
更年期が、来ない
テレビから流れてきたCMで、ふと手が止まりました。
更年期の悩みに寄り添う、という商品のCM。
画面の中の女性は、私と同じくらいの年齢に見えました。
あ、私も対象年齢だ。
そのとき初めて、自分が「更年期」と呼ばれる年齢に入っていることを、はっきり意識したのです。
思い返せば、同世代の友人たちからは、冷えのぼせや突然の発汗に悩んでいるという話を聞くようになっていました。顔だけがカッと熱くなるのに、手足は冷たい。じっとしていても汗が噴き出してくる。つらそうな話に相槌を打ちながら、私は心のどこかで、ずっと不思議に思っていました。
私には、思い当たる症状がないのです。
自慢したいのではありません。むしろ逆で、拍子抜けというか、狐につままれたような気持ちでした。更年期は、多かれ少なかれ誰にでも訪れるものだと思っていたからです。対象年齢のまんなかにいるのに、私の体はいたって静かなまま。CMを見てようやく自分の年齢に気づくなんて、我ながらのんきだと思います。
管理栄養士という仕事柄、考えずにはいられませんでした。
「もしかして、食事だろうか?」と。
振り返れば、私は長いあいだ、口に入れるものを選び続けてきました。人工甘味料はなるべく避けてきました。白砂糖も、意識して遠ざけてきました。納豆だけはどうしても食卓にのぼらないのですが、それ以外の大豆製品(豆腐や味噌汁、きな粉など)は日常的にとってきました。大豆には、イソフラボンという、女性ホルモンのエストロゲンに似た働きをすると言われる成分が含まれています。そして、ごはん。モデルをしていた頃も、「食べない」が正義のような世界にいながら、お米とお味噌汁だけは手放しませんでした。
だから症状が出ていないのだ、と言えたら、どんなに気持ちがいいでしょう。
でも、管理栄養士だからこそ、はっきり言えることがあります。
「食事のおかげです」とは、言い切れないということ。
更年期の症状には、大きな個人差があります。ホルモンの変化、体質、環境、ストレス。要因は複雑に絡み合っていて、「これをしていたから大丈夫」と断言できるものではありません。私の場合も、たまたまかもしれない。あるいは、これから来るのかもしれない。専門家であるほど、自分の体ひとつを根拠に何かを語ることはできなくなります。
それでも、と思うのです。
一日三回、何十年も。体に入れるものを選び続けてきた時間は、確かに私の体のどこかに積み重なっているはずです。症状がないことを「何もなかった」と呼ぶのか、「静かな答え合わせ」と呼ぶのか。証明はできないけれど、私は後者だと思いたい。
若い頃の私は、たいした知識もないまま、それでも自分なりに体を大切にしようとしていました。管理栄養士になった今の私は、あの頃の自分の答え合わせをしながら生きているような気がします。丸をつけられるところもあれば、足りなかったと赤字を入れたくなるところもある。体は、ずいぶん時間が経ってから、静かに採点を返してくるのです。
いつか症状が来たら、そのときはそのとき。自分の体と話し合いながら、食卓を整えていくだけです。
体の声が静かであることは、きっと悪いことではない。
今夜も、いつものお米を炊きます。