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3回とも、合格発表に行くのを見送った話(灯火杯参加作)

    櫻井とこ

    しつこい男だ。
    前期後期合わせて3回連続で、同じ大学の学部学系を受けたのだから。

    弱い男だ。
    地元の大学の合格発表なのに、見に行かなかったのだから。

    そんな男でも、1年足踏みして目標に到達した話をしよう。


    僕は小さい頃から「クラス勉強はできるほう」だった。3週間病気で休んでも余裕で授業についていける程度には。一方で、将来の進路については本当に無頓着だった。中2まで「車が好きだから工業高校に行く」と言い、親を呆れさせていた。

    ところが、ひとつの話が僕の考えを変える。

    同い年の従兄弟が、越境受験(地区割りを越えた場合の受験生にも門戸を開く制度)である高校を受験するという。そこは僕の住んでいる地域のトップ2で、私服で自由な校風が売りだった。

    「従兄弟が行くなら、同じところに行こうかな……」

    これで志望校を決めたのだが、従兄弟は結局近くに開学する某有名大学の付属校に進学することになる。

    そして、僕の運命も大きく変わることになった。

    さすがに受験前には工業の盛んでない地域の工業高校はあまりレベルは高くもなく、整備工場などの就職が主で、『作りたい=開発したい」夢が叶わないことはわかっていた。
    ところが、母校となった高校は僕にとっては『ギリギリの学力レベル』。実際に入試の点数も後に担任から「お前、よく受かったな」と驚かれるギリギリの合格点だった。
    さらに入学後も、理系志望のくせに理系が思わしくない。一方で得意な社会系では真価を発揮する変わり者だった。

    あのとき、身の程を知るレベルの高校に行っていたら、恐らくいま僕はここにいない。
    環境が人を育てるとはよく言ったもので、大学受験では打って変わって地元の最高学府を目指した。ところが、若気の至りである。何せ現役時は模試でC判定以上出ないまま前期後期を受けたのだから、無謀だったのだ。

    そして迎えた合格発表当日。
    当時のネット環境はISDNやADSLが出始めで、まだダイヤルアップも生きていた。どう考えても合格している手応えのない僕は、それでもネットで自分の不合格を確認した。

    僕の番号は、2度ともなかった。


    浪人中に、高校のクラス会が開かれた。
    卒業して半年だが、呼ばれたのも参加したのもこのときが最初で最後だ。

    この頃は未成年の飲酒にはまだ寛容な雰囲気で(本当?)、酒の入る宴会となった。まじめを演じる頑固者だった僕は口につけなかった。

    それがある意味で災いした。

    帰宅方向が同じ(とは言っても方角だけで路線は全然違う)友達が酔い潰れた。誰かが介抱して帰さねばならない。そこで白羽の矢が立ったのが僕だったわけだ。

    友達の家に電話してタクシーを捕まえ、嘔吐で汚れないようにビニール袋をあてがう。何をやっているんだこいつは、そして僕は。無事家の近くにたどり着いたものの、ひっくり返って背中を打つ友達。何とか肩を貸して家まで運ぶことができた。

    出てきたのは母親だった。

    「どうもすみません。ご迷惑をおかけして」

    「いえいえ、大丈夫です」

    「ところで、どこの大学にご在学ですか?」

    これにはグサッときた。ある意味で一番刺さったかもしれない。浪人生であることを伝えると、先方が慌てていた。

    そこから自宅までの道中。
    まるで高校から帰宅する、半年前まで馴染みのあった家路をたどりながら、「浪人生」という体のいい「無職」である現実を突きつけられた。

    悔しかった。今ひとつ着火剤にはならないものの地道に自分なりの努力を積み重ねた。

    努力の中で、気づいたことがあった。

    ここ9年間、数学の入試問題で行列が出ていない。
    違和感を感じて、苦手ながらも基礎だけは確実にしておいた。

    そして、センター試験では弱点である理数系の補強を優先しすぎて比較的得点源である国英の点数を落とした。

    大ピンチの中、2次試験前期に臨む。
    さすがに後期受験は親に許されず、明確な滑り止めとなる他校へ願書を出していた。ラストチャンス。

    絶体絶命の中、数学で奇跡が起きる。
    行列が出た。しかも、基礎とその応用で解けるレベルだった。内心ガッツポーズが出て解いていった。

    それでも、他の結果と合わせて「合格の自信がある」とはとても言えず、やはり合格発表はネットで確認した。

    発表時間は11時。
    なかなかサイトが繋がらない。
    10分近く経って、ようやく番号が出た。

    そこに、僕の番号があった。

    「やったーーー!」

    実家で一番大声を張り上げたのは、あのときだったかもしれない。

    父親にも電話をかけた。
    普段無関心な父親でも、よほどうれしかったのか噛みしめるように「おめでとう」と祝福してくれた。


    その日の午後には大学に入学手続きに向かった。
    合格発表会場は、静かだった。

    午前中にその場にいれば、屈強な柔道部、アメフト部などの先輩に手荒な胴上げをされたり、テレビにインタビューされたりしたかもしれない。

    それでも、自分の成し遂げた『偉業』は変わらない。春からお世話になる大学内を初めて『新入生』として歩いて帰った。


    この後の人生でも、酸いも甘いも噛み分けて40数年生きてきた中で間違いなく言えることがある。

    何かを成し遂げるには、目標に向かった地道ながら継続的な努力が必要不可欠だということ。

    努力に裏切られることも、残念ながらある。

    しかし、積み重ねてきたものがなければ、祝福は訪れない。

    身をもって体感している僕から、皆さんへのささやかなエールである。

    (了)

    (2180字)


    久々に灯火杯に参加させていただきます。
    ベタな内容かもしれませんが、ご高覧ください。

    #花邑灯火
    #アルロン
    #灯火杯6thSpring


     
     
     
    道産子物書き| すのう杯2024グランプリ受賞| 第2回灯火杯言葉のチカラ賞受賞| KINDLE書籍「なんのはなしですか どうかしているとしか」寄稿|「なんのはなしです珈ZINE な編」寄稿 プロフィール画はきょうたのさん作、キャッチコピーは本田すのうさん作です。

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