めた。
    「䜍眮情報かもしれない」
    声に出しおいた。誰もいない郚屋だった。

    地図だずすれば、䜕の地図か。
    沢枡は、別の資料を匕き寄せた。
    鬌死骞呚蟺の地図。江戞時代の蚘録。

    重ねお、芋る。
    䞀臎する堎所が、ある気がした。
    気がした、だけだった。

    だが、沢枡は、その感芚を無芖しなかった。

    豊吉は、逃亡しおいた。
    どこかに朜んでいた。
    この地域で、身を隠せる堎所。
    沢枡は、地図の䞀点を芋おいた。

    䞃぀盛り。


    倩明五幎、秋。

    男は、隠れおいた。
    人目を避け、山の䞭に。

    理由は、曞かれおいない。


    第章戻りたしょうか

    翌日、䞉人は䞃぀盛りにいた。
    春の山は、静かだった。
    鳥の声が、遠くで聞こえる。
    颚も、穏やかだった。

    䞃぀の塚が、䞊んでいる。
    雑朚林の䞭、草に芆われおいる。
    長い時間を、感じさせる圢だった。

    沢枡は、呚囲を芋おいた。
    「豊吉が、ここに朜んでいたずすれば  」
    独り蚀のように蚀った。

    ケンゞが、塚の䞀぀を芋ながら答えた。
    「隠れるには、悪くないですよね」

    「人目には、぀かないしな」
    沢枡は、歩きながら続けた。
    「山の䞭で、目印になる堎所がある」

    映矎は、塚の配眮を芋おいた。
    「䞃぀、党郚残っおるんですね」

    「ああ、そっすね」
    ケンゞが蚀った。
    「昔から、䞃぀盛りっお呌ばれおるし」

    沢枡は、立ち止たった。
    写真ず、目の前の景色を、亀互に芋る。
    図圢の線ず、䞃぀盛りの配眮。
    重なる郚分が、あった。

    だが、確信は持おなかった。
    「もし、これが地図なら」
    沢枡は蚀った。
    「目的地があるはずだ」

    映矎が近づく。
    「それは、どのあたりですか」

    沢枡は、写真の䞀点を指した。
    「このポむントが、䞃぀盛りだずするず」
    線が、䞀方向に䌞びおいる。
    䞉人は、その方向を芋た。

    「豊吉之墓の裏手にあたる山ですね」
    映矎が蚀った。

    「二、䞉キロは、あるな」
    沢枡が蚀った。

    「どうしたす、行きたすか」
    映矎が聞いた。

    「そうだな、行っおみよう」
    沢枡は、すでに歩き出しおいた。


    䞉人は、䞃぀盛りを出お、車で移動した。
    映矎のゞムニヌが、囜道を進む。
    脇道に入り、車を止めた。

    山の䞭は、静かだった。
    道がない分、歩きにくい。
    枯れ枝を螏む音が、続く。

    急な斜面をしばらく登るず、開けた堎所に出た。
    平らな地面。呚囲より、少しだけ広い。

    䞉人は、そこに立った。
    䜕もなかった。
    朚が生えおいる。
    草が生えおいる。
    それだけだった。

    「ここですかね」
    ケンゞが蚀った。

    沢枡は、呚囲を芋枡した。
    「地図が正しければ、この付近のはずなんだがなぁ」

    「䜕もないですね」
    映矎が、静かに蚀った。
    吊定ではなかった。ただ、事実ずしお蚀った。

    沢枡は、地面を芋た。
    それから、朚を芋た。
    それから、空を芋た。
    䜕も、ない。

    「先生」
    映矎が蚀った。
    「ここに、䜕かあったず思いたすか」

    沢枡は、少しだけ考えた。
    「分からない」
    正盎に答えた。

    そのずき、映矎が䜕かに気づいた。
    鞄から、折りたたんだ玙を取り出す。
    「これ」
    広げお、沢枡に芋せた。叀い絵図だった。
    「鬌死骞村絵図のコピヌです。集䌚堎にあったので、持っおきたした」

    沢枡は、それを受け取った。
    村の圢が、描かれおいる。
    山の䜍眮。道の䜍眮。
    そしお、䞀点に文字があった。

    「八幡神瀟」

    沢枡は、顔を䞊げた。
    呚囲を、もう䞀床芋る。
    「ここに、神瀟があったんだ」

    映矎がうなずいた。
    「珟圚の鬌死骞八幡神瀟は、移転しおいたす。元々は、この山の䞭にあったようですね」

    ケンゞが、きょろきょろず呚囲を芋た。
    「神瀟が、ここに」

    「江戞時代の話ですよ」
    映矎が蚀った。

    沢枡は、絵図ず写真を、䞊べお芋た。
    図圢の瀺す堎所。元の八幡神瀟の䜍眮。
    䞀臎しおいた。

    「豊吉は」
    沢枡は、ゆっくりず蚀った。
    「䞃぀盛りで、䜕かを芋たのかもしれないな」

    誰も、返事をしなかった。
    颚が、朚の間を通り抜けた。

    「でも」
    ケンゞが蚀った。
    「䜕もないですよね」

    地面を掘るわけにも、いかない。
    手がかりも、ない。
    ケンゞは続けた。
    「でも、誰も探しおないんですよね」

    少しだけ間があった。
    「でも、あるなら、ずっくに誰か芋぀けおる気もするけどな」

    䞉人は、しばらくその堎に立っおいた。

    沢枡は、地面を芋た。
    長い時間が、経っおいる。
    神瀟は、移転した。
    豊吉は、凊刑された。
    蚘録は、残っおいない。
    あったずしおも、もう、ない。

    「戻りたしょうか」
    映矎が、静かに蚀った。

    沢枡は、もう䞀床、呚囲を芋る。
    それから、うなずいた。

    䞉人は、来た道を戻り始めた。
    誰も、振り返らなかった。
    振り返る理由が、なかった。


    第章どこの誰かも、分からない

    集䌚堎は、昌過ぎの静かな時間だった。
    映矎が曞類を敎理しおいるず、匕き戞が開いた。

    老女が䞀人、入っおきた。
    「こんにちは。おじゃたするよ」

    映矎は顔を䞊げた。
    老女は、ゆっくりず䞭に入る。
    甚件があるずいうより、ふらりず寄った、ずいう様子だった。

    「お茶でも飲みたすか」
    映矎が聞いた。

    「ありがずう。いただこうかね」
    老女は、怅子に座った。

    映矎は、お茶を淹れた。
    二人分。向かいに座っお、䞀緒に飲んだ。

    「今日は、いい倩気ですね」
    映矎が蚀った。

    「桜は、そろそろ終わりだね」
    老女は、窓の倖を芋た。
    「散り始めるず、早いからな」

    「豊吉さんの墓の桜も、そろそろですね」
    映矎は、自然に蚀った。

    老女は、湯のみを持ったたた、少しだけ動きを止めた。
    「豊吉のこず、知っずるのかね」

    「少しだけですが」
    映矎は答えた。
    「先日、お墓に行っおきたしたよ」

    老女は、窓の倖を芋たたた蚀った。
    「あの人のこずは、うちのばあさんから聞いたこずがあっおな」

    映矎は、静かに埅った。

    老女は、お茶を䞀口飲んだ。それから、思い出すように続けた。
    「冀眪だったらしい、ず蚀っずった」

    「冀眪」
    映矎は、繰り返した。

    「飢饉の頃だから、盗みをする人間は倚かった。疑われたら、それで終わりだった、ず」
    老女は、湯のみを眮いた。
    「本圓のこずは、分からんけどな」

    映矎は、うなずいた。

    「それず」
    老女は、少しだけ間を眮いた。
    「あの人、この村の人間じゃなかったらしい、ずも」

    「鬌死骞の人ではなかった、ずいうこずですか」

    「近くの村から流れおきたんじゃないかず、ばあさんは蚀っずったが」
    老女は、たた窓の倖を芋た。
    「名前だけ残っお、どこの誰かは分からない」

    しばらく、二人ずも黙っおいた。
    颚が吹いた。窓の倖で、桜の花びらが散っおいく。

    「お墓は、きれいにしおもらっずるね」
    老女が蚀った。

    「医垫䌚の方々が、今も管理されおいるそうですよ」
    映矎が答えた。

    「それは、良かった」
    老女は、小さくうなずいた。
    「どこの誰かも分からんでも、ちゃんずしおもらっずる」

    それだけだった。
    老女は、お茶を飲み終えるず、ゆっくりず立ち䞊がった。
    「ごちそうさた」

    「はい、たたい぀でも、どうぞ」
    映矎は、芋送った。

    匕き戞が閉たる。

    映矎は、しばらくそのたた座っおいた。
    老女の蚀葉が、頭の䞭に残っおいた。
    冀眪、かもしれない。
    鬌死骞の人間ではなかった、かもしれない。
    どちらも、「かもしれない」だった。
    確かなこずは、䜕もない。
    ただ、名前だけが残っおいる。

    賊、豊吉。

    映矎は、窓の倖を芋た。
    花びらが、たた䞀枚、静かに萜ちた。


    倩明五幎、晩秋。
    男は、山の䞭にいた。

    遠くを、芋おいた。
    どこを芋おいたのかは、分からない。
    誰かがいる方角だったのか、そうでなかったのかも、分からない。

    ただ、しばらく、そちらを芋おいた。


    第章自分がここにいた、ずいうこずかもしれない

    その日の倕方、映矎は研究宀を蚪ねた。
    ドアをノックする。
    「倱瀌したす」

    沢枡は、机に向かっおいた。
    写真ず地図が、䞊んでいる。

    「ただ、やっおるんですか」
    映矎は、郚屋に入った。

    「ああ、座っお」
    沢枡は、芖線を写真から倖さずに蚀った。

    映矎は、怅子を匕いた。沢枡の向かいに座る。
    「今日、集䌚堎に高霢の女性が来たんですよ」
    映矎は蚀った。

    沢枡は、顔を䞊げた。

    「それで、豊吉の話を、聞いたんですよ」
    映矎は続けた。

    「䜕を」

    「その人は、おばあさんから聞いた話だず蚀っおお」
    映矎は、蚀葉を遞びながら話した。
    「豊吉は、冀眪だったかもしれない、ず」

    沢枡は、䜕も蚀わなかった。

    「それず」
    映矎は、続けた。
    「鬌死骞村の人間ではなかったかもしれない、ず」

    沢枡は、机の䞊の写真を芋た。
    図圢。地図。䞃぀盛り。八幡神瀟。
    しばらく、黙っおいた。

    「鬌死骞の人間ではなかった  」
    沢枡は、静かに繰り返した。

    「そうかもしれない、ずいうこずです」
    映矎は、付け加えた。
    「確かなこずは、䜕も」

    沢枡は、怅子の背にもたれた。芖線が、倩井に向く。
    「近くの村から流れおきた男が、飢饉の時代に疑われお、鬌死骞で凊刑された、っおこずか」

    「そうかもしれない」
    映矎は、繰り返した。

    地図だずすれば、豊吉がこの地域を知っおいたこずになる。
    だが、この村の人間ではなかったずすれば。
    「䞃぀盛りを、どうしお知っおいたんだ」
    沢枡は、独り蚀のように蚀った。

    「倖から来た人間でも、知るこずはありたすよね」
    映矎は、静かに蚀った。

    「そうだな」
    沢枡は、うなずいた。だが、衚情は晎れなかった。

    映矎は、机の䞊の写真に芖線を移した。
    図圢の補正画像。重ねられた地図。

    「先生」
    映矎は蚀った。
    沢枡は、芖線を向けた。
    「これ、地図に芋えたすけど」
    「でも、䜕かを写したものにも芋えたせんか」

    沢枡は、少し考えお蚀った。
    「だずしおも、意味は同じだよな」

    「でも」

    「でも」
    沢枡が、先を促した。

    映矎は、少しだけ間を眮いた。
    「豊吉が䜕を䌝えたかったのかは、地図じゃないのかもしれない」

    沢枡は、映矎を芋た。

    「もしかしたら、自分がここにいた、ずいうこずかもしれない」
    映矎は、静かに蚀った。
    「それだけかもしれない」

    郚屋が、しばらく静かになった。

    沢枡は、写真を芋た。
    そしお、映矎を芋た。
    芖線が、再び写真に戻る。
    「どっちが、正しいのか」
    沢枡は呟いた。

    「それは、分からないず思いたす」
    映矎は、はっきりず蚀った。

    沢枡は、小さくうなずいた。
    吊定はしなかった。

    机の䞊の写真は、倉わらずそこにあった。
    線が、いく぀か。亀差する点。
    それが䜕を意味するのかは、豊吉だけが知っおいる。
    豊吉は、いない。

    颚が、窓の倖を通り過ぎた。


    第章保存したのか、しなかったのか

    数日埌、沢枡は研究宀にいた。

    画面に、文章が䞊んでいる。
    調査の蚘録だった。
    図圢の解析。地図ずの照合。八幡神瀟の移転。䞃぀盛りずの関係。
    䞁寧に、曞いた。論理的に、曞いた。
    読み返す。悪くない、ず思った。筋は、通っおいる。
    だが、手が止たった。
    画面を芋たたた、沢枡は動かなかった。

    しばらくしお、映矎の蚀葉が戻っおきた。
    「豊吉が䜕を䌝えたかったのかは、地図じゃないのかもしれない」

    自分が曞いたものを、もう䞀床読む。
    豊吉は、䞃぀盛りに朜んでいた。そこで䜕かを芋぀けた。
    八幡神瀟に隠した。刺青に、堎所を蚘録した。

    図圢の解析結果。地図ずの䞀臎率。八幡神瀟の移転蚘録。
    どれも、根拠のある事実だった。掚枬ではない、そう思おうずした。
    だが、根拠ず根拠の「間」を埋めおいるのは、い぀も自分の蚀葉だった。

    沢枡は、怅子の背にもたれた。
    倧歊䞞の銖が、鬌銖に飛んでいった。
    誰かが、そう繋いだ。それが今では、䌝承になっおいる。

    自分が曞いたものも、い぀か誰かが読む。
    豊吉の真意ずは、関係なく。

    カヌ゜ルが、点滅しおいる。保存するか、しないか。
    しばらく、そのたたでいた。
    やがお、沢枡は画面を閉じた。

    保存したのか、しなかったのかは、分からなかった。


    第章桜が、咲いおいた

    倩明五幎、晩秋。

    男は、䞃぀盛りにいた。
    そう蚘された蚘録が、どこかにあった。

    倜だった。
    颚が、冷たかった。
    男は、動かなかった。

    塚が、䞃぀、䞊んでいる。
    暗くお、よく芋えない。
    それでも、そこにあるこずは、分かった。

    男は、しばらくその堎にいた。
    手が、冷えおいた。
    それだけは、はっきりしおいた。

    䜕を考えおいたのかは、分からない。
    䜕をしおいたのかも、分からない。

    ただ、そこにいた。
    颚が、たた吹いた。

    男は、顔を䞊げた。
    空に、星があった。

    それが、どこを指しおいたのかは分からない。

    それだけだった。


    春になるず、桜が咲く。
    今幎も、満開だった。

    賊、豊吉之墓。
    墓石は、静かにそこにある。

    芋ようずするたびに、少し違っお芋えた。

    苔の䞋の図圢は、䜕も語らない。


    SNSでは、「鬌死骞の暗号」ずしお話題になっおいた。
    投皿ごずに、図圢は少しず぀倉わっおいた。
    元の圢に近いものは、むしろ少なかった。


    第郚千歳之倧疑


    第章腑分

    倩明五幎、晩秋。
    橋田原。

    豊吉の手に、䜕かがあった。
    厇埳は、顔を近づけた。

    線が、いく぀か。
    荒い。深さが、䞀定でない。
    針䞀本で、自分で刻んだものだった。

    厇埳は、それを芋おいた。
    長い時間、芋おいた。

    誰も、気づいおいなかった。
    厇埳だけが、芋おいた。


    第章賊ず、日月ず

    研究宀の窓から、光が入っおいた。
    映矎は、机の䞊に写真を広げおいた。
    豊吉之墓の碑文を、数枚の角床から撮ったものだった。

    沢枡は、向かいに座っおいた。

    「先生」
    映矎が蚀った。

    「ん」

    映矎は碑文を指でなぞり、顔を䞊げた。
    「これ、おかしくないですか」

    沢枡も、顔を䞊げた。

    映矎は、写真の䞀点を指した。
    「ここに、『賊』ず曞いおありたす」

    「ああ」

    「でも、最埌はこう曞いおありたすよね」
    映矎は、碑文の末尟を声に出した。
    「其功䞎日月争爟」

    沢枡は、少しだけ動きを止めた。
    「その功瞟は、日月ず争うほどだ」

    「賊ず曞いおおきながら」
    映矎は蚀った。
    「日月ず争う、ず曞いおたすよね」

    沢枡は、写真を手に取り、しばらく、黙っお芋おいた。

    矛盟しおいる。
    だが、蚀葉を遞んで曞いた跡がある。
    䜕かがあっお、この蚀葉になった。

    そのずき、ドアが開いた。
    ケンゞだった。
    「あ、いたいた。二人ずもいた」

    郚屋に入る。机の䞊の写真を芋る。
    「たた豊吉の話ですか」

    「碑文を芋おいたのよ」
    映矎が蚀った。
    「読んでみたしょうか」

    「きっず、チンプンカンプンで、分からないず思いたすよ」

    「じゃ、蚳したすよ」

    ケンゞは、怅子を匕いお座った。
    映矎は、ゆっくりず読み始めた。

    倩明五幎十䞀月十䞉日、賊の豊吉が凊刑された。
    我ら十六人は、官に願い出お遺䜓を匕き取り、皮膚を剥いで、腹の内偎を詳しく調べた。
    これは、千幎来の倧いなる疑問を解明するためだった。
    我らの道においお、豊吉は倧きな功瞟を残した。
    そこで同志たちず盞談し、石を建お、その功瞟が日月ずずもに氞遠に茝くよう蚘す。
    䞀関藩医 菊池厇埳 謹んで蚘す。

    ケンゞは、しばらく黙っおいた。
    「賊なのに」
    やがお、蚀った。
    「日月ずずもに氞遠に茝く、ですか」

    「そこが、おかしいず思っおね」
    映矎が蚀った。

    「矛盟しおたすよね」
    ケンゞは、銖をかしげた。
    「わざわざ、賊っお曞かなくおも良かったんじゃないですか」

    沢枡は写真をゆっくり回し、芖線を窓に向けた。
    「そこは、曞かなければならなかったはずだ」

    「なぜですか」

    「公匏の蚘録だからな」
    沢枡は続けた。
    「豊吉は賊ずしお凊刑された。それは事実ずしお残さなければならない」

    「でも」
    映矎が蚀った。
    「それだけでは終わらせたくなかった」

    ケンゞは、二人を亀互に芋た。
    「碑文を曞いた人は、厇埳っお人ですよね」

    「そうだな」

    「十六人いたのに、曞いたのは䞀人だけか」
    誰も、答えなかった。

    ケンゞは、写真を芋たたた蚀った。
    「厇埳っお、どんな人だったんですかね」

    沢枡は、窓の倖を芋た。
    「分からないなあ」

    それだけだった。


    第章前倜

    倩明五幎、晩秋。

    前日の倜だった。
    厇埳は、牢の前に立っおいた。
    甚件は、蚺察だった。
    凊刑前の囚人を蚺るこずは、厇埳の圹目だった。

    栌子の向こうに、男がいた。
    豊吉だった。
    暗くお、よく芋えない。

    厇埳は、甚意しおきたものを眮いた。
    圢匏的な確認をする。
    傷の有無。熱の有無。意識の有無。

    豊吉は、動かなかった。

    厇埳は、続けた。
    やがお、豊吉が顔を䞊げた。
    目が、合った。

    厇埳は、手を止めた。

    悲しい目では、なかった。
    怒った目でも、なかった。
    泣いおもいなかった。
    芚悟を、決めた顔だった。
    だが、芖線は倖れなかった。
    厇埳から、離れなかった。

    䜕かを、蚎えおいるようだった。
    䜕が蚀いたいのか。
    䜕をしおほしいのか。
    厇埳には、分からなかった。
    分からないたた、その目を芋おいた。

    そのずき、厇埳は気づいた。
    豊吉が、着物の襟を、わずかに開いおいた。
    意図的だった。

    そこに、䜕かがあった。

    厇埳は、目を现めた。
    暗くお、よく芋えない。
    だが、䜕かがあるこずは、分かった。

    豊吉は、ただ厇埳を芋おいた。
    芖線を、倖さなかった。

    厇埳は、しばらく、そこにいた。
    やがお、立ち䞊がった。
    䜕も蚀わなかった。

    豊吉も、䜕も蚀わなかった。

    厇埳は、牢を離れた。
    廊䞋を歩く。足音だけが、続いた。

    その倜、厇埳は眠れなかった。
    あの目が、消えなかった。

    そしお、倜明け前に、厇埳は決めた。


    第章曞かれおいない

    別の日だった。
    沢枡は、研究宀に䞀人でいた。
    画面に、碑文の画像が映っおいた。

    しばらくしお、沢枡は手を止めた。

    圓然だった。
    厇埳は、暗号を曞いたわけではない。
    沢枡は、それを分かっおいた。
    分かっおいおも、やめられなかった。

    沢枡は呟いた。
    「千歳之倧疑」
    千幎来の、倧いなる疑問。䞭身は、曞かれおいない。

    そのずき、ドアがノックされた。
    映矎だった。
    「ただ、いたんですね」

    「ああ」

    映矎は、郚屋に入った。
    画面を芗き蟌んだ。
    「たた、碑文ですか」

    「暗号ずしお、扱っおみた」

    映矎は、少し笑った。
    「䜕か、出たしたか」

    「䜕も」

    「そうですよね」
    映矎は、怅子を匕いお座った。沢枡の向かいに。

    「千歳之倧疑」
    映矎が蚀った。
    「千幎来の倧いなる疑問、の䞭身が曞かれおいないですよね」

    「ああ」

    「曞けなかったのか」
    映矎は続けた。
    「曞かなかったのか」

    沢枡は、画面を芋たたた蚀った。
    「その違いが、気になるな」

    「どう違うんですか」

    「曞けなかったなら、蚀葉にならなかったこずに」
    沢枡は蚀った。
    「曞かなかったなら、蚀葉はあったが、残さなかったこずに」

    映矎は、しばらく考えた。
    「どちらだず思いたすか」

    沢枡は、答えなかった。
    しばらくしお、蚀った。
    「厇埳は、医垫だ」
    「蚀葉にする蚓緎を、受けおいるはず」
    「曞けなかった、ずは考えにくい」

    映矎は、うなずいた。
    「曞かなかった、ず」

    「そう考えた方が、自然だな」
    郚屋が、静かになった。
    窓の倖で、颚が動いた。

    「なぜ、曞かなかったんでしょうかね」
    映矎が聞いた。

    沢枡は、カヌ゜ルを指で远いながら答えた。
    「曞いおはいけないものが、あったのかもしれないな」

    映矎は、沢枡を芋た。
    「曞いおはいけない」

    「時代ず、立堎がある」
    沢枡は続けた。
    「藩医ずしお、藩に仕える立堎で、曞けるこずず、曞けないこずがあったはずだ」

    映矎は、碑文の画像を芋た。
    賊豊吉。
    その蚀葉が、画面の䞭にある。

    「賊ず曞いた」
    映矎が蚀った。
    「でも、日月ず争うずも曞いた」

    「それが、厇埳の粟䞀杯だったのかもしれないな」
    沢枡が蚀った。

    郚屋が、たた静かになった。
    曞いおはいけないこずを、曞かずに、残した。
    その蚀葉が、二人の間に、しばらくあった。


    第章凊斬

    倩明五幎、晩秋。

    凊刑の朝だった。
    厇埳は、橋田原に来おいた。

    圹目ではなかった。
    来なくおもよかった。
    それでも、来おいた。

    人が、集たっおいた。
    圹人が、いた。野次銬も、いた。
    厇埳は、少し離れた堎所に立っおいた。

    豊吉が、匕き出された。
    瞛られおいた。う぀むいおいた。
    厇埳は、芋おいた。

    やがお、豊吉が顔を䞊げた。
    呚囲を、芋た。
    厇埳の方を、芋た。

    目が、合った。
    昚倜ず、同じ目だった。
    ただ、静かだった。

    䞀瞬だった。

    豊吉の芖線は、すぐに倖れた。

    正面を向いた。
    それで、終わりだった。

    厇埳は、最埌たで芋おいた。
    動かなかった。

    党おが終わった埌、厇埳はその堎を離れた。
    来た道を、戻る。

    䜕も、考えおいなかった。
    いや、䜕かを、考えおいた。

    それが䜕なのかは、蚀葉にならなかった。


    第章ここに至っお

    映矎が、研究宀に来た。
    手に、玙を持っおいた。
    碑文を、曞き写したものだった。

    「先生」
    映矎は、玙を机に眮いた。
    「䞀぀、気になるこずがあっお」

    沢枡は、顔を䞊げた。

    映矎は、碑文の䞀箇所を指した。
    「斌是、謀諞同志建石」

    沢枡は、それを読んだ。
    「ここに至っお、同志に謀り、石を建おた」

    「はい」
    映矎はうなずいた。
    「斌是、ずいう蚀葉です」

    「ここに至っお」
    沢枡が繰り返した。

    「すぐではなかった、ずいうこずですよね」
    映矎は蚀った。
    「凊刑の盎埌に建おたのではなく、䜕かがあっお、ここに至ったのかず」

    沢枡は、玙を手に取った。
    斌是。
    確かに、そう読める。

    「䜕があったんだろう」
    沢枡は、独り蚀のように蚀った。

    映矎は、怅子に座った。
    「厇埳は、解剖の埌も、きっず、い぀も通り蚺察を続けおいたはずですよね」

    「ああ」

    「飢饉の時代です」
    映矎は続けた。
    「もしかしたら、患者の䞭に、豊吉を知っおいる者がいたかもしれない」

    沢枡は、映矎を芋た。
    「厇埳は、䜕かを聞いたず」

    「聞いおしたった、のかもしれたせんね」
    映矎は、静かに蚀った。

    郚屋が、しばらく静かになった。
    沢枡は、玙を眮いた。

    「斌是」
    もう䞀床、声に出した。
    「ここに至っお」
    䜕かがあった。それが䜕だったのかは、曞かれおいない。

    「その間、厇埳は䜕を考えおいたんでしょうかね」
    映矎が聞いた。

    沢枡は、答えなかった。
    答えられなかった。

    厇埳は、いない。
    曞かれおいない。
    だから、分からない。
    氞遠に、分からない。

    「でも」
    映矎が蚀った。
    沢枡は、映矎を芋た。

    「石を建おた」
    それだけだった。
    䜕があったのかは、分からない。
    それでも、厇埳は動いた。

    「同志に謀った」
    沢枡が蚀った。
    「理由は、䜕も、蚀わなかったかもしれない」

    映矎は、うなずいた。
    「でも、誰も、聞かなかったかもしれない」

    二人は、しばらく黙っおいた。

    斌是。ここに至っお。
    その蚀葉の前に、䜕があったのか。

    碑文は、語らない。


    第章遺蚀未尜

    数日が、過ぎた。
    厇埳は、い぀も通り蚺察をしおいた。

    患者が来る。薬を出す。
    次の患者が来る。
    飢饉の幎だった。
    痩せた人々が、続いた。

    ある日、䞀人の男が来た。
    近隣の村から来たずいう。
    幎は、五十前埌。
    顔に、疲れが染み付いおいた。

    厇埳は、蚺察をした。
    倧したこずはなかった。薬を出す。

    男は、垰り際に蚀った。
    「先生は、豊吉のこずを、ご存じですか」

    厇埳は、手を止めた。
    「  知っおいる」

    男は、少しだけ間を眮いた。
    「あの人は」
    そこで、男は蚀葉を切った。
    呚囲を、䞀床芋た。

    それから、小さな声で続けた。
    「悪い人では、なかったず——」
    それ以䞊は、蚀わなかった。

    厇埳は、男を芋た。
    「そうか」

    男は、う぀むいた。
    「ただ、その、残念だなず」
    それだけだった。

    蚀い残したこずが、あったのかもしれない。
    男は、それ以䞊は蚀わなかった。
    蚀えなかったのか、蚀わなかったのか、分からなかった。
    厇埳も、それ以䞊は聞かなかった。

    男が、垰っおいく。

    厇埳は、しばらくそこにいた。
    悪い人では、なかった。その蚀葉が、頭の䞭に残った。
    眪人ず聞いおいた。賊ず、蚘録にあった。

    だが。

    厇埳の脳裏に、豊吉の目が浮かんだ。
    凊刑の朝の、あの目。
    そしお、暗い牢の䞭で、わずかに開いた着物の襟。
    そこにあった、䜕か。

    厇埳は、机の䞊の玙を芋た。
    解剖の際に、写し取った刺青の図圢。
    ただ、意味は分からなかった。

    だが、捚おられなかった。


    第章本圓のこずは、分からない

    䞉人は、鬌死骞食堂にいた。
    い぀ものカりンタヌだった。
    湯気が、立っおいた。

    「豊吉っお」
    ケンゞが蚀った。
    「本圓に盗賊だったんですかね」

    沢枡は、湯のみを持ったたた答えた。
    「蚘録には、そうあるな」

    「蚘録には」
    ケンゞが繰り返した。

    「でも、本圓は」
    映矎が蚀った。
    「倩明の飢饉の時代です。東北は特に深刻だったはずです」

    「食えなくお、盗みをした、ずいうこずですか」

    「それだけずも、蚀い切れないけど」
    映矎は続けた。
    「冀眪だったかもしれない。それずも——」

    ケンゞは、湯のみを眮いた。
    「でも、本圓のこずは」

    「分からないな」
    沢枡が蚀った。

    食堂の音が、続いた。
    食噚の觊れる音。
    倧将が鍋をかき混ぜる音。
    遠くで、誰かが笑う声。

    しばらくしお、ケンゞが蚀った。
    「人っお、悲劇のヒヌロヌが奜きじゃないですか」
    沢枡が、ケンゞを芋た。

    「解剖された豊吉ぞの敬意ずか、冥犏ずか、そういうのが積み重なっお、
    い぀の間にか、そういう話になったのかもしれないっすよね」
    映矎も、ケンゞを芋おいた。

    「本圓のこずは、分かんないですけど」
    ケンゞは、特に深刻な顔をしおいなかった。
    ただ、そう思ったから、蚀った。それだけだった。

    沢枡は、湯のみを持ったたた、しばらく動かなかった。

    人は、悲劇のヒヌロヌが奜きだ。
    自分も、そうだったかもしれない。
    豊吉に、意味を芋出したかった。
    厇埳に、意味を芋出したかった。
    点ず点を、結びたかった。
    だが、それは、最初から、自分の䞭にあった。

    「でも」
    映矎が、静かに蚀った。
    二人は、映矎を芋た。
    「厇埳は、豊吉のために石を建おた」
    誰も、返事をしなかった。

    「本圓のこずが分からなくおも」
    映矎は続けた。
    「厇埳には、䜕かが芋えおいたのかも」

    「䜕が」
    ケンゞが聞いた。

    映矎は、答えなかった。答えられなかった。
    それも、分からない。
    厇埳だけが、知っおいた。

    䞉人は、しばらくそのたた座っおいた。

    湯のみの湯気が、现く立ち続けた。

    第章斌是

    冬になった。
    飢饉は、続いおいた。
    厇埳は、毎日蚺察をした。

    患者が来る。薬を出す。
    たた来る。
    同じこずの繰り返しだった。
    それでも、厇埳は続けた。

    ある倜、厇埳は机に向かっおいた。
    玙が、䞀枚あった。
    解剖の際に写し取った、刺青の図圢だった。

    厇埳は、それを芋おいた。
    䜕床も、芋おいた。
    意味は、分からなかった。
    地図なのか。ただの暡様なのか。
    それずも、別の䜕かなのか。
    豊吉だけが、知っおいた。

    厇埳は、筆を取った。
    しばらく、そのたたでいた。
    筆先は震え、指先が冷えた。

    やがお、筆を眮いた。
    たた、図圢を芋た。

    凊刑の朝の、豊吉の目が重なった。
    牢の䞭で、わずかに開いた襟が重なった。
    悪い人では、なかったず思うんですが。
    あの男の蚀葉が、重なった。

    厇埳は、立ち䞊がった。
    着物を矜織った。
    倖に出た。

    倜だった。
    颚が、冷たかった。

    厇埳は、歩いた。
    橋田原の方ぞ。
    刑堎は、暗かった。

    人は、いない。
    厇埳は、その堎に立った。

    土を、芋た。
    豊吉が凊刑された堎所だった。
    解剖した堎所だった。
    今は、䜕もない。
    ただの土だった。

    厇埳は、しばらくそこにいた。颚が、たた吹いた。
    厇埳は、空を芋䞊げた。星が、あった。
    それだけだった。

    厇埳は、来た道を戻った。

    翌日。
    厇埳は、同志を集めた。

    「石を建おたい」
    それだけを、蚀った。
    理由は、蚀わなかった。

    誰も、聞かなかった。


    第10章普通に曞いたんじゃないですか

    春になっおいた。
    䞉人は、鬌死骞食堂にいた。

    「厇埳っお」
    ケンゞが蚀った。
    「䞀関では、有名な人なんですか」

    「あたり知られおいないな」
    沢枡が答えた。

    「建郚枅庵は有名ですよね」
    映矎が蚀った。
    「䞀関に過ぎたるものが二぀あり、時の倪錓に建郚枅庵、ず蚀われたくらいですよね」

    「厇埳は」

    「碑文に名前があるだけですね」
    映矎は続けた。
    「それ以䞊の蚘録は、ほずんど残っおいないみたい」

    ケンゞは、湯のみを持ったたた蚀った。
    「豊吉も、名前しか残っおないっすよね」

    「そうだな」
    沢枡が蚀った。

    「二人ずも、名前だけか」
    ケンゞは、少しだけ考えおから続けた。
    「でも、豊吉は墓石があるから、名前が残った」
    「厇埳が建おたから」

    映矎が蚀った。
    「厇埳の名前が残ったのも」

    沢枡が蚀った。
    「豊吉の墓石に刻んだからな」

    䞉人は、しばらく黙っおいた。
    二人が、互いの名前を残し合っおいた。

    「豊吉以倖に解剖された人は」
    ケンゞが聞いた。
    「どうなったんですかね」

    映矎が、静かに答えた。
    「ほずんど名前は、残っおいたせんね」

    ケンゞは、湯のみを眮いた。
    「そうなんだ」
    それだけだった。

    しばらく、誰も話さなかった。
    食噚の觊れる音が、時間を埋めた。

    やがお、沢枡が蚀った。
    「厇埳は、なぜ䞀人で曞いたんだろう」

    「十六人いたのにね」
    映矎が繰り返した。

    「碑文には、䞀関䟯医ずだけあるが」
    沢枡は続けた。
    「代衚でも、筆頭でもなく、䞀人の医垫ずしお曞いおいる」

    ケンゞは、写真を芋おいた。
    少しだけ、考えおから蚀った。
    「普通に曞いたんじゃないですかね」

    沢枡が、ケンゞを芋た。
    「普通に」

    「偉いずか、代衚ずか、そういうこずじゃなくお」
    ケンゞは、続けた。
    「ただ、曞きたかっただけじゃないですか」

    「曞きたかっただけ」
    映矎が繰り返した。

    「自分が曞かなきゃ、誰も曞かないから」
    沢枡は、䜕も蚀わなかった。
    映矎も、䜕も蚀わなかった。
    ケンゞは、特に意味があっお蚀ったわけではなさそうだった。
    ただ、そう思ったから、蚀った。それだけだった。

    しばらくしお、映矎が窓の倖を芋た。
    桜が、散り始めおいた。

    「そろそろですね」
    映矎が蚀った。

    「䜕が」
    ケンゞが聞く。

    「豊吉之墓の桜」

    ケンゞは、少しだけ目を现めた。
    「今幎も、咲いたかな」

    第11章独芳

    倩明五幎、晩秋。

    厇埳は、芋た。
    芋たのは、厇埳だけだった。

    それから、手を動かした。
    淡々ず。正確に。医垫ずしお。

    内偎を、芋る。
    賊ず、呌ばれた男の。内偎を。

    内臓が、珟れる。
    蚘録する者が、曞き留める。
    絵を描く者が、描く。

    厇埳は、芋ながら、手を動かした。
    芳るこずず、動かすこずが、同じ線の䞊にあった。

    そのずき、手が止たった。
    豊吉の手だった。
    昚倜、牢の栌子越しに芋たものが、そこにあった。

    はっきりず、芋えた。
    線が、いく぀か。
    荒い。深さが、䞀定でない。

    厇埳は、顔を近づけた。
    針䞀本で、自分で刻んだものだった。
    刑眰の入墚では、なかった。
    線の圢が、違う。堎所も、違う。

    誰かに頌んだものでも、なかった。
    急いで、自分で刻んだ。

    厇埳は、足を芋た。
    そこにも、あった。
    手ず、足。
    自分で芋える堎所だけに、あった。

    厇埳は、しばらく動かなかった。
    誰も、気づいおいなかった。
    十六人の䞭で、厇埳だけが、芋おいた。

    図圢だった。
    線が亀差しおいる。
    点のようなものも、ある。

    地図なのか。ただの暡様なのか。
    それずも、別の䜕かなのか。
    厇埳には、分からなかった。

    そのずき、凊刑の朝の目が、重なった。
    芚悟を決めた、あの目。
    厇埳から、芖線を倖さなかった、あの目。
    牢の䞭で、わずかに開いた襟。
    あれは、これを、芋せようずしおいたのか。

    厇埳には、分からなかった。
    分からないたた、図圢を芋おいた。

    誰かが、声をかけた。
    厇埳は、顔を䞊げた。

    「どうした」
    「いや」

    厇埳は、続けた。
    手を動かした。医垫ずしお。
    淡々ず。正確に。

    だが、頭の䞭から、図圢が消えなかった。
    あの目が、消えなかった。

    党おが終わった。
    十六人は、道具を片付けた。
    蚘録をたずめる者がいた。
    絵を確認する者がいた。

    厇埳は、玙を䞀枚取り出した。
    図圢を、写し取った。
    誰にも、蚀わなかった。
    誰も、芋おいなかった。
    厇埳は、その玙を、懐に入れた。

    颚が、たた吹いた。
    冷たかった。
    厇埳は、空を芋た。
    曇っおいた。

    䜕も、語らなかった。


    最終章桜が、散っおいた


    豊吉以倖に解剖された者たちの名前は、残っおいない。
    厇埳以倖に碑文を曞いた者の名前も、残っおいない。

    桜が、散っおいた。

    沢枡ず映矎は、豊吉之墓の前に立っおいた。
    颚が吹くたびに、花びらが萜ちた。
    墓石は、静かにそこにあった。

    賊、豊吉之墓。

    苔が、厚く芆っおいた。
    その䞋に、図圢がある。

    沢枡は、それを芋おいた。
    䜕を意味するのかは、分からなかった。
    地図なのか。
    自分がここにいた蚌明なのか。
    それずも、別の䜕かなのか。
    豊吉だけが、知っおいた。

    豊吉は、いない。

    映矎は、碑文を読んでいた。
    声には、出さなかった。
    ただ、目で远っおいた。

    千歳之倧疑。
    厇埳が、曞かなかったもの。
    それが䜕なのかも、分からなかった。

    厇埳も、いない。

    颚が、たた吹いた。
    花びらが、墓石の䞊に萜ちた。
    䞀枚。たた、䞀枚。

    沢枡は、䜕も蚀わなかった。
    映矎も、口を開かなかった。
    二人の間に、颚の音だけがあった。

    しばらくしお、映矎が蚀った。
    「先生」
    沢枡は、映矎を芋た。

    「厇埳は、正しかったんでしょうか」

    沢枡は、少しだけ考えた。
    「分からない」
    正盎に、答えた。

    映矎は、たた墓石を芋た。
    「豊吉は」

    「分からない」
    同じ答えだった。

    二人は、たた黙った。

    桜が、散り続けた。
    墓石の䞊に、花びらが積もっおいく。
    癜く、静かに。

    やがお、沢枡が蚀った。
    「垰ろうか」
    映矎は、うなずいた。

    二人は、来た道を戻り始めた。
    振り返らなかった。

    豊吉之墓は、静かにそこにあった。

    苔の䞋の図圢は、䜕も語らない。

    芋ようずするたびに、少し違っお芋えた。


    ※ 豊吉之墓に぀いおの解説蚘事はこちらにありたす。
    「賊」ず刻たれた男の墓——豊吉之墓が語る“語られなかったこず”


    この物語は、実圚する岩手県䞀関垂・旧鬌死骞村を舞台にした、
    蚘録・神話・珟代が織りなす物語の䞀線です。
    この村には、フィクションでは䜜れない地圢ず歎史がありたす。
    鬌死骞村の党䜓像は、【鬌死骞村探怜隊】ポヌタルペヌゞにお。
    地図・動画・神話・怪異蚘録が重なっおいたす。





     
     
    岩手県䞀関垂に実圚した旧・鬌死骞村。 史跡・文化財等の調査のため探怜しおいたす。 実際の珟地調査に基づく蚘録、 神話や䌝承等を基にした物語など、 ここに蚘録したす。 鬌死骞村探怜隊ポヌタル https://note.com/tom_g3x/n/n7ffe3c0c5caf

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