自己肯定感が他者からの肯定によって高まると勘違いしている教員は要らない
ありのままを肯定することで自己肯定感が高まる。
そんな教育論を語る者がいる。
子どもをそのまま受け止める。
今のあなたでいいと伝える。
無理に変えようとしない。
そうした関わりが、子どもの自己肯定感を育てるのだと言う。
だが私は、この考え方にはかなり強い違和感がある。
なぜなら、「今のままで良い」と声をかけられたからといって、子どもが自分を肯定できるようになるとは思えないからだ。
テストで低い点数を取った子どもは、自分ができなかったことを分かっている。
かけっこでビリになった子どもは、自分が速く走れないことを分かっている。
友達とうまく話せなかった子どもは、自分が関われなかったことを分かっている。
できないこと、届かなかったこと、負けたこと、失敗したことを、本人がいちばん知っている。
その現実を抱えている子に向かって、「今のままで良い」と言ったところで、心の底から納得できるはずがない。
むしろ、その言葉は子どもによっては、
「あなたは成長しなくてもよい」
「できるようにならなくてもよい」
と聞こえるのではないか。
学校という場所は、子どもたちが日々成長を求められる空間である。
昨日よりできるようになる。
前より分かるようになる。
できなかったことができるようになる。
そうした変化の中にいる子どもにとって、「今のままでよい」という言葉は、必ずしも救いにはならない。
もちろん、頭ごなしに否定し続ければよいという話ではない。
子どもを傷つければ伸びるわけでもない。
まず受け止めることは必要だ。
失敗した事実と、その子の存在価値を同一視させないことも大切だ。
だが、それと「今のままでよい」と言い切ることは別である。
学校で必要なのは、現状を丸ごと肯定することではない。
今の自分を出発点として、次にどう進むかを示すことである。
そもそも、他者からいくら肯定されても、それだけで自己肯定感が高まるわけではない。
褒められた。
認められた。
受け止められた。
それで一時的に安心することはある。
気分が軽くなることもある。
だが、それは外から与えられた評価であって、自己肯定感そのものではない。
本当に自己肯定感が高まるのは、自分の行動と結果に、自分で納得できた時である。
頑張った。
工夫した。
乗り越えた。
前よりできるようになった。
自分なりにやり切った。
その実感がある時に、人は初めて「自分はこれでよい」と思える。
つまり、自己肯定感とは、誰かに言ってもらって得るものではなく、自分で積み上げていくものなのだ。
だから教育で本当に必要なのは、ありのままを肯定して終わることではない。
子どもが自分で納得できる結果に近づけるようにすることだ。
どうすればできるようになるのか。
何を変えればよいのか。
どこをもう少し頑張ればよいのか。
その道筋を示し、実際に小さな達成を積ませていく。
自己肯定感は、その積み重ねの中でしか育たない。
近道はない。
耳触りのよい言葉で一気に高まるものではない。
「あなたはそのままでいい」
そんな一言で育つほど、自己肯定感は軽くない。
それを信じて、子どもを現実から遠ざける教員は危うい。
なぜなら、成長のための負荷や努力を抜きにして、自己肯定感だけを手に入れさせようとしているからだ。
学校は、子どもに「今のままでよい」と言って安心させる場所ではない。
今の自分から一歩進み、その結果に自分で納得できる経験を積ませる場所である。
そこを外して自己肯定感を語るのは、かなり危険である。
ありのまま肯定では自己肯定感は育たない。
子どもが自分の行動と結果に納得できるよう、地道な成長の積み重ねを支えなければならないのだ。