父のこと
今年のゴールデンウィークは実家に帰った。
友人と会う約束のついでに、実家で夕飯を食べないかと誘った。すると、その旦那さんも来てくれることになり、今回はいつもよりにぎやかな帰省になった。
実家に着くと台所からすでにいい匂いが漂っていた。
覗くと、揚がったばかりのコロッケが大皿に並び、衣がきらりと光っていた。
友人夫婦も到着し、楽しい宴が始まった。
父もお酒が進み、友人の旦那さんに何度も同じ質問をするぐらいには酔っていた。
招待した友人の旦那さんは海外の方なのだが、父はこんなに喋る日本人は初めてと言われていたので、今回は大いに楽しんでくれていたようだ。
今年の2月に祖父が亡くなってから、父の言葉の端々に残りの人生を数えるような言葉が増えた気がしていた。
祖父の葬式が終わった日、父は祖母と叔父の三人で、
「結局、自分の親父はどんな人だったんだろう」
と話したと教えてくれた。
気が短く、カッとなると路面電車を蹴飛ばしてしまうような人だった、と父は笑った。
私の父はどんな人だろう。
父は片田舎の商家の長男として生まれた。
高校生の頃、友人の東京帰りの叔父さんに連れて行ってもらい、初めて食べたパスタに衝撃を受けたという。
大学は東京へ進み、バイト先が同じだった母と出会った。
長男であり商家の息子でもあるという自覚からか、故郷に戻り商売を継いだ。
ただ、私が物心ついた頃には商売がうまくいかなくなっていた。
当時、子どもたちに大変さを悟られまいとしていたからだろうか。家計が苦しかったことを知ったのは、ずっと後になってからだった。
父が大変そうな姿を、私は一度も見たことがない。
ただ、ある年の正月、急に祖父が「あのときはお前も大変だったな。ごめんな」と言った。
なんの話の流れだったのか、なぜ祖父がそんな話をし始めたのか全く思い出せないが
その時、あの父が初めて子どもたちの前で泣いた。
母も台所で洗い物をするふりをして泣いていた。
子どもたちは皆、息をのんだ。
誰も声を出せず、ぐっと涙をこらえた。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
思い出すたび、胸が苦しくなる。
私が父について一番に思い出すのは、このときのことだ。
あの日初めて、父も泣くのだと思った。
父は仕事のことも家族のことも抱えながら、何年も歩き続けてきた。
父が残りの人生を口にするようになってから、私も父との残された時間を考えるようになった。
あと何回、この食卓を囲めるだろう。
揚げたてのコロッケが並ぶ食卓を囲み、父が笑い、母が笑い、みんなでご飯を食べる。
そんな一日を、これからも少しずつ増やしていきたい。