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メモ  Face ID付き

    ポ
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    ✅

    20XX.10

    片手で年齢出せなくなってからがアラサー?


    去年の誕生日、「25歳!もうアラサーじゃん!!受け止められない!!」と友達とはしゃいでいた自分が恥ずかしい。

    26歳の誕生日の翌日、近所の自動証明写真機に免許更新用の写真を撮りに来た。YouTubeで"証明写真 盛り方"と検索し、見様見真似のメイクで作った顔面はなかなかに完成されていた。調子に乗った私は、ついでに26歳記念撮影をしようと思い立った。もちろんプリクラみたいにデコれないので、手で"26"を作って記念感を出さねば。

    …"6"って片手でムリやん。

    この悩みが生じた時、急に、リアルにアラサーを感じたのである。25の時みたいにヘラヘラせず、あれま年齢を重ねている、とじっとり認識した。この歳で一人で自動証明写真機の中で6を作ろうとしている自分を急に自覚し、己の稚拙さに小さく嗚咽をした。でも、これをやっている自分の滑稽さが面白くて好きでもあるから難しい。

    6は👌で表現できた。


    20XX.11

    自分の写真すら何回も見てると好きになってくる


    私の中の写真(友人たちと撮り合う自分)の遍歴
    まずはデジカメや3DSなどを持っている子に撮られるもの
    プリクラが流行して、撮りに行くもの
    スマホが浸透して自撮りするもの
    被写体としてスマホの外カメで撮られるもの
    と大まかに変わっていった。

    他者評価軸で自分を見ている(つもり)の私は、中学生くらいから仲の良いグループの中で、お世辞にも顔が整っている側ではないことを理解していた。ディズニーの思い出日記に、「〇〇かわいい、〇〇かわいい、うちいていいの…?」という伝説のポエムを残すほどである。

    プリクラに写った自分をリアルな自分だと認識していい風潮がなんとなくあった時期はまだなんとかなったが、スマホで撮られる量が爆発的に増えてからは、撮られた自分への嫌悪感に悩まされることとなった。鼻が丸くて低い、歯並びが悪い、エラが張っている、頬骨が主張している、二重幅が…肌荒れが…前髪が…ウダウダウダウダ…

    社会人になってもまだ他者評価軸は治らない。だが、今は写真がそこまで嫌ではない。
    写っている私は、私なんだけけれども、コンテンツ化された私として捉えるようになったのである。
    画面に写っている自分を、自分と切り離して見てみると他人事になるので、細かなところを見なくなるのだ。
    さらに、思い出を振り返るのは好きなので写真は何度も見返すタイプなのだが、何度も見ていると写っている自分(あくまでコンテンツ)が可愛く見えてくる。自分なのに、慣れるのだ。

    果たしてこれは良い解決方法だったのだろうか。


    20XX.12

    公約:整列乗車、1号車の真ん中に並ばせてくれたら先に並んでた横の人が角席に座れるよう配慮して座ります


    始発電車、折り返しで降りる人と乗る人が衝突しないよう整列乗車という仕組みがある。

    私は通勤での長い乗車時間を乗り越えるために、なんとか角席を狙って毎朝早めに家を出ている。
    利用している電車の待機列は3列あり、ホームドアを考慮すると1番初めに乗れるのは真ん中の列となる。
    1号車の1番ドアは角席が2枠しかない(反対側は運転席)ため、やや人気が低い。そのため私はそこを狙っていくことが多い。

    私よりも真ん中の列に人がいた朝、その人の右にわたしは並んだ。次はその人の左、その次はその人の後ろとどんどん人が増えていく。
    整列一斉乗車のゲートがオープン、皆毎朝皐月杯のようにスタートダッシュを決める。真ん中の人は予想外の急カーブ(右方向)。そのため右にいた私が取ろうとしていた角席が埋まる。私より後に来た左側に並んでいた人が奥の角席を確保。敗北。私は角席横となり、人に寄りかかってはいけないという気持ちと眠気のバトルでソワソワしたまま電車に乗り続けなければならない。

    私が真ん中に並んだときは、必ず次に来た人が左右どちらに来たか確認している。その人が向かいやすい方向の角席を譲り、並んだのが早い人が角席を取れるシステムを作っているのだ。

    だから頼むから、1番に真ん中に並んだ人は私に真ん中を譲ってほしい。悪いことはしないので、絶対に角を取れるよう進むので、譲ってほしい。

    まぁ、考えすぎである。毎朝こんなことでストレスを感じていると思うとアホらしい。
    そして自分の自己中心さにも呆れる。
    ちなみに電車で言うと、角席に座ったときは「横の人、私に寄りかかっていいよ〜」と思っている。その代わり、角を譲ってくれなかったのだから、やや深く眠ってしまって寄りかかっても許してね、という理論だ。自己中すぎる。


    20XX.1

    今年の抱負

    人の中身は計り知れない、だから計らない
    聞かれていないことを言わない
    たくさん自己紹介しない


    20XX.2

    東急ハンズでウロウロすると心が回復する

    どうしても思考がネガティブに向かってしまう日が2か月に一回くらいある。
    もう大人なので、最近のストレスや天候、うっすら悪い体調などが重なって起きていることは理解できる。
    そんな時、本当はマインドフルネスや良質な睡眠、健康的な食事など心掛けるべきなのはわかりつつ私は東急ハンズに行ってしまう。

    情報量が多く、思考の派生がされやすい東急ハンズは脳が混乱しそうに思えるが、スッキリする。なぜなら未来に気持ちが向くきっかけがたくさん並んでいるからだ。
    大抵、ネガティブは自分の過去の経験を改めて問い直してしまったり、そこから派生して不安を生み出して悩むことが多い。
    しかし、ハンズに行くとワクワクするものや、頭の片隅で忘れていた「これ欲しかったやつ!!」が四方八方に溢れている。その場では手に入れた後の自分をたくさん想像するので、自然と前向きになれるのである。

    その際金銭感覚を失っていると、物をパカパカかごに入れ、平気で万を超えてくるのには注意しなければならない。
    金銭感覚が危うい時は、100均か3coinsの方が安牌である。

    書いていて思い出したが、高校時代ストレスが溜まるとコンビニでお菓子爆買いしていた。ストレス発散方法が成長していなくてちょっと悲しい。


    20XX.2

    2人で遊ばなかった友達、私が嫉妬してただけで恥ずかしい

    高校時代の友人で、元々2人で遊んでいたのに、大人になってからグループで会う以外に遊ばなくなった友達がいる。言葉にできない苦手さがジワジワと湧いてきて、2人で遊ぶ話を何となくスルーしてしまっていた。
    しかし、向こうが2人で遊びたいと言っていると違う友達経由で聞いた。

    もうアラサーだし、流石にスルーするのはダサいなと思い、2人で遊ぶことになった。

    私のくだらない話に爆笑してくれたり、ノってくれたり、盛り上がった。「今までごめんね、」と反省した。

    カフェでマターリ話している時、話題は最近の恋愛事情になった。

    私「アプリで人と会うのが辛くなってきた。心が上向きでないのを感じながら、来てくれたのはありがたいからその場を盛り上げるのだが疲労してしまう。無駄に盛り上げるので向こうが気が合う!!!と勘違いしてしまうのも申し訳ない。そんな偉そうなこと言っている自分も嫌になる。」

    友達「○○(友達の名前)はときめかない人とはご飯に行かないからわかんない。」


    …だよね〜〜そういえばあなたずっと高校時代からモテていたし気になる人へのアプローチ成功してたもんね!!!今は、知り合い程度だった高校時代の同級生と久しぶりに会って(高校時代の人と久しぶりに会うって何??声かけられてるんだ!!知らなかった!!!)いい感じらしいね!!イケメン研修医になってたね!!!!
    てか、前の店で話してた話、仲良しの同僚(男、彼女持ち)と泊まりありで一緒にライブ行くって何!?!?そんなこと許されるの!?男友達できない相談されたこともあったよね!??身の回りのイケメンにはやっぱりほっとかれないよね、ハイハイハイ…

    私「そうだよね〜〜〜🥴」


    この子と会うと、モテている人に醜く嫉妬する自分が滲み出てくるのが嫌で会っていなかったのを思い出した。恥ずかしい。


    20XX.3

    25歳の時に話し過ぎていた、ホルモンの話

    「人は所詮ホルモンに支配されているタンパク質でしかない」
    25歳の私が偉そうに語っていた、25歳の私の大発見である。そもそも怖い話だが、25歳の時の私は「今までの経験と思考が繋がりまくっている」という感覚を持って生きていた。職場の先輩に、「25歳ってもしかして氣づく歳ですか…?」と大真面目に質問してドン引きさせた。友人で一人だけ、「自分は24歳だった。」と共感してくれる人はいたが。

    恐らくだが、前頭葉が社会経験を経てやっと人並みに発達し、物事について落ち着いて考えられる場面が増えたのだろう。思考が飛びやすい人間だったので、一つのことを深めて考える経験が新鮮だった。
    そんな半スピの怖い人間だった私は、生物学×哲学系(+脳科学)の本や動画にハマっていた。職種的にも生物学コンテンツが理解しやすいこともあったのだろう。

    そこでいままでの自分の公開してきた行動に対し、生物学・脳科学の点から見るということをしたのである。すると、自分の行動は10万年前のプログラムから外れることなく、環境に対しどのようなホルモンが出やすいかなどのパターン分けから外れることもなく、ある意味理にかなったことをしているんだと認識した。
    過去にしてしまった後悔は、人に不利益を与えたものであればそれは反省しなければならないが、行動に対して納得できるものであれば仕方がないと浄化できるようになったのである。

    この考えを手に入れてから、一時無敵状態となり(キモ)価値観の転換が起こった(キモ)。人の悩みに対しても一通り話を聞いた後、この考え方で解決できるのだと自論を悠々とご披露した(キモ)。

    もうすでに人に漏らしてしまっているが、今思うとキモすぎる。その考えを武器に人生を生き、人の悩みを聞くのは間違っていた。

    今は、所詮現代人も進化論で見るとホモサピエンス時代から何も変わってないんだから、現代人はあまり驕らない方がいい、と思いながら生きている。それを悠々とご披露したりしている(キモ)(結局かい)(何が前頭葉発達してきただ)。ホモサピエンスは略してホモサピと呼んでいる(カワイイ)。


    20XX.3

    友人の死

    x日 自分の失態で目にトラブルが起き、仕事を早退して眼科に行く。待合室でスマホの通知に気づく。大学の友人の夫から信じられない文が送られてきて、送信取り消しされた。見間違いであれと祈る。数分後、改めて訃報が届く。気が動転し、眼科医の言葉は耳に入らず、母指・示指の爪を強く食い込ませてしまい、まばたきが止まらなくなり、景色が正面より60°下の方しか見られなくなる。
    慌てて友人二人に連絡、一人とたまたま東京駅で合流できた。歩き始めるがうまく行先の方向に歩けず、膝がロックされたような感覚で、脚を引きずりながら進む。駅で合流後外に出ると、タイミングを図ったかのように小雨が降ってくる。黄昏ていると、現実派の友人に「天気予報は雨だったよ」と言われる。とりあえず今この人といたら、思考に引きずり込まれずに済むな、と感謝した。
    大学の友人たちへお通夜の連絡などどうするかなど話し合い、話がまとまったので夕飯を食べて解散する。
    こういう状況の時、自分も友人も人前では気丈に振る舞うタイプなのだな、と思わぬ共通点を見つけ、少し安堵する。

    x+1日 仕事をする。気を抜くと思い出される。だが、だから普段より仕事に集中ができた。職場の二人にだけあったことを伝える。この後レデイガガのコンサートがある、というオチも付けて話す。
    仕事後、弟と合流しガガを見る。弟に事情を話す。聞くのがうまい。聞くのがうまいのは最高だが、併せて心配にもなる。姉の弱さを押し付けて申し訳ないと思う。
    ガガは圧倒的ですごい。ライブのなかで死をイメージさせるような演出も含まれており、ライブの高揚感と現実への引き戻しで感情が激しく動き、おかしくなる。

    x+2日 ゆっくり起きる。部屋を掃除する。昔使用していたデジカメを見つけ、SDカードをPCに入れ確認するが何も入っていない。むしろPCから懐かしい動画を見つける。亡くなった友人が動いていた。受け止め方が分からず泣いた。
    香典袋を買い忘れており、コンビニへ向かう。歩くとなぜか涙が出る。
    車での送りや、友人の着替え場所として家をつかっていいかなどで親に迷惑をかけてしまった。申し訳ない。
    父に送ってもらい、友人と四人で式場へ行く。案内に苗字が書いてある。現実だった。遺影はウエディングドレス姿であった。式場から赤ちゃんの声が聞こえた。赤ちゃんは生きているな、と思った。
    そこからはあまり覚えていない。
    現実と、逃避するようとで戦っていてバグる。涙が止まらなくなり、なぜ泣いているのか言語化しようと脳が動く。そうすると、泣いていることが嘘くさくなる。泣く理由を探して泣いているのか?自分に置き換えて考えてみたりしてしまう、必要か?共感?自責?バカみたいだ。
    お通夜後は、その時の映像がフィクション映像を見た後の感覚に近いなと感じた。友人と夕飯を食べ、駅から50分かけて自宅へ歩いて帰り、泣いては考えて馬鹿らしくなり、塩をまいて家に帰る。

    まだなにもこの世のことをわかっていないし、自分をコントロールできていない。私は。
    感情とはなんなのか。

    参列していた大学の教員からメッセージが届く。
    ”ささやかだけど、役に立つこと。誰でも探せます、誰かに頼ることね。悪いことじゃない。”


    20XX.5

    milk頑張ってほしい

    ファンじゃないけどテレビとか出てくれたらテンションが上がるアイドルができて嬉しい。
    体には気をつけて。



    20XX.5

    自主お見合い婚

    もうアプリやめたい。
    お見合いって、とても合理的でありがたいシステムだったのでは?

    自分で条件いい人を探して、自分でセッティングして、3回会って付き合うかどうか判断する。
    システムを理解して受け入れるには自分のときめいていない気持ちが邪魔をするし、気持ちを沸かせるにはあまりにもシステムすぎる。
    一時期気が狂って、3回目で告白してくれる人にキレていた。「私の何をわかったんだ!!」と。お互い様だろ。本当に申し訳ない。

    身の回りにはアプリでうまく行った人がたくさんいて、向き不向きなのだろうと思う。
    悪く言えば、私のお花畑脳には刺激がなさすぎるし、刺激がありすぎる。関係が淡々と進み好意を持たれるのは怖くて、一味違うぞと自分が興味・好意を持ってしまう人はあまり碌だったことがない。

    お見合いで、他人から自分を評価してもらった中でこの人と相性いいんじゃんと判断され、結婚まで考えて関係構築していく方が正しい気がする。あと相手と合わないところがあった時に、自分で選んでないしと責任転嫁して見過ごせる気もする。

    まとめると自分の未熟さがこの時代の自主お見合い(アプリ婚)にマッチしていないとうだうだ考えているだけの話である。

    アプリ消そ。



    20XX.5

    最近の好意判断

    アプリは消したけれど、色々ないらない思考を身につけてしまった。

    特に、自分がその人を良いと思っているのかどうかということに関しては、めちゃくちゃ考えたので固まってきている。

    ①モテている人
    他者評価軸で生きている私は、相手がモテる人だと「モテる人が私を選んでくれた…!」と嬉しくなってトキメキに繋がりやすい。
    また、モテる人は相手をわかっている(フリの)話し方が上手い。「自分を理解してくれている…!」もときめいてしまう。
    社会的地位とかにも影響されてしまう。
    前に自衛隊との合コンで、銃トークになった際、私が興味を持ちすぎてAさんにライフルの打ち方について聞きまくっていたのだが、周りの同僚が「Aさん職位的にそれ使わないじゃないですか〜(ハンドガン)」と言われており、私は「Aさんはライフルじゃなくてハンドガンなんだ✨ステキ✨」とときめいた。

    危険な判断基準である。

    ②撮ってくれている写真に映る自分がいい顔をしている

    写真を撮られることが前ほどではないけれど苦手な私は、気を許している人にとられる時、いい笑顔ができていることに気がついた。
    デートの写真を見返した時に、自分がいい笑顔をしていると、気を許せる人なのかな、と判断することができる。

    ③その人と科学館などに行く想像ができる

    私は情報量が多い場所に行くことが好きだ。さらにその場所に体験が加わると少年のように騒ぐ。
    それをやっている自分とその人との空気感を想像した時に、違和感がないとアガる。

    ④その人と上野に行ってみる
    何かと上野へデートに行くことが多かった。元カレや付き合う前のデート、男友達とかと、博物館、美術館、動物園、散歩、ランチなど様々なバリエーションで行った。
    上野は、何でもあるし何にもない。混んでいるけど人が少ない場所も多い。その後の動向は如何様にもなるし、次何する?の判断も難しい。
    だから上野デートはめちゃくちゃ緊張する。
    大好きな場所だからこそ余計に。
    今まで好きな人と行った時はすごく楽しかった。そうでない人とはなぜか「何してるんだ自分」という感情が不意に湧く。相手にも上野にも失礼である。

    上野デートして気分が上がったらその人に好意を抱いているんだと思う。わかりやすい。


    20XX.6

    釣り堀

    私は何でもかんでも分類、区別、ジャンル分けしたがる

    これは言いたかっただけだが、キャッチコピーとかを付けるのも好きだ。飲みの場で酔っ払ってくると例えツッコミ的なことをし始めるタイプである。勘弁してくれ。

    最近、「よくそんなこと覚えてるね〜」と言ってもらえることがあって、頭のなかの引き出しが多い、という話になったのだがとても違和感があった。
    引き出しというと、綺麗に区切られていてあらかた内容がまとまって入っている印象を受ける。また情報が正しいようなイメージも持つ。
    私は出そうと思って、引き出しの棚を探して、正しい情報を必要量だけ出すことが難しい。そういった記憶整理はされていない。
    じゃあ何なんだろうと、キャッチコピーマンの登場である。

    釣る、に近い。エサがあってタイミングよく釣れれば、魚1匹分くらい持ってくることができる。魚(記憶、情報)は普段泳いでいて、エサで釣りあげないとどこにいるのかわからない。また、狙った魚とは違う種類が釣れることもある。とりあえず調理して出してみるが、話の腰を折ったなと大抵後悔する。
    たまに意識下に何匹もの魚が登場するので、その時は考え事が同時進行し脳がショートする。
    旬の魚(記憶、エピソード)は何匹も釣れるので、調理法(エピソードトークの組み方)を色んな場で試し、1番美味しい食べ方を模索する。

    私の脳内は釣り堀だ。

    (めちゃくちゃいい例えが出せて気持ちよくなっている。)


    20XX.7

    ボディソープ

    日本には四季があって、月毎のイベントもあって、「季節」を受け取りやすい国だなぁと思う。
    だけれど私はその感覚が鈍い。常に考え事をして生きているタイプなので、外的刺激に対して「この事象が起きているということは、季節が変わったということだ!この季節といえば云々カンヌン…」という思考が働かないと、スーッと季節を逃してしまうのである。

    そんな私が強く季節の変わり目を感じることがある。それは「ビオレのボディーソープ」だ。
    我が家のボディーソープは通年ビオレなのだが、季節に応じてノーマル、さっぱり、しっとりに変更される。
    気温や湿度が変わり、母親の心遣いでボディーソープが形態変化することによって、体を洗っている時の匂いが変わった瞬間に、季節が変わってる…と思考よりも感覚が追い抜いて実感する。

    最近、地球温暖化の影響か四季が曖昧になっている気もするので、三季(ノーマル、さっぱり、しっとり)にするのはいかがだろうか。



    20XX.7

    メモをエッセイにして、face IDをつけずに公開する、自分を外側から見る、後悔する ?

    日記や思いついたことをiPhoneのメモに書き溜めている。私の脳内は釣り堀なので、考えたことなどがすぐどこかに行ってしまうのが勿体無いと感じたからだ。内容はもちろん人に見せられるようなものではないのでFace IDでロックをかけている。

    今回、エッセイ部門を見つけて創作したい!とテンションが上がったものの、何も成し遂げて生きていないため、一つのストーリーを一万字で構成することができず、小話をたくさん書いてみることにした。

    メモにはもっと色々書いているが、あんまりにもの話は秘めておいて抜粋して書いている。
    まず、考えていることに一貫性がなさすぎる。
    そして時々出る自己愛にびっくりする。
    出すと決めたからにはその時の思考を書き切ったけれど、書いた当時の自分を結構反省した。
    書くことによって急に他人の話のように見え、共感性羞恥になった。

    もし、わがままを言っていいのなら、この話はわかる、と共感してくれる人、こういう時代もあったと先導してくれる人と繋がりたい。
    あなたの顔でもロックを開けられるようにしたので。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門

     
     
    26歳 女性 常にくだらないことを考えています。吐き出させてください。 読書、ゴルフ、飲酒、音楽、100均のクラフト系(塗り絵、ビーズアート、かぎ針…)、リズム天国、科学館、漫画、お笑い、ワールドとつく試合、なんでも好きです。 夢はこどもチャレンジの付録雑誌大量読みです。

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