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「社会人」という言葉を気安く遣わない方がいい。

    私は社会人という言葉が嫌いである。

    世間一般では、「学生」を卒業して働き始めたことで晴れて「社会人」になる、という文脈で使われることが多く、対応関係があると考えられてそうだ。
    だがその対応関係にどうも納得できず、「社会人」という言葉の曖昧さを許容できない。自分の口から発したくないくらい、モヤモヤした気持ちを抱えて生きている。


    そんな忌避する必要もないのに忌避している 、
    "社会人" 2年目の私がその曖昧さに迫ろうと奮闘してみるnoteです。




    学生との対比になっているのか?


    前述の通り、「社会人」は、高校生・大学生・専門学生から卒業して社会に出るという言葉を意味している場合が多い。
    その場合、ベン図で考えると「学生」かつ「社会人」は空集合でないといけない気がする。言い切れるわけではないが空集合であることで、「卒業して社会に出る」という意味が担保されていると思う。だがしかし実社会のベン図では明らかに交わるところがあると思う。

    そもそも「社会に出ている」ことを意味するのであれば、その定義は難しい。
    「社会に出ている。」=「社会性がある。(あるいは)社会性を育む関係性にある。」と広義で考えれば、他者との関わりがあることに社会性があると考えることができ、小学校でも立派な社会性があると思うし、なんなら幼稚園・保育園なども社会の一つであろう。では3歳ごろから社会に出ているとも考えられ得る。
    ただ小学生から高校生までの間に関して、閉ざされた・管理下にある社会であるとも言えると思う。それでも学校での関係性だけではなく、習い事やそれ以上の関係構築にもそれぞれの社会があるはずで、100%その個人が決定権を持つことは少なけれど、先生や親などの管理のもとで社会性を育んでいると考えられる。


    ここで辞書的な意味を引用する。


    デジタル大辞泉 「社会人」の意味・読み・例文・類語
    しゃかい‐じん〔シヤクワイ‐〕【社会人】
    1 実社会で働いている人。学生・生徒などに対していう。「社会人になる」「社会人一年生」
    2 社会の構成員としての個人。


    精選版 日本国語大辞典 「社会人」の意味・読み・例文・類語
    しゃかい‐じんシャクヮイ‥【社会人】
    〘 名詞 〙
    ① 社会を構成する一員としての個人。
    [初出の実例]「高等の訓養を受くる社会人に在ては」(出典:修辞及華文(1879)〈菊池大麓訳〉一般文体の品格を論ず)
    ② 社会で職業につき、活動している人。学生、生徒などに対していう。
    [初出の実例]「学生から社会人に成長すると」(出典:故旧忘れ得べき(1935‐36)〈高見順〉八)

    https://kotobank.jp/word/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA-524580


    それぞれ「社会の構成員としての一個人」という意味と、学生などに対していう「実社会で働いている人」との意味が掲載されている。
    ここまで「社会の構成員」に言及してきたが、続いて「働く」ということに焦点を当てる。


    アルバイトは社会ではない?

    高校生・大学生ともなれば、アルバイトをする人も多くなる。
    そのアルバイトは社会に出ていないことになるのだろうか。この場合も学校以外の関係性構築と同様と捉えられれば、関わる人の年齢層が多少広くなるだけで、小中学生の時の習い事と同じであろう。
    この学生の時のアルバイトは「学生」でありながら、「社会人」である、まさにベン図の重なる場所であると感じられやすいのではないか。
    ここまで考えても、「実社会で働いている」ということを意味する言葉として「社会人」が割り当てられていることに合点がいかない。むしろ単純に「労働者」という言葉がイメージと合致する。「学生」との対義語で、「労働者」があると安心さえ覚えてしまう。

    また世間のイメージからすれば、社会人として認められることが少ない気がするパートタイムや定職に付かないフリーターなどは「社会人」にしても不自然ではないのだろうか。さらに広げれば、個人事業主は?ここは社会からすれば信用度がフリーターと比べて高い肌感覚もあり、社会人として認められている気がする。
    この「働く」ことに関しても、言葉の揺らぎは確かにある。


    Wikipediaには以下の記述もある。

    社会人(しゃかいじん)とは、日本語において、社会の中で働く人を表わす抽象的な語。多くの場合、学生や未就学児は除外される。

    日本語以外の諸外国語では日本で言うところの「社会人」をさす言葉はほとんど見られない。たとえば英語では worker(労働者)や adult(成人)、citizen(市民)という単語はあるが、日本語の「社会人」にあたる単語・表現はない。“participant in civil society” という表現は citizen と同義である。南博はこの理由として、日本では市民社会が発達しなかったために「市民」という概念が浸透せず、社会人とそれ以外の人に人々が区別されたためと述べた。

    前田崇によれば、「社会人」という言葉は1930年代から1950年代にかけては「一箇人としてではなく、社会の一員としての人」といった言葉として国語辞典に定義されていた。一方で1949年に刊行された『言林』には、前述の定義に加えて「実社会で活動する人」という定義が登場し、その後同様の定義を載せる国語辞典は増加する。新聞などマスメディアにおいては、特に1950年代以降、専ら後者に近い意味合いで使われていった。

    また前田は、「社会人」という概念がある種の社会規範を常識化し、社会人と非社会人という枠組みで人々を序列化する可能性があることや、マスメディアの中の「社会人」は常に学生やこどもといった概念に対比される形で用いられてきた相対的な概念であることなどを指摘している。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA


    この記述にある通り、相対的な概念であり抽象的に「学生ではないこと」を表すときに社会人という言葉が使われているようだった。言葉の厳密さとは別に、世間が持つ言葉のイメージや使い勝手のいい言葉として流布していったと推測できる。

    この章の問いに対する結論としては、
    『「社会人」は「学生」の対義語ではなく対比表現の一つとして使用されている。』
    としたい。

    つまりこの表現の揺れ・世間の認識の曖昧さこそが、私の「社会人」という言葉に対する嫌悪感の正体である。



    「学生気分が抜けていない」


    私は昨年度から"社会人"となり、一年目が終わったところである。
    まだまだ未熟者であることを自覚しつつも、"社会人"の先輩方から怒られる・指摘を受けることも少なくない。特に成り立てであった4月5月ごろには、厳しい言葉を受けた。

    これは「社会人」を忌避するきっかけでもあったが、あまり言葉の意味をスッとは理解することができなかった。
    担当する業務の説明を受け、理解度の確認のため質問され、その回答が的外れだった・考えが浅かった(と捉えられた)ときにその言葉が飛び出した。

    「社会人としての意識が足りていない。まだ学生気分が抜けていないのだ。」

    当然、業務への理解は浅く未熟であったことは否めない。しかし「学生気分」という言葉の中には、学生を下に見た意図が確かに込められていた。
    それまでの私をひどく否定されたことへの嫌悪感と、そんな言葉を使う上司への軽蔑もあった。

    これ以上は上司への愚痴になってしまうため控えるが、私にとって"社会人"になる4月1日が意味することとは、単なる雇用契約の変更時点としての意味しかなしていなかった。学生時代のアルバイトの延長線上に、長期雇用として契約された現状に"社会人"という位置があるだけだった。
    私は自分の任された仕事はミスなく遂行できるように最善を尽くしているし、適当に仕事をしているわけではない。
    私の職場はアルバイトの時と変わらずシフト制なのも、シームレスに感じている一因かもしれないが、会社に属した4月1日から私の中で特段変わったことはない。それまでの私の人生の延長線上に、始まった仕事というだけだと感じている。
    そもそも学生時代のアルバイトを適当にこなしていた人たちにとっては、この感覚を嫌うだろう。自分自身のアルバイトとしての仕事の向き合い方が良くなかったことを反面教師に、"社会人"として向き合っているのだから。
    私はアルバイトの時も特別優秀ってことはなかったが最低限のことはしていた。至って普通に真面目に働くのは、アルバイトの時も今も変わらない。
    それが「学生気分」と言われるならば、私自身の労働に対する姿勢が問題なのであろう。


    この発言を振り返って、そこそこの反省はしているが、そこそこの怒りはまだ持っている。明らかに業務以上のことで私の尊厳を鑑みていない発言だったと思う。
    上司は「お前は俺よりも下なんだぞ」という上下関係と威厳を表すために、一年目をシメてやろうという意図を強く持って発言したと推察している。



    社会人経験とは、組織人経験


    ここでXのポストを引用する。

    社会人経験とは、

    1 自分で自分の生活費を稼ぐこと
    2 不特定多数と建設的な対話をすること
    3 規則・規範・社会通念に従うこと

    などで構成されるように思う

    営利企業で働くこと以外でも1~3を満たせればよいのだが、そういう組織は多くない印象(特に3) https://t.co/7Fj4oT8Kji

    — ネル (@Nell1819) November 3, 2025

    社会人経験の有無って言い方で焦点化されてるのって要するに組織人経験でしょ、って何かのときにポロッと言ったんだけど、あれは結構芯食ってた気がするな

    — 豆腐 (@otofu_be_strong) November 3, 2025

    このポストでは、「社会人経験≒組織人経験である」という説が唱えられており、私の中で整理がついてきた気がした。
    ここまで私が力説してきた「社会人」の言葉の曖昧さをうまく回避するように「組織人」という比較的かっちりした定義の言葉で説明できる考え方だと感じる。

    ただしかし、この引用先のポストでは経験を形づける構成要素と考えられるものが、3点挙げられているが一点目の「自分の生活費を自分で稼ぐこと」は論点としたい。

    一点目に関しては、貨幣経済内の話であり、殊更経済活動に絡めなくても組織人と言えそうである。
    非営利団体に属すること、また初段で言及した学生に限らず地域コミュニティに属することで組織人経験を育むことは可能であると考えられる。
    金銭を授受するという経済活動以前にも組織人経験が得られるということは、構成要素の一つであるとはいえないだろう。


    ただ他の二点は、組織人としての振る舞い方が他者との関わりの中で生まれるものであるため、「組織人」としての経験の有無がはっきりとわかりそうである。


    学校で組織人経験を積んで、次の組織へ


    となると、やはり「学校」もまた組織の一つである
    ため、学生で経験したことは組織人経験の一つであろう。
    学校全体など大きなコミュニティから、クラスで関わりのある人たち・部活動の仲間など小さなコミュニティまで、大小様々な規模の組織の中での振る舞い方を求められ、学生生活を過ごしていくことになる。
    学生生活で得た経験をある種の実験的な経験として、その後の人生に活かしていくことは私の人生と照らし合わせてみても異論はない。
    その属しているコミュニティの規模は問わないというのは、私が現在働く会社でも(世間一般よりもクローズドな企業である感覚はあるが)よく関わりのある人たちはせいぜい20~30人ほどであり、中学高校の時の方がよっぽど多くの人と関わりを持って、大きな組織の一員として行動していたと思うからだ。
    職種によってこの人数は変わるだろうし、営業職なんかはよっぽど多くの人との関わりを持ちながら仕事していくだろうが、コミュニティの小ささにより組織人経験が認められないということはないだろう。

    また就職面接で体育会系の部活動出身者がある一定の評価を受けやすいのも、その学生部活で得られた「組織人経験」を評価していると考えられる。
    その評価軸を持ちながら、「社会人は学生とは違う」と学生側を蔑む発言をする人はどういうつもりなのだろう。
    「学生」と「社会人」で異なる社会性が求められることは確かに一理あるが、それでもあまりにも言葉が足らない。しかも社会人に限らず組織が変われば、求められることが変わるのは容易に想像ができるし、それまで培った組織人経験をもとにアジャストしていくことが人の生き方であろう。その活かし方を面接した人に求めているからその評価軸を持っているのではないのか。


    世間で「社会人」として認められにくい(感触のある)、学校教師もここまでと同様に説明できる。
    学校は社会性を持っていること、属することで組織人経験を積むことができることを認識すれば、学校教師も「社会人」として考えることは決して難しくない。
    ただ「社会人」を必要以上によく見せたい人たちによって、それまでとは違う経験をしてきた自慢の意を十分に込めて、教師が社会人でないことを主張しているのだと、私は思う。






    以上、「社会人」の言葉の曖昧さ・世間の持つ言葉のイメージであるとして、私はこの論を締めたい。

    どんな人も社会に属して生きている。
    それまでの社会性は認められるべきだし、否定されるものではない。
    それぞれの歩んできた人生で、それぞれの社会性が育まれているのが"普通"だろう。
    これからも培った社会性を活かして適応していくのだ。




    今後、「社会人」という言葉は迂闊に使わないように。


     
     

    kyuuuu

     
     
    25歳。男性。経済学部卒。 頭の中を整理するnote。

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