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賢い人ほど、言葉に責任を持てなくなる

賢くなればなるほど、人は断定を避けるようになる。

自信がなくなるからではない。物事を深く考えるほど、一つの結論を壊す条件が見えるようになるからである。

知識が少ない段階では、世界は単純に見える。努力した人は成功する。嫌われる人には原因がある。能力が高ければ評価される。一つの結果に一つの原因を当てはめれば、迷わず答えを出せる。

しかし、知識が増えると、努力しても失敗する人や、能力がなくても環境に恵まれて成功する人が見えてくる。本人の性格だけでなく、時代、運、所属する集団、相手との相性まで結果に影響しているとわかる。

知性が低い段階では、答えが見つかる。知性が高くなると、その答えが成立しない条件まで見つかる。

これは、人間だけに起きることではない。

AIも新しいバージョンになるほど、安易な断定を避け、根拠を求めるようになる。以前なら情報が足りなくても一つの答えを返していた場面で、前提が不足している、複数の可能性がある、保証はできないと答える。

性能が上がったはずなのに、以前より頼りなく見えることさえある。

処理できる情報が増えれば、答えだけでなく、その答えが外れる可能性まで計算するようになるからである。人間も経験を重ねるほど、自分の発言が間違っていた場合に、何が壊れるかを想像する。誰かの判断を誤らせる。相手を不当に評価する。自分の信用を失う。賢い人が断定を避けるのは、責任感がないからではない。むしろ、自分の言葉が生む結果まで、責任の範囲に含めてしまうからである。

一方で、社会では条件の少ない言葉ほど強く見える。

「絶対にこうだ」と言う人は自信があるように映り、「可能性が高い」「一概には言えない」と言う人は、何もわかっていないように見える。そのため、思考が粗い人ほど知的に見え、思考が精密な人ほど曖昧に見えるという逆転が起きる。

しかし、すべての責任を負えないからといって、何も判断しなくてよいわけではない。

「例外もある」「人による」「未来はわからない」と言い続ければ、ほとんどすべての判断から逃げられる。事業が成功する保証はできなくても、現時点で続けるべきかは判断できる。

保証できないことと、判断できないことは同じではない。

不確実性を理解したうえで、それでも暫定的な結論を出す。断定によって切り捨てられる可能性を自覚しながら、その言葉に責任を持つ。必要なのは、何も言い切らないことではなく、言い切ってよい範囲を見極めることである。

知性とは、断定を避ける能力ではない。断定できないことと、保証できなくても判断すべきことを、正確に切り分ける能力である。

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