【第322話】異国のタクシーの中で
前回の続き。。
ハノイの高級ホテル内にあったKTVという初めて訪れたベトナムの夜の社交場だったが、日本人びいきの美人ママさんと、俺のタイプど真ん中のリエンのおかげで、最高に楽しい時間を過ごすことができた。
そして俺は、迷いなく… いや、料金だけはしっかり確認したうえでリエンをペイバーすることに決めた。
「オレサン。タクシー キマシタ~」
美人ママさんの声に促されて立ち上がる。
「ありがとうございました。…カムオン」
そう言って軽く頭を下げると、ママさんはドアの前まで見送りしてくれ最後まで優しい笑顔で手を振ってくれた。
「マタ ベトナム キテクダサイ ネ」
「はいっっ!」
「ベトナムの中でも、またここに来ます」
「ウレシイ ネ… ゼヒ オネガイシマス」
俺とママさんの短い別れの挨拶を終えると、リエンが自然に俺の手を取った。
そのまま店を出て、ホテルのエントランスに停まっていたタクシーへ。
リエンに手を引かれるまま後部座席へ乗り込む。
ドアが閉まり、タクシーはゆっくりと走り始めた。
「俺の泊まっているホテルには入れない」
そう説明を受けていた以上、向かう先は別のホテルか、近くのモーテルなのだろう。
22時以降は夫婦じゃない男女が同じ部屋に居てはいけない… ママさんはそう説明してくれた。
頭の中には、ついタイとの違いが浮かんでしまう。
22時以降に夫婦じゃない男女が同じ部屋にいちゃダメだったら、タイ中のホテルは毎晩大騒ぎになるよなぁ(笑)
そんなことを想像すると思わず吹き出しそうになった。
同じ東南アジアでも国が違えば常識も法律もまるで違う。
だからこそ旅行は面白いのかもしれない。
窓の外を見慣れない街並みがゆっくりと流れていく。読めない看板、行き交う人々、交差点に響くクラクション。タクシーの後部座席に身を預けながら、俺はそのすべてをぼんやりと眺めていた。
ふと、別の考えが頭をよぎった。
もし最初から、さっきのホテルに泊まっていたらどうなっていたんだろう?
その場合はOK?
どのみち違うホテルを案内されていたのだろうか?
考えてみても答えは出ない。
結局、俺はベトナムに来てまだ数日。
しかも初めての夜遊び。
知っていることより、知らないことの方が圧倒的に多いのだ。
考えたって答えは出ない。
タイに戻ったらまたネットで調べてみよう。
とにかく今はリエンが案内してくれる場所へ黙って付いて行く。
さて… どこへ連れて行かれるんだろう。
不安がないと言えば嘘になる。
それでも、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
リエンは終始笑顔で俺の手をそっと握ったまま。
その横顔を見ていると「まぁ、何とかなるか」そんな気持ちになってくるのだった。
ブオォォーーーーン…
そんなリエンだが、店内ではあれだけ笑顔で話しかけてくれていたのに、タクシーに乗ってからというもの、ほとんど口を開かなくなった。
タクシーの運ちゃんに行先を説明している?くらい。
ときおり俺の方を見て微笑むものの、それ以上は何も話さない。
店内では片言の英語でも一生懸命話そうとしてくれていたのに、その変化が妙に気になった。
俺が何か失礼なことをしたのだろうか。
本当はペイバー自体がNGでイヤイヤとか?
考え始めると答えはいくらでも浮かんでくる。
異国では、こういう小さな変化が妙に気になってしまうものだ。
落ち着いたり、不安になったり…
そんなことを思いながら、タクシーの窓から流れていく夜の街並みをぼんやり眺めていた。
すると、不意に記憶が蘇る。
初めてタイへ来た当初のことを。
右も左も分からず、見るものすべてが新鮮だった。
スクンビットを埋め尽くすクルマ。
その車列の間をスリ抜けするバイク。
歩道を行き交う様々な国の人。
屋台から漂う香辛料の匂い。
日本では見たこともない景色に胸を躍らせていた自分。
(あの頃と同じ気持ちだ……)
初めて見る街。
初めて出会う人々。
ひっきりなしに走るバイク。
聞き慣れない言葉。
目に映るものすべてが新鮮で好奇心を刺激してくる。
その一方で、次に何が起こるのか分からないという小さな不安。
このワクワクと、ほんの少しの緊張感が入り混じる感覚。
俺は嫌いじゃない。
むしろ、それこそが外国にいる醍醐味。
口数の少なくなったリエンに聞いてみた。
「near?」
「……?」
俺は「近い?」と聞いてみたつもりだったが伝わってない模様。
しかしリエンの「心配しないで」「大丈夫だから」と言わんばかりの笑顔… その笑顔だけが、この暗闇の中で唯一の安心材料だった。


