
夏のりんごと陰の国1
あらすじ
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農園で育った少女ビビアーチェは、迷い込んだ“陰の国”で、陽の差さない領主・三日月と出会う。穏やかな日々の中、彼女の存在が天候や火に影響を及ぼしていると領主が気づいた頃、恐ろしい初代領主の亡霊が現れ、ビビアーチェは「魔物」と呼ばれてしまう。やがてこの地が、太陽神の怒りによって閉ざされた国であるという真実を知るビビアーチェ。闇に差し込む小さな光が、閉じ込められた国と、自分の未来を選んで変えていく物語。
21話で終わります。
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本編(1/21)
1.
その年の夏の暑さはしつこく、夜中になっても生温い風ばかりが漂っていた。例年、日が沈むのは夕食を終えて数刻後なのだが、夜半になれば闇に包まれた涼が訪れるのだ。だが今年は真夜中になろうと風が熱と湿度をはらんでいた。
ビビアーチェはベッドの上で何度も寝返りを打った。日の光を集めた金糸と誉め称えられる長い髪が重くてしかたがない。
いつまでたっても繰り返し目覚める苦しさから解放されず、ビビアーチェは起き上がってバルコニーへ続く窓を左右とも開けた。気温はそうそう変わらないが、風が吹き込んで少しましになる。そのまま手すりに腕をおき、ほおづえをついて目を閉じた。
風に乗ってかすかな笛の音色が聞こえてくる。
(山の村でお祭りの練習をしているのかな)
あと数週間もすれば秋になる。これほどの暑さも、木の葉が舞い落ちる頃になれば恋しくなるのはよくわかっていた。こんなに寝苦しくてもビビアーチェは夏が好きなのだ。
ビビアーチェは違和感でふと目を開けた。笛の音が近づいてきている気がするのだ。はじめはひょろひょろとした高音だったのが、うなるような低音も聞こえてくる。
目を開けたとたん、視界のすみで小さな動きが見えた気がした。視線を据えて見渡してみるが、今夜はまだ三日月だから暗いうえに、父のりんご畑に茂る木が遮って、どんなに目を凝らしてもそよぐ枝とそこにみっしりと成る実しか見えなかった。
さきほど目に映ったものは気のせいと納得しようとしても、笛の音がもうはっきりと耳に届いていた。それもさっき何かが動いたと思えるあたりから聞こえる気がするのである。
「ねえ、誰かそこにいるの?」
小さな声で呼びかけてみる。
笛の音以外はしんとして静かな夜だった。ふわふわと風が前髪を動かす。愉快な音楽が途切れたとき、ぴょこん、と黒い影がまちがいなく跳ねた。ビビアーチェは驚いて、そこをじっとみつめ続けた。
見間違いでなければ、さっきの影には「つの」が生えていた。そしてとても小さい。
再び小さな角の生えた生き物が跳ねる。まるで踊っているように何度もくるりくるりと回っているのが、りんごの木の幹のあいだからうかがえた。
あれはなんだろう?
むくむくと好奇心がわき上がってきて、ビビアーチェは何も考えずに走り出していた。部屋を抜け、階段を駆け下りて玄関のドアを開ける。笛の音楽が再び聞こえ始めていた。さきほどまでの明るいテンポのものから、流れるような暖かみのある曲になっている。
家の門を通るために遠回りするのがもどかしい。ビビアーチェは、小さな垣根を無理矢理越えることにした。おてんばもいい加減にしなさい、と父に怒られるのは承知していたが、このままではあの不思議な影を見失ってしまう。ネグリジェの裾をたくし上げて垣根の横木に足をかける。二年前、十を卒業するまで簡単にやってのけていたことを体は覚えていて、すんなりとりんご園に着地した。
相手が野生の動物だったら逃げてしまうことも考えて、そろそろと足音を消して木の間を抜けていく。だが目で探せる範囲にそれらしき生き物は見当たらない。柔らかな笛は相変わらず聞こえてくるので、音が聞こえるとおぼしき方向に足を向ける。暗さには目がすっかり慣れていたものの、出来る限り目を凝らしてゆっくりと歩き始めた。
ほんのちょっと開けた場所に出たとき、いつのまにか影の正体に近づいていたことに気がついた。はっと息をのんだビビアーチェは、軽やかに進めていた足を止めてそれを見つめた。
見たこともない生き物だった。いや、生き物といっていいのかもよくわからない。上半身は人に近い姿をしているが、腰から下は立ち上がって後ろ足歩行をしている牛か馬のようだ。たてがみのように背中まであふれ続くほどの巻き毛におおわれた頭からは、さきほど見てとったとおり曲がりくねった角が飛び出ている。背の高さは2、3歳の子供くらいで、ときどき飛んだり跳ねたりしながら、銀色の笛を演奏していた。
音に誘われるようにビビアーチェは角のある生き物についていった。とんとん、と音楽に合わせて足もとがはずむ。いつの間にか心地の良い温度の風にとりまかれて、息まで弾んでいるのに、気分は高揚していた。見たことのない動物の楽しげな動きにつられているのかもしれないが、この生き物を目の前に、もちまえの冒険心がすっかり起き上がったせいでもあるだろう。
家から離れても少しも不安はなかった。暗闇は、なれれば心地よい程度の月の光に照らされていたし、まだ街道にたどりつかないということは、りんご園につづく私道がこのあたりのどこかに隠れているに違いなかった。父の管理する土地は気心の知れた近隣の友よりビビアーチェにとって慣れ親しんだものだ。迷うことはまずない。
うきうきした気持ちでビビアーチェは真夜中の冒険に踏み出していった。