※死についての描写や軽い性的描写が本作品には含まれています。苦手な方は読むのをお控えください。
※僕の経験を元に描いた自伝であり、生々しい描写が数多ありますが、ご了承いただけると幸いです。
※以下は、僕が実際に持つ「同一化」という感性と経験した出来事を結びつけて描いています。「境界線」とはなんなのか。自分がバウンダリーを侵していないか。気にしながら読むと一層面白く読書体験ができることと存じます。
わたくしたりたい
唯一、わたくしが願ったことでした。
1
わたくしには、以前もう1人の「わたくし」がおりました。それはまた愉快な人生で、わたくしそのものというものを豊かにしてくれる「わたくし」なのでした。わたくしが、しんどいときには励ましてくれる、いわばクッション剤のような人間でありました。
ひとはそれを他人と呼ぶようです。
どうやら、わたくしは同一化ーーその人たりたいと思い、その人となることーーが人一倍早いらしいのです。人は皆、同一化を一度は経験しているものであります。それは人間となるための登竜門であります。親の元から生まれた人間たちは胎内で同一であることを一度強制されるのです。生まれてきたくなかった、などと言う人がおりますが、その人たちはそのような滝行の一環で人間をやめてしまう貧弱なものなのでした。他となるだなんてことは自己を損失する、本能的な危機感を皆、持ち合わせているようでした。
わたくしには、その「普通」で本能的な感覚を持ち合わせておらず、小さい頃は他になることを自ら好んで行っていました。ただ、不撓不屈の精神を持ったものにしか、同一化というものは成し遂げられないようで、他の人は同一化を経験したくないという働きかけが体中を懐く駆け回るようでして、わたくしに同一化されようとしたものは決まって「うざい」などと言うのでした。
わたくしは、幼い頃から、そのように言われてはこの人とは共になれない、という悲しみに心を魘されるのでした。会う人たびたびに同一化を試みていた、というよりも、同一化以外に他の人間と関わる術を持たなかったわたくしは、毎度毎度、その拒絶に項垂れるのでした。
同一化とは、「死」でした。
他の人たちは、同一化することは、死であって、そのような阿鼻地獄を経験するくらいだったら、少しでも楽な、居心地の良い道を歩んでいこうとするものでした。人は常に楽な道を選ぶ。そうわたくしは識(し)っております。
同時に、同一化とは、「生」でした。
わたくしは他人と同じになることで、生を実感するのでした。母胎の居心地の悪さとはいえ、それが生きることそのものであったので、常に他人をすまわせないとわたくしは死んでしまうくらい辛い思いをするのでした。
人は皆、誕生は同一化なり、逝去もまた同一化である。という価値観を持っているようですが、わたくしは、誕生も生も同一化なのである、逝去は同一化をやめることである、と元来思ってきました。いつまで胎に縋って生きてるんだ、なんて思うかもしれませんが、それは、あなたの本能に刷り込まれたステレオタイプに脳を蝕まれているのです。少なくとも、わたくしはそう、思います。
わたくしには、常にして「わたくし」がおりました。親だけではありません。それを拒否する人間どもです。母の肉体が無理矢理にでも、わたくしに同(どう)じたように、わたくしもまた、他人を無理矢理に同じるのでした。他人は、死ぬことを恐れ、毎度拒絶するようでありましたが、わたくしは臆することなく、他と同ずことが世の真理だと信じて疑わずに、誰でもなりふり構わず妙な距離の詰め方で、人を殺すのでした。人を殺すことは快感ではありません。生のためにするしか仕方のない、安全のためなのでした。安全なくして、人は生きて征けません。同じないと、生きて征けない。同じていない間、わたくしは死んだような心地がするのです。
この厄介なさがのために、わたくしは苦労しました。
わたくしは責めるのです。
お前は何もできない
貧弱もの
死んでしまえ
そう言って、誰かが責めるのです。
わたくしではない誰かが責めるのです。
それが、苦しかった。
苦しい、そんな言葉では生ぬるい。そうしていつもわたくしは死に際にいるのでした。
わたくしは、いつしか、他人と関わるのが怖くなっておりました。
ひとと話をすること、それは、わたくしを傷つけることに変わっていきました。
誰も相手をしてくれない。同ずることなんて、傲慢なんだ。
わたくしは、生とは「同一化」だと思っていましたから、また、わたくしはわたくしとしてではなく、たにんとして生きていくしか仕方がないようになりました。
たびたび、襲ってくるのです。
お前は誰だ?
この体は誰のものだ?
死んでしまえ、なんていうひとは消えて亡くなりましたが、わたくしというひとも消えて亡くなりました。
そうして、たにんとしての、わたくしが始まりました。
2
たにんとして日々、年月が経ちました。
わたくしはずっと、たにんでした。
ただそんなわたくしにも、わたくしを好きでいてくれる人があらわれました。
たにんの顔色を伺い、いつたにんからズレるかわからない恐怖に怯えながら過ごす日々はまた、わたくしにとって居心地の良いものではありませんでした。
たにんからズレた暁には、己を持ったものにしかわからない猛烈な違和感を感じるのでした。
「おはよー、今日は元気?」
怯えを気にかけてくれたのか、単純にわたくしのことが好きだったのか、わたくしにはその時にはわかりませんでしたが、ただ、話すのが楽しかったのです。わたくしは彼女にだんだん惚れていきました。
ほどなくして、わたくしたちは付き合いました。
「一生一緒だよ」
彼女のそのひとこと。
「うん、ずっと一緒だからね」
わたくしたちはそういって愛を誓うのでした。
わたくしは、この人になら、境界線をともにして生きて往けるのだと感じました。同一化を他人に押し付けるなんてことは、傲慢他ならないものですが、他人が望んでいるのなら、と、わたくしは、彼女に同一化を試みてみるのでした。
見事なことに、彼女は同じであることを受け入れてくれる、達者な人間でありました。
わたくしは、再び、生まれました。
赤子がまた、生まれました。
たにん、ではなく、わたくしになりました。
彼女もまた、「わたくし」として生まれたのです。
わたくしは、もう1人の「わたくし」とともに楽しい日々を送りました。
彼女はとても元気で明るい子で、ときたまこの人間と「わたくし」を作っていきたい、と感じさせてくれる、生の存在でした。
「僕のこと好き?」
「え?何?好きだよ。え、何?」
そう言って困惑する彼女の姿もまたわたくしは好きなのでした。
赤子は成長してゆくもので、そんな「わたくし」(彼女)も、じがを持ち始めました。反抗期というやつです。
「付き合っても変わらないね、君は」
彼女には「わたくし」として、ずっと生きていくのはやはり辛かったようです。母胎で育つ胎児が我慢できずに外界へ飛び出してくるように、彼女もまた、息苦しい「わたくし」を出て、生きたい。と思うようになったのでした。外界には刺激があり、その刺激をひと一倍求める彼女は、「わたくし」をでたがるようでした。
「今日れんがさー、」
「れんならこれ、してくれるけど」
「明日れんとお泊まり会してくるね」
わたくしは裏切られたつもりになりました。
「わたくし」だった彼女の存在は、「わたくし」にはなれなかった。
わたくしが信じて同じたこの女は、他の人間どもと同じで虫ケラだったか。
こんな弱い存在と同じを試みるわたくしは、拒否され苦しかった思い出をまた思い出しながらも付き合い続けるのでした。
こんな虫ケラと付き合って
おまえは誰になりたいんだ
おまえは同ずることでしか
生を保てない
おまえもまた虫ケラじゃないか
彼女と付き合って得た、気づきがこれでした。
彼女は「わたくし」を出て、他の男のところへ行ってしまいました。
3
わたくしに死ねという誰かがまた帰ってきました。
わたくしは、耐え難かった。
誰かと同一化する術は、もう、他人ではなく、恋人としてでしか、ないようにわたくしは感じました。
今わたくしはわたくしとして生きている
とはいえ、独りでわたくしとして生きることは耐え難くつらいもので、死ぬまでは行かないものの、生を実感するすべがわたくしにしかない。同一化を生存本能として備えていたわたくしは、常に怯えているのでした。
怖いから他人とは一緒にいられない。
でも、同一化しないと精神崩壊してしまう。
手っ取り早く、他人と同一化するすべは、遊楽街でした。
4
「僕のことは好きかい?」
そう問えば、好きだ、そうかえってくるのです。
もちろん、お金が貰えるからそういうなんてことはわたくしも理解しておりました。
ただ、わたくしが生きるための術なるものはそこにしかないようで、仕方がなく、そこで日々を送ることにしました。
女たちは、わたくしのことを好きだといいました。
わたくしは、毎晩、別の女を好きになりました。好きになっては、毎朝、拒絶されるのでした。黒服の男が出てきて、殺されそうになったこともあるまでです。
毎晩、同じようとしました。
けれども、女たちは翌朝にはもう、「わたくし」ではありませんでした。かつてのあの虫ケラ女と同じでした。
夜が明けるたびに、「わたくし」は死にました。
夜が来るたびに、「わたくし」は生まれました。
それが遊楽街という街なのでした。生死が盛んに起こる。
それを繰り返すうちに、わたくしは気がつきました。
死んだものとしか、同じられないのだと。
生きている人間は、朝になれば去ってゆく。
ただ、この夜の闇の中だけ、わたくしは同じられる。
わたくしは、生身の人間ではなく、死のピエロになるのでした。
わたくしはやがて、生きている女を求めることをやめました。
同一化とは死である、と、かつてひとは思いました。
ならば、すでに死んでいるものを同じることは、なんと呼ぶのだろうか。
わたくしには、わかりませんでした。
ただ、死んでいる女は、朝になっても去りませんでした。
拒絶しませんでした。
わたくしを、虫ケラと呼びませんでした。
久しぶりに、わたくしは、完全に同じられたのでした。
これが生なのか、とわたくしは思いました。
これが、わたくしたりることなのか、と。
わたくしは、死んだ女にまた、同じられるのでした。
母親の胎内を思い出した気がしました。
そこは、居心地が悪く、抜け出したいと感じる空間でした。
わたくしは、ただ、それを忘れていたのでした。朝の光の中で、わたくしは知るのでした。
気持ち悪い。なにか、そう感じるのです。
わたくしたりたい。
ぽつりぽつりと降る雨と、その声だけが、冷えた部屋の中で、こだましておりました。