
不妊治療をやめると決めた。
もう、やめようと思う。不妊治療をやめようと思う。第三子の妊娠のために不妊治療を始めた2年前から、何度も何度も思ってきたけど、いよいよ本当に、不妊治療は人生で終了にしようと思う。
妊活の終わりについて、考えたことはありますか。
もしかしたら、今不妊治療をしている人にとってはこのnoteは目に触れたくないものかもしれない。今まさに、妊活の終わりがよぎらないように必死に頑張っている方は、どうかこのnoteを閉じてほしいです。
不妊治療は今、特別な選択肢ではなくなってきて、治療の情報にも体験談にも簡単にアクセスしやすくなっている。でも、妊活のやめ方は表にほとんど出ない。必要ないからではない。不妊治療を受ける当事者たちの気持ちや状況はものすごくセンシティブだし、安易に批判の目にさらされて良いものではないからだ。
だから私も、これが誰かのためになるなんて思って書くわけではなくて、ただ、私が私に折り合いをつけるために、不妊治療の終わり方をみつけるために書く。
2年という長い不妊治療の期間と自分の年齢を重ねて考えて、いよいよ、不妊治療のやめどきを考えはじめた。約8年間通い続けた不妊治療の先生に、エコーの後の診察室で「私は不妊治療をいつやめるべきですか?」と聞いた。
その時先生は、当然だけど、自分たちの考え次第だと明確なことは言ってくれなかった。けど私は、先生の私見でいいですからと食い下がって聞いたら、こう言われた。
「もし妊娠しなくても、この後は家族4人の幸せな人生を考えるのだっていいじゃない」
これを聞いて、なんというか、心に鉛を落とされるというのはこういうことかと。憤ったという表現が一番しっくりくるかもしれない。私の食い下がりに誠実に答えてくれた先生に対して、私の返事の声と身体は震えていたと思う。
この答えを聞いた後思い返すと、私は先生から「もう十分頑張ったし、辞めても胸を張っていいですよ」と言われたかったのかもしれない、ということに気づいた。そして、まさにほとんど同じ意味の言葉を、私が欲しかった言葉を言われたんだけど、それは他人から一番言われたくない言葉だったんだと気づいた。
私は今41歳、あと5ヶ月で42歳になる。東京都の不妊治療の助成金対象となるのは43歳未満だから、名実ともにギリギリの年齢。
少し説明しておきたいのは、私は今、2児の母であるということで、今は第三子の不妊治療中ということ。初めての子どものための不妊治療ではないということ。
プロのキックボクサーを引退して、すぐに不妊治療を始めた。一年半の不妊治療を経て長男を妊娠して、35歳で出産。37歳から始めた第二子の治療は、今度はあっけなく治療開始2ヶ月目で妊娠、出産。そして2024年の夏、40歳を目前にして、第三子のための治療を再開した。それからまもなく2年が経とうとしている。この間に、私は3回妊娠して、3回の流産手術を受けた。
私の妊娠は、第一子から順風満帆というわけではないと自分では思うけど、外から見ると結果的に2人の子どもがいるし、恵まれていることだと思う。もともと高校の友人が不妊治療をしていた話を聞いていたので、高齢出産枠じゃなく何歳だとしてもすぐ不妊治療から妊活を始めようと思っていた。
長男の一年半の不妊治療では、タイミング法から人工授精に移り、そして、投薬や通院のたびの注射、終わりの見えない日々に疲れて、一度休もうとタイミング法に戻したその月に妊娠した。
そのときは、頑張り続けるのをやめたときに報われるなんて、と、頑張ってきた自分にはいい教訓だったなあなんて思った記憶がある。
私も夫も三人兄弟なので、兄弟いるのはいいよね、なんて話していたけれど、二人目の治療を開始してからは、わずか2ヶ月、タイミング法の2回目で妊娠した。こんなことをいうと怒られるかもしれないけれど、もっと時間がかかると見ていたので、育児も自分の仕事もまだまだカオスな中での予期せぬタイミングで、妊娠がわかったとき、トイレで頭を抱えた。
だから三人目も、たぶん、きっと、可能性はある。2人の育児にようやく余裕が出た頃に、最後のチャンスと第三子の不妊治療を39歳で始めた。
不妊治療を再開した当時は、もちろん2年も長引くと思っていなくて、40歳のうちに妊娠しなかったら不妊治療をやめようと夫にも宣言し、同い年の夫もちょうどいい区切りに納得していた。
不妊治療をはじめて半年くらいで妊娠をしてその後流産になったのだけれど、自分はまだ妊娠できる、と思ってしまった。
流産をすると、体を休める期間、つまり妊活ができない期間があり、時間だけは過ぎていく。次は妊娠する、まだ私は大丈夫。そして気づいたらタイミング法から人工授精に移行して6回が過ぎ、私は41歳の誕生日を超えて、今体外受精のフェーズに入っている。
第一子の不妊治療には学びがあったし、初めての喜びがあったし結果的に妊娠した。第二子は目まぐるしく治療が終わったし、この頃には育児の報われ方も知った気がする。第三子の治療は、ただつらかった。現在進行形の今もつらい。
午前中に3回目の流産手術を受けた日。その日はちょうど百貨店でのポップアップをしていて、私は手術日はさすがに休もうとシフトを組んでいた。そしたら手術前日に、シフトに入っていたスタッフから風邪で欠勤の連絡。代わりの人員を必死に探すけれど、見つからないまま手術。オーナーである私が最終的に責任は取るわけで、手術をした午後に店頭に立った。シフトは夕方からレジ閉めのクローズまでひとり。
吐き気や身体の痛みに追い討ちをかけるように、忙しい時間帯の夕方に保育園から電話があって、次男が発熱したので早めの迎え要請をされる。その日の迎えは夫にお願いしていたし、1時間前のLINEでは「今新宿」と時間的にも十分お迎えできていたはずなのに、迎えが来ていないとのこと。何か、重大な事故が起こったのではないかと、色々重なってパニックになり、バックヤードでしゃがみ込んでしまった。早く店頭に戻らなければならないのに、声が出ない。でも、このままでは何も解決しないから、声がでないまま義母に電話をかけたら涙がでてしまい何も言えない。かろうじて「子どもたちを園に迎えに行ってもらえますか」と声をふりしぼり、「わかったから」と、いつもすぐに優しく察してくれる義母に心底救われた。
直面した問題は解決したから、痛むお腹や眩暈を抑えながら、なんとか閉店からレジ締めまで乗り切った。どうやって家に帰ったかは、今でもよく覚えていない。
夜、帰宅すると、連絡不通だったはずの夫は子どもたちと家にいて、何もなかったような顔で「ごめん、ラインに気づかなかった」と私に言った。夫は私がその日の午前に手術をしたことも、覚えていなかったんだと思う。
決して、夫だけを責めたいわけではない。これは第二子以降の不妊治療を行う方々に、起こりやすい一面だと思う。
初めてではない、何度目かの妊娠。育児をしながらの不妊治療は、女性にとっても男性にとっても余裕のあるものではない。不妊治療が、生活の中で最優先で気にする事ではなくなるのだ。夫だけではなく私にとっても。
この夜、さすがに神経をやられていたので一人で寝室に閉じこもったけど、眠れなかった。誰が望んでこの治療をしているのか。世界で私一人だけが望んで、自分の意思で不妊治療をしていた。孤独だった。
治療中のつらい思い出はたくさんある。楽しい思い出は治療にはない。それは当然かもしれないけれど。第二子以降の不妊治療に、「やってよかった」という曖昧な感想をいれたくない。この経験を、なにかの意味に変換させたくない。だって、本当に意味はないのだ。妊娠しないと意味がないのだ。自分の気持ちを削ってまで美談に参加はしたくない。
出産には明確に終わりがある。良い運命がきても、願いが叶わなかったとしても。でも妊活には終わりがなくて、全て、当事者である私がひとりで決めなければならない。これはもしかして反論したい男性もいるかもしれないけど、男性側は相談や寄り添いはできるけど、決断はやっぱり女性側にあると私は不妊治療を通して今もそう思っている。男性側に不妊の原因があり治療をしているとしても。選択を支えるような姿をして、決断は女性に委ねられている。
第二子以降の不妊治療で、幸せな妊活の終了というものは、存在しないと思う。だって、色んなものを犠牲にし続けて不妊治療をやる人たちを、本当に救えるのは過程ではなく結果だけで、そして、出産をしない妊活の終了が意味することは、結果が叶わなかったということなのだから。
だから、この気持ちには、自分自身でカタをつけなければならない。白黒つけることが正解ではないものに、自分自身で折り合いをつけていく。
もう十分頑張った。同じ言葉だけど、自分で言うのなら受け取れるのだから勝手なものだとも思うけれど、この言葉は他の誰かではなく、自分が自分に言ってあげなければならない。そうしてようやく、私は不妊治療をしていた2年間のことを、無かったことにしなくてよくなるのだ。
もう十分頑張ったから、不妊治療をやめると決めた。