
君は綿貫六助の「丘の上の家」「静かなる復讐」に続編があることを知っているか
大正~昭和にかけて、軍人出身作家という身の上以上に、苛烈なる男色小説(岩田準一お墨付き)を発表し最盛期、変態性欲カテゴリで活躍した、しかも当時流行した美少年物ではなく、老爺を愛する物語を描いた綿貫六助という作家を、メガネ文庫を観察している諸君は知っているかと思う(軍記ものを頑張っていたとか、エッセイが秀逸だったなどあるが、メガネ文庫は男色にしか基本的に反応しないのでまあまあの独断と偏見でお届けしています)。
彼が雑誌『変態・資料』に発表した「丘の上の家」「静かなる復讐」という連作短編が、長く読み継がれていることは、ゲイ雑誌『アドン』や『さぶ』でコラムが書かれていたことなどで伺え知れそうなものだ。
さて、表題に触れる前にそれぞれの話のあらすじに触れていこう(拙著「季刊男色 綿貫六助」より引用)。
「丘の上の家」(『変態・資料』第3巻第3号 昭和3年4月10日発行)
恋多き綿貫に『私には、今、ゐてもたってもゐられないほど可愛いお爺さんが一人ゐる。』と言わしめたのが、「丘の上の家」、「静かなる復讐」のヒロイン(?)兵さんである。
銭湯で出会った二人、私(綿貫)が惚れて声をかけたのが始まりだった。私三十七八歳、兵さん四十六の時である。
白乳社(牛乳を扱う会社?)で牛相手に仕事をしていた兵さんは、『美しい牡牛のやうな顔に、人間の顔が有つ品位と愛嬌と敏感とを調合して製しあげた顔』で『額はガッシリとして高い。眉は濃く高僧の如く秀でてゐる。少しくぼんだ鳥睛がちな大きな眼、それが、牛の柔和と忍従と、人間がもち得る最大の神秘的な陰影をひそめて』おり、にっこりされると私は悩殺されてしまう。余談だが、いろんな作品を読み進めると、どうやら牛のような顔が綿貫の好みのタイプであるようだ。
その後、私にいろいろあり二人に接点はなかったが、約十年後、私の江古田の家から一里先の田舎で、再会を果たす。
あまりの嬉しさに私は兵さんに接吻を浴びせる。兵さんは拒まない。
その頃、兵さんは以前勤めていた白乳社を首になり、丘の上の家に住んでいた。家には、妻と聟と孫がいる。
娘はすでに死んでいるが聟はそのまま一緒に暮らしている。
娘が死んだので、その子供(孫)を妻が育てていること、鶏飼商売をしていること、暮らしが貧しいことを教えてくれた。
再会を喜んだ私は、兵さんと逢瀬を重ねる。プレゼントもする。ぞっこんである。兵さんとも肉体関係を持ち、私は幸せの絶好調だった。
ある日二人で酒を飲んでいると、兵さんが、「聞いてもらいたい苦しみがある」という。
実は、聟と妻が男女の仲になっており、二人を殺そうと思っていること、けれども聟が稼ぐ金がないと暮らせないので、そのままにしていること、聟には情婦がおり、聟に金を渡していることなどを告白した。
私は同情し、女房も孫も家も奪われて、牛になって私にたよる哀れな爺さんを、乞食をしても養おうと決心する。
その日はそのまま酒を飲んで別れ、その後も逢瀬を重ねるが、先立つ金がなく、兵さんを自由にしてあげられない。
助けを乞う兵さんに、愛深く接する私は慰めの言葉をかけ、爺さんを引き受けることを決心する。
「静かなる復讐」(『変態・資料』第3巻第4号 昭和3年4月29日発行)
私(綿貫)の妻が出ていき(「惨めな人たち」参照)、入れ替わりで家出してきた兵さんが家に住み込む。家事を担う兵さんと新婚夫婦さながらの楽しい日々を私は花嫁の気持ちで過ごしていた。出奔していた妻が一時帰宅したときも、妻と兵さんが関係したら…などという甘い懊悩を感じたりした。
兵さんは自宅を売り、その金で妻と聟に訴訟を起こし、聟が飼育していた鶏も売るという算段だったが、なかなかうまくいかない。私は兵さんを慰めたりサポートしたりする。
暫くして、兵さんが家を売る算段ができた頃、私は、すべての復讐を終えた兵さんを自分の家に置くことに不安を感じ、また愛欲の日々の所為で自分の仕事が手につかないことにいら立って、兵さんの復讐がかなうまで同居はよそうと兵さんを家から追い出す。
しかし兵さんを追い出し、妻もいない家の中は寂しく、私は兵さんが間借している家に遊びに行っては逢瀬を重ねる。
その間、兵さんは弁護士に頼り、着々と妻と聟への復讐を整えていた。
そして復讐の日、弁護士などを引き連れて家に向かう。「借金のカタに全てを売った」という兵さんに、聟は駐在所に駆け込んだが無駄であった。妻も自分と孫を殺せと反抗し、聟の情婦が泣き縋ったが、兵さんの心は揺るがなかった。
「あゝあツ、これで、ほんとに、さつぱりとしたよ! いゝ氣持ちだ! セエ〳〵とした!……!」
兵さんは復讐を遂げたが、代わりに家、家族を失った。
もう妻はいらないという兵さんの、『老爺が終生にツレソフ暗示的な艶々しい眼』に、私はとろけ入るやうな甘さと、老人の為め奪斗すべき力を躰内に泌々と感じたのだった。
という話である。で、この後、どうなったかという話が、「山乃湯の狂態」
(『性愛十日物語(エロスデカメロン)』)という、ある明治文壇知名作家による手記として紹介される。
「山乃湯の狂態」(『性愛十日物語(エロスデカメロン)』(海野不二 三興社、PR叢書:昭和6年))
山乃湯(会津と思われる)に逗留している私。飲食雑貨店で出会った爺さんが店を出た時、盲人開眼『壺坂霊験記』の澤一の気分で爺さんを背後から抱きすくめると、爺さんは「キシヤ――ッ! なんだ〳〵ッ? たすけてぇーッ!」と逃げていったのを酔狂のエピソードとして紹介する。
滞在している山乃湯は、私の愛人の兵さん(中氣(脳卒中か)で死亡)ともう一人の兵さん(八十二歳で、子・孫がいる)と縁がある場所で、ある酒の夜、生きている兵さんに性的関係を断られ、普通の交際を求められる。私はそれを受け入れることが語られる(後略。後半は主人公に言い寄る若い人の話なので興味があれば読んでください)。
ここまでは、「季刊男色 綿貫六助」に書いたので、知っている人は知っているし、「本を見て森を見ず」というブログに詳しく書いてあるのでご参照ください(記事が濃くて秀逸です)。
で、その後のメガネ文庫の探究で、綿貫六助がなぜか『宗教雑誌 宇宙』という雑誌にコラムやら小説やらを書いていて、その中の「猫を捨てる」が「丘の上の家」「静かなる復讐」の幕間、「雷雨と蜩」が「静かなる復讐」の後日談を描いていることに行きついた。
「猫を捨てる」(『宗教雑誌 宇宙』昭和3年8月号)
妻が私の許可なく牡猫を拾ってきたことに激怒した私を見て、末子を置いて妻が出奔(このため「静かなる復讐」の前半では妻が不在)。残された私とちょっと前から家にいる知己の忠太爺さん(名前が違うがエピソードからして兵さんのことと思われる)と末子との3人生活が始まる。子供が母が拾った猫を愛おしんでいるが、結局私は猫を邪険にし、バケツに猫をぶち込み蓋をしてどこかに捨てようとマントの中にバケツを入れ、雪に冷える外へ猫を捨てに出る。
「雷雨と蜩」(『宗教雑誌 宇宙』昭和3年9月号)
家では兎を飼うようになった。兎爺さん(話でコロコロ名前が変わるが、兵さんのことと思われる)がまだ綿貫家におり、日雇い労働に出て家に金を入れているよう。
歌舞伎役者の所へ(メガネ文庫註:書生になりに)行く息子を、妻と末子だけでなく、爺も列車まで見送る。ついでに見送りの帰りに妻と末子と爺は子供博に寄り、妻も末子も帰ってから土産を見せたりと上機嫌。
私はというと、酒屋で別の爺たちに囲まれ、私を中心とした爺たちのつかみ合いが始まる。妻はその話を聞いて、「さやあてよ! 内でもお爺さん方々へ迎いに飛廻ったわ――随アテられッちまうねえ。」真面目に云って、「もう帰ってきますのよ。それは話さない方がいいわ。知らせて苦労させるのは罪よ。」と腐女子みたいなことを言う。
「猫を捨てる」の時と打って変わってみんな幸せ家族になっている。まるで世上の暴風雨を、あるシエルタアの下にさけたひとつの風景のように。
といった話である。書かれた時期的にも、「丘の上の家」「静かなる復讐」とおなじ昭和3年で整合性が付く。
性の問題で自分の家をなくし、女房も聟も一粒の孫まで失った兎爺さんが、性? の深刻な動機から、私の家族になって、崩壊した私の家をまとめるとすれば、人生は不可思議極まりなきものである。
兎にかく、孫のように、嫁のように、祖父のように、純情を捧げ合って、貧苦の底に愛しあって暮しているのは事実だ。これだけで充分だ。その裡にどのような事があろうと、償ってあまりがあるのではなかろうか。
これは、弱きものが、恰度兎の子のようにからだを寄せ合い、温め合い、世上の暴風雨を、あるシエルタアの下にさけたひとつの風景である。
と「雷雨と蜩」に書かれた、名を変えるが同一人物だろう爺が、昭和6年に発行された「山乃湯の狂態」で仮に死んだと書かれた兵さんだとしたら、昭和3年~6年の死ぬまでの3年間、綿貫家で幸せに暮らしたと仮定するなら、幸せになれただろうか。
(余談だが、昭和2年発行の『道頓堀』9月号に、歌舞伎役者の書生になる息子の話が掲載されているが、爺は出てこないので裏付け資料にはならない)
ちなみにこの情報はあまり知られていないと思います。はい。この記事を読んで知ったあなた。読みたいですよね、作品まとまったやつ。
と、いうわけで
どこかの出版社様ー!「丘の上の家」「静かなる復讐」「猫を捨てる」「雷雨と蜩」をまとめて本にしませんか―。