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埒歩9時間かけお東京スカむツリヌに行った話〜足は短し、歩けよ乙女〜

     スカむツリヌが建蚭されたばかりの頃、小孊生だった私は家の近くにある公園の橋から米粒ほどにみえるスカむツリヌを䞀生懞呜目を凝らしお眺めおいたものである。
     東京の象城の1぀ずもいえる建物が家の近くから芋えるのが、ただただ嬉しかったのだ。
     瀟䌚人になっおからも、橋を枡る時にはスカむツリヌを自然ず目で探すようになっおいた。
     そしお、橋の䞭倮から真っ盎ぐにのびた先にある米粒ほどのスカむツリヌを眺めながらふず思ったのだ。
    「ここから真っ盎ぐ歩き続ければ、スカむツリヌに行けるんじゃね」ず 。
     そこからこの物語は始たったのである。

     この蚀いようによっおはアホずもいえる埒歩スカむツリヌ蚈画を実行しようず思ったきっかけは、あの有名な朝井リョりさんの゚ッセむ神曞「時をかけるゆずり」を手に取ったこずからはじたる。
     面癜可笑しい数ある゚ピ゜ヌドの䞭に、埌玉県本庄垂から早皲田倧孊たでを仮装しお癟キロ歩いたずいう地獄の100キロハむクの話や東京から京郜たでを自転車で行く話を目にしたずき、私はずおも深く感銘を受けおしたった。
     そしお、思ったのだ。私もこんな経隓をしおみたいず 。
     ずっず頭の隅にあった埒歩スカむツリヌ蚈画を実行するこずを決めた瞬間だった。

     決行日はゎヌルデンりィヌクの2日目である2026幎5月3日に決めた。もし党身が悶えるほどの筋肉痛になったずしおも、回埩できる日数が確保できるからである。我ながら蚈画性に満ち溢れおいるず感じおいたが、それ以倖のこずに察しおは䜕も考えおいなかった。たず、普段運動のうの字もしおないのに9時間歩き続けようずする奎に蚈画性がある蚳がない。
    私の足は脂肪でぷるんぷるんであるのだ。

     そんなこんなで決行圓日を迎えた。家を出る前、䞡芪に「今から埒歩でスカむツリヌに行っおくる」ず䌝えるず、「ありえないでしょ」父「銬鹿じゃないの〜」母ずいう心ない蚀葉だが至極真っ圓なこずを蚀われた。だが、それも想定内であったので、気にせず準備を進めおいるず父から「これを持っおいったほうがいい」ず疲劎に効くずいうビタミン剀を枡された。
     そしお、それにずどたらず、父は愛甚薬品箱を開けお、ムヒやオロナむン、湿垃を次々ず取り出し私に枡しおきた。私は山奥たで行くのであろうか攟っおおくず熊よけの鈎たで枡されそうな勢いである。「特氎」ずいう内臓脂肪を枛らすのを助ける効果がある飲み物たでも持たされた。父は私の健康状態たでも気にしおくれたのだ。
     ありがたい、ずおもありがたいずいう気持ちずずもに、この埒歩スカむツリヌ蚈画をなんずしおでも実行しないずいけないプレッシャヌが私の䜓に重くのしかかっおきた。もう途䞭で疲れたから電車に乗っお行こ〜☆ずいう安易なこずは出来なくなった。

     䞀緒に行かないのに、準備をする䞭で私よりも匵り切っおきた父の熱い思いを背負っお、私は1人でスカむツリヌたで歩かないずいけない。ずんだ䜿呜を背負っおしたった。
     そしお、父から「時間毎に珟圚地ず写真を送っおほしい」ずいうメンヘラ圌氏のような無茶な提案をされたので、話し合いをし劥協しおもらった結果、12時、15時、17時に連絡をするずいうこずに決たった。

    父ず呆れおいる母の思いを胞に、私は勢いよく家を出発した。
    出発時間は朝8時30分。これから9時間1人で歩き続けるのだ。この非珟実的なこずをするずいうこずに、私の胞にはずめどなくわくわくした気持ちが湧き䞊がり、思わず歩速を速めおしたうほどだった。
    そしお浮かれた足で歩き続けた。

    歩いおいる最䞭には、特段ここに曞くほどのキラキラ゚ピ゜ヌドはなかった。歩いおいる途䞭で、むケメンず出䌚っお䞀緒にスカむツリヌたで手を繋いで歩くずいうこずもなかった。ただただ歩き続けた9時間であったのだ。

     携垯のメモには、「歩けど歩けど䞉鷹垂」ず蚘されおおり、䞉鷹垂が心折れそうになるほど広かったこずが分かる。 䜙談だが、メモによるず䞉鷹垂にいた時は右ケツが痛かったようだ。
     たた、秋葉原を通過した時には軜いカルチャヌショックを受けた。秋葉原を通る前は閑静な郜䌚のビル街だったのだが、気持ち悪いほど急に人が混んでいる堎所があり、近づくず倧勢の挢たちの倧声が聞こえおきた。䜕かのデモかず思っおいたが、その堎所に近づくに぀れ、それが䜕かのコヌルアンドレスポンスであるこずに気づいた。
    その堎所は、Vチュヌバヌのコンサヌト䌚堎であったのだ。挢たちの熱量は半端なく、䞀心䞍乱にコヌルをしおおり、私は初めお芋る光景にカルチャヌショックを受けながらも䜕故か感動しおしたった。
     これが秋葉原。オタク達の熱量で成り立っおいる街。

     色んな人や建物を芋ながら、私は歩き続けた。
     定期的に送らないずいけないメンヘラ父ぞの連絡もしっかりず行った。珟圚地ず写真を送るず、父は「凄〜い👏頑匵れ🀗」ずいう゚ヌルずずもにどこで入手したのか分からない謎のスタンプも送っおくれた。
     ただ、最初は面倒くさいず思っおいた父ぞの連絡も、筋肉痛が酷くなっおきお粟神が匱りそうになった時には少しの支えになった。歩くに぀れお痛みを感じる所がピンポむントで感じるようになっおきお、右倪ももの付け根ず巊膝の裏がずおも痛かった。
     だが、父ぞの連絡には粟䞀杯の匷がりで、「意倖ず平気かも」ずいう蚀葉を送った。その時には、マッサヌゞ店や鍌灞の店が芋えるず、すぐに入らせおくれず思うほどにはズタボロになっおいたのだが。

     東京スカむツリヌはあんなにでかいず蚀われおいるのに、歩いおも歩いおもその姿を珟さなかった。だが、台東区に入り、浅草橋の文字が段々ず芋え始め、浅草の方に歩き続けるず、、、
     ぀いに東京スカむツリヌが芋えたのだ぀いでに金のりンコも
     私は倧興奮であった。歩き続けお時間、぀いにスカむツリヌが芋えるずころたで蟿り着いたのだ。
     だが、ただ気は早い。スカむツリヌの本郚に蟿り着くたでが私の目的なのだ。痛む足を匕きずりながら、私はスカむツリヌに向かっお歩いた。
     呚りに芳光客も増えおきた。私はその芳光客たちに声たかだかにしお蚀いたかった。「私は時間かけお歩いおきたのよ」ず。
     そこから1時間ほど歩き続けるず、スカむツリヌは段々ず倧きくなり、スカむツリヌの足元たで蟿り着くこずができた。建物には「solamachi」の文字が芋えた。
    ぀いに぀いにやったのだ埒歩でスカむツリヌたで蟿り着くこずができたのだ
     私は単玔に嬉しかった。歩き続ければ、地元の公園から米粒のように芋えたスカむツリヌにも蟿り着くこずができるのだ。
     そしお私は、展望台で今たで蟿っおきた道皋に思いを銳せながら景色を堪胜しようず、チケットカりンタヌたで足を運ぶこずにした。

    チケットは売り切れだった。
    䞖はゎヌルデンりィヌク真っ只䞭、芳光客も沢山いた。
    私の呚りにいる皆さんは、私が必死こいお足を匕きずりながら歩いおいる間、電車、あるいは車に乗っおスカむツリヌに蟿り着き、スマホかなんかで軜々ずチケットを手に入れたのだろう。
    私が文明機噚に負けた瞬間だった。

    父ず母にスカむツリヌず䞀緒に映る笑顔の自撮りを送った。粟䞀杯の笑顔ではあったが、明らかにや぀れおいる顔であった。
    父に送った写真ずメッセヌゞにはすぐ既読が付き、父からは「おおヌおめでずう㊗😇」「よくやったね🥹」ずいう若干おじさん構文を感じられる絵文字ずずもに劎いメッセヌゞが送られおきた。
     展望台には行けなかったが、父の思いを裏切らず、9時間かけおこのミッションをコンプリヌトするこずができた。これで十分なのかもしれない。
     そしお、展望台で楜しんできたず思われる芳光客に混じり、お土産を買い、私は家に垰った。もちろん電車を䜿っお。

    この旅で埗られたこずは  倚分䜕もない。
    ただただ䞀般道を33キロ歩き続け、日焌けで少し赀らんだ顔ず䞋半身の筋肉痛を残しおいっただけである。
     ただ、ひたすら歩き続けた先に、スカむツリヌずあの金のりンコが珟れた時の感動は他に代えがたいものであったず感じる。

    良い感じに終わらせようず思ったが、最埌に、埒歩1時間以内であれば近いず思っおしたう距離感バグった化物が生たれおしたったこずだけ付け加えさせおおく。

    「埒歩9時間かけお東京スカむツリヌに行った話〜足は短し、歩けよ乙女〜」終


     
     

    旅人

     
     
    日々の䞭で忘れたくない感芚や゚ピ゜ヌドを小説家になりきりながら曞いおたす。 なりきっおるだけなので、文章はずおも拙いですが、読んでくれるず嬉しいです。

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