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とある施設警備員の「副業、施設警備員のススメ!」

    #創作大賞2026 #エッセイ部門

    警備員を見下していた私が、           40歳を過ぎて、もう一度          奮い立たせてくれた。

    「警備員の仕事なんかしてるの?」「なんで?楽しい?」「警備員さんって、どうせ、立ってるだけでしょ?」

    そう言われたのは、もう何年も前のことだ。 飲み会の席だったと思う。私が週末に施設警備の仕事をしている、と話したときの、誰かの何気ない言葉だった・・・。

    悪気はなかったのだろう。 むしろ、私を気づかってくれたのかもしれない。「大変だね」とは違う、軽い空気にしてくれたのだと思う。

    でも、私はその一言を、今でもよく覚えている。

    なぜなら、 警備の仕事を始めるまでの私が、まったく同じことを思っていたからだ。

    ビルの入り口に立っている人。 工事現場で旗を振っている人。 夜のロビーで、ただ座っている人。

    「ああいう仕事は、誰でもできるんだろうな」 「自分とは関係のない世界の人たちだ」

    正直に書きます。 私は、警備員という仕事を、心のどこかで見下していました。

    その私が、いま8年目の施設警備員をしています。 しかも、辞めるどころか、人に薦めている

    「警備員、いいですよ」と。

    私にいったい何があったのか。 50歳を過ぎた男が、なぜ週末ごとに制服を着て、誰もいない夜のビルを巡回しているのか。

    少しだけ、聞いてもらえないでしょうか。 難しい話は、1つもありません。 これは、立派な成功談でもありません。 ただの、中年のおじさんが、見下していた仕事に救われたという話。

    中年の静かな不安

    きっかけは、お金の不安だった。

    私は平日、IT企業で働いている。 世間からは「手堅い」と言われる仕事だ。 けれど、40歳を過ぎたあたりから、その手堅さが急に頼りなく見えはじめた。

    定年という言葉が、現実味を帯びてくる。 後輩のほうが詳しい技術が、毎年のように増えていく。 会議で、自分だけが話についていけない瞬間が、少しずつ増えた。 給料は、上がるどころか、この先どうなるかわからない。

    そして、老後。

    2千万円問題だの、年金がどうだのと、テレビは不安を煽ってくる。 中年独り暮らしの私は夜中にひとり、電卓を叩いたことがある。 あと何年働けるのか。 退職金と年金で、何年暮らせるのか。

    答えは、出なかった・・。 正確には、出したくなかったのだと思う。

    何かしなければ、と思った。 でも、当時の私に、できることは多くない。

    投資は怖い。 若いころのように転職で給料を上げる、なんて夢物語だ。 かといって、人に誇れる特技もない。 資格の欄に書けるものといえば、運転免許くらいのものだ。

    そんなとき、求人サイトで偶然見つけたのが、施設警備の募集だった。

    「週一日からOK」 「未経験歓迎」 「五十代・六十代活躍中」

    時給は、特別高くはなかった。 それでも、週に二日働けば、月に8万円から10万円にはなる。

    月に10万円!

    その数字を見たとき、私の中で何かが少し軽くなった。 年金に月10万円が上乗せされたら。 それだけで、老後の電卓の答えが、ずいぶん違って見える。

    「未経験だが、やってみるか!」

    恥ずかしながら、最初の動機は、それだけだった。 人助けでも、社会貢献でもない。 ただ、お金が不安だった。それだけだ。

    応募ボタンを押すのに、3日かかった。 40歳を過ぎて、新しいことを始めるのは、こわい。 落ちたらどうしよう、ではない。 受かって、本当にやることになったら、どうしよう、だった。

    制服を着るのが、恥ずかしかった

    正直に書くと言ったので、もう少し正直に書く。

    最初のころ、私は警備員の制服を着るのが恥ずかしかった。

    研修を終えて、はじめて配属されたのは、タワーマンションだった。 ぴかぴかのエントランス。コンシェルジュ。住んでいるのは、明らかに私より「上の層」の人たち。

    そこに、40過ぎの新人警備員として立つ。 帽子をかぶり、慣れないネクタイを締め、背筋を伸ばして。

    知り合いに会ったらどうしよう、と本気で思った。 平日はオフィスでパソコンを叩いている私が、休日にここで頭を下げている。 その姿を、誰かに見られたくなかった。

    住人に「ご苦労さま」と声をかけられても、うまく笑えない。 心のどこかで、まだ思っていたのだ。

    「本当の自分は、こんな仕事をする人間じゃない」と・・。

    実は最初の夜勤で、私は大きな失敗をした。

    巡回のルートを、ひとつ飛ばしてしまったのだ。 たいした失敗ではない、と自分では思っていた。 けれど、先輩の隊長は、静かにこう言った。

    「君が巡回で飛ばした1回で、何も起きないかもしれない。でも、その1回で、人が死ぬこともある。俺たちが見回るのは、何も起きないようにするためだ。何も起きなかった夜は、俺たちが仕事をした証拠なんだよ」

    何も起きなかったことが、成果。 そんな仕事の考え方を、私はそれまで1度もしたことがなかった。

    平日の私の仕事は、成果を数字で見せる仕事だ。 売上、件数、評価。 目に見えるものを積み上げて、はじめて認められる。

    でも、警備は逆だった。 何も起こさないこと。誰にも気づかれないこと。 それが、最高の仕事なのだ。

    今になって思う。 あのころの私は、目の前の住人ではなく、自分のプライドに頭を下げていたのだと。

    人を見下す人間は、結局、自分のことばかり見ている。 だから、目の前の人が見えていない。

    そのことに気づくまで、私はもう少し時間がかかった。

    ロビーは、人間を見る特等席だった

    警備の仕事は、世間が思うほど、ひまではない。 けれど、世間が思うほど、忙しくもない。

    巡回をして、モニターを見て、受付に座る。 そのあいだに、たくさんの人が、目の前を通り過ぎていく。

    私は気づいた。 ロビーというのは、人間を見る特等席なのだ、と。

    通り過ぎる人は、私のことを「風景」だと思っている。 立っているだけの警備員。 だから、みんな、素の顔で通り過ぎていく。

    着飾る必要のない相手の前で、人は、本当の表情をする。

    タワーマンションには、信じられないほど立派な人たちが住んでいた。 有名な会社の社長。テレビで見る顔。高級な服装を身にまとう方々

    その人たちの多くは、夜遅くに、ひとりで帰ってきた。

    エントランスで「おかえりなさいませ」と頭を下げる。 返事をしてくれる人もいれば、しない人もいる。 でも、どんなに偉い人でも、夜中の24時に、誰もいない自分の部屋へ帰っていく背中は、少しだけ寂しそうに見えた。

    お金があれば、幸せなのだと思っていた。 広い部屋に住めれば、安心なのだと思っていた。

    でも、ロビーから見ていると、そう単純ではないことがわかってくる。

    立派な肩書きの人ほど、誰とも目を合わせずに通り過ぎる。 高級車から降りてきた人が、スマホに向かって怒鳴っている。 その横で、配達員の若者が、何度も頭を下げている。

    幸せは、住んでいる階の高さでは決まらない。 これは、タワーマンションの1階のロビーで、私が学んだことだ。

    ある住人の老紳士は、毎晩、私に話しかけてくれた。 天気のこと。野球のこと。たわいもない話だ。

    あとで知った。 その方は、奥さんを亡くして、ひとりで暮らしていた。 広いタワーマンションの一室で。話し相手は、夜の警備員の私だけだったのかもしれない・・・。

    「君がいると、帰ってきた気がするよ」

    そう言われたとき、私は、自分の中の何かが崩れる音を聞いた。

    立っているだけ? 誰でもできる?

    私は、この方の夜に、確かに必要とされている。 お金のためにここに立っているはずだった私が、いつのまにか、誰かの「ただいま」を受け止める係になっていた。

    新聞が、教えてくれたこと

    その後、私はいくつもの現場を回った。

    タワーマンションから、小さなマンション。 商業ビル、大学、ずいぶん古いマンション。 建物が変われば、そこに生きる人も変わる。

    築四十年を超える、古いマンションを担当したときのことだ。

    住んでいるのは、お年寄りが多かった。 若いころにこのマンションを買って、そのまま年を重ねた人たち。 エレベーターのない五階に、ゆっくり、ゆっくり階段を上がっていく姿を、私は毎晩見ていた。

    ある朝のことだ。 巡回をしていて、一室のドアの前に、新聞がたまっているのに気づいた。

    一日分なら、よくあることだ。 旅行かもしれない。出張かもしれない。 でも、三日分はおかしい。

    その部屋には、ひとり暮らしのおじいさんが住んでいた。 いつも、私に小さくうなずいてくれる、無口な方だった。 ここ数日、姿を見ていないことに、私は気づいていた。

    私は、決められた手順どおりに、管理会社へ連絡した。 胸が、いやな音を立てていた。

    結果から言えば、おじいさんは、部屋の中で倒れていた。 発見が早かったおかげで、一命をとりとめた。

    退院されたあと、おじいさんは、わざわざ警備室まで来てくれた。 そして、深く、深く頭を下げた。

    「あんたが、新聞に気づいてくれたんだってな」

    私は、何も言えなかった。

    私は、施設警備員として館内を巡回していただけだ。 ただ、いつもと違うことに、気づいただけだ。

    でも、その「ただ」が、人の命に届くことがある。

    立っているだけの仕事。 そう呼ばれていた仕事の中に、こんな瞬間が、確かにあった。

    誰も見ていない時間に、誰かを見ている。 それが、警備という仕事の正体なのだと、私はこのとき、はじめて理解した。

    あの隊長の言葉が、よみがえった。 何も起きなかった夜は、俺たちが仕事をした証拠だ。 そして、何かに気づいた夜は――きっと、それ以上の意味がある。

    大学の夜と、若者たち

    しばらくして、私は大学の警備を担当した。

    昼間は、何百人もの学生でにぎわうキャンパス。 それが、夜になると、まるで別の場所になる。 広い構内に、人の気配がなくなり、街灯だけが、ぽつぽつと光っている。

    でも、夜の大学には、必ず誰かが残っている。

    研究室の明かりが、夜中まで消えない。 実験をしている学生。論文を書いている院生。 私が巡回で声をかけると、目を真っ赤にして「あ、もうこんな時間ですか」と笑う。

    ある夜、ベンチでひとり、うずくまっている学生がいた。 泣いているようだった。

    声をかけるべきか、迷った。 余計なお世話かもしれない。 でも、見て見ぬふりはできなかった。

    「こんな時間に、どうしたの。風邪ひくよ」

    それだけ言って、私は自動販売機で温かいお茶を買って、横に置いた。

    その子は、何も話さなかった。 私も、何も聞かなかった。 ただ、少しのあいだ、隣に立っていた。

    しばらくして、その子は「ありがとうございます」と小さく言って、帰っていった。

    何があったのかは、今もわからない。 でも、あの夜、誰かがそばにいた、という事実だけは、残ったはずだ。

    若い人を見ていると、私は、自分の若いころを思い出す。 あのころの私も、未熟で、不安で、毎日が必死だった。

    現在、私はもう、若くはない。 でも、若くないからこそ、できることがある。

    ただ、そばにいること。 何も言わずに、お茶を1本、置いてやること。

    それくらいのことなら、50過ぎのおじさんにも、できるのだ。

    頭を下げる、ということ

    もちろん、いい話ばかりではない。

    商業ビルの現場では、毎日のようにクレームを受けた。

    道を聞かれて、丁寧に答えても怒鳴られる。 理不尽な言いがかりをつけられる。 こちらに非がなくても、ただ「警備員」というだけで、言葉の暴力により、サンドバッグにされることがある。

    忘れられない出来事がある。

    ある日、ひとりの中年の男性が、ものすごい剣幕で私に詰め寄ってきた。 駐車場の精算機の使い方がわからない、というだけのことだった。 だが、その人は、まるで私が世界中の悪の元凶であるかのように、怒鳴り続けた。

    若いころの私だったら、耐えられなかったと思う。 プライドが邪魔をして、言い返していただろう。

    でも、私は、ただ頭を下げ、一緒に精算機の前に立った。 ボタンを押し、お金を入れ、ゲートが開くまで、付き添った。

    最後、車に乗り込むとき、その人は、ぽつりと言った。

    「……すまなかった。今日、親父の葬式だったんだ」

    私は、はっとした。

    私に怒鳴っていた、その人にも、私の知らない一日があったのだ。 お父さんを亡くした、いちばんつらい日に、たまたま、ぶつける相手が、私だっただけだったのだ。

    そう思えるようになってから、頭を下げることが、苦ではなくなった。

    頭を下げるのは、負けではない。 相手のために下げているのでもない。

    自分の機嫌を、自分で守るために下げているのだ。

    そして、頭を下げたその先で、ときどき、人の本当の姿に出会うことがある。

    これは、平日のオフィスでは、教わらなかったことだ。 中年になって、警備員になって、はじめて学んだことだった。

    警備室に集う、やり直しの人たち

    警備の仕事をして、もうひとつ、私の人生を変えたものがある。

    同僚である仲間たちだ。

    警備員には、いろいろな人がいた。

    20年やっているベテランの隊長。 会社をたたんで、年金がもらえるまでのつなぎに来たという、元社長。 定年まで勤め上げて、それでも家にいてもやることがない、と言って来た元会社員。 若いころ、人生につまずいて、ここにたどり着いたという人。

    最初は、戸惑った。 私とは、まったく違う人生を歩んできた人たち。 平日の私の同僚とは、何もかもが違う。

    でも、夜の防災センターで、コンビニのコーヒーを飲みながら話していると、不思議と、肩書きが消えていく。

    ここには、上も下もない。 あるのは、ただ、同じ夜を一緒に過ごしている、という事実だけだ。

    元社長は言った。

    「会社をやってたころは、毎日、人を値踏みしてたよ。役に立つか、立たないか。でも、ここに来て、そういうのが全部どうでもよくなった。みんな、ただのおじさんだ」

    私は、その言葉に、救われた。

    平日、私は数字で評価される世界にいる。 役に立つか、立たないか。 若いか、年を取ったか。

    でも、週末のこの防災センターでは、私は、ただの「とある施設警備員」だ。

    肩書きも、年収も、関係ない。 夜を一緒に守る、それだけの仲間。

    こんな居場所ができるなんて、思ってもみなかった。

    正月の夜勤を、私は今でも覚えている。

    大みそかから元日にかけて、世間が一年でいちばん家族と過ごす夜に、私たちは、誰もいないタワーマンションを守っていた。

    少しさみしくないですか、と隊長に聞いた。

    隊長は笑って、こう言った。

    「みんなが安心して年を越せるのは、どこかで誰かが起きてるからだよ。今夜は、俺たちがその『誰か』なんだ。悪くないだろう」

    悪くなかった。 むしろ、誇らしかった。

    世間が眠っているあいだ、起きて見守っている誰か。 その「誰か」に、自分がなれている。 こんなふうに思える夜が来るとは、思わなかった。

    誰も見ていない夜の、自分との時間

    深夜の巡回が、私は好きだ。

    館内が、しんと静まりかえる。 昼間はあれほど人がいた場所が、夜には、誰もいなくなる。

    懐中電灯の光を頼りに、ゆっくりと歩く。 自分の足音だけが、響く。

    最初は、怖かった。 でも、慣れてくると、この時間が、なんとも言えず、いいのだ。

    誰も、私を見ていない。 誰も、私に何も求めていない。

    ただ、歩く。 ただ、見回る。

    その静かな時間に、私は、いろいろなことを考える。

    家族のこと。 これまでの人生のこと。 これからのこと。

    平日は、忙しくて、自分のことを考える時間なんて、なかった。 スマホを見て、メールを返して、会議をして、一日が終わる。

    でも、この夜の巡回の時間だけは、私は、私自身と向き合える。

    私は、自分とこんなにゆっくり話したことが、あっただろうか。

    考えてみれば、若いころからずっと、何かに追われていた。 学校、就職と立ち止まることが、こわかった。 立ち止まったら、置いていかれる気がしていた。

    でも、誰もいない夜のビルの中で、私はようやく、立ち止まることを覚えた。

    誰も見ていない夜に、誰かを守りながら、私は、自分自身も、少しずつ取り戻していった。

    警備という仕事は、お金をくれた。 でも、それ以上に、私に「考える時間」をくれた。

    これは、月10万円より、ずっと価値のあるものだったと、今は思う。

    親に、打ち明けた夜のこと

    実は、最初のころ、私は警備の仕事を、親に黙っていた。

    恥ずかしかったのだ。 IT企業の自分が、週末に警備員をしている。 それを知られたら、情けない男だと思われる気がした。

    私は、覚悟して、すべてを話した。 老後が不安だったこと。 少しでも稼ぎたかったこと。 黙っていて、ごめん、と。

    親は、しばらく黙っていた。 そして、こう言った。

    「なんで、ひとりで抱えてたの。不安なら、一緒に考えればよかったのに」

    私は、何も言えなかった。

    でも、本当の強さは、ひとりで抱えることではなかった。 打ち明けて、一緒に考えること。 それが、いちばん難しくて、いちばん大事なことだった。

    その日から、私の警備の話を、楽しみに聞いてくれるようになった。

    久しぶりに実家に帰ると「最近は、どんな人がいた?」

    私が現場で出会った人たちの話をすると、親は、笑ったり、しんみりしたりする。

    週末の警備が、私の、新しい会話を生んでくれた。 これも、思いがけない、贈り物だった。

    それでも、お金の話もしておく

    きれいごとばかり書いてしまったので、最後に、現実的な話もしておきたい。

    私は、週に1日、警備の仕事をしている。 月にして、8万円から10万円ほどの収入になる。

    決して、大きな金額ではない。 でも、この月10万円が、私の老後の電卓の答えを、たしかに変えてくれた。

    年金に、月10万円。 それが続けば、暮らしは、ずいぶん楽になる。

    しかも、警備の仕事は、年を取っても続けられる。 重い荷物を運ぶわけでも、きついノルマがあるわけでもない。 60代、70代の現役警備員の先輩方が、私の周りにはたくさんいる。

    体が動くかぎり、働ける。 それは、50歳を過ぎた人間にとって、ものすごい安心感だ。

    もちろん、楽な仕事だとは言わない。 眠い夜もある。寒い朝もある。 理不尽なことも、ある。

    でも、「老後が不安だ」と、夜中に電卓を叩いていたあのころの私に、言ってやりたい。

    不安なら、動けばいい、と。 できることは、ちゃんとある、と。

    動き出してみたら、お金以上のものが、たくさんついてきた。 それが、私の正直な実感だ。

    見下していた仕事が、私を立たせてくれた

    冒頭の話に戻る。

    「警備員さんって、立ってるだけでしょ?」

    今の私なら、こう答える。

    「ええ。私は警備員として、立っているだけですが、その『立っているだけ』が、誰かの夜を守っているんですよ」と。

    私は、警備員という仕事を、見下していた。 そんな自分が、恥ずかしい。

    でも、見下していたその仕事が、もう一度、私を立たせてくれた。

    お金の不安を、少しだけ軽くしてくれた。 何も起こさないことの尊さを、教えてくれた。 頭の下げ方を、教えてくれた。 肩書きのない居場所を、くれた。 新しい会話をくれた。 そして、誰も見ていない夜に、自分と向き合う時間をくれた。

    だから、私は、薦めたい。

    もし、あなたが、私と同じように中年で漠然とした不安を抱えているのなら。 もし、あなたが、今の自分に、少しだけ自信をなくしているのなら。

    一度、施設警備員という仕事を、のぞいてみてほしい。

    立っているだけ、なんかじゃない。

    そこは、人間を見る特等席であり、自分を取り戻す場所であり、もうひとつの人生のはじまりだ。

    私は、今夜も、誰もいないロビーに立っている。

    通り過ぎる人は、私のことを、風景だと思っているだろう。

    それでいい。

    風景になりながら、私は、たしかに、この街の夜を見ている。 誰かの「ただいま」を、待っている。

    立っているだけの、この警備員の仕事が私は今、心から、好きだ。

    そして、あなたにも、伝えたい。

    あなたの人生も、まだ、立ち上がれる。 50歳からでも、60歳からでも、遅くなんてない。

    その一歩を、私は、夜のロビーから、静かに応援している。

    今週末も警備員の仕事!
    前へ、進みます。

    とある施設警備員

     
     
    老後が不安な中高年サラリーマンへ|50代IT企業勤務×週末施設警備員8年目|週2日で月8〜10万円を実現した方法と現場のリアルを発信|難しい話なし・生体験のみ|

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