
同期休職記念日、海鮮丼と昼ビール
在宅で仕事をしていた、ある日の昼前。
同期で、同じマンション住まいだった彼から、メッセージが届いた。
「今日から休めって、言われた」
全然、想像してなかった日に、それは来た。
今日はとある同期とのエピソードを。

どこかの中高男子校から理系国立大へ。
卒業後は大学院へ「とりあえず」進学、JTCへ新卒入社。
研究員→新規事業→DXとジョブチェンジし、副業3社。
その後(また)JTCへ転職し、新規事業などを担当中。
成り行きキャリアを歩み続け、今に至る…
ある日、連絡が来た
── コロナ禍だった。
(禍の時を、モンハンの「禍々しい布」の「まが」で覚えているのは私だけじゃないはず)
ある昼前、会社の方針で在宅勤務が研究員にもかかわらずそれなりに増えていた時期で、いつものように自宅で仕事(≒半分ボーっと)をしていた。
彼からラインの通知が来て、何気なく開いたら、その一文が目に飛び込んできた。
「今日から休めって、言われた」
え、と思った。
「とりあえず、今から家に帰るわ」と。
正直、まったく想像してなかった。
彼自身、その日も普通に仕事で向かっていた。
前々からややストレスを抱えつつ、不安定ではあったものの「休むほどじゃないよね」と本人も言っていた。私から見ても ── 黄色信号、の手前くらいかな、というぐらいの感覚だった。
※あくまで私から見ての話なので、当時の彼のしんどさを正確に測れていたかは、わからない。
でも、会社の産業医から「今日から休みに入ってください」という判断があった、ということだった。
私はその日、ただ、その結果を受け取った側にいた。
ただ、ひとつ、そこで思いついた。
とっさに、海鮮丼ランチに誘った
「お昼、飯くおうや。うまいもん食おうぜ。」
── そう、彼に返信した。
なぜそう返したのか、正直、いまもうまく言語化できない。いつものノリだったのかもしれない。
真面目に「大丈夫?」と聞くのが、たぶん、その場の正解だったかもしれない。けれど、その日の私はそれができなかった。心配する言葉が、なんとなく、彼と私の関係には不釣り合いな気がしていた。
行き先は、近所の海鮮丼の店にした。
家の近くにあって、いつか行ってみたいなと思いつつ、ずっと行きそびれていた店。コロナ期で家で食べる日が続いていて、たぶん私自身、ちょっと違う場所に行きたかった。
※振り返ると、休職が決まった彼を誘って励ますというより、ただ私が海鮮丼を食べたかっただけ、という気もしている…
彼は「いいよ」と来てくれた。
店に向かう道、二人で何を話したのかは、ほとんど覚えていない。
たぶん、たいして大事な話はしていない。
休む理由とかではなく、「さあ、これからどうするよ」とか、そんなレベルだったと思う(能天気)。
ちなみに彼を待つ間、私は会社の産業医にも電話をしている。
「本人はまだ頑張れると言っていたよ」と、お節介な確認を。今思うとそれ自体が産業医の方からするとちょっと(だいぶ)迷惑な話で、若気の至りだなと自分でも思う。
最高の昼ビール
海鮮丼の店に着いて、席についた。
「今日から休職なら、ビール飲もうぜ」
メニューを見ながら、とんでもないことを言い出した私。
休職がめでたいのではなく、「休み」であることがめでたい、なんかそんな感じ。今思えば、それなりにアウト行動だったと思う(平日の昼、休職に入った同期と、二人で昼ビール ── 当時の人事や先輩にバレたら、まあまあ怒られても仕方ない案件であることは言うまでもない)。
でも、その瞬間、私の中の最適解はこれだった。
「明日から、極端な話、給料もらいながらしばらく休めるんだぜ」
「たくさん休んで、たくさん遊んで、戻ってきたくなったら、いつでも戻ればいいやん」
そんなことを、ふたりで話した気がする。
(人事や健康管理のご担当の方、本当にすみません。)
これも、彼を励ますためというより、私自身が"そう思いたかった"、というほうが正確かもしれない。彼が休むことを、悪いことやネガティブなことにしたくなかった。
その場で、彼の表情がほんの少しだけ緩んだのを、私は覚えている。
それで、まあ、いっか、と思った。
これは「最適解」だったというより、「私にできる、たった一つの行動」だっただけ、なのかもしれない。
「あの日のランチが、救われた」
それから、数ヶ月。
彼の復帰が決まった、その直前。
バイクで二人乗りをして、近所のスーパー銭湯まで一緒に行った。
湯に浸かりながら、「どうだった?」と聞いた。
彼は、こんなことを言ってくれた。
「休んでみて、はじめて、自分に向き合う時間が取れた気がする」
「なんで自分があんなに自分を責めてたんだろう、って分かった」
「本当に、休んで良かった」
そして、もう一つ、言ってくれた。
「あの日のランチが、いちばん救われたんだよね」
え???と思った。
私はあの日、不器用に海鮮丼を食べただけで、特に何か気の利いたことを言えたわけじゃなかった。「大丈夫?」とも、ちゃんと聞けていなかった。
なのに、と思った。
(何なら海鮮丼が食べたいだけの私がいたかもしれないのに!?)
その言葉に、圧倒的ギルティな昼ビールも海鮮丼も、救われた気がした。
そしてそれと同じく、私も「昼ビール並みな」嬉しさを感じた。
救った、なんて思ってない
書きながら、改めて、思っている。
私は、彼を救ったわけじゃない。
あの日のランチも、ただ私が海鮮丼を食べたかっただけ、かもしれない。
少なからず、また一緒に働きたいな、とは思っていた。
でも、私たちはただ、節目で、同じテーブルに座っただけだった。
もしかすると ──
「節目で、同じテーブルに座る」だけで、誰かの何かが動くことは、案外あるのかもしれない。
案外、お昼を一緒に食べるだけで、何かが変わったり、動き出すのかもしれない ── と、私は思っている。
ちなみに私の転職はランチで決まったのです。
という記事も良かったら下記よりどうぞ。
あの日の海鮮丼みたいな時間が、人生にもっとあった方がいいような気がしている。うまく言えないけど、私たちの人生の方向が少し変わった日な気がするんです。
そしてまた、ここにいる私も「あの日のランチが、いちばん救われた」という言葉に救われて今がある。
久しぶりに会って伝えたいなと思う。
相変わらず昼ビールしてるよ。と。(嘘です)
Tokky.
追伸:スキ、コメント、DM励みになります。大感謝。