
話せないなら、買えない
まずい。2000円の板チョコの前で、昼休みが終わってしまう。
あと10分しかない。
その店の真ん中に、抹茶の板チョコが飾られていた。あれだ、と思い店に入ると、さっそく板チョコを手にとって眺める。
2000円。 200円の間違いじゃないよね? と思ったが横に陳列されていた他のチョコもそのくらいの値段だった。
わたしは、ためらった。
買える。2000円のチョコは食べてみたい。それでおいしかったら最高だ。 このままカウンターに行って
「お願いします」
「2000円です」
「カードで」
この会話で済む。あとはオフィスへ帰るだけだ。
でも。
これ買ったら
「バカじゃね?」って言われないかな
と思う自分がいた。
「バカ」という言葉には「もったいない」とか「板チョコ10枚は買えるのに」とかが含まれている。
「ランチだって1000円くらいなのに」
見知った顔がちらつく。
そりゃあそうだ。私の経済活動で2000円の板チョコは、100万円の腕時計に等しい。それくらい珍しいし高価なものだ。スタバを高いと思っている、同じ経済感覚の友人や家族に話したら、あきれられそうな気はした。
時計を見るともう5分。ぎりぎり間に合う。
「これはバカだよな」と心でつぶやき、くるりと振り返って出口へ歩く。
オフィスへの帰り道に、ふと思った。
周りの人へ話せないものは買えない
のではないか、と。
私は話したかったのかもしれない。「今日さ、会社の近くで高級チョコ売っててさ」という感じで、友人や家族に聞いてほしいのだ。
話すからには恥ずかしい思いはしたくないし、バカにされたくはない。「いい買い物をしたね」と言ってほしい。他者に認められたい自分が顔を出して、2000円の板チョコを遠ざける。
裏を返せば「2000円のチョコすっげえ!」となる人が身近にいれば、私の行動は変わっていた。「どこで買ったの? おいしかった?」と聞かれたら「いやー実はさ」と得意げに返せる。
ものを買うときに、わたしたちは想像以上に周りの人の経済感覚と同期しているものだ。
そして
そんなこと知るか!
と思う自分もいた。周りの人の経済感覚に引っ張られて自分が本当に食べてみたいものが食べられない。それは嫌だ。2000円の板チョコどころではなく、千疋屋で売っている数万円のフルーツだって食べてみたい。
日常の経済範囲のなかから飛び出して、まだ知らなかった味を見つけねば。そう奮い立った。
まだあのチョコは買っていない。けれど、笑われてもいいから買ってきて、2000円の板チョコを食べてみようかなと思う。
お店に入るときの緊張、チョコを手にして本当に買うのかどうか迷い、自分の心を振り切ってレジに向かう。晴れた日がいい。近くにあるスタバで買ったドリップコーヒーといっしょに、公園のベンチへ向かう。チョコの包装を解いて一口食べる。それはいったい、どんな味なのだろうか。
いつか聞いてほしい。
2000円の板チョコの話を。