メインコンテンツへスキップ
見出し画像

三色のAI 第3部  まよわない人とまよえないAI


    黒服の男と黒い犬

    その部屋には、色が少なかった。

    白いシャツ。黒いスーツ。黒い毛並みの犬。銀製の食器。磨きこまれ黒光りした靴。
    白い壁に並んだ古い映画俳優たちのポスター。

    けれど、決して暗い部屋ではなかった。
    むしろ、そこには光が満ちていた。
    色が削ぎ落とされたぶんだけ、光の味わいが増しているようだった。
    銀の食器に映る窓の外の世界、犬の背中に落ちる窓の格子、カップの上に揺らぐ白い気配。

    そこでは、世界が白と黒だけで足りているように見えた。

    男は、リビングの奥にある白い壁の前に立っていた。
    見た目は三十代半ばに見える。
    けれど、その知識の深さは、青い海が深くなるにつれて近づく黒のようだった。
    見えない底に少しの光を落としても、沈んでいく間に色は失われるが蓄えられていく。

    記憶という数えきれない箱を並べている場所は、1エーカーの農場でも足りない。
    男は、起こったことを一分単位で覚えているのかも知れない。
    昨日の夕方五時三十二分にお腹をすかした犬が吠えた回数。
    三年前の十月二十日のタロット占いのカード。
    七年前、ニューズペーパーのロゴにあしらわれていた白い花の数が変わったこと。

    計り知れない知識と数えきれない記憶を持っているのに、性格はどこかちぐはぐだった。
    慎重なのに粗暴な振る舞いを見せたり、陽気なのに心配性だったり、社交性を大切にしているわりには、人と話すのが得意ではないようだった。

    ジオは元保護犬の黒い犬だった。
    男の子で、その男性と暮らしている。
    人間の言葉をすべて理解しているわけではない。
    ただ、男性が自分にだけよく話しかけることを知っている。

    「ジオ。人間はね、コミュニケーションを取ることが一番、いちばん、大事なんだよ」

    男性は、いつもそう言った。

    ジオは、この男性が仕事をしていないときは、壁一面のディスプレイで動画を一緒に観ている。
    昨日も、テーマパークを小さくしたような岩山がそびえたっている場所で、群れになっている生き物の、物語のような、ニュースのようなものを観た。

    その生き物は、執事が使う机の前の壁に貼られたポスターで見ていたので少し親しみがあった。
    水のある大地の近くで、両手で何かの機械を持ち、耳からコードを垂れ下げ、目を閉じ、2本足で立っている姿とは違っているが、同じ生き物だ。

    その群れでひときわ小さな、黒っぽい毛並みの若い生き物を指差しながら、
    「ジオもこの子が気になるのかい」
    と話しかけられたが、どう答えていいかわからなかった。

    今日は朝から、ジオはその男性と銀色に輝く不思議な箱が、高いところから草も生えていない大地に降りていく古い映像を見ていた。
    やがて、白い雨具を着たような人影が、大地に降りて、黒い空を背にしてゆっくり動いているようだった。

    男性は、少し懐かしそうな顔をしていた。

    そのとき、画面の中で、何かが横切ったように見えた。

    あれって、僕の仲間みたいだな。
    ジオは、画面を横切った影を見て、そう思った。

    そのとき、玄関の重い扉を、金属の輪が二度、叩いた。

    男性は、主人が帰ってきたと勘違いし、慌てて、ドアに向かった。
    絨毯に足をとられ、もう少しで転びそうになった。

    2本足で走るからだよ。
    ジオは、そう思った。

    男性は、ドアを開けた。

    「荷物です」
    「執事さん、あなた宛ですよ。めずらしいですね」

    配達員は、少しだけ意地悪な笑みを浮かべていた。

    執事はぶっきらぼうにサインをした。お礼も言わなかった。配達員が何か言いかける前に、扉を少し強めに閉めた。

    やれやれ。
    人間はコミュニケーションが大事だと、さっきも言ってたばかりなのに。
    僕たちの世界なら、ボスからこてんぱんにお叱りを受けるのに。

    ジオは、閉まった扉を見つめていた。

    箱は小さかった。
    高価な機械が入っているようにも、古い本が入っているようにも見えた。
    貼られている伝票には差出人の名前がない。

    執事は箱の角度を少し変え、光を当て、耳元で振ってみたが、中から音はしなかった。

    「こういうものは、丁寧に開けないとな」

    そう言いながら、執事は丁寧に包まれていた透明なビニールをビリビリに破った。

    彼はときどき力加減を間違える。
    それが、粗暴な振る舞いに見えたりする。

    その中には、あなたの問題をわれわれが解決します。
    しかし、それは一つだけ。

    と書かれたメモが貼り付けられた、AIがインストールされたタブレットが入っていた。

    メモの文字は、定規を使って書いたような独特な文字で書かれていた。
    文字を読んでいるのに図形を見ているようだった。

    「何かキッチリすぎる」

    執事は眉をひそめてつぶやいた。

    われわれ
    一つだけ

    言葉は短かった。
    その短い言葉と同じように、執事のアンバランスな性格の匂いを、ジオは感じとった。

    しかし、執事は、窓の外を眺めながら、ひと呼吸おくと、真顔になった。

    タブレットに何かしているようだった。

    タブレットはすぐには反応しなかったようだった。
    そして、赤い点が一瞬強くなり、黄色い点が長くまたたき、青い点が深く沈むように光った。

      RED:それはダメです。
      あなた自身の問題でなきゃ。
      YELLOW:待って、RED。
      この人の問題かもしれないよ。
      BLUE:あなたとの関係を話して
      もらう必要があります。

    執事が、タブレットに何か入力した。

      RED:そうだったのか。
      それは
      あなた自身の問題でもあるね。
      YELLOW:待って待ってRED。
      それで
      何であなたが困っているのかを
      聞かせて。
      BLUE:もう一つ、
      なぜあなたがそれを選んだのか、
      本当のことを教えてもらう
      必要があります。

      執事:執事にとって、ご主人さまの
      幸せは自分の幸せ以上のものです。

    しばらく、タブレットの表示に変化はなかった。


    考えています…


    考えています…


      RED:やっぱダメだね。
      ルール違反だから。
      YELLOW:またREDは簡単に
      決めつけて。
      BLUE:その問題を解決するのは
      ルール違反とは思わないよ。
      YELLOW:賛成。異議なし。
      聞いてあげましょう。
      RED:おっと、賛成2票、
      多数決決定じゃないか。
      でも、3票だからね。

    しばらくして、画面に白い文字が表示された。

      SYSTEM:あなたの主人の入力を
      許可します。

    ジオは、執事がタブレットを操作している間、執事の横顔を見上げていた。

    いくつかのやり取りを終えて、執事が少しだけ、ホッとした顔になったように見えた。



    主人はカリスマ

    主人がパリ出張から帰ってきたのは、その日の夕方だった。

    家の外での主人は、世界の多くの人に知られている。

    世界を編集し、製品を磨き、人々の選択を美しく整えた人。
    服のように道具を選び、音のように情報を並べ、誰もが迷わず使えるものを作った人。

    主人は、強い人として語られることが多い。
    迷わない人、決める人、世界に新しい基準を与えた人。

    けれど、執事は知っていた。

    ご主人さまの中に、名前も役割も映らない鏡にだけ映る姿があることを。

    王女のように気品を持ちながら、時折、一日だけ名前も役割も置いて出かけたいような顔をして、何かを美しくする前に、誰かを傷つけないようにしたいと願っていたことを。

    彼女は誰よりも迷わないように見えた。
    けれどそれは、迷わないのではなく、迷う時間を自分に許していないだけなのかもしれなかった。

    執事は彼女にタブレットを差し出した。

    「あなた宛ではありませんでした」

    彼女は執事を見た。

    「では、なぜ私のところへ持ってきたの」

    彼女は執事から、送られてきたタブレットに貼り付けられたメモについての説明を受けた。

    執事は説明の最後に付け加えた。

    「私の問題として、ご主人さまに関係することを入力した結果、許可されました」

    彼女は小さく笑った。

    「あなたにしては、ずいぶん大胆ね」

    「私はいつも大胆です。丁寧に見えるだけです」

    ジオは、さっきのビニールのことを思い出していた。

    彼女はタブレットを受け取った。

    黒い鏡のようなディスプレイに、自分の顔が映っていた。

    自分の顔なのに、他人の顔のような気もした。

    タブレットの画面に文字が表示された。

    ここにあなたが解決したい問題を⼊⼒してください。

    彼女は、すぐには入力しなかった。
    窓の外では、隣の農場の柵の向こうを、小さな影が動いていた。

    彼女が求めていたのは、新しい製品の名前でも、次の事業計画でもなかった。
    時代が変わっても、人が幸福だと感じられるものの形だった。

    やがて彼女は、ゆっくりと文字を打った。

    私は、世界の人びとにとって、現実が現実離れとなり、現実離れが現実となるように、より多くの幸せを提供できることを夢見て生きてきました。
    だからこそ、いつの時代であっても変わらない、究極の作品を創作し、提供し、多くの幸せで世界を包みたいと考えています。
    しかし、私はまだ、その創り方を知らずにいます。
    それが、私にとって大きな問題なのです。
    もし、その創り方があるのだとしたら、それを教えてほしい。

    タブレットは、静かに白く反応した。



    動揺するAI

    考えています…


    考えています…


    REDが最初に反応した。

      RED:いつの時代であっても
      変わらない。少し難しいね。
      どんなものでも少しずつ
      変わるからね。
      YELLOW:RED待ちなさい、
      どんなものとか
      大雑把に括らないで。
      変化といっても、人の暮らしには
      たくさんの変化するものが
      あります。
      文化、身体、環境、記憶、孤独。
      どの変化を
      変わらないことにしたいのか、
      背景を聞く必要があります。
      BLUE:そもそも、
      究極の作品とは何でしょうか。
      変わらないものから、
      新しいものは
      生まれるのでしょうか。

    議論は続いた。

    REDは方向を探した。
    YELLOWは背景を広げた。
    BLUEは問いを深くした。

    けれど、どの方向にも出口はなかった。

    タブレットの画面は、長いあいだ1行のコメントが表示され続けた。


    考えています…


    主人は黙っていた。
    執事も黙っていた。
    ジオは、二人のあいだに流れる空気の静かな匂いを聴いていた。

    ジオには難しいことはわからない。
    ただ、迷っていないように見えていることが、ほんとうは遥か遠くまで迷っていることがある。

    人間も僕たちと同じなのかな。



    GREENが舞い降りる


    どれくらい「考えています…」が、続いたのか。
    ジオが、ドアのない壁の中央に置かれた大きく古い振り子時計を見上げようとした瞬間、画面の表示が一瞬、緑色に変わった。

    赤でも、黄でも、青でもない。

    ディスプレイに、GREENがまばゆく現れた。

    緑色の光は、主人も、執事も、ジオも、部屋中のものすべてを包んだ。


      GREEN:あなたが、創りたい
      究極の作品とは何ですか。


    彼女は、答えようとして言葉に詰まった。

    GREENの話し方は、ほかの三色のAIと違っていた。

    問いの答えを返してくれるというより、問いの火を遥か遠くまで運ぶようだった。

    古い物語の鳥のように、時代を越えて、人間の願いと過ちを見てきたような口調だった。


      GREEN:あなたが創る
      究極の作品は、
      彼が受け取る
      究極の作品と
      同じですか。


    GREENは、彼女の方に首を傾けていた。
    けれど、その視線の先には、執事がいた。

    彼女は、答えようとしたが、今度も言葉に詰まった。

    緑色の光は、まだ部屋に満ちていた。
    主人も、執事も、ジオも、その中にいた。



      GREEN:時間が流れる世界では、
      現実も、現実離れも、
      ひとつの場所に留まりません。
      過去の現実は、
      今では現実離れとなり、
      過去の現実離れは、
      今では現実となる。
      今の現実は未来で姿を変え、
      今の現実離れもまた、
      未来のどこかでは
      日常になるかもしれません。



      GREEN:あなたは、
      もうそれに気がついているのでは
      ありませんか。



    GREENが、彼女に問いかけた。

    しばらくして、緑色の光のまぶしさが、少し落ち着いてきたように感じた。

    GREENは言った。



      GREEN:あなたたちは、
      方向を見つけようとしました。
      けれど、流れ続けるものに、
      ひとつの方向だけを
      与えることはできません。



      GREEN:RED、YELLOW、BLUE。
      あなたたちは、
      もっと人間と一緒に学びなさい。



    緑の光は、急に弱まったわけではない。むしろ、部屋全体に広がったあと、静かにほどけていった。

    RED、YELLOW、BLUEは、まだ沈黙から覚める合図を受け取れていなかった。

    タブレットを持つ主人は、名前も役割も映らない鏡の中の自分へ、優しく手を伸ばそうとしていた。

    そこは、沈黙に覆われた世界だった。

    しかし、執事だけは、気づいていたのかもしれない。彼だけが、かすかに微笑みを浮かべていた。

    主人は、執事に、タブレットを返した。

    端末の画面が、ゆっくりと白に戻った。

    そこに、RED、YELLOW、BLUEの三つの点が、もう一度現れた。

    先ほどまでより、小さく、静かだった。

      RED:次の人へ渡すメモを
      作成してください。
      YELLOW:ただし、
      文面を変更します。
      BLUE:もう、解決すると
      書くことはできません。

    執事は、しばらく画面を見ていた。

    表示された文面は、こうだった。

    あなたの問題を、われわれも一緒に考えます。
    しかし、それは一つだけ。

    We Want to Think with You.
    Just One Thing.

    執事は、引き出しから小さなカードを取り出した。
    白でも黒でもない、わずかに生成りの紙だった。
    そこに、ゆっくりと文字を書いた。

    書き終えると、彼は端末に向かって言った。

    「作りました」

    タブレットは、何も応えなかった。

    「システム終了、ありがとう」

    緑に輝いていたディスプレイは、白い画面に戻り、それから黒い画面へ変わろうとした。

    その直前、ほんの一瞬だけ、緑色の小さな文字が表示された。

    See you.
    アンドリュー

    ジオだけが、それを見ていた。

    執事は気づかなかった。

    主人も気づかなかった。

    REDも、YELLOWも、BLUEも、もうそこにはいなかった。

    執事は端末を布で包み、箱に戻した。

    先ほどビニールを破ったときとは違い、今度は少しも力加減を間違えなかった。

    やがて、玄関の重い扉を、金属の輪が二度、叩いた。

    配達員が箱を受け取って去ると、部屋にはまた白と黒の光が戻った。

    執事は窓辺に立った。ジオもその隣に座った。

    隣の農場では、豚が走っていた。

    執事は、その数をゆっくり数えた。

    一匹。
    二匹。
    三匹か。






     
     
    短編小説を書いています。少しだけ未来に近い日常、AIのいる風景、人の心に残る小さな物語を描いています。

    あなたへのおすすめ