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䟡倀

    䞀䜓この䞖の䞭には、なんの䟡倀があるのだろう。
    自分が䜕者にもなれないこずは、ずうの昔にわかっおいた。
    声を倱っおからその思いは骚の芯たで冷えお、時々、指先の感芚さえ曖昧になる。
    あの日は、声だけじゃなく、もっず倧きなものたで連れおいかれた。

    朝、凜の匁圓の卵焌きを巻く。
    出汁ず砂糖の配分は身䜓が芚えおいる。
    湯気に顔を寄せるたび、喉の奥がきゅっず瞮む。
    声は出ない。呌びかけも、叱るのも、歌うこずも、党郚、䜕かの代わりを必芁ずする。

    凜は最近、私の喉にそっず手を圓おるようになった。
    小さな指で、なでるように優しく觊れる。
    「いたくない」ずでも蚀うように、目が揺れる。
    私は笑っお銖を振る。
    けれど凜はただ心配そうに、もう䞀床なでた。
    「なおらないの」
    その声があたりに小さくお、胞が痛んだ。
    答えたいのに、答えられない。
    その沈黙を悟ったのか、凜は私の胞に顔をうずめ、「たたは、たただよ」ず垃越しに囁いた。

    私はボヌドに蚀葉を曞く。
    「いっおらっしゃい」
    凜は小さな口をたっすぐに結んだたた抱き぀き、靎を履く。
    䞉月の朝はただ冷たく、玄関の隙間颚が癜い息を揺らす。

    「きょう、うたのれんしゅう、ある」

    私は頷き、笑っおみせる。
    笑顔は出せる。出すしかない。
    扉が閉じるず、台所の奥から叀いギタヌを取り出す。
    六本の匊のうち四匊は少し錆びおいる。
    ケヌスの底には、か぀おのラむブのフラむダヌが1枚、角を䞞めお眠っおいる。

    指先で匊を抌さえ、軜く匟く。
    音は裏切らない。
    蚀葉の前にある気配だ。

    昌過ぎ、保育園の連絡垳に小さなメモが挟たっおいた。
    「歌の時間、りんちゃん、少し元気がありたせんでした」。

    迎えに行くず、凜は先生の圱に半分隠れおいた。
    「どうしたの」ず口を動かす。声は出ない。

    家ぞの垰り道、信号埅ちで凜はぜ぀りず蚀った。

    「ねえ  みんなが蚀った。
     りんのママ、こえが“こわれおる”んだっお。ぞんなのっお。」

    胞の奥がぎゅっず瞮む。
    「そんなこずないよ」ず蚀いたいのに、蚀えない。
    口だけが空気を぀かむみたいに圢を䜜る。
    蚀えない蚀葉が喉の奥に折り畳たれお積もる。
    守りたいのに、吊定も慰めもできない。
    凜の肩がわずかに震えるたび、私は心の䞭で叫んでいた。
    倧䞈倫。倉じゃないよ。あなたのママは壊れおなんかない。
    けれどそのどれも、颚にちぎれお消えた。

    私はしゃがみ、ポケットから板チョコを取り出し、半分に折る。
    板チョコの割れる音はきれいだ。

    胞に手を圓おお円を描く。
    奜き。倧奜き。
    それを䜕癟回も繰り返しおきた。

    凜は笑ったけれど、目の奥は曇ったたた蚀う。

    「ママのこえ、ききたい」

    声にならない息が喉から挏れた。
    私は凜の額に口づけし、家に垰るずギタヌを取り出した。
    玙に「こえのかわりに、おずで、はなすね」ず曞き、凜を膝に抱く。

    昔から倉わらない、ゆっくり揺れる子守唄の流れを、指先がたどる。
    蚀葉のない旋埋が、郚屋の隅の圱を静かに薄めおいく。

    âž»

    倜、凜は早く眠った。
    リビングの隅に点けっぱなしの小さな垞倜灯が、癜い倩井にがんやりず䞞い茪を描いおいた。
    私はその薄い明かりの䞋でノヌトを開く。
    ペヌゞの巊䞊に「䟡倀」ず曞く。
    曞いお、消す。曞いお、消す。

    その時だった。

    床䞋から重たい唞りが突き䞊がり、家党䜓が倧きな獣に掎たれたように揺れた。
    食噚棚が悲鳎のように軋み、次の瞬間、朚補の棚が私の方ぞ倒れ蟌んできた。

    避ける間もなく棚の端が脛に食い蟌み、支えを倱ったように膝が厩れ萜ちた。
    焌けるような痛みが広がり、床に抌し付けられる。
    頭を抱えるのが粟䞀杯だった。

    ガラスが割れ、皿が砕け、家は叫び声のような音で満たされる。

    「ママ」

    凜の声が暗闇の奥で裂けるように響いた。

    起き䞊がれない。
    声も出ない。
    ただ揺れが過ぎるのを埅぀しかなかった。
    あの日の続きのように、たた䜕かを奪われる気がした。

    やがお揺れは突然止たり、同時に明かりが消えた。
    暗闇が家じゅうに流れ蟌む。

    息が荒れ、脈が跳ねる。
    痛む足を匕き抜き、棚を抌しのける。
    立おない。膝が震える。
    凜の居堎所もわからない。

    呌びたくおも声がない。
    この沈黙の䞭で、嚘を倱うかもしれない。

    手探りで床をたさぐる。
    冷たい砎片、倒れた怅子、散らばったもの。
    その䞭で、指が朚の感觊に觊れた。

    ギタヌだった。
    倒れた棚の䞋で、奇跡的に割れおいない。

    胞の奥が震える。
    これしかない。

    私はギタヌを胞に抱え、膝を぀いたたた震える指で匊に觊れた。

    遠くでも届く现い音ず、胞に響く䜎い音を、ゆっくり、祈るように重ねる。
    それは声ではない。
    けれど今出しうる最倧の「ここだよ」だった。

    暗闇の向こうで、䜕かが動く。
    音が闇を切り開くように流れおいく。

    小さな足音が、音に吞い寄せられるように近づいおくる。

    やがお柔らかいものが膝にぶ぀かった。
    凜だった。

    私は巊腕で抱き寄せ、右手で震える匊を鳎らし続けた。
    音は恐怖の空癜を぀なぐ玐だった。

    倖ぞ避難する頃には、足は酷く腫れ熱をもっおいた。
    近所の人が片腕を貞しおくれ、凜は反察偎の手を匷く握っおくれた。

    避難所の䜓育通は、ざわざわずした䜎い音の海だった。
    毛垃を配るボランティアの声。
    遠くで泣く子どもの声。
    「うちは無事です、はい  はい  」
    震える声で電話する男性の声。

    凜は毛垃にくるたり、私の肩にもたれた。

    䜓育通の隅で誰かがギタヌを鳎らし始めた。
    知らない旋埋。けれどどこか懐かしい。

    凜が顔を䞊げる。

    「ママ、さっきのおず  ここたできた」

    私は銖を傟げる。
    凜は自分の胞に手を圓おお蚀う。

    「ママのおず、きこえたから、こわくなかった」

    喉の奥で䜕かがそっずほどけた。
    涙を指で拭い凜を抱きしめた。

    倜が明ける。
    薄い桃色が䜓育通の窓を染める。
    私はそばに積たれおいた段ボヌルの薄い切れ端を拟い䞊げ、震える手で曞く。

    「わたしの䟡倀」
    ——恐れを少しでも小さくするこず。
    ——倜を䞀緒に越えるこず。
    ——手を䌞ばせば届くずころにいるこず。

    凜は、さっき誰かにもらった小さなお菓子の袋に貌られおいた金色の星のシヌルをはがし、
    段ボヌルの「䟡倀」ずいう文字の暪にそっず貌った。

    安っぜいくらい明るいその星が可愛くお、私は肩を震わせお笑った。

    ——䟡倀なんお、最初からあった。
    声がなくおも、音があり、手があり、枩床がある。
    その党郚で、私は誰かを守れる。

    私は凜の手を握り、深呌吞する。
    新しい日が、少し倧きな音で始たる。

    声は出ない。
    けれど心の䞭で、はっきりず蚀う。

    ——ありがずう。生きおいおくれお。
    ——ありがずう。ここにいおくれお。

    凜はふいにこちらを芋お、たるで党郚聞こえおいるみたいに、にこりず笑った。

    その笑顔の茪郭を胞に刻みながら、私は静かに知る。

    生きるこずそのものが、誰かにずっおの蚌明曞であり、支えであり、灯りだ。

    ——それが、私のうたであり、
     私の䟡倀だ。

    #創䜜倧賞2026
    #オヌルカテゎリ郚門

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