
「仏教伝来200周年」への違和感から始まった、東大寺と平等院を繋ぐ数字の罠
1. 違和感から始まった「仏教伝来200周年」の謎
先日、奈良の東大寺を訪れました。
鹿せんべいをもらう時の鹿のお礼がますます進化していて驚きました。

その際、博物館の解説にあった
「大仏は、仏教伝来200周年の事業」という記述に目が留まりました。
子供の頃、歴史年表を記憶するのが好きで、それらの年数は今も覚えています。
大仏建立は752年で、仏教伝来は538年と書かれていたので、200周年にはなりません。
「記述が間違っているのかな」と疑問に思いながら、読む進むと「仏教伝来は552年」となっています。
「仏教伝来には552年説もある」と見聞きしたことはあったのですが、子供の頃の記憶が自分を意地にさせるのか、「538年が正しい」と決めつけて、552年説は無視してきたのです。
確かに552年伝来ならば、大仏建立の752年はちょうど200周年になります。
「大仏建立ほどの国家事業が行われたのなら、きっと552年説が正しいのだろう」
そう自分に言い聞かせ、頭の中の仏教伝来の記憶を552年に上書きしました。

しばらくして、『ブラタモリ』で宇治の平等院が紹介されていました。
番組では平等院建立が1052年となっていましたが、これまた私の記憶では、1053年の建立だったはずで、首をかしげました。
調べてみると、「平等院の創建自体は1052年、鳳凰堂の完成が1053年」ということでした。
なるほどと思って、またまた年数を上書きすると、これまで私の頭の中でバラバラだった年表の数字が、きれいにつながったのです。
仏教伝来:552年
東大寺大仏建立:752年(200年後)
平等院建立:1052年(500年後)
こんなにきれいに数字がつながるのに、理由がないはずがありません。

2. シーソーのように揺れ動く伝来の年
仏教伝来について調べてところ、興味深いことが分かりました。
仏教伝来の年は、ここ100年の間に何度も説が入れ替わっているのです。
まず538年説ですが、これは奈良の古寺の記録によるものです。一方の552年説は『日本書紀』の記録に基づいています。
戦前は、天皇中心の世の中で『日本書紀』の記述が重んじられ、仏教伝来は552年とされていました。
しかし敗戦後は、『日本書紀』への信頼が薄れ、538年説が一般的となりました。
まさに私が子供の頃に習った年代です。
ところが歴史の定説は定まりません。
1980年代以降は再び552年説が優勢になり、
2000年代以降はまた538年説となって、今に至るようです。
3. 「末法思想」と、計算された552年
注目されるのが、仏教の「末法思想です」。
仏教では、釈迦が亡くなった後、時間の経過と共に仏法が衰えていくと考えられています。
そして、仏法が完全に衰え、世の中が乱れてしまう時代のことを「末法」と呼びます。
古代中国においては、この末法世界は、釈迦が亡くなってから1500年後、もしくは2000年後に始まると考えられてきました。
現在の私たちから見ると奇妙に思えるかもしれませんが、当時の人々にとっては「釈迦が亡くなってから何年経ったか」は、世界の終わりを予感させる極めて重要な問題だったのです。
古代の日本では、釈迦が亡くなった年は紀元前949年と中国から伝わっていました。
そして、この紀元前949年から1500年後を計算すると、まさに「552年」になります。
『日本書紀』が仏法が伝来したと記載している、その年です。
ここまで来れば、先は見えてきます。
日本書紀が編纂されたのは720年のことです。この時、記録官たちの手元には、仏教が538年に伝来したという記録があったのではないでしょうか。
仏教を極めて重視した当時の人々にとって、仏教伝来は、国家の根幹をなす出来事でした。
そこで「仏教伝来は、他の聖なる出来事と響きあうべき」との考えから、釈迦の死亡から1500年という節目にあわせて、仏教伝来を552年に「選んだ」のではないでしょうか。
もちろん、これが真相と断定はできません。
しかし、538年と552年という「差」の理由としては、十分に考える価値があると思います。
4. 根拠なき数字の上に建つ、東大寺大仏と平等院
もし、東大寺の大仏開眼が「仏教伝来200年」の記念行事だったとすれば、それは552年という、歴史的には信用度の低い年代に基づいていたことになります。
更には、実は釈迦死亡が紀元前949年という数字自体にも根拠がありません。
この年数は、中国の仏教徒が、自らの歴史を古く権威あるものに見せるためにでっち上げた数字と考えられています。
近代の歴史学では、釈迦の死亡は、紀元前400年頃というのが定説です。
つまり、釈迦の死後2000年を迎えて建立されたという宇治の平等院も、東大寺の大仏殿も、実際には歴史的根拠のない数字に基づいて建てられた一大建築物だったということになります。
特に東大寺大仏殿にいたっては、「釈迦の死亡年」と「仏教伝来の年」という、二重の意味での根拠のない数字に基づいて建てられた可能性があり、少し気の毒にさえ感じます。
5. もしザビエルの来訪が3年遅れていたら
最後に、少し余談を。
フランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えるために日本へ来たのは1549年でした。
もし、彼の来日が3年遅れて1552年だったら、どうなっていたでしょうか。
552年仏教伝来説を前提とすると、1552年はちょうど「仏教伝来1000周年」という極めてキリの良い年になります。
そうなっていたら、私のような数字遊び好きは、「ザビエルは、日本の仏教伝来1000周年を意識して日本へ来たので」などという、もっともらしい説を唱えていたかもしれません。
歴史を見る時は、事実の羅列だけでなく、当時の人々の思惑や、偶然がもたらした帰結にまで想像を広げていくと、ますます面白味が増していくなと感じています。

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