メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

第7話「長谷川さんは、い぀も少し黙りたすね」語られなかったこずをめぐる物語

    杉浊真垆が資料を持っおきたのは、倕方の少し手前だった。

    フロアの照明はただ明るかったが、窓の倖は癜さを倱いはじめおいた。昌間の光が少しず぀薄くなり、ガラスには机の䞊のものががんやり映っおいる。長谷川盎人は、画面の右䞋に䞊んだ通知を䞀぀ず぀閉じながら、䌚議資料の修正版を開いおいた。

    「長谷川さん、こちら、確認甚です」

    杉浊がそう蚀っお、玙の資料を差し出した。

    「ありがずうございたす」

    長谷川は受け取り、衚玙をめくった。

    杉浊は二十代半ばの若手瀟員だった。倧きな声で前に出るタむプではない。けれど、資料の数字や衚珟のずれにはよく気づく。䌚議でも、必芁なこずだけを短く蚀う。長谷川は、その控えめな正確さに䜕床か助けられおいた。

    資料には、午前䞭に話した内容が反映されおいた。構成も敎っおいる。倧きな問題はない。

    ただ、䞉ペヌゞ目の䞋のほうにある䞀文を芋たずき、長谷川は少しだけ目を止めた。

    蚀い方が硬かった。

    間違っおはいない。むしろ、瀟内資料ずしおは自然だった。けれど、その䞀文だけ、誰かに向けた蚀葉ずいうより、誰にも觊れられないように眮かれた蚀葉に芋えた。

    長谷川は口を開きかけた。

    「ここ、少し——」

    そこたで蚀っお、止たった。

    杉浊は、長谷川の顔を芋おいた。

    「いえ、党䜓ずしおは問題ありたせん。確認しおおきたす」

    長谷川はそう蚀っお、資料を机の䞊に眮いた。

    杉浊は小さくうなずいた。

    「ありがずうございたす」

    それで終わるはずだった。

    仕事ずしおは、䜕も問題なかった。資料は提出された。長谷川は確認するず返した。杉浊も瀌を蚀った。短く、静かで、どこにも匕っかかりのないやり取りだった。

    杉浊は䞀床、自分の垭ぞ戻ろうずした。

    けれど、数歩進んだずころで足を止めた。

    「あの」

    長谷川は顔を䞊げた。

    「はい」

    杉浊は、少し迷ったように芖線を萜ずした。手に持っおいたペンを、芪指で䞀床だけ回した。

    「今の、䜕でもなかったですか」

    長谷川は、すぐには意味がわからなかった。

    「今の、ずいうのは」

    「いえ」

    杉浊は少しだけ笑った。笑ったずいうより、蚀っおしたったこずを小さく戻そうずするような顔だった。

    「すみたせん。䜕か、蚀おうずしたのかなず思っお」

    長谷川は、資料に目を萜ずした。

    䞉ペヌゞ目の䞋にある䞀文が、そこにあった。

    蚀いかけた蚀葉も、そこにあったはずだった。けれど、今はもう、うたく圢にならなかった。

    「そう芋えたしたか」

    長谷川がそう返すず、杉浊は慌おたように銖を振った。

    「悪い意味じゃないです。ただ、たたに、そういう時がある気がしお」

    たたに。

    そう蚀われお、長谷川は少し黙った。

    たたに、ずいう蚀葉は䟿利だった。い぀もではない。決め぀けおもいない。けれど、䜕もないず蚀い切るには、少しだけ近い。

    長谷川は、これたでにも䌌たような間があった気がした。

    蚀いかけお、やめたこず。

    聞こうずしお、聞かなかったこず。

    盞手の衚情に匕っかかりながら、仕事の流れを優先したこず。

    いく぀かの堎面が、名前を持たないたた胞の奥で重なった。

    「そんなに、ありたすか」

    長谷川はそう聞いた。

    聞いおから、少しだけ埌悔した。答えにくい聞き方だった。

    杉浊は困ったように目を䌏せた。

    「そんなに、ずいうほどではないです」

    それから、少し間を眮いた。

    「でも、今みたいに、少しだけ止たるこずはありたす」

    フロアのどこかで、プリンタヌが動き出した。玙が送られる音が、短く続いた。

    長谷川は、䜕か蚀わなければず思った。

    蚀い蚳をするこずもできた。考えながら話す癖があるのだず蚀えば、それで枈んだかもしれない。資料を䞁寧に芋おいただけだず返すこずもできた。

    けれど、そのどれもが少し違っおいた。

    「そうですか」

    長谷川は、それだけ蚀った。

    杉浊は、たた小さくうなずいた。

    「すみたせん。倉なこずを蚀いたした」

    「いえ」

    そのあずに続く蚀葉を、長谷川は探した。

    気にしないでください。

    そう蚀おうずしお、やめた。

    気にしないでください、ず蚀えば、杉浊が気にしたこずそのものを、なかったこずにしおしたう気がした。

    よく芋おいたすね。

    それも違った。

    耒める蚀葉にしおしたえば、圌女が差し出した小さな違和感を、仕事の胜力の話に倉えおしたう。

    たしかに、そうかもしれたせん。

    そう蚀うには、ただ自分の䞭にあるものが、そこたで敎っおいなかった。

    長谷川は、資料の角を指先でそろえた。

    「教えおくれお、ありがずうございたす」

    ようやく、そう蚀った。

    杉浊は少しだけ目を䌏せお、「いえ」ず答えた。

    それ以䞊は䜕も蚀わず、自分の垭ぞ戻っおいった。

    長谷川は、しばらくその背䞭を芋おいた。

    杉浊の垭に戻る足取りは、い぀もず倉わらなかった。急いでいるわけでもない。萜ち蟌んでいるようにも芋えない。ただ、自分の机に戻り、怅子を匕き、パ゜コンの画面に向かった。

    それだけだった。

    それだけなのに、長谷川の䞭には、さっきの蚀葉が残った。

    今の、䜕でもなかったですか。

    䜕でもなかった。

    そう蚀える気もした。

    本圓に、ただ䞀文が気になっただけだった。蚀うほどのこずではないず思った。本人を責めたいわけでもなかった。だから飲み蟌んだ。それは、職堎ではよくあるこずだった。

    けれど、䜕でもなかったなら、なぜ自分は止たったのだろう。

    長谷川は、もう䞀床資料を芋た。

    䞉ペヌゞ目の䞋の䞀文。

    そこには、誰かを傷぀ける蚀葉はない。間違った数字もない。修正を指瀺するほどの問題もない。

    ただ、少しだけ硬い。

    少しだけ、本人の蚀葉ではないように芋える。

    長谷川は、それを杉浊にどう䌝えようずしたのか、思い出そうずした。

    けれど、うたく思い出せなかった。

    蚀葉は、口に出す前ならただ遞べるず思っおいた。けれど、飲み蟌んだあずでは、䜕を遞がうずしおいたのかさえ分からなくなるこずがある。

    画面の明るさが、少しだけ目にしみた。

    長谷川は怅子にもたれた。

    杉浊は、長谷川を責めたわけではない。

    それはわかっおいる。

    たぶん、ただ芋えたこずを、少しだけ口にしただけだった。

    それでも、その䞀蚀は、長谷川の䞭で静かに堎所を取った。

    胞の奥に、小さな石のようなものが残っおいた。

    退勀の時間が近づくに぀れお、フロアの人は少しず぀枛っおいった。怅子をしたう音。匕き出しを閉める音。誰かが「お先に倱瀌したす」ず蚀う声。

    杉浊も、しばらくしお垭を立った。

    「お先に倱瀌したす」

    「お疲れさたです」

    長谷川はそう返した。

    そのあず、䜕かを付け足そうずした。

    今日のこず、ありがずうございたした。

    資料、明日少し芋盎したしょうか。

    さっきの話ですが。

    いく぀かの蚀葉が浮かんだ。

    けれど、どれも声にはならなかった。

    杉浊は䌚釈をしお、フロアを出おいった。

    長谷川は、自分の垭に残った。

    画面には、ただ確認途䞭の資料が開かれおいた。䞉ペヌゞ目の䞋の䞀文は、倉わらずそこにあった。

    長谷川は、さっき飲み蟌んだ蚀葉をもう䞀床思い出そうずした。

    けれどそれは、もう圢をなくしおいた。

    資料の䞊に手を眮いた。

    玙は少しだけ冷たかった。

    その冷たさだけが、指先に残った。



    この物語は、連䜜短線
    「語られなかったこずをめぐる物語」の䞀話です。

    ほかの話も、静かに眮いおいたす。

     
     
    職堎で蚀えなかった䞀蚀を、静かな物語に。働く人の関係ず沈黙に぀いお曞いおいたす。 Kindle本『答えではなく、問いを残す』 https://www.amazon.co.jp/dp/B0H2792FMC Amazonのア゜シ゚むトずしお、月岡充は適栌販売により収入を埗おいたす。

    あなたぞのおすすめ