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Photo byyamamoto15

雨のち晴れ ──理奈という子の軌跡──


    プロローグ:熱帯の雨音に揺られながら

     タイの空は、泣き出しそうなほどに厚い雲に覆われている。
     窓の外で降り始めたスコールが、マンションのベランダを激しく叩いている。かつての私なら、この雨音を聞くだけで「一生、晴れる日など来ないのではないか」と、暗い底に沈み込んでいただろう。
     机の上には、数種類のお薬。これらが今の私の、穏やかな日常を守る杖だ。

     三十歳を過ぎて、私は初めて「自分の取扱説明書」を手に入れた。ADHD(注意欠陥多動性障害)、そして双極性障害。これまで自分を苦しめてきた「そそっかしさ」も「生き急ぐような衝動」も、すべてに名前があったのだと知った時、私は鏡の中にいる自分と、ようやく握手できた気がした。

     この物語は、理奈という一人の女の子が、土砂降りの雨の中を、泥だらけになりながら歩き続けた三十数年の記録だ。いじめ、鬱、登校拒否、転職、失恋、借金、そして自己破産……。約三十年で二度、自殺を考えた。けれど、現在はこうして平穏な家庭を築けている。誇張なしに、淡々と綴っていこうと思う。
     熱帯の湿った風を感じながら、私はゆっくりと記憶の糸を解き始めた。

    第一章:祝福なき名前と「曙」と呼ばれた少女

     私が生まれたのは一九八五年。
     中学生の頃、母から聞いた出生の秘密はあまりに衝撃的だった。
    「そもそもがね、理奈ができたから結婚したのよ」
     妊娠が先で、その後に結婚したという事実。父からは「お前がいなければ、こんな女と結婚しなかった」という愚痴を何度も聞かされた。私の存在は、父にとっては不本意な結婚の「枷」でしかなかったのだ。思春期の私は、自身の存在価値を根本から疑うようになった。

     母子手帳にはさらなる謎があった。表紙には「高田理奈」。中を見ると、私より一学年上の日付で、四二〇〇グラムの女児の記録が二重線で消されていた。後に戸籍を調べて分かったことだが、母には離婚歴があり、その「姉」は実在した。私の長女としてのアイデンティティは、その瞬間に崩れ去った。

     私は、児頭骨盤不適合(CPD)による帝王切開で生まれた。出生体重四四三五グラム。身長五三センチ。女の子なのに、病院内でのニックネームは「曙」だった。
     兵庫で「高田理奈」として二年間過ごした後、母の実家の跡継ぎ問題で父が婿養子に入り、私は「岡部理奈」になった。父は「いい画数だった高田理奈から不本意な名字になった」と漏らした。名前の由来を調べた際、親から「名付け本から画数で選んだだけだ」と言われたこともショックだった。漢字に意味などない。そこに私の意志も、親の願いも介在していなかった。

     一九八七年、妹の枝美理(えみり)が生まれた。この時、母は妊娠高血圧症候群で大量出血を起こし、生死の境を彷徨った。結局、子宮全摘で一命を取り留めたが、母はそのことで女性ホルモンを乱されたと長くコンプレックスにし、家庭内でヒステリーを起こすようになった。私はただ「お母さんが怒るのは自分のせいではない」と自分に言い聞かせるしかなかった。

     小学校時代の記憶は、過酷な通学路と「違和感」に彩られている。田舎の片道三キロを徒歩で通い、夏はフキのような草の汁を吸って喉を潤した。授業は退屈で、筆箱をパカパカさせ、椅子をガタガタさせては後ろに倒れて転げ落ちる。今思えば典型的なADHDの特性だが、当時はただの「落ち着きのない、普通じゃない子」だった。椅子、自転車、ブランコ、どこからでも派手に転んで、私の膝には常に生傷が絶えなかった。

    第二章:両親のパチンコ、もやしの食卓

     私の家族を語る上で避けて通れないのは、ギャンブル、酒、そして借金だ。
     父・吾郎は漁師町の大家族に育ち、畑仕事を優先させられ、満足に勉強もできない貧しさを知っていた。母・美智華は農家の五女で、家事を一切教わらずに育った。
     我が家の昼食は、決まってインスタント麺か、油でべちゃべちゃの玉ねぎチャーハン。夏休みになると、茹でた素麺を味噌汁で煮込んだ、どろどろの「素麺汁」が食卓を占拠した。

     両親は揃ってパチンコにのめり込んでいた。幼稚園の頃、夕方になっても帰ってこない母を待ちながら、窓ガラスの模様を指でなぞり続けた寂しさを、今でも鮮明に覚えている。祖母が亡くなった後は、私は爆音の店内に放置された。店外で一人遊んでいた際、不審な男から卑猥な言葉をかけられた恐怖は、今も親には話していない。

     父の収入は不安定で、足りない生活費をギャンブルで増やそうとし、さらに深みに嵌る悪循環。母は訪問販売で高価なミシンや布団を勝手に契約した。高校生の頃、私が精査した家の借金は、消費者金融など五社を合わせて元金だけで三百八十五万円に達していた。当時はグレーゾーン金利の時代で、利息は二十九・二%、延滞利息は四十%。月の返済額は十万円を超え、手取り十五万円の父の給料では、返せば返すほど借金が膨らむ地獄だった。

     食卓には、卵ともやしを炒めたおかずだけが並ぶ日が増えた。新しい服を買ってもらった記憶もなく、毎日ボロボロのジャージで登校した。修学旅行前にようやく買ってもらった一万円の服に、父が露骨に不快な顔をしたのを覚えている。「お前たちがいるから離婚できないんだ」──父の言葉に、私の存在がこの不幸な家族を繋ぎ止めている枷なのだと突きつけられた気がした。

    第三章:檻の中の中学時代と、N高校への執念

     中学に入り、消去法で吹奏楽部に入った。担当は誰もやりたがらない重いチューバ。ひ弱な私には二十キロの楽器は拷問だった。顧問の新里先生からは「やる気があるのか!」と怒鳴られ、私は心の中で「あるわけない」と毒づきながら、ただ謝り続けた。

     一年の初夏、男子たちから「おかぶー、くっさ!」「奥さん、お〜くっさん、くっさ!」という罵声を浴びせられる毎日。生乾きの洗濯物、ストレスによる口臭。実際に私は臭っていたのかもしれない。決定的な事件は廊下で起きた。背後から冷たく濡れた雑巾が飛んできて、私の頭を直撃した。ニヤニヤ笑う加害者たちを見て、視界が真っ黒になった。死んで逃げたい。これが一度目の自殺願望だった。

     登校拒否を試みたが、担任の強引な介入で保健室登校を余儀なくされた。現実から逃げるように、私は友人たちと万引きに手を染めた。しかし罪悪感に耐えきれず、結局部活も辞めた。
     二年生の頃の記憶は曖昧だ。クラスの誰とも関わらず、自室で自分の毛を抜き続ける「抜毛症」を発症した。眉毛も睫毛も髪の毛もむしり取り、異様な風貌になった。精神科では「勝手に涙が出るなんておかしい」と突き放された。転換性障害、診断書にはそう記されていた。

     転機は中学三年の冬だった。「自分を知る人間が誰もいない場所へ行きたい」という一心で、総合学科のN高校を目指した。担任の大坪先生からは「満点を取る勢いじゃないと無理だ」と突き放されたが、それが私の心に火をつけた。躁状態だったのかもしれない。三年間分の勉強を猛烈な勢いで叩き込み、模試では学年二位。本番の入試もほぼ満点で合格した。
     卒業の日、廊下で音楽の新里先生が声をかけてくれた。「今の理奈さん、素敵だよ」。初めて自分を肯定された気がして、私は雨の檻から一歩外へと踏み出した。

    第四章:迷走する二十代、自己破産というリセット

     高校生活は輝いていた。友達に恵まれ、放送部で声を褒められた。けれど、家庭の経済状況は変わらない。奨学金を借りようにも親は金融ブラック。大学進学は夢のまた夢だった。

     卒業後、私は地元のドラッグストアを皮切りに、職を転々とした。工場の派遣では「数ミリのエラー」がどうしても見抜けず、リーダーから「頭がおかしいんじゃないの?」と罵倒された。家具屋の事務では、お局さんから強烈なビンタを食らった。ADHDの不注意と、対人関係の不器用さが、私の社会生活をボロボロにしていった。

     一瞬の恋と失恋を繰り返し、寂しさを埋めるように手を出したリボ専用カード。渡航費、入院費、生活費……気がつけば私の返済額は限界を超えていた。二〇〇八年、愛知県のパチンコ店派遣へ向かったが、過酷な労働から「帯状疱疹」を発症。激痛と孤独の中、救急病院のベッドで一人泣いた。

     入院中、オンラインゲームで知り合った「モリッペ」に救いを求めたが、彼は私の体を都合よく扱うだけで、お見舞いにも来なかった。退院後、お金のために始めた場末のバーでの仕事。客から胸を触られても、「もうどうだっていい」とヤケになっていた。さらに、心から信じていた隆祐という男からも「水商売の女なんて遊ぶだけ」と冷たく振られた。

     そんな絶望の果てに出会ったのが、現在の夫「よーちん」だった。婚活サイトで知り合った彼は、私のすべてを包み込んでくれた。家事能力が絶望的だった私に、お米の研ぎ方、包丁の握り方から丁寧に教えてくれた。
     けれど、過去の負債は私を逃さない。名古屋のコールセンター勤務初日、給与明細を見て愕然とした。手残りはゼロ。死ぬしかない──二度目の自殺願望が頭をよぎった。私は最後の力を振り絞り、債務整理を希望して弁護士事務所へ駆け込んだ。
    「自己破産ですね」
     その言葉は、屈辱ではなく、新しい人生へのパスポートだった。二十四歳、私はすべてを失い、そして彼という「唯一の居場所」を手に入れた。

    第五章:小松原理奈としての戦い、そして「取扱説明書」

     二〇〇九年四月。浮気疑惑からの大喧嘩の末、彼から「結婚する?」とプロポーズを受けた。私は「岡部理奈」を捨て、「小松原理奈」になった。
     新生活が始まってすぐ、長男を授かった。出産は、三日間に及ぶ壮絶な死闘となった。遷延分娩、そして弛緩出血。出血量は二リットルを超え、血液数値(Hb)は五・七まで落ちた。「交通事故並みの貧血」と言われ、歩こうとすれば意識が薄れ、廊下の手すりに縋り付いてようやく息をした。

     次男、三男と、立て続けに息子たちを授かった。三人目不妊にも悩んだが、三十一歳を前に小松原家は五人家族になった。私は命をかけて産み出した三人の息子たちの母として、必死に土俵に立ち続けていた。

     三十代になり、長年の「生きづらさ」の正体が判明する。二〇一九年、事務派遣の仕事でミスの多さに限界を感じ、心療内科を訪れた。診断名は「ADHD」。
     ようやく、私のこれまでの「そそっかしさ」に名前がついた。職場の仲間に迷惑をかけたくない、何より支えてくれる家族のためにまともな自分になりたい。そう願い、ストラテラ、そしてコンサータの服用を始めた。
     けれど、現実は残酷だった。薬を飲んでも劇的な改善は見られなかった。私の感覚では、マイナス五〇だった世界がマイナス四〇程度に底上げされただけに過ぎなかった。ミスは完全には消えず、期待したほどの効果は出ない。
     そして二〇一九年五月。派遣の更新はなし、という通告を受けた。実質上のクビだった。
     「薬を飲んででも頑張りたかった。けれど、それでも私は社会に必要とされなかった」
     その事実は、私を深く、暗い淵へと突き落とした。
     失意の中、自分の脳が抱える「凸凹」をより客観的に知るために受けたのが、心理検査(WAIS-IV)だった。結果は全検査IQ112。言語理解が119と高い一方で、ワーキングメモリー(数唱8、算数13、語音整列8)に著しい不得意が見られる。「能力不足ではなく、脳の特性によるものだ」という客観的な数値を見て、私はようやく自分を責める手を、少しだけ緩めることができた。

     その後、夫のタイ赴任が決まった。渡航を前に、三度の出産で悲鳴を上げていた「痔」の手術を受けた。激しい術後の頭痛に耐えながら、私は新しい国へ行く準備を、身体のメンテナンスから進めていった。

     二〇二一年二月、タイ・バンコクへ。現地の病院で処方されたリタリンが、驚くほど私の脳にフィットした。世界がクリアになり、ようやく「普通の人」の感覚を知ることができた。
     けれど、環境の変化は甘くなかった。ある夜、抑え込んでいた感情が爆発し、私はキッチンの包丁を握りしめ、ベランダから飛び降りようとした。「子供はどうするんだ!」という夫の絶叫で我に返り、その場に崩れ落ちた。この事件がきっかけで「双極性障害」の確定診断が下された。激しい躁と、死にたくなるような鬱。この大きな波が、私という人間を翻弄し続けてきたのだ。

    エピローグ:雨は、もうすぐ上がる

     今、私はタイのマンションで、この文章を綴っている。
     二〇二一年四月、現地のコロナ禍が悪化し、私たちは一時帰国を命じられた。家の中は荒れたままで、これから隔離生活が始まる。不安はないと言えば嘘になる。
     けれど、今の私はこうして文字を書くことができている。いつ突発的な衝動に襲われ、死が訪れてもいいようにと、急き立てられるように指を動かしている。

     中学生の時の爆発的な勉強への集中力も、三男が寝た後のわずかな時間でFP三級に合格した執念も、きっと私を動かす「躁」のエネルギーだったのだろう。学力は将来の選択肢を広げる武器だ。息子たちには、私のように「道が塞がって手が届かない」という思いだけはさせたくない。

     私の三十数年は、土砂降りの雨だった。
     けれど、その雨は私の大地を潤し、今の穏やかな家庭という花を咲かせてくれた。
     三十年前、母子手帳を読んで絶望した少女に言ってあげたい。
    「理奈。あなたの名前には、画数以上の意味が宿るようになるよ」
     
     雨は、もうすぐ上がる。ベランダの外、雲の切れ間から、熱帯の強い光が差し込み始めていた。

    (完)

    平成二十九年五月十六日 投稿開始
    令和三年八月十八日 初版発行
    令和五年二月十五日 第三版発行(リライト前の原版75775文字です、Amazon kindleにて読めます!よろしかったらどうぞ)
    令和八年四月二十九日 リライト版発行
    令和八年五月四日 リライト版2(コンテスト提出用約5000字)発行

    著者・発行者 栞那りあ(ねねこ)
             インスタkanna_ria1985

    当作品で綴るお話は、栞那りあの実体験100%でお送りするノンフィクションではありますが、登場人物は全て仮名ですので、実際の人物・団体とは一切関係がございません。

    無断転載、無断引用等は固くお断りいたします。シェアは大歓迎です。

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