
成人する前にあの頃の秘密基地へ行った
成人式の案内状が届いたとき、私は頭を抱えた。当時はまだ成人年齢が二十歳だった頃、親からの仕送りで大学生活を送っていた私は、突然サバンナへ放り出された気分だった。
成人するとどうなるのだろう。祖父母からのお年玉は打ち切られるかもしれないし、親からの仕送りも「もう大人なんだから」と強制終了するかも知れない。考えることが多すぎてノイローゼになりそうだった。ああそうか、だから大人はお酒を飲んで忘れるのか、と私はお酒の銘柄を調べたりした。
せっかく学生という立場に甘えて楽しく生きていたところへ、急に「責任」という冷や水をかけられた気分だった。なんとか成人せずに済む方法はないかと思い、偏差値の高い大学へ通う友人へ相談してみたが「あんたバカじゃないの」と偏差値の低い言葉で罵られた。
ぐうたらな性格の私にとって、責任のある大人は真逆の位置にいる気がした。実家へ戻ったとき、母に「成人するとどうなるの?」と聞いてみた。すると母は「さあ? 強いて言うなら時間の感じ方が変わることくらいじゃない? 普通車からスポーツカーへ乗り換えるようなものね。待ち時間も夢中になれる時間も一瞬よ」と言われて私はその意味がうまく掴めない。免許すら持っていないのだから。というか、大事そうなことは例えで表現しないで欲しい、と思った。
私は一人で考えたい気分になり、久しぶりに帰省した町を歩いた。見慣れた町並みは少しも変わっていないようで、少しずつ変化している。久しぶりに通学路を歩いていると、ふと、あの頃のことを思い出した。
それは少し苦い、秘密基地の思い出だった――
***
私が秘密基地を知ったのは小学三年生の頃だ。年齢は十歳。成人年齢のちょうど半分で、今の十倍の好奇心を持っていた。そんなある日、教室の隅で男子たちが何やらコソコソと話をしていると、気の強い女子が「なにのよ、感じ悪いでしょ!」とお節介にもその秘密を暴いたことがきっかけだった。
女子の威勢に負けた男子たちはしなびた漬物のようになりながら、その秘密を白状したが「なによ、秘密基地って。くだらない」と女子の興味をそそらず、かわいそうにも秘密を暴露した男子たちという図だけが残った。
しかし当時の私は『なんだそれは、面白そう』と目を輝かせ、たまらず放課後になるや否や「秘密基地のこと、もっと教えてよ」と情報収集を開始した。
男子たちは秘密基地の存在を暴かれ、自暴自棄になっていたのか、意外にもあっさりと教えてくれた。その場所は、竹藪の生い茂る斜面が入り口となっていて、泥汚れや虫刺されの覚悟がいりそうだった。それを察してか、男子たちが「嫌なら帰ってもいいんだぜ」と上から言ってきたので、私は「そこで少し待ってて」と言って、スカートコーデからパンツスタイルへ着替えるために、一度家へ帰った。
竹藪へ戻ると、男子たちは待ちくたびれた様子で駄菓子をむさぼっていた。私はその気持ちを知らず「秘密基地まで我慢すればいいのに」と言うと、男子は「チッ」と舌打ちをして「行くぞ」と竹藪へ入った。
しかし、いざ入ってみれば、竹藪が生い茂っているのは表だけだった。奥へ進むと竹は整備されて、斜面には切った竹で階段が作られていた。「これなら着替えなくても良かったね」と私が言うと、男子たちは舌打ちをハモらせた。非常に態度が悪い、と私は思った。
斜面を超えると平坦な場所が開け、振り返れば町の景色が広がった。「へー、やるじゃん」と私は態度の悪い男子たちに拮抗して、素直に褒めなかった。しかし男子たちは褒め言葉と受け取ったらしく「こんなのまだまだだぜ」「こっち来てみろよ」とテンションが高くなり、秘密基地へ『連れて行ってやる態度』から『案内してやる態度』へ軟化した。
しかし「ここだぜ」と案内された場所は、地面に段ボールを敷き、天井はブルーシートを木々にくくりつけただけの基地というより雨風を凌げるだけの仮設住宅のような場所だった。男子は「どうだすごいだろう」と誇っているので、どうやらここが本命の秘密基地で間違いなさそうだ。
私は「うん、すごいね、立派立派」と褒めたが、内心は汚れそうだから早く帰りたいという気持ちで一杯だった。けれど男子達のはしゃぐ姿を無下にしてはいけないと温かい目で見守った。今思えば嫌な女だ。
そうやって文句を散々言ったが、私は自分の住む町を見渡せるこの場所が気に入り、その後も秘密基地へ何度か行った。本当は駄目だったらしいが、秘密基地のことを友達へ話すとクラスメイトが一人、また一人と、絶景スポットとして訪れるようになった。
しかしそのトレンドは冬が始まると『寒くなったから』という理由で話題性を失い、男子たちですら記憶から消えたかのように日々が過ぎていった。
秘密基地の話題が再起したのは翌年の春のことだった。
男子たちは『秘密基地がヤバいんだ!』と血相変えて駆けてきた。
私は「――それなんだっけ?」と答えた。小学生にとっての半年前は数年前のことに近いので、思い出すまで時間がかかった。「あー、そういえばそんなのあったね」と私が薄い反応を見せると、その何倍もの熱量で「帰ってきたんだ!!」と泣くように男子たちは訴えた。
「帰ってきた? ……誰が?」と私はまったく意味のわからないままだった。男子たちはしおれた表情で話し始めた。「実は……あの秘密基地、本当は俺たちが作ったんじゃないんだ……」「考えてみろよ、俺たちがあんなにも立派な秘密基地を作れると思うか?」
思い返せば、段ボールの足場は平坦に整備され、ブルーシートの天井は雨漏り一つしない。私にはお粗末な場所に思えたが、竹藪だった場所を人が住めるように誰かが整備していたようだ。
雪解け水のように始まった告白は止まることを知らず流れた。
「あの秘密基地には先住民がいたんだ!」「……先住民?」その言葉はインディアンかアボリジニの枕言葉だと思っていた。「俺たち……秘密基地を見つけたことが嬉しくって……」
他の誰かの場所かもしれないということが頭をよぎりながらも、遊びを優先してしまったそうだ。
そして春になり、クマが冬眠から目覚めるかのごとく、先住民も巣穴へ帰ってきた。男子たちがいつものように秘密基地で遊んでいると、そこへクマのように大柄な男が『こらーっ、お前らっ、この場所でなにしとるんやーッ」と聞き慣れない関西の言葉で迫り、本能でヤバいと感じた男子たちは遊びでは到底出ないようなスピードで、その場から逃げ出した、というのである。
「残念だけど、そこへはもう行かない方がいいよ」と私は至極全うなことを言ったが「それがそうも行かないんだ」と、男子たちは絶望の表情で訴えた。
「……逃げ出したとき、靴を片方、落としたんだ」と当人の男子は今にも消えそうな声で言った。その姿も向こう側が透けてしまいそうなほど、存在が消えかかっていた。
男子が落とした靴のかかと部分には名前が書いてあった。彼の両親が他の子と靴を間違えないように記したものだが、今回はそれが徒となった。
「俺、もう終わりだよ……きっと今頃、先住民が探してる……」「もう殺されるんだ……」と男子は泣き出してしまい、私はハンカチを渡した。「……それはまずいね」
きっと今頃、先住民は落とした靴を持って「これは貴様のか」と、さながらシンデレラの王子様のように、姫という名の生け贄を捜し回っているに違いない、と当時の私たちは本気で思っていた。泣き崩れる男子の気持ちは十分に理解できる。同情はするが、私にはどうすることもできないので「――先生のところへ行こう」と、秘密基地に関わった構成員の一人として腹をくくり、その秘密の全てを暴露することにした。
その後、事態は大人を交えることによって、急速に結末へ向かった。担任の先生は、すぐさま先住民(土地の主)の元へ菓子折りを持って単独で乗り込み、謝罪した。後に男子たちは担任に引率され、謝罪して靴は返却されたそうだが、私は女子と言うこともあり、付き添わずに済んだので詳細は知らない。
このことは男子たちにとって武勇伝にはならなかったようで、多くを語ろうとしなかった。その後、私たちは秘密基地の放棄を約束し、クラスメイトには人様の土地へ勝手に入らないよう、帰りの会で注意喚起された。最後に保護者への報告を経て、その全てを終えた。
***
あの頃から幾年も経ち、成人の一歩手前となった私は昔の傷跡を確かめるように秘密基地の方向へ歩いていた。地元でありながら十年以上もの間、そこへ近づかなかったのは、あの一件をどこかで避けていたからかもしれない。
錆び付いた宝箱を開けるように記憶を辿りながら、一歩一歩進んでいき、確かこっちだったから、この辺りだ、へ変わり、やがて私は立ち止まった。
あの頃の景色と重ねるように顔を上げる。そこに竹藪はなかった。段ボールもなかった。ブルーシートもなかった。代わりに建っていたのは、私の記憶よりずっと高く、ずっと立派なマンションだった。私は思わず「おお……」と声を漏らした。もっと感動すると思っていた。あるいは寂しくなると思っていた。けれど実際に胸に残ったのは、現実というもののあっけなさだった。
しばらくその場で見上げていると、母の言葉を思い出した。
『大人になると時間の流れが変わる』
あのときは理解できなかったが、今なら少しだけ分かる気がする。秘密基地がマンションになるくらいには、私たちが大人になってしまうくらいには、速くなっているのだ。
私は最後にもう一度だけ、大きなマンションを見上げた。
そして、まだ成人前だった私は子供みたいな負け惜しみを言った。
「私たちが先に見つけた秘密の場所だぞ」と。