保護猫の譲渡会で、審査されてるのは猫ではなく私だった
譲渡会へ行こうと思ったのは、猫を飼う決心がついたからではなかった。近所の掲示板で案内を見て、少し見学するくらいならいいだろうと考えた。写真の中の猫は、白い靴下を履いたような前足で毛布を踏んでいた。その足元の写真が、通り過ぎるたびに目に入った。掲示板の透明なカバーに、午後の光が薄く映っていた。
会場は地域センターの一室で、受付には消毒液と、猫の名前や年齢を書いた紙が並んでいた。扉を開けた瞬間、洗いたての布と猫砂の匂いがした。想像していた甘い「猫カフェの匂い」とは違い、誰かの暮らしがここに運ばれてきた感じがした。
「今日は見るだけです」と最初に伝えた。スタッフは笑って「もちろんです」と言ったのに、私はその言葉を何度も心の中で繰り返した。猫を選びに来たというより、自分が猫と暮らせる人か、見定められに来たような気持ちになっていた。入口のスリッパが、妙にきれいに揃っていた。

ケージの上には、それぞれの猫の紹介カードがあった。好きなおもちゃ、苦手な音、慣れるまでに必要な時間。履歴書より細かい。白黒の猫のカードには「知らない人の前では隠れます」と書かれていて、私はその一文に勝手な親しみを覚えた。名前の横に添えられた小さな丸印まで、誰かが考えて付けたようだった。
奥のケージでは、茶色い猫が丸くなって眠っていた。隣の人が「かわいい」と声をかけても、片耳が一度動いただけだった。起こさないように、とスタッフが小さく言う。かわいいと言うことと、近づくことは別なのだと、その場で初めて知った。
私は格子の外から、猫の寝息を見ていた。毛が上下するたび、細い背中がほんの少し膨らむ。ここへ来た理由は、猫に触れたいからだと思っていた。でも、触らずに眺める時間にも、ちゃんと温度があった。部屋の時計は、誰かが見るまで静かに進んでいた。

スタッフに促されて、子猫のいる部屋へ入った。床には段ボールのトンネルと、使い込まれたタオルが置かれていた。子猫たちは人の足音に反応して、走ったり止まったり、何かを見失ったように壁を見たりしていた。
一匹が私の靴ひもにじゃれついた。思わず笑うと、その子は驚いて手を引っ込め、すぐ別のおもちゃへ走っていった。人間なら気まずそうにするところだが、猫は気まずさを持ち帰らない。私はその潔さを少しうらやましく思った。
「この子は好奇心旺盛ですね」とスタッフが教えてくれた。私は「そうですね」と答えながら、猫の性格を短い言葉にする難しさを考えた。元気、怖がり、人懐こい。どれも間違っていないけれど、その瞬間に見えている一面だけでもある。床に落ちた毛が、日差しの筋の中でふわりと光った。

譲渡には、家族構成や留守番の時間、住まいの環境について話し合う必要がある。私はその説明を聞いて、思ったよりずっと現実的な場所なのだと感じた。猫が好きという気持ちだけでは、毎日の世話も、病気のときの通院も、代わりにやってくれる人も用意できない。
紙のチェック項目を眺めながら、自分の生活を思い浮かべた。朝は急いで出て、帰宅は日によって違う。部屋は広くないし、旅行も好きだ。猫を迎えたら変えられることと、変えたくないことが、頭の中で同じ大きさで並んだ。空欄の多い紙ほど、答えを急がせなかった。
少し前なら、猫を飼いたい気持ちを「いつか」で包んで、先へ送っていただろう。けれど「いつか」は、猫にとっては待ち時間ではなく、具体的な一日一日なのだ。そう考えると、決めないことにも責任がある気がした。曖昧な憧れが、初めて暮らしの形を持った。

会場の端で、年配の女性がスタッフと静かに話していた。飼っていた猫を見送ってから一年、また迎えるか迷っているのだという。寂しさを埋めるためだけではないか、自分の年齢で最後まで世話できるか。女性の声は穏やかだったが、答えを急いでいなかった。
その隣で、子ども連れの家族が猫のカードを読んでいた。子どもはすぐ抱きたがり、父親は「まず猫の気持ちを聞こう」と言った。聞く方法はわからない。それでも、近づかないことも返事の一つだと大人が教えているのが、いいなと思った。
同じ部屋にいても、みんな違う問いを持っている。もう一度誰かを迎えたい人、初めて責任を持つ人、今日は見るだけの私。猫たちはその間を、眠ったり伸びをしたりしながら過ごしていた。人間の話し声が止むと、ケージの奥で水を飲む音がした。音を立てないように、みんな自然と声を落としていた。

帰る前に、白黒の猫の前へもう一度行った。紹介カードには「慣れるまで時間がかかります」とある。格子の奥で、猫は顔を半分だけ毛布から出していた。こちらを見ているのか、窓の光を見ているのかはわからない。
私は名前を小さく呼んでみた。もちろん返事はなかった。以前なら、振り向かないことを少し寂しく思ったかもしれない。けれど今日は、返事をしない相手に返事を急かさないでいる時間が、思ったより心地よかった。
「また来てもいいですか」とスタッフに尋ねた。スタッフは「何度でも」と答えた。今日決めなくていい、という言葉は、単なる親切ではなく、猫と私の双方を急がせないための仕組みなのだと思った。その返事を聞いて、肩に入っていた力が少し抜けた。

建物を出ると、午後の風が少し冷たかった。手には、会場でもらった案内の紙が残っていた。そこには譲渡の流れと、必要なもの、相談先が簡潔に書かれている。猫の写真は小さく、余白のほうが大きかった。
帰り道、私はペット用品の店へ寄らなかった。キャリーケースも、食器も、爪とぎも買わなかった。買わないことに、まだ早いという意味がある。気持ちが盛り上がったまま何かを連れて帰らないのは、今日の私にできるいちばん具体的な優しさだった。
それでも、あの白黒の猫の顔は頭に残った。すぐに家族にしたいというより、次に会ったとき、前より少し安心した顔をしているか見てみたい。誰かを好きになることと、その人を自分のものにすることは、同じではないのかもしれない。思い出すたび、格子の向こうの静けさまで戻ってくる。

数日後、私は譲渡会の案内を冷蔵庫に貼った。期限や約束があるわけではない。台所で水を飲むたび、目の端に紙が入る。そこに写る猫は、相変わらずこちらを見ていない。その視線の先を想像するのは、私の勝手な楽しみになった。磁石の端が、換気扇の風でかすかに鳴った。
次に会いに行くとき、私はもう「見るだけです」と先に言わないかもしれない。けれど、何かを決めるためではなく、会場の空気に慣れるために行くのもいい。猫が人に慣れる時間だけでなく、人が責任に慣れる時間も必要なのだ。
あの日、猫より私が審査されている気がした。今は少し違う。誰かを迎える資格を試されていたのではなく、自分の暮らしを正直に見る機会をもらったのだと思う。冷蔵庫の紙を見上げるたび、私はまだ返事を急がない猫のことを思い出す。

