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Photo bymi_do_green8

あなたがいちばん

    思春期の友情とは時に奇妙に歪むものである。例えば独占欲が恋に似た欲望に変容したり。

    男子のことはよく知らないが、中学時代、私たち女子の間ではそんな独占欲を表現するための方法があった。制服の棒タイを交換するのだ。別に制度的なものではない。誰が言い出したのかもよくわからない。いつしか私たちの中学校で伝統のようになっていたように思う。もちろん同じ制服を着ているのだから同じ形、同じ色をしているそれを、わざわざ交換する。他人が見てわかるわけではない、ただただ自分達の間の契約、あるいは呪縛のようなその行為が、私には酷く美しく見えた。

    棒タイを交換することは、「あなたがいちばん」の証だったわけである。

    そして私にもそんな相手がいた。肌の白い、猫背の、癖毛をひとつに束ねた女の子だった。私より頭一つ低いその背丈が、色素の薄い瞳を細めて笑う顔が、愛おしくて仕方がなかった。それは、あるいは恋だったのかもしれない。

    しかし私には、棒タイを交換した日よりも鮮明な転機の日が存在する。いや、実際には転機になりえたかもしれない日だ。

    なんでそうなったのかはよく覚えていない。中学3年生の、確か夏だったと思う。同じ塾に通っていた彼女と(というか、彼女に誘われてその塾に通い始めたのだが)、その塾の入ったビルの軒下でベンチに座って雨を眺めていた。激しい雨が降っていた。

    当時、彼女は私にある渾名をつけて呼んでいた。私はそのことに優越感を覚えていた。私の名前は、彼女によって与えられたのだ。それは棒タイと同じ、「共有」だったのかもしれない。

    しかしその渾名はいつしか私と彼女の共通の友人にも広がっていき、彼女の幼馴染で私と同じ高校を受験するNちゃんも私のことをそう呼ぶようになった。

    私はその渾名が広がるごとに余計に優越感を覚えたものだが(それはなぜかはわからない、多分、彼女と私の「共有」を見せびらかしているような気持ちになったのかもしれない)、彼女は、自分だけがその渾名を呼びたいのだと言う。そもそもなんでそんな話題になったのかも覚えていないが、「Nちゃんが呼ぶのは嫌やもん」と拗ねたように言った彼女に、加虐欲にも似た何かドロドロとした感情が溢れそうになったことだけは鮮明に覚えている。だって、彼女の幼馴染で私をその名で呼ぶ友人は他にもいた。でも、そんなこと一度も聞いたことがなかった。特にNちゃんだけはだめだって。おんなじ高校に行くのもずるいって。そんなことを彼女が言うのだ。私がよくわからない感情に支配されたのも仕方ないことだと思う。

    抱きしめたい、と思った。でも私は弱虫で、実際には手を握ることすらできなかった。それどころか気が利いた答えも返せなかったと思う。私はあなたがいちばんだよって、好きだよって、それくらい言えよヘタレ。

    そんなことを思い出したのは、彼女の故郷の駅を通りがかったからだ。10年前に電話して以来、声も聞いていない。彼女は都会に出たと風の噂で聞いた。

    私は今でも彼女が好きだ。あの雨の日の後悔を、私は一生「恋」と呼ぶのだろう。

     
     
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