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うつ病と遺恨、それでも凹があれば凸もある(復職に寄せて)

    櫻井とこ

    今週をもって、会社休職という「夏休み」を終えることになった。退職ではなく復職だ。
    ここに至って復帰日が決まってないのが笑える。

    2年という時が止まって、夏の終わり、秋から社会人人生を再び歩み出すことになる。

    とはいえ、「うつ病完治」を言い渡されたわけではなく、「復職できるまで回復した」という事実は忘れないようにしたい。

    そんな復職にあたり、長く苦しんできたうつ病について振り返り、何かに苦しむ読者へのエールにしたい。

    ところで、うつ病とは何なのか?

    医学的、脳科学的なアプローチが散々なされているにも関わらず、新型コロナやインフルエンザのように検知できるウイルスもなければ炎症などの目に見える特有の身体症状もない。

    うつ病はDSM-5診断基準など「定性的な基準で医師の主観による診断」により初めて診断されるものだ。
    それでは「心の風邪」や「気合いで何とかなる」なんていう心ない声に理論武装で完全論破するのは難しい。

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    結局、患者さんの主観と主治医の主観で決まる世界

    うつ病は、当事者が訴えるいろいろな症状の頻度や強度により認定するものだから、うつ病患者の苦しみは人それぞれだ。
    頭痛のひどい人、起き上がれない人、拒食過食。症状も程度も様々なら回復も様々だ。
    このように、「うつ病」という概念が曖昧すぎるために、あらゆる人に理解される日は来ないだろうな、と考えている。

    そんなうつ病の一例として、僕の罹患までを回顧する。

    きっかけ

    「人員増強なんて、できるわけないだろう」

    それは僕にとって上司(当時)の裏切りだった。当人は何とも思っていないだろうし、覚えてもいないだろう。
    それでも、部下として、後輩として、お世話になり続けた人間として、ショックだった。
    こちらとしては苦渋の訴えだったし、ダメ元でさえあった。だから最初の「考える」と希望のつながる回答が嬉しかったのだ。その10日後に奈落の底に突き落とすような回答なんて想像できなかった。

    最初から「無理だ」と言ってもらえたら、どれほど楽だったか。

    これで、僕の中の何かが壊れた。

    モチベーション人間の否定

    僕は基本怠惰で、モチベーション人間だ。何をするにも後ろ盾となる大義名分が欲しい。

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    会社のプロジェクト仕事はひとりでやるものじゃない。メンバーの方向を一致させる為に大義名分は必要だ、と思うのだが。

    しかし、上司の基本的考えは「会社の指示は問答無用で従うのが当たり前だ。金もらってんだろ」という人。
    いつも表面上の曖昧な大義名分と言えない理由で仕事を振ってくる。
    だから、引継ぎ仕事ばかりだった中でピンチを迎えると「1回限りの人生で何やってるんだろうな」と悲しくなる。その度に虚無、頭痛、ふらつき、腹痛などの身体症状が現れた。

    仕事の厳しさだけで言えば、「元」上司のほうが圧倒的だった。仕事の要求レベルも段違いに高かった。
    それでも乗り切ってきたのは、具体的でわかりやすい目標と、それによって会社にいかに貢献できるかという大義名分があったからこそ。

    両者の差は、断崖絶壁のように大きい。

    人見知りの人間不信

    「悪名は無名に勝る」

    これも上司のポリシーだ。「とにかく動け。怒られろ。そして顔を覚えてもらえ」

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    格言ですから全否定はしませんが、信念は人それぞれ。

    だが、怒られて気分のいい人間はいない。特に完璧主義の傾向のある僕のような人間が怒られ続けると、クセの強い方、初対面の方の言動が怖くなる。もともと声の大きい人とのやり取りが苦手だった僕には、耐えがたいものだった。

    そして、相手を信頼できなくなる。

    もともと人見知りではあった。しかし、予期不安が強くなったのはこの上司からだ。電話をするのも、打合せを入れるのも、理由もなく怖かった。

    「何か問題でもあるの?」

    なかなかアポを取らない僕に業を煮やして上司が声をかけたことが何度かある。返したところで無駄、どころか「仕事なんだからやれよ」と追い詰めてくることはわかっていたので黙っていた。

    仕事が、どんどん辛くなる。

    完璧主義の弱点

    僕は、土台から根拠を組み立てて形にするスタイルで仕事をする。ところが上司は「ミスター立ち上げ屋」。とにかく細かいことに目をつぶり、プロジェクトを納期通りに完遂することに長けていた。

    途中で穴が空いていても、根性で駆け抜けてしまう。

    僕の特性お構いなしに未経験の引継ぎ仕事も「経験者」扱いで振ってくる。その中には派手な炎上案件もあった。

    ある部品がある条件で壊れる。
    量産は目前だ。
    理由はある程度わかる。根本的にダメ。
    しかし、できて部分的な型修正まで。最小限の補強と屁理屈で駆け抜けるしかない。

    「俺だって知らないことがある中で無理やり回してきたんだ」

    自慢げに言いながらお前もそうしろと言いたげだ。

    だが、僕はあなたと違う。
    予期不安はさらに増大することになる。
    何も信じられなくなっていく。

    仕事まで、上司色に染まる必要はないはずだ。

    都合のいい「業務是正」

    会社によって業務規定は様々ある。
    規定は文章だから、解釈の余地がある。

    上司が変わった途端、「この部品は規定Aを適用すべきだ」と独断で方針転換し、見込んでいなかった仕事や関係部署監査が増え、計画通りに仕事が進まない。スケジュールが遅れていく。
    結果、部下の焦り、ストレスにつながっていく。

    過去に規定の解釈が甘く、品質不具合を起こした例があった。見直しが必要なものもあるだろうけど、せめてスケジュールを組む前に判断すべきだ。

    「正しい」ものがいつも正しいのは、理想でしかない。

    評定会議での言い訳

    新米上司はどうしても発言権が弱い。所属課メンバーの成果を主張しにくいのはわかる。これは仕方のないこと。
    だが、会議で「〇〇さんがお前のことをこう言っていた」などと本人に開示するのはいかがなものか。それがネガティブな内容ならなおのこと。
    「あの人にもよく思われていないのか」と毎回気分の沈む打合せだった。

    最後にこちらから「もう止めてくれ」と懇願するほどに。

    何度振り返っても、上司への遺恨につながる

    ここまで僕の視点で実際に上司に受けたやり取り(事実)を挙げてきた。いかに僕と上司がかみ合っていなかったかがわかってもらえたと思う。

    結局、異変を察知して動いてくれたのは上司ではなかった。

    不調、無気力が当たり前になりつつあったとき、元上司(当時上司の上司)に急ぎの書類の承認をもらいに行った。
    元上司は僕の様子のおかしさに気づき、すぐに話し合いを持ってくれた。
    気づかいや僕の悩みに寄り添ってもらったことで堰を切ったように涙が流れた。「引継ぎして少し休め」と言ってもらい、元上司の指示のもと最優先の業務だけ進めてもらうようお願いして休んだ。

    しかし、「優先順位」の名のもとに何も進めてもらえず、休んだ後に関係部署から怒号や嫌味の嵐をひとりで受けた。本来いるべき上司はその場にいなかった。

    上司の責任って、一体なんだろう?

    パワハラのようなわかりやすい規定違反がなければ、人ひとり年単位で動けなくなっても、何のお咎めもなく何の反省の場もない。会社とはそういう場所である。大企業であれば尚更だ。「代えは利く」のだから。
    上司が同じことを繰り返す可能性は十分あるのだが、会社はこの「見えない」出来事に関しては無関心なのだ。
    そうやって多くの方が苦しむ一方で、相手は順調にキャリアを築いていく。

    だから元上司は口を酸っぱくして言っていた。

    「会社は助けてくれないからね」

    それが僕の人生で苦しむ側で現実になってしまったわけだ。


    ここまで、僕のうつ病発症を紹介したが、発症パターンはひとつではない。それが紛れもない事実であり、うつ病の厄介さなのだ。

    何をすれば、何をしなければ回避できるかは、その人その人で異なる。もっと配慮しても、もっと気をつけて接していても追い詰められる人もいる。

    2年という夏休み

    片頭痛がうつ病由来だとすると、未だに完全に抜け出しているわけではない。頭痛は時折起こる。

    とはいえ、2年前の夏に診断を受けたときは朝固まって動けなかったわけだから、間違いなく回復はしている。無理をすれば半年で復帰できただろう。
    だが、同時に再発もしていたと思う。

    それを穏やかに止めてくれていたのが主治医だ。捨てる神あれば拾う神もやはりいるのである。

    「好きなことをやって、『そろそろ戻ってやるか』くらいで復職すればいいですよ」

    そう言って、1年は本当に復職のふの字も出して来なかった。逆にこちらが不安に感じるほどに。

    おかげでその言葉に甘え、当初は本当に何もしなかった。というよりできなかった。

    午前中は全く動けず、午後にちょっと動く。夜は多少マシ。
    そこから、本が読めるようになり、noteを始めて路地裏に迷い込み、広く浅い友情を築いていった。

    note路地裏での日々はメンタルにはかなりいい効果をもたらした。特に『すのう杯』で奇跡的にグランプリをいただいてからだ。
    あれがなかったら、東京で路地裏の皆さんにも会っていないし、まだ休職者としてくすぶっていた可能性も否定できない。

    うつ病も人間の持つ凹凸の特性の一例だ

    少し前、「企業は精神疾患者を採用すべきでない。お荷物なだけだ」という趣旨のSNS投稿を見た。

    投稿者は頭数だけいても使えなければ仕事にならない、生産性が下がるとでも言いたいのだろう。
    すでに精神疾患を発症した人の一部のパフォーマンスだけをみれば、その通りかもしれない。

    当事者として悲しい気持ちになった。

    しかし、投稿者も含め、どんな人でも精神疾患を発症しうるのだ。その耐性が器のように大小あり、入るストレスの量も先天的なものや人生によって異なるだけだ。

    発症した人でも差はある。
    適応障害にとどまり、職場を変えることで良くなる人。
    うつ病で年単位の療養が必要になる人。
    さらに統合失調症などを患い、現代の医学で即効性のある回復が望めない人もいる。

    今発症していない人は幸運だと思ったほうがいい。
    これからもストレスを溜めずに毎日を過ごせばいい。

    そのうえで、考えてほしい。
    世界はあなただけで回っているわけではない。
    精神疾患者だって社員でなくとも、潜在的なお客様かもしれない。
    株主や得意先幹部のご家族かもしれない。

    投稿者はステークホルダーに直接そんな物言いができるのか?

    そもそも、うつ病などの精神疾患や障がいなど関係なく、それぞれに凹もあれば凸もあるのだ。

    凹があっても、それに負けない凸を持っている

    繰り返すが、僕はうつ病患者だ。
    だが、今でも一般の方々よりは工業製品に関する知識もあるし、形づくる図面を描くことだってできる。

    世界的に賞賛されるアーティストやアスリートにだって様々な障がいを持つ方がたくさんいらっしゃったし、現在も多くの方が活躍中だ。
    凹がある分だけ、生きるために凸が高くなるということもあるかもしれない。

    どうか、欠点だけに注目せず視野を広げてほしい。
    きっと見えていなかった世界が見えてくる。
    不必要な存在なんて、いない。

    そのほんのわずか、一端かもしれないが。

    これから証明してみせる。

    今、絶望に打ちひしがれる方にこそ長い目で僕の背中を見ていてほしい。

    それをプレッシャーにしないように。
    あのときの記憶をなるべく思い起こさないように。
    少しずつ。
    少しずつ。

    2年の「夏休み」をこの秋から取り返していく。
    見ていろよ。

    終わりに

    こんな当時の上司だが、義理堅い面がある。
    恐らく僕が復職したと知ったときは、何も考えず異動した別の建屋からわざわざ足を運んで挨拶に来るのだろう。

    僕は、やはりペルソナを被って「大人の対応」を取るしかないのだろうか。

    そしてその時、僕は心のうちで何を思うのだろうか。

    (了)

    #うつ病
    #復職
    #灯火杯4th

    せっかくの機会ですので、趣旨と少し違うかもしれませんが、灯火杯4thにエントリーさせていただきます。
    皆さんが不幸を回避し、幸せないい季節を過ごせますように。


     
     
     
    道産子物書き| すのう杯2024グランプリ受賞| 第2回灯火杯言葉のチカラ賞受賞| KINDLE書籍「なんのはなしですか どうかしているとしか」寄稿|「なんのはなしです珈ZINE な編」寄稿 プロフィール画はきょうたのさん作、キャッチコピーは本田すのうさん作です。

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